2.因縁の対決(2)
「お、おのれ、この不浄のけだもの!」
「よくも、曙の女神様を!」
怒り心頭に発した六大天使達が、黄金のライオンめがけて殺到しようとしたそのとき、三頭の龍が現れて、彼らの行く手をさえぎった。
“よくやったな、シンハ。
さあ、天使ども、覚悟しろ。貴様らの相手は俺達だ”
加勢に駆けつけて来た
天使達はひるみ、さすがに逃げ出しはしなかったが、後ずさった。
いくら女神を殺されたからと言って、巨大な敵目がけて突っ込んでいくのは、無分別というものだった。
“魔界の王子を種馬扱いするとは、まったく、いい度胸だ!
貴様らの下劣な浅知恵には、あきれ返って物も言えん!
そんな下らん企てを試みたことを、今すぐ後悔させてくれるわ!”
タナトスの念話は怒気を
「お、お前達の
一人の天使が、勇を
“ふん! 子種を得るためと称し、誰彼構わず寝る雌犬の、どこが高貴だと!?
サッキュバスと、どう違うのだ!”
“やっぱり女神だけが大事で、サリエル、って子はどうでもよかったんだね、可哀想に。
女神の方はまあ、しょうがないけど、サリエルの方は……。
そうね、あたし達からすれば、兄弟みたいな感じ? だったんでしょ?
シンハ、何とかならなかったの?”
碧龍シュネが尋ねた。
シンハが返答する前に、碧龍よりやや大きい朱龍、リオンが口を挟んだ。
“無理言っちゃいけないよ、シュネ。お母さんを殺されたりしたら、味方になるわけないだろ。
それに、あの子だって、ぼくらを敵と思ってたはずだよ。そう教えられて育ったに決まってる”
“でも、二人一緒になら、味方に出来たかも知れないじゃない”
シュネは口を尖らせる。
“うーん、それはもっと無理だと思うけど。だって女神なんだし、説得は難しいよ。
それに、もし、味方に出来たとしたって、サリエルの方は特に、二つの世界の間で苦しむことになったかも知れない……。
ぼくらはまだいいさ、人間と魔族は、今は、敵対してる訳じゃないもの。でも、……”
“け、けど、だからって、殺しちゃうのは……”
“だったら、シンハの立場はどうなるのさ。昔の恋人がいきなり出て来て、子供までいるなんて”
“あっ、ご、ごめんなさい、シンハ”
シュネは慌てて、頭を下げた。
“あ、あたし、そ、そういうつもり、じゃなくて。
た、ただ、ど、どんないきさつが、あ、あったにしても、せ、せっかく生まれて来て、あ、あたし達と、ち、血のつながりも、あるんだし、な、何より、サマエル父さんの子供、なんだし……。
よ、よく話し合えば、わ、分かり合えたかも、って思って……”
焦るあまり、彼女はついつい、どもってしまう。
ライオンは、ぶるぶるとたてがみを振るわせた。
『気に病むでない、ベリル。委細承知しておる。汝は優しき心持ちゆえ、左様に考えるのであろう。
我もルキフェルも迷った。なれど、
“……うん。仕方ないんだね……”
少し悲しそうに、シュネはうなずく。
タナトスが、彼らの議論にとどめを刺した。
“シュネ、過去を蒸し返すのはやめろ。いくら悔やんだとて取り戻せんぞ。
俺達は、おのれの未来のために戦っているのだ、過去に受けた行為への復讐ではなくな。
それにサマエルのことだ、なまじ女神が生きていては、情を移し、うじうじ言い出すに決まっている、さっさと消して正解だったのだ。
さ、シンハ、早くヤツの後を追え。あいつが我を忘れ、世界を崩壊させたりしては元も子もない、頼んだぞ。”
『心得た。武運を祈るぞ、黔龍王』
黄金のライオンは思念に導かれ、夫の下へと向かった。
一方、先行したサマエルは、天使達に
意外にも、この短時間のうちに、敵の援軍が到着していたのだ。
以前、ミカエルは手痛い敗北を喫しため、自分との直接対決を避けようとしているのだろう。
攻守の要である天界の将、大天使ミカエルを失っては、神族の勝ち目は薄くなる。
それは当然の策と言えたが、彼の苛立ちは募るばかりだった。
そのとき、折りよくシンハが彼を見つけ、肩に飛び乗って来た。
『ルキフェル、手を焼いておるようだな』
“ああ、シンハ。私は、どうしてもミカエルと戦わなければならない。
今度こそ決着をつけるのだ!
あいつを倒さなければ、私は真の魔族になれない、そんな気がするのだよ!”
サマエルはあえて、女神達のことは尋ねなかった。
『相分かった、こちらも援軍を呼び、雑魚どもの始末を任せるとしよう』
ライオンは思い切り跳躍し、黄金色の稲妻のように空間を切り裂く。
その裂け目から、男が一人、飛び出してきた。
豪華な銀の
年に似合わぬ身のこなしで、二人の前にひざまずいたのは、公爵位を息子に譲り、引退したはずのプロケルだった。
「シンハ閣下、サマエル殿下!
