~紅龍の夢~

巻の七 DIES IRAE ─怒りの日─

4.戦士の休息(4)

翌朝、汎魔殿の豪奢(ごうしゃ)で広い“会議の間”に、魔界の重鎮(じゅうちん)達がずらりと顔を揃えた。
魔界王の下、魔界を分割統治している四人のデーモン王……東、ウリクス、南、マモン、西、バイモン、北、エギュン……を初めとして、引退した元公爵、プロケルの顔も見える。
魔界王直属の“黔龍軍”将軍ビフロンズ、サマエル率いる“紅龍軍”の副総帥ゼパルほか、貴族と各軍の主立った達も席に着いた。

堕天使も、シェミハザを筆頭に、アザゼル、アルマロス、バラキエル、コカビエルの五名が代表として末席に連なっていた。
シェミハザは立場上、ゴモリーとは離れて座ったものの、特に不満もなく、念で会話をし、遠くから視線を合わせては微笑んでいたりした。

彼の隣席にいるアザゼルは、友と魔界の女公爵が恋仲になったという、うれしい驚きと、ガブリエルのことが気がかりなのとで、落ち着かない様子だった。
魔法医エッカルトが、彼女の身の安全を考慮して、結界を張った部屋を用意し、エルピダを監視役につけてくれていたのだが。

ざわめきの中、ラッパが吹き鳴らされ、小姓が王族の名前を呼び上げ始めた。
「前魔界王ベルゼブル陛下、並びにイシュタル妃殿下のお成りー!」
その声に、皆は起立する。
そして、ベルゼブルが、異母妹であり、今は妃となったイシュタルを連れて入って来ると、彼らは一斉に礼をした。

「第二王子、カオスの貴公子サマエル殿下、貴石の王、“焔の眸”妃殿下、並びに朱龍リオン殿下、碧龍ベリル殿下のお成りー!」
次いで、サマエルが、“焔の眸”の化身である妃、黄金に輝くシンハと共に、リオンとシュネを従えて入場し、家臣達の礼を受けた。
ついこの間まで、人の輪の中で微笑んではいても、どこか心ここに有らずといった風でいた人物と同じとは思えないほど、サマエルの紅い眼は活力にあふれて輝いており、以前のような(かげ)りは微塵(みじん)も見られなかった。

ややあって、一層華々しいラッパの音が鳴り響いた。
「偉大なる魔界の君主、黔龍王タナトス陛下、並びに“黯黒の眸”妃殿下のご出座(しゅつざ)ー!」
その声と共に、煌びやかな衣装をまとったタナトスとニュクスが、部屋の奥から姿を現し、上座に着く。
妻の存在がこうも性格を変えるものかと、家臣達が密かに噂し合っているのを知ってか知らずか、タナトスは、自分の妃の美しい横顔から、眼を離せずにいるようだった。

王族も含めた全員が、二人に向かってうやうやしく頭を下げた後、王と王妃の席の左側にベルゼブルとイシュタルが、右側にサマエルが席を占め、その足元にはシンハがうずくまった。
サマエルの後ろに座ったシュネの顔色は悪かったが、リオンがそっと顔を覗き込むと、かすかな笑みを返した。

本来、タナトスは、仰々(ぎょうぎょう)しい儀式やあいさつなどを好まず、会議も、今まではまったく前置きなどなく、即、本題に入るのが常だった。
だが、今回だけでも、伝統に(のっと)って開始した方が士気が高まるとサマエルが提言し、仕方なく弟の案を呑んだのだった。

「よし、皆、座ってよいぞ!」
号令一下、家臣達は席に着く。
やや間を置いて、魔界王が立ち上がると、室内は水を打ったように静まり返った。

「これから俺達は、故郷であり、同時に敵の本拠地でもあるウィリディスへ乗り込む。
元より、相当の犠牲が出ることは覚悟の上、勝てばいいのだ、要するにな!
我らが故郷を取り戻し、自由に生きるために、神族──あの害虫どもを、楽園から駆除するのだ!
そして、我らを長年押し込めて来た地獄へと追い落とし、衰えて死に絶えるまで封じ込めてやる!
神と称するあやつらの、種としての力は限界に来ていると、みずから認めておったわ!
案ずるな、伝説の“四頭龍”と“双の眸”が揃った我らには、勝利あるのみだ!」
魔界の王は一息に言ってのけ、拍手喝采(かっさい)を浴びた。

