~紅龍の夢~

巻の六 THE BRIDE OF DEATH ─死の花嫁─

─エピローグ 婚姻の儀(1)─

そうして、一ヵ月半後、ついに婚礼の日がやって来た。
すでに真紅の衣装に着替え、落ち着かない気分で式を待つ二人の控え室へ、第二王子があいさつに訪れた。

「今日のよき日をお迎えになられ、まことにおめでたく存じます、魔界王陛下、並びに王妃殿下」
片膝をつき、サマエルは深々と頭を下げる。
続いて入って来たダイアデムは、立ったまま頭の後ろで指を組み、口を尖らせた。
「まーた、んな仰々(ぎょうぎょう)しいこと言ってよ。得意の嫌がらせか?」

「構わん、今日はめでたい日だ。こやつの皮肉の一つや二つ、聞き流してやるわ」
鷹揚(おうよう)なところを見せて魔界の王は答えたが、待ち焦がれた日だというのに、顔色は優れなかった。
「へ~めずらし、雪でも降んじゃねーのかよ。
……まあいいや、これ、二人に結婚祝いな」
その様子に首をひねりながら、“焔の眸”の化身は、ぱちんと指を鳴らす。
現れたのは、背の高い色鮮やかな花々が咲き誇る、巨大な鉢植えだった。
二抱えもある楕円の白い鉢には、向かい合う二羽の青い鳥が華やかに描かれ、お祝いにふさわしく、紅いリボンがかけられている。

「……貴様の山の花か?」
タナトスは、うさんくさそうに鼻にしわを寄せ、弟を見た。
「そうだよ。山の環境を忠実に魔法で再現しているから、ずっと咲くはずだ。
色々考えたが、これが一番かなと。幸せを根付かせるという意味でね」
「ふん……」
ジルを思い起こさせる花……これもまた、弟の当てこすりなのかも知れないが、そばにいる新妻に配慮し、彼は口に出さなかった。

「おお、何と(うるわ)しき色合い、(かぐわ)しき香気(こうき)よ!
かように見事な花を咲かすとは、さぞかし、地味豊かな土壌であろうな!」
何も知らないケテルは素直に感動し、鉢の土に指を差込むと、ぺろりとなめた。
「……うむ、希少なる微量元素も、様々含まれておる。
かたじけない、二人共。丹精込めて育てるゆえ」
うやうやしく、“黯黒の眸”は頭を下げる。

魔界王の思いはともかく、弟王子は、他意がなさそうな笑みを浮かべていた。
「気に入ってくれてうれしいよ。この花より、お前の方が遥かに美しいけれどね。
ともかく、無事、今日を迎えられてよかった、本当におめでとう」
「そーそ。衣装もすっげー似合ってるぜ! オレから見てもうっとりだ!」
ダイアデムは、これから王妃となる兄弟の、(きら)びやかな晴れ着を指差した。

「ああ、これは我がためにと、皆が作ってくれたそうでな、何ともありがたくて……」
ケテルの眼に、うっすら涙が浮かぶ。
魔界の王妃にふさわしく(ぜい)()らし、彼の、男性とも女性ともつかぬ美貌を引き立てている衣装は、専属の織り師や縫い子達が、魔法を一切使わず仕上げており、まさしく努力の賜物(たまもの)だったのだ。

「おいおい、今から泣いててどうすんだよ」
ダイアデムはハンカチを取り出す。
「す、済まぬ……」
兄弟が涙をふいている間に、“焔の眸”の化身は、どこか浮かぬ顔で椅子に座り込んでいる魔界王に視線を向けた。
「ところで、タナトス。せっかくの結婚式だってのに、さっきから、何、げっそりしてんだ?
いつもなら、もっと元気っつうか、バタバタしてんだろーによ」

すると、すかさず、サマエルが口を挟んだ。
「一月以上もインキュバスの王子に可愛がられていたら、やつれるのも無理ないさ」
「え、可愛がられ……こいつが、ケテルにぃ?」
眼を丸くし、ダイアデムはタナトスを指差す。
「き、貴様、どうしてそれを! また蛇に覗きでもさせたのか!?」
魔界王は真っ赤になり、ばっと立ち上がった。

