2.因縁の対決(4)
もう一つの戦いがあった。
かつて熾天使だったシェミハザと、六大天使の一人、ガブリエルとの。
二人の魔法力は、ほぼ互角のはずだったが、前者が圧倒的優位に立っていた。
天界を離れて動くことが少ない大天使より、常に最前線にいる熾天使の方が、自然と鍛えられ、強くはなる。
だが、それでは説明がつかないほど、力の差があるように思える。
試しに、シェミハザは、レベルの低い魔法を放ってみた。
上級天使ならば簡単に避けられる、あるいは
「やはり! ガブリエル様、あなたはわざと!? 一体どうして……」
「何を、言ってるの、うっ……!」
荒い息をし、ふらついていた大天使は、ついに膝をついた。
「ガブリエル様!」
「寄らないで!」
駆け寄り差し出すシェミハザの手を、大天使は激しく振り払う。
「ど、同情なんて、いらない! と、とどめを刺しなさい、早く!
今、殺さなければ、後悔することに、なるわよ!」
「……もう、降参して下さい、恩義あるあなた様のお命、欲しいとは思いません……」
「くっ、軟弱者……お前など、助けるのではなかった……!」
傷だらけの体で、ガブリエルは声を振り絞る。
「何とでも仰って下さい。
死ぬことは美徳ではない、アザゼルに教わって、わたしは目が覚めたのです」
「いいわ、もう、お前には頼まない!
──カンジュア!」
手の中に、鋭い輝きが
「おやめ下さい!」
「わたくしも、誇り高き大天使、敵の情けは受けない!」
歯を食いしばり、大天使が短剣を喉に押し当てた次の瞬間。
刃は音を立てて砕け散っていた。
「な、何……!?」
柄だけになってしまった短剣を、ガブリエルはぽかんと見つめる。
いつの間にか、別の天使が現れていた。
シェミハザと寸分違わぬ姿をし、翼は漆黒……彼女の命を救ったのは、一人の堕天使だった。
「早まってはいけません、ガブリエル様」
「お前……アザゼルね、なぜこんな……?」
戸惑うガブリエルを尻目に、堕天使はいきなり、シェミハザに向かって頭を下げた。
「頼む! 彼女は、わたしに任せてくれ!」
「……どういうことだ、一体……?」
シェミハザも面食らい、自分と同じ立場、すなわち堕天使の指導者の一人に問いかけた。
顔を上げたアザゼルは、沈んだ口調で言った。
「彼女は、初めから死ぬつもりで、お前に勝負を挑んだんだよ」
「ああ……道理で。しかし、なぜ、そんなことを?」
「ミカエルが死ぬと分かっていたからさ。
紅龍となったサマエル様に、勝てる者などいないだろう?」
シェミハザも、沈痛な面持ちになった。
「……ミカエルに
「何が愚かなの!
お前達のような堕天使に、天使長様の偉大さが分かるはずがないわ!」
たまりかねたように、ガブリエルが二人の話に割り込む。
「偉大……ですか。
いや、ガブリエル様、あなたはミカエルを愛しておられるのでしょう?
天使間の恋愛は
問われた大天使の頬が、紅葉を散らしたように赤くなり、アザゼルの言葉を裏づけた。
「ち、違う、わたくしは、あの方を……そう、尊敬している、それだけよ!」
必死に言い訳する大天使を、アザゼルは痛ましげに見やった。
「シェミハザ、話してなかったが、彼女、本当は賛同してくれてたんだよ。
そして、密告もせずにいてくれた。
あのとき、彼女は、心情は分かるが立場上、加担は出来ないと言った。
でも、本当はミカエル……あいつがいたから……。
そして、紅龍との因縁の対決……ミカエルに勝ち目がないと悟った彼女は、お前を挑発し、後を追おうと思った……違いますか、ガブリエル様」
大天使は、キッと彼を睨んだ。
「分かっているなら、邪魔しないで!
あの方のいない世界など、生きていても仕方ないわ!」
「そんなことはありません、冷静になればお心も変わられるでしょう。
あなたを死なせるには忍びない、分かって下さい」
「変わらないわ、何があろうと!
お前に何の権利があって……うっ!」
さらに言い募ろうとする、ガブリエルの頭にアザゼルが触れると、急にぐったりとなった。
「あ、何を!」
「大丈夫、気絶させただけだよ。暴れるとケガがひどくなるからな。
……済みませんね、ガブリエル様」
後の方は大天使にささやき、アザゼルはその体を優しく抱き上げた。
シェミハザは、すべて分かったような気がした。
「アザゼル、お前……」
「ああ。わたしが堕天したのは、彼女を妻に出来るかも知れなかったから、だよ」
「そうか……天使間では、婚姻もご
分かった。わたしが先に報告に行く。介抱が済んだら、お前も来るといい」
「済まん、恩に着る!」
アザゼルは深々と頭を下げた。
シェミハザは微笑んだ。
「いや、わたしも、死なせたくないと思っていたから。
彼女の体から毒が抜け、動けるようになるまではずいぶんかかるだろう。
その間に心をつかみ、ミカエルのことなど忘れさせてしまえ」
「ありがとう! よろしく頼む」
頬を染めたアザゼルの声に送られ、シェミハザは魔法で移動した。
タナトスの許へ着いてみると、戦いはすべて終結しており、後処理が着々と進行しているところだった。
捕虜の処分方法を聞き、シェミハザは思わずほっとする。
「……左様でございますか、魔界に封じることに……」
人型に戻っていた魔界の王は、眉をしかめた。
「何だ、貴様。そんなに心配だったか、同胞が?」
「い、いえ、決して、そのような……」
「ふん、また寝返りたくなった、などと言い出すのではあるまいな、もしそうなら、俺が直々に……」
「おやめ、タナトス」
サマエルが、物柔らかに兄をさえぎる。
彼もまた、龍の変化を解き、いつものローブ姿に戻っていた。
「シェミハザがいてくれたからこそ、これほど楽に決着がついたのだからね。
それに、彼が心配していたのは下級兵達の処遇さ、そうだろう?