「聞け!」
沸き立つ家臣達を、タナトスは制した。
「ただ、犠牲はなるべく少なくしたい。
せっかく、ここまで漕ぎつけたのだ、どうせなら、皆で故郷へ凱旋(がいせん)したいからな。
いい知恵があったら貸せ、どんどん発言しろ、遠慮なぞいらん!
──以上だ」
彼が席に着くと、さらに盛大な拍手と歓声が湧き起こった。

それが静まるのを待って、サマエルが立ち上がる。
「陛下の命を受け、私が議事進行を()り行う。
まずは、状況説明から始めよう。
現在のウィリディスについては、当然だが、堕天使が詳しい。シェミハザ、頼む」

「は」
シェミハザは立ち上がり、一同に向けて軽く礼をした。
ゴモリーに死の影を取り払われた彼の瞳は、サマエル同様生き生きしており、態度も自信に満ちあふれ、恋人の尊敬の眼差しを勝ち取っていた。

僭越(せんえつ)ではございますが、堕天使代表として説明させて頂きます。
まずは、皆様、こちらをご覧下さい。
これが、ウィリディス……現在の天界です」
彼が指を鳴らすと、天界の巨大な立体映像が、部屋の中央に浮かび出る。

「──おお──っ!」
抑え切れないどよめきが、会議の間を満たした。
「これが、我がウィリディスか!」
「何と美しい!」
「我が故郷……!」
「宇宙に浮かぶ、緑の宝石のようではないか……!」

そのざわめきが止むのも待たず、シェミハザは再び指を鳴らして、天界の防衛ラインを映像に加える。
途端に、青い輝きに包まれて、星の細部は見えなくなってしまった。
「天界の周囲には、このように、結界が張り巡らされています。
以前は一つでしたが、現在は強化されて三重にもなっており、そしてこれが……」
シェミハザは手にした光の杖で、結界上のある一点を示す。
たちまちその箇所が拡大され、一面に魔法陣が描かれた巨大な円形の石版が見えて来た。

「転移門……天界への入口です。
当然、門を守る兵力も相当のものですが、三重の結界を一つ一つ破壊し、突破口を開くよりも、ここを落とす方が、遙かに労が少ないと申せましょう」
「ふん、そんな結界ごとき、俺達にかかれば薄紙も同然、何重だろうと破って見せるわ!」
魔界王の言葉に、堕天使はうやうやしく一礼した。

「御意。無論、四龍の方々が一斉にかかれば、突破するも容易とは思われますが、敵の力を(あなど)ってはなりません。
汚れ仕事は我らに押しつけ、長の年月、惰眠を(むさぼ)り、肥え太って来た(やから)ですが、伊達に神を名乗ってはおらず、一筋縄ではいかない(したた)か者ばかりでございますから」

すると、東王ウリクスが口をはさんだ。
「それよ、我らは、天使はともかく、神と称する者共を、すべて見知っておるわけではない。
堕天使の翼を黒くしたは名案なれど、この際、我らも敵のすべての姿を、把握(はあく)しておくは、必須ではないのか」
「まことに、ごもっともなご意見でございます、東王様。
では……」
シェミハザは一礼をして映像を消し、代わりに神族の姿を空中に映し出して、知っている限りの弱点等と一緒に、解説し始めた。

そして、ついに、皆が待ち望んでいた者の順番が回って来た。
「最後になりましたが、敵の親玉……“天帝”ゼデキアです」
「ほう……!」
「こやつがゼデキアか!」
映し出されたその姿に、人々は感慨深げな声を上げた。

