4.戦士の休息(1)
意気揚々と
だが、サマエルだけでなく、シンハと出迎えたニュクスも、それに異議を唱えた。
亜空間での一日は、外の世界では一週間にも当たり、タナトス自身も含め、龍に変化した四人の消耗は特に激しかったのだ。
「疲労
今のうちに休息を取ろう、長期戦になるのは必至だからね」
サマエルは、血気に
そして、彼が妻と子孫達を連れて自城に向かおうとしたとき、突如二つの人影が目の前に現れ、片膝を付いた。
「サマエル殿下、お疲れのところ申し訳ございません、少し、お時間を頂けますでしょうか」
どちらも、純白の翼を持つ天使だった。
「何奴だ!」
タナトスが大声で
「心配いらないよ、彼はロシエル。顔が広いというのでね、何か情報が得られないかと思って、わざと白い翼のままで、投降した天使達に紛れ込ませておいたのさ。
それで?」
促された堕天使ロシエルは、後ろに控えた天使を示した。
「はい、この、ペネムの話をお耳に入れたく、参上
我らは、隊は違えど、元から見知っておりまして……」
「前置きはいらん、さっさと本題に入れ」
タナトスは、不機嫌に話をさえぎる。
天使は頭を下げ、おずおずと口を開いた。
「ペ、ペネムと申します……。
このような漠然とした話を……お知らせすべきか否か、迷ったのでございますが……」
「
「は!」
怒鳴りつけられた二人はさっと平伏し、ペネムは急いで話し始めた。
「申し上げます。わたしは、一年ほど前まで、天帝の給仕係をしておりました。
ある日、給仕を終え、隣室で片付けをしながら、天帝とミカエルの会話を聞くともなく聞いておりますと、突如捕らえられ、密偵として
必死に抗弁し、どうにか、処刑は
つまり、わたしは、生きて、天界には戻れぬ身なのでございます……」
「ふん。それで、何を聞いたというのだ、貴様は」
タナトスは腕組みをした。
「はい。あの日……天帝はこう言っていました。
『くれぐれも極秘とせよ。天使のみならず、神々にもだ。
下級天使達の中に不穏な動きありと聞くが、天使は所詮人形。感情を持たせるのが間違っている。
これが功を奏せば、天界の戦力は飛躍的に増大する』と。
しかし、こたびの戦いは、あまりにもあっけなく終息しました、妙だとはお思いになりませんか?」
『たしかに、
シンハが言葉を挟む。
「だが、功を奏せばと言っておったのだろう、その策か何かが、失敗したとも考えられるぞ」
タナトスは異議を唱えた。
『むう……』
ライオンは、ぶるぶるとたてがみを振るった。
「サマエル。貴様、どう思う」
タナトスは、無言で考え込んでいる弟に声をかけた。
「……現時点では、判断しかねるな。無論、用心に越したことはないが。
ペネムと言ったね、他には?」
「残念ながら、直接聞いたのは、それだけでございます。
ただ……その会話内容と関係があるかは不明ですが、その直後から、神々のみならず、天使の主立った者達が、医療検査を受けさせられるようになりまして……」
「……医療検査だって? それまで誰も、お前達の体など、気にかけたこともなかったのだろう?」
ペネムはうなずいた。
「仰る通りです。
戦に備えて兵士の体調管理が必要になったとの通達でしたが、いくらでも創れるからと、ケガ人も病人も容赦なく処分して来たくせに、なぜ今さら……と、皆も不審がっておりました」
「……ふうむ、たしかに引っかかるな。その検査とやらの内容は分かるかい」
「いえ。ですが、上級天使ならば、一度は受けているかと」
「そうか、では、後でシェミハザ達に聞いてみよう」
すると、ロシエルが口を挟んだ。
「実は、わたしにも気になることがございまして……」
「聞かせてくれ」
サマエルがうなずくと、堕天使は話し始めた。
「は。やはり同じ時期に、地下牢の囚人達が大量に処刑されたのでございます。
大事の前に、
ですが、漏れ聞いた話では、処刑されたのは天使ばかりで、しかも、記憶を操作されていたらしい、と。
魔族の囚人は、十数人足らずでしたし、取引に使えるというので、今も牢中に……」
「そうか。捕虜達も助けたいけれど、戦が始まっては無理かな……。
だが、記憶を操作? どうして、そんなことを」
サマエルは首をかしげた。
「分かりません……が、その結果は悲惨なもので。
自分の名はおろか、食事の摂り方、
皆、無力な赤ん坊のように泣き叫びながら、生き埋めにされたと……」
ロシエルは言葉を途切らせ、眼を閉じ、胸の前で指を組み合わせた。
隣の天使もまた、死者を
「わざと記憶をめちゃめちゃにして、その上に生き埋め……!? 信じらんない……酷いよ」
シュネは思わず涙ぐむ。
彼女自身、記憶を失っていたこともあり、身につまされていた。
「……本当、知れば知るほど、酷いヤツらだね」
リオンも、顔をしかめて同意する。
ニュクスは、ケテルを思い出したのか、涙を浮かべて青ざめ、タナトスにすがりついていた。
祈りを終えたロシエルは、沈痛な面持ちで、再び話し始めた。
「そして、ペネムが申し上げた検査においても、頭痛を訴えたり、一時的な記憶喪失に陥ったり、果ては意識障害を起こす者までいたそうで……おそらくどちらも、同じ処置だったのではと思うのですが……」
「……何の処置か知らないが、死んでも狂っても構わない囚人達で試し、調整していったようだね……。
随分と
サマエルも端正な顔をかすかに歪めたが、タナトスは怒りを
「まったく胸くそが悪い、たわけ者どもめ!
