─エピローグ 婚姻の儀(1)─
そうして、一ヵ月半後、ついに婚礼の日がやって来た。
すでに真紅の衣装に着替え、落ち着かない気分で式を待つ二人の控え室へ、第二王子があいさつに訪れた。
「今日のよき日をお迎えになられ、まことにおめでたく存じます、魔界王陛下、並びに王妃殿下」
片膝をつき、サマエルは深々と頭を下げる。
続いて入って来たダイアデムは、立ったまま頭の後ろで指を組み、口を尖らせた。
「まーた、んな
「構わん、今日はめでたい日だ。こやつの皮肉の一つや二つ、聞き流してやるわ」
「へ~めずらし、雪でも降んじゃねーのかよ。
……まあいいや、これ、二人に結婚祝いな」
その様子に首をひねりながら、“焔の眸”の化身は、ぱちんと指を鳴らす。
現れたのは、背の高い色鮮やかな花々が咲き誇る、巨大な鉢植えだった。
二抱えもある楕円の白い鉢には、向かい合う二羽の青い鳥が華やかに描かれ、お祝いにふさわしく、紅いリボンがかけられている。
「……貴様の山の花か?」
タナトスは、うさんくさそうに鼻にしわを寄せ、弟を見た。
「そうだよ。山の環境を忠実に魔法で再現しているから、ずっと咲くはずだ。
色々考えたが、これが一番かなと。幸せを根付かせるという意味でね」
「ふん……」
ジルを思い起こさせる花……これもまた、弟の当てこすりなのかも知れないが、そばにいる新妻に配慮し、彼は口に出さなかった。
「おお、何と
かように見事な花を咲かすとは、さぞかし、地味豊かな土壌であろうな!」
何も知らないケテルは素直に感動し、鉢の土に指を差込むと、ぺろりとなめた。
「……うむ、希少なる微量元素も、様々含まれておる。
かたじけない、二人共。丹精込めて育てるゆえ」
うやうやしく、“黯黒の眸”は頭を下げる。
魔界王の思いはともかく、弟王子は、他意がなさそうな笑みを浮かべていた。
「気に入ってくれてうれしいよ。この花より、お前の方が遥かに美しいけれどね。
ともかく、無事、今日を迎えられてよかった、本当におめでとう」
「そーそ。衣装もすっげー似合ってるぜ! オレから見てもうっとりだ!」
ダイアデムは、これから王妃となる兄弟の、
「ああ、これは我がためにと、皆が作ってくれたそうでな、何ともありがたくて……」
ケテルの眼に、うっすら涙が浮かぶ。
魔界の王妃にふさわしく
「おいおい、今から泣いててどうすんだよ」
ダイアデムはハンカチを取り出す。
「す、済まぬ……」
兄弟が涙をふいている間に、“焔の眸”の化身は、どこか浮かぬ顔で椅子に座り込んでいる魔界王に視線を向けた。
「ところで、タナトス。せっかくの結婚式だってのに、さっきから、何、げっそりしてんだ?
いつもなら、もっと元気っつうか、バタバタしてんだろーによ」
すると、すかさず、サマエルが口を挟んだ。
「一月以上もインキュバスの王子に可愛がられていたら、やつれるのも無理ないさ」
「え、可愛がられ……こいつが、ケテルにぃ?」
眼を丸くし、ダイアデムはタナトスを指差す。
「き、貴様、どうしてそれを! また蛇に覗きでもさせたのか!?」
魔界王は真っ赤になり、ばっと立ち上がった。
「まさか。そこまで趣味は悪くないよ。簡単に想像はつくさ。
ケテルは男として育って来て、すでに女性を知っていても不思議ではない年頃……さらに、彼の時代、男の
「も、もう黙れ、それ以上言うな!」
魔界の王は、弟の
「は~ん、ご
紅毛の少年は、楽しげに、からかいの言葉を投げる。
「き、貴様ー!」
青筋を立てる彼に、サマエルは追い討ちをかけた。
「だから言ったろう、最初のときは私も一緒にと。
お前を慣らしてやれるかと思ったのに、人の好意を無にするものだから」
「く、貴様、知っていたなら、あのとき、なぜ教えなかった……」
抗議するタナトスの声が弱々しくなると、サマエルはにんまりした。
「何を言う、まったく聞く耳を持たなかったくせに。
まあ、楽しくやりたまえよ。というか、嫌なら拒否すればいいだろう?」
「う、うるさいわ!」
「ふふ、他の化身、ニュクスやテネブレはどうなのだろうね、楽しみだな?」
「何ぃ!」
しつこい弟の顔を殴りそうになったそのとき、うるんだ瞳で、ケテルが問いかけて来た。
「タナトス。我と同衾するのは嫌なのか?」
「そ、そうではない、のだが……」
今までもうまく言えずに来たために、タナトスは口ごもる。
ダイアデムは、にやっとした。
「違ぇえよ、慣れてねーだけ。気にせずよ~く仕込んでやれよ、ケテル」
「たわけ、余計なことを吹き込むな!」
タナトスは頭から湯気を出して怒鳴る。
ケテルは眼を伏せた。
「懸念は、それのみにあらず。
実のところ、我はまだ思い迷うておる……我のような
「まだ気にしてんのか? もう誰も、文句言ってこねーんだろが」
「そうだよ。私は夢は見せたが、思考の押しつけはしていない。
皆、自由な意思の下でお前を許すことにしたのだよ、それは保障するから」
サマエルも優しく口を添えた。
「されど、我は……王家に
それでも自信なさげに、ケテルは首を横に振る。
「だったら、アイシスはどうすんだよ、こいつらの母親は。
