~紅龍の夢~

巻の六 THE BRIDE OF DEATH ─死の花嫁─

─エピローグ 婚姻の儀(2)─

「茶番だとぉ!? 貴様はともかく、“焔の眸”にとってはどうなのだ!?」
取り付く島もない弟に向けて、タナトスは苛立たしげに問いかけた。
はっとしてサマエルが振り返ると、炎の瞳をうるませた少年が、自分を見ていた。
「サマエル、お前……今まで散々、オレを、妻だ何だ言ってたくせに、マジに結婚するってなったら、やっぱ嫌なんだな?
他に女とか出来たとき、既成事実があると邪魔だから……?」

「ま、まさか、そんなわけが!」
サマエルは慌てて戻り、華麗な衣装をまとった少年の手を取った。
「私の妻はお前だけだ、今も、そしてこれからも。信じておくれ!」
「じゃあ、何で?
せっかくこいつらが、ここまでお膳立てしてくれたってのに、式、挙げてくんねーんだ?
ホントは、オレなんか、いらねーって思ってんだろ?」

「ち、違う! 聞いてくれ、私は……」
必死に言いわけをするサマエルの手を、ダイアデムは、ばっと振り払った。
「いいよ、捨てられたって、お前ん家の地下に居座ってやるから!
そんで、オレの涙で鍾乳洞が一杯になるまで泣き続けてやる、『サマエルの馬鹿、こんなに好きなのに、愛してるのに』って!」
そして、ケテルに抱きつき、大声を上げて泣き出してしまった。

「おお、相済まぬ、我の浅知恵で……!
心細く、おぬしが共におれば、魔界の王妃の重責を担う覚悟も出来るかと思ったのだ……二人の仲を、引き裂くつもりなど……!」
ケテルもまた、おろおろと兄弟を抱きしめ、大粒の涙をこぼす。
魔界の至宝達の流す涙が床に滴り、美しい輝きを放つ小山ができあがっていく。

「貴様! 人の好意を無碍(むげ)にしただけでは飽き足らず、俺の妻まで泣かす気か!」
タナトスは弟の胸倉をつかみ、揺さぶった。
「い、いや、そうではなく……」
「タナトス様、ご婚儀の前でございます、乱暴は……」
焦ったエッカルトが止めに入る。

そのときだった。
蛇がテーブルに飛び移り、大声を張り上げたのは。
『皆、我の話を聞いてくれ! これにはわけがあるのだ、今からそれを説明する!』
「わけだと!? よし、聞かせろ!」
突き飛ばすように弟を解放し、タナトスは蛇に近づこうとする。

「蛇、余計なことは……」
言いかける弟を、彼は殴った。
「うるさい、貴様は黙っていろ!」
床に倒れこんだ第二王子は、白銀の髪を直しつつ、半身を起こす。
「もう、乱暴だな、相変わらず……」

「ええい、(しな)を作るな、この、腹の立つヤツめが!」
いつも以上に(なまめ)かしいその様子に苛立ち、タナトスはまたも弟を足蹴にし始めた。
「あ、う、ああ……」
サマエルは床にうずくまり、抵抗も弁解も諦めたように、されるがままになっている。

「おやめ下され、タナトス様!」
見かねたエッカルトが、またも止めに入ったとき。
『よせ、王よ! 我が本体をそれ以上、(いじ)めてくれるな!』
蛇が再び、声をかけた。
タナトスは、さっと向きを変え、腕組みをした。
「ならば、さっさと言え、そのわけとやらを!」

『話そうとしたら、お前が、暴力を(ふる)い始めたのだろうが』
蛇は言ったが、タナトスに睨みつけられ、小さくため息をつくと、続けた。
『……まあいい。
我が本体は、“焔の眸”を、形式で束縛したくないと思っているのだよ、自由な意志で、自分のそばにいて欲しいと。
それで、式も、あえて挙げることはしなかったのだ。
だが、実のところは、彼を檻に閉じ込め、逃がさないようにしてしまいたい、という思いと日々戦っているのだよ……それを分かってやって欲しい』
頭を下げる蛇の、声も言い回しも、サマエルによく似ていた。

