─エピローグ 婚姻の儀(2)─
「茶番だとぉ!? 貴様はともかく、“焔の眸”にとってはどうなのだ!?」
取り付く島もない弟に向けて、タナトスは苛立たしげに問いかけた。
はっとしてサマエルが振り返ると、炎の瞳をうるませた少年が、自分を見ていた。
「サマエル、お前……今まで散々、オレを、妻だ何だ言ってたくせに、マジに結婚するってなったら、やっぱ嫌なんだな?
他に女とか出来たとき、既成事実があると邪魔だから……?」
「ま、まさか、そんなわけが!」
サマエルは慌てて戻り、華麗な衣装をまとった少年の手を取った。
「私の妻はお前だけだ、今も、そしてこれからも。信じておくれ!」
「じゃあ、何で?
せっかくこいつらが、ここまでお膳立てしてくれたってのに、式、挙げてくんねーんだ?
ホントは、オレなんか、いらねーって思ってんだろ?」
「ち、違う! 聞いてくれ、私は……」
必死に言いわけをするサマエルの手を、ダイアデムは、ばっと振り払った。
「いいよ、捨てられたって、お前ん家の地下に居座ってやるから!
そんで、オレの涙で鍾乳洞が一杯になるまで泣き続けてやる、『サマエルの馬鹿、こんなに好きなのに、愛してるのに』って!」
そして、ケテルに抱きつき、大声を上げて泣き出してしまった。
「おお、相済まぬ、我の浅知恵で……!
心細く、おぬしが共におれば、魔界の王妃の重責を担う覚悟も出来るかと思ったのだ……二人の仲を、引き裂くつもりなど……!」
ケテルもまた、おろおろと兄弟を抱きしめ、大粒の涙をこぼす。
魔界の至宝達の流す涙が床に滴り、美しい輝きを放つ小山ができあがっていく。
「貴様! 人の好意を
タナトスは弟の胸倉をつかみ、揺さぶった。
「い、いや、そうではなく……」
「タナトス様、ご婚儀の前でございます、乱暴は……」
焦ったエッカルトが止めに入る。
そのときだった。
蛇がテーブルに飛び移り、大声を張り上げたのは。
『皆、我の話を聞いてくれ! これにはわけがあるのだ、今からそれを説明する!』
「わけだと!? よし、聞かせろ!」
突き飛ばすように弟を解放し、タナトスは蛇に近づこうとする。
「蛇、余計なことは……」
言いかける弟を、彼は殴った。
「うるさい、貴様は黙っていろ!」
床に倒れこんだ第二王子は、白銀の髪を直しつつ、半身を起こす。
「もう、乱暴だな、相変わらず……」
「ええい、
いつも以上に
「あ、う、ああ……」
サマエルは床にうずくまり、抵抗も弁解も諦めたように、されるがままになっている。
「おやめ下され、タナトス様!」
見かねたエッカルトが、またも止めに入ったとき。
『よせ、王よ! 我が本体をそれ以上、
蛇が再び、声をかけた。
タナトスは、さっと向きを変え、腕組みをした。
「ならば、さっさと言え、そのわけとやらを!」
『話そうとしたら、お前が、暴力を
蛇は言ったが、タナトスに睨みつけられ、小さくため息をつくと、続けた。
『……まあいい。
我が本体は、“焔の眸”を、形式で束縛したくないと思っているのだよ、自由な意志で、自分のそばにいて欲しいと。
それで、式も、あえて挙げることはしなかったのだ。
だが、実のところは、彼を檻に閉じ込め、逃がさないようにしてしまいたい、という思いと日々戦っているのだよ……それを分かってやって欲しい』
頭を下げる蛇の、声も言い回しも、サマエルによく似ていた。
ダイアデムは、まるで第二王子自身がそう語ったかのように、泣き腫らした眼で彼を見た。
「サマエル、オレを閉じ込めたいって……何でだ?
オレ、逃げたりどっか行ったりする気なんて、全然ねーのに」
サマエルは、乱れた髪の間から宝石の化身を見返すと、気が重そうに口を開いた。
「それは分かっている……のだが、時折……どうにも、抑えが効かなくなるときがあって……様々考えているうち、理性が吹き飛んでしまいそうになって、ね。
お前を閉じ込め……その檻に一緒に入り、そして……ああ……続きは後でいいかな、さすがに、皆の前ではちょっと……」
「うん。オレと一緒になるのが嫌じゃねーんなら、それでいいんだ。
けど、後でちゃんと聞かせてくれよ、そこら辺」
紅毛の少年は、拳で涙をぬぐった。
「もちろん……だが、きっと私の妄想に、うんざりすると思うよ……」
そう言うとサマエルは、蛇そっくりのため息をついて立ち上がり、テーブルに近づいた。
「それはともかく、蛇よ、お前、ずいぶんと
鱗の
第二王子は優しく語りかけながら、下から上に向かい、白い指先で蛇の細長い体をなぞっていく。
拾った髪から創り出され、用が済んだら消されるはずだった蛇は、創り主である魔界王よりも魔法医になついた結果、男爵家にもらわれていったのだった。
紫の蛇は眼を閉じ、本体である彼にうっとりと身を任せた。
『ああ、新しいあるじはとても優しい。エルピダという名前ももらった……我は幸せだ』
「艶がいい……楽しい、だと!?
