~紅龍の夢~

巻の六 THE BRIDE OF DEATH ─死の花嫁─

16.処刑場の貴石(4)

生あるうちには得られなかった第二形態を手に入れ、“黯黒の眸”の化身となったケテルは、その力で、薄い紙でも破るかのようにやすやすと結界を破り、自由を手に入れた。
そして、自分を死に追いやった憎い三人に次々と襲いかかり、その生首を手土産に、玉座の間へと(おもむ)いた。

警備の兵士達をたやすく打ち倒し、巨大な広間にずかずかと入っていく。
煌びやかな玉座に腰かけた人影に、彼は声をかけた。
「魔界王陛下にはご機嫌(うるわ)しく! 拝顔(はいがん)(えい)に浴しまするは、すでに死人(しびと)たる者!」
その声は、薄気味悪く、不吉な響きを帯びていた。

「何奴じゃ、名乗れ! 無礼であろう!」
ケテルとは気づかず、魔界王は彼に指を突きつけた。
光の王子と(たた)えられた面影は完全に消え去り、彼の外見は、声同様、生前とは似ても似つかない、不気味なものへと変容してしまっていたのだ。

「……我を知らぬと? (しか)らば、これなる者どもをご高覧(こうらん)頂きましょうか!」
言うなり彼は、手にしていた生首を放り投げた。
三つの首はごろごろと転がり、玉座の周囲を血まみれにした。
「何じゃ!?」
思わず王は立ち上がる。

「よくご覧になるのですな、ご存知の面々のはずですぞ」
言いながら、ケテルはさらに歩を進める。
恨みを呑んで白目を()いた三人の首……それらをまじまじと見ていた王は、はっと息を呑んだ。
「やや、この者達は……!」

「そやつらが、我を殺したのでございますよ」
「何!?」
王は顔を上げ、近づいていく彼の金眼銀眼……そのときはまだ、眼窩(がんか)に収まっていた……に気づくと、顔色を変えた。
「そ、そちは……もしや、ケテルなのか!?」

「お久しゅうございます、魔界王陛下」
彼は、返り血で真紅に染まった凄惨(せいさん)な顔に笑みを浮かべ、胸に手を当てお辞儀をした。
「くく、さぞや驚かれておいででしょうな。
殺害を命じ、すでにこの世の者でなくなったはずの我が、こうして目の前におるのですから」

「な、何じゃと、そちを殺害!? わ、わしは左様な命など、出した覚えはないぞ!?
そもそも、そちは何ゆえ……さながら暗黒の化身でもあるかのごとき、不祥(ふしょう)なる風姿(ふうし)に……!?」
王は声を上ずらせ、後ずさる。
「この()に及んで、逃げ口上とは」
ケテルの眼差しは冷ややかだった。

「め、女神に誓うて、まことの話じゃ!
わしは、たしかにそちを、密かに魔封じの塔へ連れ出せと命じた。
されど、今日とて、訳も分からず封ぜられたそちが、食事も喉を通らぬようになったと聞かされ、医師を手配するよう、申しつけたばかりなのじゃぞ!
そ、それを、息の根を止めよなどと命じるわけがない!」
魔界王は、彼の視線を真正面から捉え、懸命に訴える。
その真剣な表情に、偽りがあるとも思えない。

不意にケテルは、貴石の言葉を思い出した。
「ふむ……“黯黒の眸”は、王が(たばか)られておると申しておりましたな。
讒言(ざんげん)にて我が生命を絶たせ、王を傀儡(くぐつ)()す、などと……」
「何じゃと!?」
みるみる王は青ざめ、三つの首へ向けて手を振った。
「こ、この者どもが、わしの言いつけをよいことに、左様な(くわだ)てを!?
して、“黯黒の眸”が、そちを救ったと申すか」

ケテルは眼を伏せた。
「陛下……我が肉体はすでに、冷たき(むくろ)と化しておりまする。
そうして、これは……我が望みし第二形態……生きて成長しておれば得ることが出来たやも知れぬ姿、なのでございますよ……」
震える指で、彼は自分を示す。
魔界王は、気が遠くなりそうな眼をした。
「な、何……そちは、もはや死しておるじゃと……!?」

「……御意。食事も水も与えられず、看取る者もなく息絶えましてございます。
今や我は、“黯黒の眸”の化身に成り果て……もはや、生きておるとは申せませぬ……」
彼はうなだれた。金と銀との瞳が、抑えようもなくうるんでいく。
「おお……おお、これは何としたこと……ケテルよ、()びの言葉もない……。
じゃが、女神にかけて、わしは、そちを殺そうなどと……」
王も涙ながらに、彼に手を差し伸べた。
迷いつつも、ケテルがその手を取ろうとしたとき、玉座の間に、一人の青年が飛び込んで来た。

「父上、ご無事で!? 警備の兵士達が殺されておりますぞ!
おのれ、何奴!? 陛下から離れよ!」
はっと振り向くケテルの視界の隅に、王がばつが悪そうな顔をしているのが映った。
「……陛下。あの者は何ゆえ、父上などと……?」
彼は、疑惑に満ちた眼差しを王に向けた。

すると、魔界の君主は、渋々話し始めた。
「……あれは……そちの、異母兄なのじゃよ、ケテル。名はフェガリ」
「えっ、異母兄!?」
「そちの母を……妃を(めと)る前、わしは、ある娘と恋に落ちた。
子まで()したが、身分が違い過ぎたのじゃ……わしの縁談が持ち上がると、娘は黙して身を引き、姿を消した。
それが、最近になり、フェガリが現れた……母親が死の間際に書いたという手紙を持ち……それゆえ、わしは……」