わたくしめにもお手伝いさせて頂きたく、老体に鞭打って参上
“ああ、プロケルか、よく来てくれた。でも、無理は禁物だよ”
ほっとしたように、紅龍は歓迎の意を述べた。
「は。これは、ベルゼブル様のご命でもございます。
いかな年を重ねましょうとも、かつて氷剣公と呼ばれしこのプロケル、まだまだお役に立てますぞ」
元公爵は、元気よく立ち上がり、冷たい輝きの剣を抜き放ち、さっと振った。
「──さあ、皆の者! 魔界王家のおんために、存分に働くがよい!」
それを合図に、次元の裂け目を通り抜け、魔族の兵士が次々飛び出して来ては、戦列に加わってゆく。
後を任せて飛び立とうとした紅龍は、急に動きを止め、魔界公を振り返った。
“そうだ、プロケル。敵はなるべく、殺さずに捕らえて欲しいのだが”
「それはまた……何ゆえでございますかな」
プロケルは不審そうに尋ねた。
“今、思いついたのだけれどね。
勝利の後、敵を全員、魔界に封じ込めてやったらどうだろうか。
生きる極限の過酷な環境で、祖先が仕出かしたこと、自分らがして来たこと……それらを改めて考えさせてやるのさ。
我らが、どれほど苦しんで来たかを、じっくりと分からせてやろう。
憎しみに駆られて神族を根絶やしにするのはたやすい、けれどそれでは、敵と同じところまで堕ちてしまうだけだろう?”
それを聞いたシンハは、眼をキラリと光らせた。
『かつて神を
老公爵も深くうなずいた。
「さすがはサマエル様、深遠なお考えでございますな。このプロケル、感服仕りましたぞ」
“そう言ってもらえてうれしいよ。
タナトスも賛成してくれるといいのだが……あまり、
サマエルの提案を聞いた刹那、黔龍は大きな口を開けてのけぞり、大笑いを始めた。
龍は声は出せない。それは笑いと言うより、
ひとしきり笑った後、涙をぬぐいながらタナトスは答えた。
“いい! そいつは実にいいぞ、サマエル!
肥え太った尊大な豚どもが、魔界に放り込まれてどんな顔をするか、ぜひとも見てみたいものだ!
くっくっく……貴様、よくそんなことを考えついたな。
さすが、魔界一の策士と呼ばれるだけのことはある”
紅龍は、軽く肩をすくめた。
“大した考えではないさ。
それに、私はよく策士と呼ばれるが、そんな大層なこと、さほどやった覚えはないのだがねぇ”
“ふ、謙遜せんでもいい。
今回に限らず、俺は常々、貴様の立てる作戦は見事だと思っているのだからな。
よし、皆殺しにしても飽き足らんヤツらだが、俺とて連中ほど極悪非道ではない。
承諾してやるから、さっさとミカエルを食ってしまえ!
ヤツさえいなくなれば、敵も総崩れになるはず、そこを追い立てて捕らえ、魔界に放り込んでやれ!”
“ご賛同痛み入るよ、タナトス”
サマエルは兄との念話を打ち切り、言った。
“許可が下りたよ。魔界王の命として、皆にも伝えよう。まずは……”
「留守を守って頂いているベルゼブル様に、お伝えを?」
老公爵が、彼の答えを先取りした。
“そうだな。お前から伝えてくれるか”
彼は、前魔界王と直接話はしたくなかった。
「御意」
プロケルは、かつての主に念話でその旨を伝えた。
「ベルゼブル様は、サマエル様のご提案を大層お喜びでございます。
前魔界王として、そういう王子を持てたことを誇りに思う、そうお伝えするようにとの仰せでございました」
サマエルはうなずいたが、心は冷ややかな思いで満ちていた。
(ちやほやすれば力を出すと……あるいは裏切らないとでも思っているのか。
この戦でいくら功を立てても、平和な地に私の居場所はない……戦が終われば“紅龍”は用済み、つまり、私もお払い箱なのだから)
そして、彼は思い出した、戦の準備が始まった頃、ベルゼブルの病床に呼び出されたことを。
会議の合間に時間を作り、会いに行ったのだが、前魔界王は口を開きかけては
次に、イシュタルが迎えに来たときは、彼が断るより先に、タナトスが怒り出した。
「叔母上、いい加減にしろ、今は大事なときなのだぞ!
暇人には付き合っていられんと、くそ親父に言っておけ!」
「まあ、酷い! あの方はご病気で、気が弱くなっておられるのよ、それを!」
「待って。怒鳴り合いでは、何も解決しませんよ」
言い合う二人の間に、サマエルは割って入った。
「ああ、サマエル……」
「叔母上、陛下にはこうお伝え下さい。
あなた様が話すのをためらわれるほどの内容……それを、私が聞いて、正気でいられるのでしょうか?
私が狂えば、この宇宙は崩壊します。
そこまでいかずとも、私が動揺し、全力を出せなくなっては、戦に不利なのでは?
生きて勝利を迎えた暁に、ゆっくりお話を伺います。
もし、今回の戦で、武運つたなく
「そんな……あのね、サマエル、兄上は……」
懸命に訴えようとする叔母に、彼は微笑みかけた。
「では、叔母上、私が狂ってしまったら、あなたが殺して下さるのですか?」
「う……」
イシュタルは唇を噛み、青金色の瞳が涙でうるんだ。
サマエルは眼を伏せた。
「済みません……ですが今は、戦も始まろうかという切羽詰った状況……深刻な話を、冷静に受け止める精神的余裕は、正直……」
「分かったわ……そう伝えておくから……」
叔母は、よろめくようにして去っていった。
そのときのことを思い返し、サマエルはライオンの喉をなでながら、他の龍達に視線を送る。
(親などいないと思って今日まで来たのに、今さら、父親はベルフェゴールだ、などと聞きたくもない。
まあいいさ、今の私には家族がいるし。
タナトスも、私を弟と認めてくれた、後は、この戦に勝つだけ……)
せんしょう【僭称】
身分を越えた称号を勝手に名乗ること。また、その称号。