ダイアデムは、まるで第二王子自身がそう語ったかのように、泣き腫らした眼で彼を見た。
「サマエル、オレを閉じ込めたいって……何でだ?
オレ、逃げたりどっか行ったりする気なんて、全然ねーのに」
サマエルは、乱れた髪の間から宝石の化身を見返すと、気が重そうに口を開いた。
「それは分かっている……のだが、時折……どうにも、抑えが効かなくなるときがあって……様々考えているうち、理性が吹き飛んでしまいそうになって、ね。
お前を閉じ込め……その檻に一緒に入り、そして……ああ……続きは後でいいかな、さすがに、皆の前ではちょっと……」

「うん。オレと一緒になるのが嫌じゃねーんなら、それでいいんだ。
けど、後でちゃんと聞かせてくれよ、そこら辺」
紅毛の少年は、拳で涙をぬぐった。
「もちろん……だが、きっと私の妄想に、うんざりすると思うよ……」
そう言うとサマエルは、蛇そっくりのため息をついて立ち上がり、テーブルに近づいた。

「それはともかく、蛇よ、お前、ずいぶんと流暢(りゅうちょう)に話せるようになったな。
鱗の(つや)もいい。エッカルトに可愛がられているのだね、タナトスに燃やされなくてよかったな」
第二王子は優しく語りかけながら、下から上に向かい、白い指先で蛇の細長い体をなぞっていく。

拾った髪から創り出され、用が済んだら消されるはずだった蛇は、創り主である魔界王よりも魔法医になついた結果、男爵家にもらわれていったのだった。
紫の蛇は眼を閉じ、本体である彼にうっとりと身を任せた。
『ああ、新しいあるじはとても優しい。エルピダという名前ももらった……我は幸せだ』

「艶がいい……楽しい、だと!?
貴様、まさか、こいつを、いかがわしいことに使っているのではあるまいな!」
タナトスは、魔法医に指を突きつけた。
エッカルトは、一瞬きょとんとしたが、すぐに、やれやれと頭を振った。
「何を仰いますやら。左様な(たわむ)れ事に(うつつ)を抜かすほど、暇ではございませぬよ」
『あきれたものだ、お前とあるじを一緒にするな』
蛇も言い、舌をちろちろさせた。

「こいつめ、偉そうに!」
腹立たしげな口調とは裏腹に、魔界の王は、ほっとして弟王子に向き直った。
「これで決まりだな、サマエル。
実はな、ケテルは、こうも言っていたのだ。
お前も複雑な立場で、身の置き場がないという点では、自分と同じだと。
だが、“焔の眸”との婚儀という後押しが得られたなら、真実はどうあれ、皆に王子として認められるのではないか、とな。
そこから、俺達と一緒に式を挙げたらどうかという話になり、大急ぎでお前達の衣装も作らせたのだ。
ただ、織り師や縫い子共は、俺のよりも貴様のを作りたがって騒ぎになったそうだがな、まったく!」

サマエルは、その日初めての晴れやかな笑みを浮かべた。
「そうだったのか。ありがとう、タナトス、ケテル。
“焔の眸”も心から望んでくれているし、喜んで式を挙げさせて頂くよ」
「わあい!」
ダイアデムは彼に飛びつき、その日、魔界は二重の喜びに沸き立った。

長い魔界王家の歴史でも例を見ない、王と弟王子の合同結婚式は、汎魔殿の大広間で(おごそ)かに()り行われ、その様子は魔界全土に中継された。
式の途中、魔界の至宝達は、それぞれの夫に対して誓いの言葉を述べるため四度変化し、そのたびに絢爛豪華な紅い衣装を変えて、人々の眼を楽しませた。