貴様、まさか、こいつを、いかがわしいことに使っているのではあるまいな!」
タナトスは、魔法医に指を突きつけた。
エッカルトは、一瞬きょとんとしたが、すぐに、やれやれと頭を振った。
「何を仰いますやら。左様な
『あきれたものだ、お前とあるじを一緒にするな』
蛇も言い、舌をちろちろさせた。
「こいつめ、偉そうに!」
腹立たしげな口調とは裏腹に、魔界の王は、ほっとして弟王子に向き直った。
「これで決まりだな、サマエル。
実はな、ケテルは、こうも言っていたのだ。
お前も複雑な立場で、身の置き場がないという点では、自分と同じだと。
だが、“焔の眸”との婚儀という後押しが得られたなら、真実はどうあれ、皆に王子として認められるのではないか、とな。
そこから、俺達と一緒に式を挙げたらどうかという話になり、大急ぎでお前達の衣装も作らせたのだ。
ただ、織り師や縫い子共は、俺のよりも貴様のを作りたがって騒ぎになったそうだがな、まったく!」
サマエルは、その日初めての晴れやかな笑みを浮かべた。
「そうだったのか。ありがとう、タナトス、ケテル。
“焔の眸”も心から望んでくれているし、喜んで式を挙げさせて頂くよ」
「わあい!」
ダイアデムは彼に飛びつき、その日、魔界は二重の喜びに沸き立った。
長い魔界王家の歴史でも例を見ない、王と弟王子の合同結婚式は、汎魔殿の大広間で
式の途中、魔界の至宝達は、それぞれの夫に対して誓いの言葉を述べるため四度変化し、そのたびに絢爛豪華な紅い衣装を変えて、人々の眼を楽しませた。
荘厳な婚姻の儀が終わると、祝賀に集まった同胞達に顔見世をするため、二組の夫婦はバルコニーに出た。
大歓声が沸き起こる。
“見てみろ、ケテル。ここにいる連中はすべて、俺達の結婚を祝福している。
つまり、お前が妃になることを祝っているのだ、胸を張っていろ。
サマエルもだ、これで貴様も名実共に、魔界の王子と認められたのだからな”
“おお、何という……言葉に出来ぬ……”
ケテルは目頭を押さえた。
“まあ、勢いに流されて、もしくは、仕方なく賛成している者もいる、とは思うけれどね”
タナトスだけに聞こえるように、サマエルはこっそりと念話を送る。
“ふん、そんなヤツは、どこの時代、どこの世界にもいるものだ。一々気にしていられるか”
それが、兄王の冷ややかな返事だった。
「さあ、涙をふけ、ケテル。サマエルも、得意の愛想を振りまくがいい。
あいつを見習ってな」
タナトスは、“焔の眸”の化身に向けて顎をしゃくる。
誰に言われることなく、うれしげに飛び上がっては手を振り回していたダイアデムは、感極まってか、バルコニーから身を乗り出した。
「危ない!」
止めるサマエルの手をすり抜け、少年は空中に飛び上がる。
「待ってくれ、私を一人にしないで……!」
第二王子は必死に追いすがり、楽しげに滑空する妻の体を捕まえた。
「ああ、よかった……」
サマエルは妻にしがみつき、大きく息をつく。
「何焦ってんだよ、オレがお前を置いて、どこにも行くわけねーだろ……ん?
どうしたんだよ、これ」
ダイアデムは、自分をつかんでいる夫の掌が、傷ついていることに気づいた。
「ああ、これは……」
第二王子は、血の気の引いた顔でゆっくりと首を振った。
「情けないが、私は、汎魔殿の広間は苦手でね……。
エッカルトにもらった吐き気止めも……あまり効かなくて……掌に爪を食い込ませて、どうにか耐えていたのだが……」
「そっか、無理させてごめんな、もう帰ろ」
「いや、大丈夫だよ。お前がそばにいてくれれば……。
式の最後の方も、お前ばかり見ていた……ベッドで、お前を愛することを想像して……いや、お前だけでなく、化身すべてを……。
ああ、済まない、こんないやらしい男が夫だなんて……式は済ませたけれど……もし、こんな私が嫌なら……」
サマエルはうなだれた。
ダイアデムは、落ち込む夫の耳元でささやいた。
「それのどこが悪りーんだよ?
式の真っ最中に、他の女とヤること考えてたってんなら離婚モノだけど、ヨメのオレ見て、ムラムラしてたんだろ?
吐き気だって、最後まで我慢出来たんだし、問題ねーどころか、
サマエルは、驚いたように顔を上げた。
「褒美? そんなもの、もらったこともない……」
ダイアデムは、にやりとした。
「じゃあ、これからたっぷりくれてやるさ、ベッドん中で」
「え……」
思わず顔を赤らめるサマエルを尻目に、ダイアデムは声を張り上げた。
「さーて、式も終わったし、オレらはもう帰るからな!」
周囲から残念がる声が上がると、紅毛の少年は、バルコニーから、心配そうに自分達を見ている二人を指差した。
「後は、あいつらを祝ってやってくれ、今日のホントの主役、魔界王タナトスと王妃……オレの兄弟、“黯黒の眸”を!
じゃーな、サマエルが腹へってしょーがねーって言うから、オレらもう、ベッドにしけ込むぜ、後、よろしく!
──ムーヴ!」
最後に王と王妃に声をかけ、“焔の眸”の化身は、第二王子と共に消える。
弟夫婦を見送った魔界王は、妃にささやいた。
「今夜こそ、俺が、お前の味見をするからな」
ケテルは極上の笑みを浮かべた。
「我、一人のみでよいのか?」
「全員だ!」
タナトスが新妻の唇を奪うと、群集から歓喜の声が湧き起こる。
「魔界王陛下、万歳!」
「“黯黒の眸”妃殿下万歳!」
科(しな)を作る
1 なまめかしいしぐさをする。
エルピダ
(ギリシア語)希望