彼らは自発的に、戦に参加していたわけではないものね?」
「は、その通りで……」
「ちっちっ、遊んでんだから、相手にすんな、サマエル」
そのときダイアデムが、指を振りながら口を出した。
「シェミハザもほっとけよ。こいつの遊びにつき合う必要なんざ、ねーから」
「くっ、貴様、何をほざく。少しはわきまえろ、このガキめ」
いつものことだと分かっていても、タナトスはむっとする。
紅毛の少年は舌を出し、負けじと言い返した。
「べー、オレのが思いっきし年上じゃん! 年上を
「馬鹿だとっ! 貴様、いい度胸だな! 魔界の王たる俺に向かって!」
「いい加減にしないか、二人とも。シェミハザがあきれているぞ」
二人の間に割り込んで引き離し、サマエルは、ため息をついた。
「済まないね、驚いたろう、シェミハザ。
血なまぐさい戦いの後だし、緊張をほぐすために、じゃれ合っているとでも思ってくれ」
「何でオレが、こんなバカと!」
「誰が、じゃれ合っているのだ!」
二人は同時に叫び、シェミハザの眼は、ますます丸くなった。
彼はしばし、ぽかんと口を開け、魔界の最高権力者と、その弟の妻……と言っても、少年の姿をしている……の、掛け合い漫才めいたやりとりを見ていた。
それから、彼は、当初の目的を思い出し、声をかけた。
「あ、陛下……お取り込み中、誠に申し訳ございませんが、少しばかりご報告致したいことが……」
しかし、目の前の二人は、言い合いに夢中で気づかない。
笑いをこらえながら、サマエルが言う。
「放っておきなさい。私が聞くよ」
シェミハザは戸惑った表情のまま、うなずいた。
「は、はい……。
実は……タナトス陛下には、また裏切るつもりかと、疑われてしまいそうなのでございますが……。
わたくし、ガブリエルにとどめを刺せませんで……」
勢いよくタナトスが振り向いたのは、そのときだった。
「何だと!? もう一度言ってみろ!」
シェミハザの心臓は飛び出しそうになり、反射的に突っ伏した。
「も、申し訳もございません!
ガブリエルとは戦いましたが、殺すことはできませんでした!」
「まさか貴様、ヤツに同情して、逃がしたなどと抜かすのではあるまいな!
それで裏切っておらんなどとほざいても、まったく真実味はないぞ!」
タナトスは、堕天使に指を突きつけた。
シェミハザは、這いつくばったまま頭を振った。
「いえいえ、逃がしてなどおりません。毒とケガでかなり弱っておりますので、今、アザゼルが監視を兼ねて治療致しております。
実は、助命を願い出たのは、そのアザゼルなのでございます」
「……アザゼル? ああ、たしか、五人いる指揮官の一人だったな。
ガブリエルに恨みでもあるのか? そやつは」
「いいえ、その反対でございます。
お許し頂けるならば、妻にしたいと考えているようでして……」
「妻だと!?」
タナトスは、眼を剥いた。
「……ふん、ガブリエルはやはり女だったか。
しかし、最後まで抵抗した天使をたやすく許し、妻になどと……!
皆に示しがつかんわ!」
冷たく言い捨てる。
シェミハザは必死に訴えた。
「そ、そこを曲げてお願い致します、陛下!
彼女は、わたくし達の考えに賛同していてくれたのです。
しかし、天界を捨てることは出来ず……。
いえ、ありていに申せば、彼女はミカエルを愛しており、裏切ることが出来なかったのです!」
タナトスは眉をしかめ、腕組みをした。
「……むう、あの、ミカエルをか?
タデ食う虫も好き好きと言うが、余計にまずかろう。
恋しい男を殺すのを手伝った裏切り者に、愛情など感じるわけがあるまい」
「いいえ、お言葉を返すようで恐縮致しますが、わたくしはそうは思いません。
ミカエルは卑劣な男。彼女にも、それは分かっていたはず。
他方、アザゼルは皆に慕われており……」
「ふん、男に好かれても、女に好かれるとは限らんわ!」
「ですが!」
「待てよ、ンなトコで言い合ってても仕方ねーだろ」
いつまでも続きそうな押し問答に、ダイアデムが割って入った。
「
「女心は複雑だからね、どちらの言い分にも一理ある。
しかし、案外、この手は使えるかも知れないな……」
考え込みながら、サマエルは答えた。
タナトスは弟をじろりと見た。
「どういう意味だ?」
「魔界に封じるのは、男だけにしたらどうかな。
我らはともかく、神族の男に子供は産めまい。ただ老衰し、死にゆくのみだ。
女は混血児を産み、その子、孫と続くうち、魔族と同化していく……」
「ふむ。封じ込めても、時が経てば、力をつけて盛り返す恐れがある、俺達のようにな。
それを未然に防ぐ、というわけか」
「そう。ゆえに、これも、その一例と考えられなくもない……アザゼルは魔族ではないが。
とにかく、一度話を聞いてみたらどうかな、タナトス」
「ああ。他にもせねばならんことが山積みだ、とっとと、そいつを連れて来い、シェミハザ」
「御意。ただ今すぐに!」
シェミハザは立ち上がると一礼をし、呪文を唱えた。