ウィリディスを取り戻したなら、俺みずからが監獄の場所を清め、慰霊の塔でも建てて、すべての死者を
我らとて、敵対する者には容赦はせんが、何ゆえ、同胞にそんな仕打ちをする必要があるのだ!」
「やはり、切羽詰っているのだろうな、色々な面で……」
サマエルは考えに沈み、ぼんやりと答えた。
『察するに、最悪の事態に備えておけばよいのであろうな、サマエル』
夫の思考を邪魔しないように、シンハは静かに尋ねた。
「よし、ペネム、ロシエル、下がっていいぞ。なかなか貴重な情報だった、後で褒美を取らす。
また、何かあったら報告に来い」
「はは!」
二人の堕天使が揃って頭を下げ、消えると、タナトスは妃と自室に引き取り、サマエル達も紅龍城の応接室に移動した。
「ふぁー、やっと落ち着けるぜー」
紅毛の少年が現れて、大きく伸びをする。
「お腹減ったなー」
リオンが腹を押さえた。
シュネもうなずく。
「本当ね。アップルパイ食べたいな」
ソファに腰掛けたサマエルは、ぱちんと指を鳴らした。
「タィフィン、食事を三人前、デザートはアップルパイを。
ダイアデムには“悪魔の血”を頼む」
使い魔が現れ、うやうやしく頭を下げる。
「かしこまりました、お館様」
「わあ、久しぶりだね、タィフィン! 魔界に来てたんだ、元気そうだね!」
眼を輝かせて、シュネはタィフィンの手を取った。
「シュネ様、お懐かしゅうございます。お会いできて、これほどうれしいことはございません。
腕によりをかけて、お支度させて頂きます」
使い魔は眼をうるませた。
タィフィンは腕のいい料理人であり、魔界の貴族達には引く手あまただったが、サマエル以外には仕えようとはせず、戦の間、主が不自由しないようにと、紅龍城の管理を一手に引き受けていたのだった。
「じゃあ、あたし、お料理手伝う!」
あ、ぼくも。でもさ、ぼくがいたとき、キミはいつも姿を消してたから、こんな可愛い子だったなんて、ちっとも知らなかったな」
「まあ、そんな」
リオンの言葉にタィフィンは頬を染め、背中の妖精のような羽が
「でも、お客様の手を
サマエルは微笑んだ。
「構わないよ、手伝ってもらいなさい、タィフィン」
「はい。では、お言葉に甘えさせて頂きます、どうぞこちらへ」
主人のお墨付きをもらった使い魔は、二人を先導し、うきうきと
にぎやかな声が遠ざかると、サマエルは額に手をやり、深く息をついた。
ダイアデムは、肩ごしに顔を覗き込んだ。
「どうした?」
「いや、何でもないよ」
サマエルは、無理に微笑んで見せる。
ダイアデムは心配そうな顔から一転、いたずらっぽい表情になった。
「ふーん、お前って、間近で見ると……」
「見ると……何?」
紅い瞳が不安げに揺れ、それを隠すようにサマエルは銀の髪をかき上げる。
「いやあ、見れば見るほど、べっぴんだな」
「えっ……」
意外な台詞に、王子は、顔が熱くなるのを感じた。
「へへー、紅くなったー」
「私をからかって、楽しいかい……?」
「別にからかってねーさ、ホントのことだもん。
でも、何か辛そーで、具合悪そーだない。どっか苦しいのか、頭でも痛てーのか?」
ダイアデムは、彼の額にそっと手を触れた。
「そうではなくて、うれしいのだよ。
良い行いなど何一つしていないのに、これほど優しくしてもらえる……。まるで、夢のようだ……」
目頭が熱くなり、サマエルは眼を閉じた。
涙を流せるものなら、幼子のように泣きじゃくっていたかも知れない。
「昔、苦労した分、今幸せになってんだよ」
ダイアデムは、夫の手を取り、自分の胸に当てた。
「ほら、オレはここにいる、夢じゃねーだろ」
「……うん」
第二王子は、幸福そのものといった笑みを浮かべ、こっくりとうなずいた。
「へへ、なんか、昔を思い出すぜ。ガキの頃、泣き虫だったもんな、お前。
あ、そっか、飢えて、感情が抑えられなくなってんだな。
なんだ、早く言えよ、すぐくれてやるのに」
「ほんのちょっとや、一口だけじゃ足りないよ。知っているくせに」
サマエルは、子供のように口を尖らせた。
魔界の至宝はそんな王子に向けて、誘うような流し眼をくれた。
「今なら、た~っぷり時間があるぜ。欲しいんだろ……?」
「ああ、もう、我慢できない……!」
サマエルは素早く妻を抱き寄せ、二人はソファに倒れ込んだ。
詮議(せんぎ)
2 罪人を取り調べること。また、罪人を捜索すること。