荘厳な婚姻の儀が終わると、祝賀に集まった同胞達に顔見世をするため、二組の夫婦はバルコニーに出た。
大歓声が沸き起こる。
“見てみろ、ケテル。ここにいる連中はすべて、俺達の結婚を祝福している。
つまり、お前が妃になることを祝っているのだ、胸を張っていろ。
サマエルもだ、これで貴様も名実共に、魔界の王子と認められたのだからな”
“おお、何という……言葉に出来ぬ……”
ケテルは目頭を押さえた。

“まあ、勢いに流されて、もしくは、仕方なく賛成している者もいる、とは思うけれどね”
タナトスだけに聞こえるように、サマエルはこっそりと念話を送る。
“ふん、そんなヤツは、どこの時代、どこの世界にもいるものだ。一々気にしていられるか”
それが、兄王の冷ややかな返事だった。

「さあ、涙をふけ、ケテル。サマエルも、得意の愛想を振りまくがいい。
あいつを見習ってな」
タナトスは、“焔の眸”の化身に向けて顎をしゃくる。
誰に言われることなく、うれしげに飛び上がっては手を振り回していたダイアデムは、感極まってか、バルコニーから身を乗り出した。
「危ない!」
止めるサマエルの手をすり抜け、少年は空中に飛び上がる。

「待ってくれ、私を一人にしないで……!」
第二王子は必死に追いすがり、楽しげに滑空する妻の体を捕まえた。
「ああ、よかった……」
サマエルは妻にしがみつき、大きく息をつく。
「何焦ってんだよ、オレがお前を置いて、どこにも行くわけねーだろ……ん?
どうしたんだよ、これ」
ダイアデムは、自分をつかんでいる夫の掌が、傷ついていることに気づいた。

「ああ、これは……」
第二王子は、血の気の引いた顔でゆっくりと首を振った。
「情けないが、私は、汎魔殿の広間は苦手でね……。
エッカルトにもらった吐き気止めも……あまり効かなくて……掌に爪を食い込ませて、どうにか耐えていたのだが……」
「そっか、無理させてごめんな、もう帰ろ」

「いや、大丈夫だよ。お前がそばにいてくれれば……。
式の最後の方も、お前ばかり見ていた……ベッドで、お前を愛することを想像して……いや、お前だけでなく、化身すべてを……。
ああ、済まない、こんないやらしい男が夫だなんて……式は済ませたけれど……もし、こんな私が嫌なら……」
サマエルはうなだれた。

ダイアデムは、落ち込む夫の耳元でささやいた。
「それのどこが悪りーんだよ?
式の真っ最中に、他の女とヤること考えてたってんなら離婚モノだけど、ヨメのオレ見て、ムラムラしてたんだろ?
吐き気だって、最後まで我慢出来たんだし、問題ねーどころか、褒美(ほうび)モンじゃんか」

サマエルは、驚いたように顔を上げた。
「褒美? そんなもの、もらったこともない……」
ダイアデムは、にやりとした。
「じゃあ、これからたっぷりくれてやるさ、ベッドん中で」
「え……」
思わず顔を赤らめるサマエルを尻目に、ダイアデムは声を張り上げた。
「さーて、式も終わったし、オレらはもう帰るからな!」

周囲から残念がる声が上がると、紅毛の少年は、バルコニーから、心配そうに自分達を見ている二人を指差した。
「後は、あいつらを祝ってやってくれ、今日のホントの主役、魔界王タナトスと王妃……オレの兄弟、“黯黒の眸”を!
じゃーな、サマエルが腹へってしょーがねーって言うから、オレらもう、ベッドにしけ込むぜ、後、よろしく!
──ムーヴ!」
最後に王と王妃に声をかけ、“焔の眸”の化身は、第二王子と共に消える。

弟夫婦を見送った魔界王は、妃にささやいた。
「今夜こそ、俺が、お前の味見をするからな」
ケテルは極上の笑みを浮かべた。
「我、一人のみでよいのか?」
「全員だ!」
タナトスが新妻の唇を奪うと、群集から歓喜の声が湧き起こる。
「魔界王陛下、万歳!」
「“黯黒の眸”妃殿下万歳!」

The End.

科(しな)を作る

1 なまめかしいしぐさをする。

エルピダ

(ギリシア語)希望