~紅龍の夢~

巻の七 DIES IRAE ─怒りの日─

─プロローグ/死の翼─

魔族と人族の混血であるその青年は、死にかけていた。
眼に刺さるように眩ゆく光り輝く、美しい檻の中で。

扉や鉄格子などはないが、檻の正面にずらり並んだ光源が聖なる光を放射し、囚人の逃走を阻んでいる。
壁や床、天井までが磨き立てられた黄金で出来ているため、強烈な光が乱反射し、その眩しさは例えようもない。
もし、彼が下級の魔物だったなら、入れられた途端、光の洪水に耐えられずに、蒸発してしまったかも知れない。

捕らえられた直後から、彼には手酷い拷問が加えられていた。
幼い頃から苦痛や屈辱を与えられ続け、それに慣れている身だったからこそ、今までどうにか耐えられていたのだが。

たった今、もぎ取られた黒い翼……背中に惨たらしく開いた二箇所の傷からは、血液と共に生命力が流れ出して、冷たい金属の床もまた容赦なく、彼の命の熱を奪っていく。

(これが私の望んだこと……捕らえられ、逃げ場を失い、抵抗出来ないようにされた上で、心身共に、この世のものとも思えない苦痛を与えられ……おのれの血と汚物にまみれ、闇の中に引きずり込まれていく……だが、この闇は何とも心地よい……ああ、これこそが私の真の望み……。
だが、“焔の眸”よ……こうなった今も……愛しているよ、お前を……私は……ああ、最期に一目、お前に……。
届かない……お前を、この腕に抱いたのは……夢、だったのだろうか……?)

彼は、恋しい至宝の幻に向かって、手を差し伸べようとした。
しかし、弱り過ぎていて、指一本動かすことが出来ない。
自分の流す血の海に溺れ、サマエルの意識は消えつつあった。

『……よ、……フェル、いかが致した!』
激しく揺すられ目覚めると、闇の中、赤々と燃え上がるライオンの瞳が、彼を覗き込んでいた。
「シンハ……ああ、シンハ!」
サマエルは、ひしと“焔の眸”の化身にしがみついた。
『ひどくうなされておったぞ、ルキフェル。悪い夢でも見たか?』
庭を散策してでもいたのだろう、夜露にしっとりと濡れた黄金の毛皮、その匂いと感触が、サマエルの激しい鼓動を徐々に落ち着かせていく。

幾度もつばを飲み込み、彼は、ようやく答えることが出来た。
「そう、夢……あれは多分、予知夢……私は捕らえられ、殺される……」
『何と!?』
ライオンは眼を見開いた。
紅い瞳の中、黄金の炎が激しく揺れる。

「でもね、何が怖いといって……惨たらしい拷問の果て、ぼろくずのように殺されること……それを私が望んでいる、そのことがね、一番怖いのだ……!
せっかく……お前やタナトスが、私を生かし、幸せにしてくれたのに……私ときたら、まだあんな……ああ」
サマエルは顔を覆った。
暖かな夜具の中だというのに、体の震えを抑えることが出来ない。

シンハは、そんな彼の耳に濡れた鼻面を押し付け、優しくささやいた。
『闇と光とは同じ物の違う面。ゆえに恐れることはない。
もはや、予知夢も当てにはならぬ、闇を出し抜け、ルキフェル。
汝の頭脳ならば、それが可能となろう』
「……闇を出し抜く? そんなことが出来るものだろうか……。
予知夢もたしかに、当てにはならないけれどね……」
サマエルは顔を上げると、虚空(こくう)を見つめ、そのまましばし、物思いにふけっていた。

「な、何をする、シンハ」
そのとき、突如、彼はベッドに押し倒されて面食らった。
『決まっておろう。たまには早目に寝かせてやろうと思ったが、温情が裏目に出たな』
「い、嫌、放し……」
サマエルはもがくが、ライオンは構わず、ざらつく舌で彼の滑らかな肌をなめ回し、熱い息を裸の体に吹きかける。
「あ……だ、駄目だよ……!」
『何が嫌で、駄目なのだ?』
彼を押え込んだまま、尋ねるシンハの声は笑いを含んでいた。
「え、だって、考えなければ。闇を出し抜く方策を……あ、」

『それならば、昼日中(ひるひなか)、陽光の下でせよ。
夜の思惟(しい)は、汝を闇へと(いざな)い、瞳に映るは破滅のみ。
案ずるな、我が、朝まで、何もかも忘れさせてやるゆえ』
そう言いながら、宝石の化身は彼に覆いかぶさってくる。
「シ、シンハ……あん、やめ……もう、いつも強引なのだから……うあ、く、あ、あう……あ、ああッ……!」
あっという間に、思考は形を失って闇中に甘く溶けていき、魔族の王子は、またも黄金の毛皮にしがみついた。

しい【思惟】

1 考えること。思考。