「まさか。そこまで趣味は悪くないよ。簡単に想像はつくさ。
ケテルは男として育って来て、すでに女性を知っていても不思議ではない年頃……さらに、彼の時代、男の同衾(どうきん)はまだ珍しかった……となれば、タナトス、お前が女性の役を……」
「も、もう黙れ、それ以上言うな!」
魔界の王は、弟の饒舌(じょうぜつ)をさえぎり、()えた。

「は~ん、ご愁傷様(しゅうしょうさま)なこったな、けけ。ざまあ」
紅毛の少年は、楽しげに、からかいの言葉を投げる。
「き、貴様ー!」
青筋を立てる彼に、サマエルは追い討ちをかけた。
「だから言ったろう、最初のときは私も一緒にと。
お前を慣らしてやれるかと思ったのに、人の好意を無にするものだから」

「く、貴様、知っていたなら、あのとき、なぜ教えなかった……」
抗議するタナトスの声が弱々しくなると、サマエルはにんまりした。
「何を言う、まったく聞く耳を持たなかったくせに。
まあ、楽しくやりたまえよ。というか、嫌なら拒否すればいいだろう?」
「う、うるさいわ!」
「ふふ、他の化身、ニュクスやテネブレはどうなのだろうね、楽しみだな?」
「何ぃ!」

しつこい弟の顔を殴りそうになったそのとき、うるんだ瞳で、ケテルが問いかけて来た。
「タナトス。我と同衾するのは嫌なのか?」
「そ、そうではない、のだが……」
今までもうまく言えずに来たために、タナトスは口ごもる。
ダイアデムは、にやっとした。
「違ぇえよ、慣れてねーだけ。気にせずよ~く仕込んでやれよ、ケテル」
「たわけ、余計なことを吹き込むな!」
タナトスは頭から湯気を出して怒鳴る。

ケテルは眼を伏せた。
「懸念は、それのみにあらず。
実のところ、我はまだ思い迷うておる……我のような咎人(とがびと)が、王妃になぞ、なってよいものかと……」
「まだ気にしてんのか? もう誰も、文句言ってこねーんだろが」
「そうだよ。私は夢は見せたが、思考の押しつけはしていない。
皆、自由な意思の下でお前を許すことにしたのだよ、それは保障するから」
サマエルも優しく口を添えた。

「されど、我は……王家に(ゆかり)もなき身なれば……」
それでも自信なさげに、ケテルは首を横に振る。
「だったら、アイシスはどうすんだよ、こいつらの母親は。
もう昔とは、考えも変わってんだぜ……あ、シンハがお前と話したいって」
紅毛の少年の姿が輝き始める。

代わって現れた黄金のライオンは、ひたと“黯黒の眸”の化身を見つめ、きっぱりと言った。
『ケテル……アイン・ソフ・オウルよ、ようく聞け。汝は魔界王の子である。
何となれば、純血な魔族であるがゆえに、匂いで判別できるのだ。
王も愚かよ。我に一言尋ねておれば、悲劇に見舞われずに済んだものを』
「ええっ! で、では、我は……!?」
ケテルの体は、がくがくと震え出した。

『左様、汝の母の言葉は真実。かてて加えて、汝は父親を手にかけてはおらぬ』
「何っ、ま、まことか、それは!?」
震えは一瞬で止まり、ケテルは勢いよく身を乗り出す。
重々しく、シンハはうなずいた。
『無意識に汝は力を抜いたのであろう、かの折、王は死には至らず、数千年後に寿命を迎え、汝への謝罪の言葉を繰り返し、他界していったわ。
今まで伝えられず申し訳なかったが、汝は幾年も禁呪の間にこもっており、その後も、我が話には耳を傾けず、なおかつ、行方知れずにもなりしゆえ』

「おお……わ、我は父上の子で……ち、父上はご存命……我は父上を……ああ、タナトス!」
瞳から喜びの涙をあふれさせ、ケテルは、夫となる魔界王の胸に飛び込んだ。
タナトスは、妻をきつく抱き締めた。
「よかったな、ケテル。これでもう、お前の心には何の曇りもあるまい」
「タナトス……!」