短く刈られた髪は霜が降りたような灰白色、同色の長いあごひげ、冷徹な瞳も灰色で、眼元と口元には、幾筋もの深い皺がある。
眉根を寄せ、こちらを睨んでいる老人からは、暖か味など微塵(みじん)も感じられない。
これが、力と恐怖によって天界を支配する“天帝”だった。
魔族達はその姿を、深く心に刻みつけた。

「ご苦労だった、シェミハザ。
後で兵士達にも見せよう、天帝を見て生き長らえた魔族は、今までいなかったからね」
サマエルは言い、会議は続いた。
そうして、天界へ攻め入るのは一週間後と決まった。

数時間後、会議が終わるとすぐに、ライオンは紅毛の少年になり、シュネに声をかけた。
「話があるんだけどよ。いいか?」
「え、あ、うん」
「私は先に行っているよ」
「ぼくも」
サマエルとリオンが去り、他の人々も出て行って、がらんとした室内に二人きりになると、少年は、おずおずと話し始めた。
「……あのな。もう、この際だから、ハッキリさせた方がいいって思ってよ」

「……うん」
シュネは、かすかにうなずく。
「ごめん! オレのことは諦めてくれ!」
ダイアデムは頭を下げた。
「謝らないで。僕こそごめんね」
うつむいてシュネは答えたが、ダイアデムがほっとしたことに、その眼は乾いていた。
「そんで、ネスターはどうすんだ? まさか、オーケーしねーよな」

シュネは首を横に振った。
「断るよ……っていうより、断られちゃうと思うけど」
「何でだよ、あいつのが告って来たんだろ?」
それには答えず、彼女は話を変えた。
「あのね……僕、昨夜、夢を見たんだ。人界の、ある街に行った夢……」
「ふうん……で?」
ダイアデムは、小首をかしげて先を促す。

「それでね……妙に懐かしくて……昔、放浪してた時、いたことがあるトコだって分かった……。
僕の記憶、所々、まだ穴が開いててね……そして……そこで僕が何してたかも、夢の中で見ちゃったんだ……」
「……ヤなことか? そんなら別に……」
「ううん、聞いて。今じゃなきゃ、もう、言えなくなっちゃうと思うから」

そう言いながらも、シュネは一瞬間を置き、深く息を吸い込むと、続けた。
「僕ね……その街で……売ってたんだよ、体を……」
「えっ!?」
ダイアデムは耳を疑い、彼女をまじまじと見た。

「初めは無理矢理だった……でも、そうすると、食べ物やお金がもらえるって分かったから……。
だけど、優しい人ばかりじゃなくて……男の人は、大きくて恐い……嫌……!」
シュネの体が、ガタガタと震え出す。
「お、おい、大丈夫か?」

「それで僕ね、やっと分かったんだよ、大人の男の人が恐いわけ。
そんなことがあったからなんだ……だから、ネスター先生だって、このこと知れば、もう……。
僕……僕は、愛される資格なんてないんだよ、誰にも……!」
彼女は、顔を覆い、指の間から涙がこぼれ落ちた。

ダイアデムは、彼女の肩に手を置き、揺さぶった。
「おい、シュネ、しっかりしろ!
一人ぼっちのガキんちょが、生きてくためにしなきゃなんなかったことを、責める権利なんか、誰にもねーよ!
ネスターだってそうだ、お前に惚れてんだったら、とやかく言ったりするもんか!」

シュネはしゃくり上げた。
「お、大人の、男の人で、そ、そばにいて、大丈夫だ、ったのは、サ、サマ、エル様、だけだった……。
弟子にしてもらえて、色々魔法、教えてもらえて、今は、ホントのお父さん以上の、お父さん、なのに……」
「ああ、もう、泣くなよ、シュネ……」
宝石の化身は、彼女を抱き締めることしか出来なかった。

「ごめんね、ダイアデム……もう……もう、必ず諦めるから……!
僕のことは、気にしないで……!」
そう言うと、シュネは彼から体をもぎ放し、振り返りもせずに駆けていってしまった。

「リオンといい、シュネといい……。
いくら、子孫だからって、ここまで……人生まで似るモンなのかよ……?」
ダイアデムは、どうにもやり切れない気分で、彼女の後ろ姿を見送る。