2.因縁の対決(3)
「それでは、早速取りかからせて頂いてよろしいですかな、サマエル様」
プロケルの確認する声に、第二王子は
“あ……ああ、そうだね。
今決めた通り、なるべく生け捕りにして欲しい、後で、まとめて魔界へ連行する。
各部隊にもその旨を伝達し、徹底させてくれ。
その間に、私とシンハは、積年の恨みを晴らす!”
紅龍は、拳を握り締めた。
「お任せ下されい、かような蚊トンボの群れなど、老いたりと申せどこのプロケル、
老公爵は胸をたたいたが、サマエルの視線に合うと、咳払いした。
「……おほん。まあ、ほどほどに致しておきますかな。
数十匹も足腰立たぬように致せば、抵抗もやみましょうし」
“そうしてくれ。さあ行こう、シンハ。宿敵を滅しにね!”
ライオンを肩に乗せ、紅龍はその場を飛び立つ。
いくらも行かないうちに、二人は天使の長を見つけた。
荒野に
「ようやく来おったか、紅い悪魔め! 待ちかねたぞ、この時を!」
“待ちわびたのは、こちらも同じこと!
天使の長よ、お前の罪を、血肉をもって
先立っての戦いで、
紅龍の青い瞳には、抑え切れない興奮が紅色となって混じり込み、紫を帯び始めていた。
「やれるものならやってみよ、我は以前とは違うと言ったはずだ!
愛玩物をそばに置かねば戦うことも出来ぬのか、腰抜け! 魔界の王子が聞いてあきれるわ!」
大天使は、いかにも憎々しげに答えた。
“心配するな、彼は、この戦いには加勢しない。お前と私、一対一の勝負だ!”
サマエルは断言し、シンハは、彼の背中から滑り降りて距離を取る。
しかし、ミカエルは懐疑的な姿勢を崩さず、尊大な口調で言い放った。
「ほう、悪魔の分際で、卑怯な真似はせぬとでも申すか!」
その刹那、揺れ動きつつも青が優勢だった紅龍の眼が、紅一色となった。
“我らがいつ、お前達のような卑劣な真似をしたと言うのだ!
お前の
話し合いの時はとうに過ぎた、今こそ、戦いの時!”
その語調の鋭さは、シンハの毛を逆立てさせたが、紅龍の瞳はすぐ青に戻り、彼はほっと力を抜いた。
「元よりそのつもりだ! いくぞ、悪魔め!」
何も気づかぬミカエルは、紅龍に向かい、呪文を唱えた。
「──闇を
──ゼストス!」
“……!”
紅龍は避ける間もなく、唸りを上げて襲い来る業火に飲み込まれた。
炎は天まで届く勢いで燃え盛り、激しく黒煙を上げ、龍の巨体そのものが、松明と化したかのようだった。
「ふん、何が最強の龍か、たわいない。
この火炎は岩をも溶かすのだ、骨も残さず蒸発してしまうがよいぞ!」
ミカエルは、熱気にほてった顔に満足げな笑みを浮かべ、みずからが作り出した火柱を見上げた。
『ルキフェル!』
シンハの呼びかけにも答えはない。
やがて、勢いを誇った炎も消え、ようやく煙も晴れた。
そうして現れた光景に、大天使は眼を疑った。
「そ、そんな馬鹿な!?」
“何だったのかな、今のは。少々、体が温まった感じはするが”
焦熱地獄にも等しい猛火の中で燃え尽きたはずの龍は、火傷の痕一つなく、ミカエルを冷たく見下ろしていたのだ。
『愚かなる者、ミカエルよ。
我がことのように胸を張るシンハの声が、誇らしげに響く。
「お、おのれ、悪魔め……いや、貴様の体が属性を表していることなど、先刻お見通しよ!
さあ、今度こそ最後だぞ!
──ウエルテクス!」
すぐにミカエルは気を取り直し、新たな呪文を唱えた。
虚空から現れた大量の水が渦を巻き、龍に襲いかかる。
「どうだ、熱せられた直後に冷やされれば、どれほど貴様の鱗が硬かろうと、一たまりもあるまい!」
“やれやれ、それは岩や金属の話だろう。
まあ、お陰で助かったよ。
さっきの火、熱はさほどでもなかったが、煙が出たから、喉が少々、えがらっぽくてね”
サマエルはそう言って、水流が自分の体に触れる前に、すべて飲み尽くしてしまった。
「ま、まだまだ!
──ヒョノスィエラ!」
大天使は、さらに攻撃を続行した。
凍える風が巻き起こり、雪を伴って龍の巨体に叩きつける。
「ああ、涼しいな、ちょうどいい風だ」
すさまじい吹雪をその身に受けても、サマエルは平気な顔だった。
「く、ならば──ケラヴノス!」
空一杯に稲妻が走り、
“おや、ちょっとちくりとしたぞ……ふふ、少し眩しいだけで、これもあまり用をなさないようだな”
紅龍は、のんきに額をなでた。
「くっ、くそっ、ば、化け物めが!」
歯噛みしながらも、ミカエルは攻撃の手を緩めず、
様々な属性の呪文を、矢継ぎ早に唱える。
だが、サマエルには、何の効果も及ぼさないのだった。
“残念だったな、ミカエル。紅龍は、
風、地震、等々……しかも水は、力を強めてくれもする。
それと、知っての通り、神族が得意の聖魔法も、私には無効だ。
さて、そろそろこちらの番だな。まずは炎か──イグニス!”
「ぐわっ!」
火だるまになった大天使に、さらに追い討ちをかける。
“次は水だな──アクア!”
「うわっ!」
“どうかな? 熱した後に冷やされる気分は?