しゃくり上げる兄弟に向けて、シンハはさらに続けた。
(あまつさ)え、汝の夫たるサタナエルは、汝の兄のみならず、妹の血も引いておるのだぞ。
()の二人は、建前上は異母兄妹、実際は赤の他人……汝の死を共に(いた)むうち、やがて結ばれたと聞き及ぶ。
それゆえ、いかなる憎悪も悲嘆(ひたん)も、もはや忘却の彼方へ葬るがいい、ケテル、テネブレ両名共にだ』
「ああ、ああ、ああ……!」
“黯黒の眸”は、ただ泣きじゃくるだけだった。
幾つもの美しい貴石が、床に転がり落ちてゆく。

感動的な情景を後に、サマエルは一人、静かに部屋を出て行こうとしていた。
それに気づいたライオンの体が輝き、少年の姿に戻る。
「おい、サマエル、どこに行くんだよ?」
「あいさつも済んだし、私はこれで帰るよ。お前はゆっくりしておいで」
「え、もうすぐ式も始まるんだし、今日一日くらい、いいだろ?」

「そのつもりでいたのだけれど、城内を歩くうちに、気分が悪くなって来てね……。
汎魔殿には一切、いい思い出がない。
それどころか、あそこでは……ここではと……嫌な記憶ばかりが蘇って来て、吐き気さえするほどだ……。
私がまた狂ってしまったら、迷惑の極みだろう?」
悲しげに、サマエルは首を横に振った。
「だ、だって……」
思わずダイアデムも涙ぐみ、まだ泣いているケテルとサマエルを見比べた。

「だから、お前だけ列席すればいい、後で様子を聞くから、ね?」
「い、嫌だ、離れたくない! 二度と、お前に会えなくなっちまいそうな気がするんだ!」
紅毛の少年は、ひしとサマエルにしがみついた。
「そう……済まないね。
タナトス、ケテル、私達はもう帰るよ。申し訳ない、せっかくのおめでたい式に、出られなくて……」
妻を抱き留め、サマエルは頭を下げた。

「ま、待ってくれ!
我が方からも贈り物があるのだ、それを見れば、サマエルの気も変わるに相違ない!」
涙をふく間も惜しんで、ケテルが扉の前に立ちふさがり、両手を広げたまさにそのとき、ドアがノックされた。
「タナトス様、ケテル様、遅くなりました」

「ああ、待ちかねたぞ」
指を鳴らし、タナトスは扉を開けてやる。
「失礼致します」
山のような荷物を乗せた籠を、魔法で従えて入って来たのは、エッカルトだった。
以前、王に斬られた傷も完全に癒え、その肩には、紫色の蛇が乗っている。
元々あのときタナトスは、魔法医を殺すつもりはなく、腹立ち紛れに一太刀浴びせただけだったのだ。

「申し訳ございませぬ。縫い子が、どうしても最後の点検をと」
「間に合ったからよしとしてやる。
さあ、受け取れ、お前達のために作らせたものだ」
魔界の王は、弟夫婦に向かって手を振る。
「ささ、お納め下さいませ」
うやうやしく差し出された、籠に入った物……それは、五着の真っ赤な衣装だった。
「エッカルト……これは一体?」

魔法医の代わりに、タナトスがしたり顔で答える。
「サマエル、いい思い出がないと言ったな。ならば今から俺が作ってやる。
“焔の眸”との婚礼だ。これ以上のいい思い出はなかろう、どうだ!」
「な、何を言い出すのだ、タナトス!?」
サマエルは、珍しくも驚きを(あらわ)にした。

「本日これから、俺達と貴様らの婚礼の儀を()り行う!
これは魔界王としての命令だ、異議は認めん!」
言うなりタナトスは指を鳴らし、強制的に、二人の衣服を籠の中身と取り替えた。
第二王子は唇を噛んだ。
「茶番だな、まったく。帰らせてもらうよ」
素晴らしい出来栄えの衣装を脱ぐ手間すらもかけず、サマエルは扉に向かう。

おうよう【鷹揚】

《鷹(たか)が悠然と空を飛ぶように》
小さなことにこだわらずゆったりとしているさま。おっとりとして上品なさま。

なんとなれば【何となれば】

《「なにとなれば」の音変化》前述の事柄を受けて、その原因・理由の説明を導く。なぜならば。

あまつさえ【剰え】

[1] そればかりか。そのうえに。
[2] 事もあろうに。あろうことか。