もう昔とは、考えも変わってんだぜ……あ、シンハがお前と話したいって」
紅毛の少年の姿が輝き始める。
代わって現れた黄金のライオンは、ひたと“黯黒の眸”の化身を見つめ、きっぱりと言った。
『ケテル……アイン・ソフ・オウルよ、ようく聞け。汝は魔界王の子である。
何となれば、純血な魔族であるがゆえに、匂いで判別できるのだ。
王も愚かよ。我に一言尋ねておれば、悲劇に見舞われずに済んだものを』
「ええっ! で、では、我は……!?」
ケテルの体は、がくがくと震え出した。
『左様、汝の母の言葉は真実。かてて加えて、汝は父親を手にかけてはおらぬ』
「何っ、ま、まことか、それは!?」
震えは一瞬で止まり、ケテルは勢いよく身を乗り出す。
重々しく、シンハはうなずいた。
『無意識に汝は力を抜いたのであろう、かの折、王は死には至らず、数千年後に寿命を迎え、汝への謝罪の言葉を繰り返し、他界していったわ。
今まで伝えられず申し訳なかったが、汝は幾年も禁呪の間にこもっており、その後も、我が話には耳を傾けず、なおかつ、行方知れずにもなりしゆえ』
「おお……わ、我は父上の子で……ち、父上はご存命……我は父上を……ああ、タナトス!」
瞳から喜びの涙をあふれさせ、ケテルは、夫となる魔界王の胸に飛び込んだ。
タナトスは、妻をきつく抱き締めた。
「よかったな、ケテル。これでもう、お前の心には何の曇りもあるまい」
「タナトス……!」
しゃくり上げる兄弟に向けて、シンハはさらに続けた。
『
それゆえ、いかなる憎悪も
「ああ、ああ、ああ……!」
“黯黒の眸”は、ただ泣きじゃくるだけだった。
幾つもの美しい貴石が、床に転がり落ちてゆく。
感動的な情景を後に、サマエルは一人、静かに部屋を出て行こうとしていた。
それに気づいたライオンの体が輝き、少年の姿に戻る。
「おい、サマエル、どこに行くんだよ?」
「あいさつも済んだし、私はこれで帰るよ。お前はゆっくりしておいで」
「え、もうすぐ式も始まるんだし、今日一日くらい、いいだろ?」
「そのつもりでいたのだけれど、城内を歩くうちに、気分が悪くなって来てね……。
汎魔殿には一切、いい思い出がない。
それどころか、あそこでは……ここではと……嫌な記憶ばかりが蘇って来て、吐き気さえするほどだ……。
私がまた狂ってしまったら、迷惑の極みだろう?」
悲しげに、サマエルは首を横に振った。
「だ、だって……」
思わずダイアデムも涙ぐみ、まだ泣いているケテルとサマエルを見比べた。
「だから、お前だけ列席すればいい、後で様子を聞くから、ね?」
「い、嫌だ、離れたくない! 二度と、お前に会えなくなっちまいそうな気がするんだ!」
紅毛の少年は、ひしとサマエルにしがみついた。
「そう……済まないね。
タナトス、ケテル、私達はもう帰るよ。申し訳ない、せっかくのおめでたい式に、出られなくて……」
妻を抱き留め、サマエルは頭を下げた。
「ま、待ってくれ!
我が方からも贈り物があるのだ、それを見れば、サマエルの気も変わるに相違ない!」
涙をふく間も惜しんで、ケテルが扉の前に立ちふさがり、両手を広げたまさにそのとき、ドアがノックされた。
「タナトス様、ケテル様、遅くなりました」
「ああ、待ちかねたぞ」
指を鳴らし、タナトスは扉を開けてやる。
「失礼致します」
山のような荷物を乗せた籠を、魔法で従えて入って来たのは、エッカルトだった。
以前、王に斬られた傷も完全に癒え、その肩には、紫色の蛇が乗っている。
元々あのときタナトスは、魔法医を殺すつもりはなく、腹立ち紛れに一太刀浴びせただけだったのだ。
「申し訳ございませぬ。縫い子が、どうしても最後の点検をと」
「間に合ったからよしとしてやる。
さあ、受け取れ、お前達のために作らせたものだ」
魔界の王は、弟夫婦に向かって手を振る。
「ささ、お納め下さいませ」
うやうやしく差し出された、籠に入った物……それは、五着の真っ赤な衣装だった。
「エッカルト……これは一体?」
魔法医の代わりに、タナトスがしたり顔で答える。
「サマエル、いい思い出がないと言ったな。ならば今から俺が作ってやる。
“焔の眸”との婚礼だ。これ以上のいい思い出はなかろう、どうだ!」
「な、何を言い出すのだ、タナトス!?」
サマエルは、珍しくも驚きを
「本日これから、俺達と貴様らの婚礼の儀を
これは魔界王としての命令だ、異議は認めん!」
言うなりタナトスは指を鳴らし、強制的に、二人の衣服を籠の中身と取り替えた。
第二王子は唇を噛んだ。
「茶番だな、まったく。帰らせてもらうよ」
素晴らしい出来栄えの衣装を脱ぐ手間すらもかけず、サマエルは扉に向かう。
おうよう【鷹揚】
《鷹(たか)が悠然と空を飛ぶように》
小さなことにこだわらずゆったりとしているさま。おっとりとして上品なさま。
なんとなれば【何となれば】
《「なにとなれば」の音変化》前述の事柄を受けて、その原因・理由の説明を導く。なぜならば。
あまつさえ【剰え】
[1] そればかりか。そのうえに。
[2] 事もあろうに。あろうことか。