次が氷だったか──グラキエース!”
「うわああっ……」
“あとは雷撃──トニトルス!”
同じ呪文でも、桁違いに強力な魔法が発動し、さらには、尾や拳や蹴りなどの攻撃も威力が高く、見る間にミカエルは追い詰められていく。
闇に囚らわれそうになったのは最初だけで、その後のサマエルは冷静だった。
一方的となった戦いを、シンハは落ち着いて見守ることが出来た。
やがて、ミカエルはついに力尽き、倒れた。
“ミカエル、お前は天使長の名に恥じず、立派に戦った。
言い残すことはないか”
サマエルが声をかけると、大天使はうっすらと眼を開け、切れた唇を開いた。
「……貴様、は……まだ……出自の、ことを、知りたい、のか……?」
紅龍は肩をすくめた。
“いや、別に。今となっては、どうでもいいことだ。
私が取り替え子と呼ばれたのは、魔界の王子でありながら、魔法が使えなかったせいだからな。
それによく考えれば、私の姿……黒い翼や角は魔族のものだ。
母上は人族だし、お前とは、やはり、血縁関係はないのだろうな”
「そう、か……。だが……アイシスの、名誉のため、にも、言っておくぞ……。
彼女には、何も、しては、おらぬ……。
我は、ただ……妻に……迎えたかった、のだ……大天使、のみ……婚姻が、許されて、いたゆえ……。
彼女が、あろうことか……魔族……ベルゼ、ブルと恋に落ち……魔界に行っ、てしまう前から……我は、ずっと……。
彼女は、王妃となり……諦めた、はず、だった……。
されど……偶然、人界にて……再会した、折……またもや、心が燃え上がり……。
当然……彼女は、我を、拒んだ……触れたら……自害する、とまで……。
それでも……我は、彼女を、手放せなかった……だが、一週間が、経ち……さすがに、頭も冷えて……。
それゆえ……わざと、逃がした、のだ……ああ……彼女には、悪いことを、した……」
かすれた息を振り絞り、そこまで言うと、天使は再び眼を閉じた。
傷だらけで呼吸は浅く、顔色は土気色をし、捨てて置いても長くはないと思われた。
『
シンハは、サマエルの背中に登り、その顔を見上げた。
“……そう、かな。
彼を見返す紅龍の眼は青かったが、心の声は暗かった。
『汝の心持ちも分かる。偽りと強制で固めた神族の言動に、最も翻弄されたは汝ゆえ。
されど、聞け、ルキフェル。汝が魔界王家の血を引く確証を、我が兄弟、“黯黒の眸”が、ついに見出したぞ』
“か、確証!? まさか……!”
すがるような紅龍の眼差しに、黄金の獅子は、燃え上がる瞳で応えた。
『汝、右生え際に、紫水晶色の髪が
汝が父祖にして女神アナテの息子、モトの頭髪にも、それがあったという。
何十世代かおきに、魔界王家の直系のみに現れる遺伝的形質とのことだ。
通常、幼少時のみにて消えるが、成人後も残る場合がある、汝のごとくに。
すなわち……』
“こ、これが証だって? 本当に?”
思わずサマエルは、自分の髪……今は紅龍になっているためたてがみ……の、アメジスト色に輝く部分を、前足でつまみ上げた。
『左様。汝の母堂、アイシスは人族、ゆえに汝の頭髪は、魔族の血を通じ、伝わりしものと断言出来る』
沈んでいた紅龍の表情が、ぱっと明るくなった。
“ありがとう、シンハ。
お前はいつも、私の心を明るく照らしてくれるのだね……ああ、無論、『
にも礼を言っておくれ”
すると、地面に横たわっていたミカエルが言った。
「……納得、したか……? とどめを……刺せ、サマエル……。
それとも、お前の、闇の中に……再び……我を、引き込むか……あの、恐怖の中、に……?」
サマエルは、大天使の眼を覗き込んだ。
その眼には、怯えも怒りさえも今はなく、ただ、静かな覚悟が浮かんでいた。
“やめておこう。お前の中にはもはや、恐怖の
闇を恐れぬ者に、闇は真の強さを発揮出来ない……。
生まれ変わるがいい、そして、今度は間違うな、ミカエル。
──デス・クリエイト!”
大きな爆発音だけを残し、天使長の肉体は消え失せた。
“……タナトス、始末はついたぞ。ミカエルは消滅した”
サマエルは、沈んだ心話で兄に報告した。
“何だ、詰らん、消してしまったのか。
俺だけでなく、皆もあやつの死体を見たかったと思うぞ。
にっくき神族の天使長、ミカエルの惨めな姿をな!”
“それでは、神族と同じレベルになってしまうよ。
あいつは私の父親ではなかったが、神族を代表する戦士だ、さらし者にするのは忍びない”
“ふん、戦の最中だぞ、今は”
タナトスは鼻を鳴らしたが、少し口調を柔らげた。
“だがまあ、よくやった、サマエル。
俺が戦ったとしても、バラバラにしたあげく、消し去ったかも知れん。
恨み骨髄に達する宿敵だからな”
“……それより、タナトス、そちらはどうだ? 情勢は”
“あらかた片づいた。これからプロケルの加勢にいく”
“では私も。シンハ、行くよ”
『心得た』
彼らは再び移動し、敵軍の真っただ中に現れた。
“ミカエルは死んだ! 武器を捨てて投降しろ! 命は保障する!”
タナトスはすでに到着し、敵に降伏を呼びかけていた。
龍に囲まれ、ミカエル天使長の死を知ったことで、天界の兵士達は戦意を喪失して、次々と武装解除され、捕虜になっていった。