「男か女か、おのれの子かさえも分からぬ者などより、自分の子と確証が持てる者を次期の王に、と?
……なるほど、それがために、我を幽閉したのか……」
ケテルの目つきは、入って来たときよりも険しくなっていた。
「致し方なかったのじゃ……。
なぜなら、ケテルよ……わしに昔、女と子までおったと知ると、そちの母はな……、あろうことか、腹いせに不貞を働きおったのじゃ……。
ゆえに、ソノアは、わしの血を引かぬと、妃は白状致した……」

「えええっ!?」
ケテルは、殴られたようにのけぞった。
「ま、まことなのでございますか、それは!? こともあろうに、母上が、ふ、不貞……!?
は、母上は何処(いずこ)におられます、直に聞かねば、左様なこと、到底信じられませぬ!」
必死の思いで詰め寄るが、王の答えはさらに彼を驚愕させた。

「もはや遅い……そちの母は、わしがこの手で成敗(せいばい)致した。表向きは病死と致したがな。
前の女とは手が切れた上で迎え、王妃にふさわしき待遇を心がけて参ったと申すに、この裏切り……許せるわけがなかろう」
「……母上を、成敗……!? そ、そんな……」
とうとう、ケテルは、立っていることも出来なくなり、がくりと膝を折った。

「父上! こ、この有様は一体……!?」
その間に駆け寄って来た青年は、血まみれの惨状に声を上げる。
「おう、フェガリ。
話せば長くなるのじゃが、まずは、これがケテル……そちの弟“だった”者じゃ……」
「えっ、で、でも、前に見た彼とは全然違いますが……?」
青年は眼を見開いた。
その瞳は、左右揃って父親似の鮮紅色であり、顔形もまた王に似通っている……それを知った瞬間、ケテルの心の中に、どす黒い感情が噴き出して来た。

「くうぅ……! 貴様のせいだ、何もかも!」
想像もしていなかった話の連続、そして、突然の異母兄の登場に、ケテルの理性はついに吹き飛んだ。
三人をずたずたに引き裂いた鋭い爪を、フェガリの心臓目がけ、思い切り突き出す。
「──死ね!」

手ごたえはあった。
だが。
「ち、父上……!?」
彼の爪が貫いていたのは、憎悪の対象である異母兄ではなく、その楯となった魔界王の胸だった。

「す、済まぬ、許せ、ケテル……憎むならば、わしを憎め……兄に、罪はない……フェ、ガリまでもが、し、死ねば、お、王家の血は、絶えてしまう……。
妃は……ただ一度の、過ちゆえ、そちは、わしの子だと、申した……。
そ、それを、信じておれば……いや、妃を……許して、やってさえ、おれば……そちも……死なさずに、済んだ、のじゃな……。
ああ……わしは……何と……愚かであった、ことか……!」

後悔の言葉を残し、魔界の君主は彼の腕に倒れ込んだ。
「うわあああ、父上、父上!」
ケテルは王の体を抱きかかえ、泣き叫ぶ。
「何てことを! 父上、しっかりなさって下さい!」
「触るな!」
彼は、王にすがろうとするフェガリの手を振り払い、睨みつけた。

「ケテル、落ち着け、早く傷を治さねば、お命に関わる!」
「黙れ、その名で呼ぶな! 我は、もはやケテルではない、闇の化身、そう、テネブレだ!
あああ……もはや何も見たくない、その顔も、その眼も、父上が亡くなるところも……!
──うわあああ!」
ケテルは、王の血に濡れた爪で、自分の眼球を双方共、えぐって捨てた。
空洞となった眼窩(がんか)から流れ出る血は、紅い涙のように王の体へ滴る。

熱い涙が顔にかかり、タナトスは我に返った。
ずいぶん長い時間が経ったように感じたが、実際は、ほんの数分ほどだった。
「憎い……憎い……憎い……! おぬしは、あの、にっくき兄の子孫!
あやつさえ現れなんだら、我も母も、いや、両親共、平和に……!」
彼の首を締めつけながら、テネブレは、ぽろぽろと涙をこぼしていた。
それらは、タナトスの頬を伝って地面に滴り落ち、黒い石へと変わってゆく。

(今のは、ケテルの過去か……。
父を殺し……腹違いの兄までいるとは……サマエルにそっくりではないか)
タナトスがそう思ったとき、彼の心を読んだように、テネブレが言った。
「我の生き様が、おぬしの弟に似ておるのではないわ。
ルキフェルの方が、我の人生になぞらえて生きるを強制されたのであろうよ」
「な、に……誰、に、だ……」
彼は必死に、声を絞り出す。

「アナテ女神に決まっておろう。長き時に渡り、女神は、紅龍となり得る者を待っておった。
我が適格者と判明致したときには、死が迫り……。
その後、要石に条件を記してみても資格者は現れず……それも無理はあるまい、紅龍の過酷な運命を思えば、な。
いたずらに時は移り、女神はついに(ごう)を煮やしたのだ、ケテルという雛型(ひながた)をなぞった人生を歩ませれば、必ずや紅龍が出現するであろうと。
……まあ、これは我の推論に過ぎぬが」

「先ほど、憎いと、言ったな……俺を、好いては、くれん、のか……俺が、これほど、お前を……」
「おぬしが我に惹かれるのは、生き様が弟に似ておるゆえ。それだけのことであろう」
「違う!」
タナトスは声を振り絞り、否定した。

彼を見返す闇の化身は、この上もなく悲しげだった。
「のう、サタナエルよ。おぬしの息が止まりし後、口づけてもよかろうか……。
命あるうちには、かようにおぞましき者に唇を奪われるなぞ、さぞかし身の毛が弥立(よだ)つであろう、それゆえ、死した後でよい……ただ一度のみだ、それ以上は望まぬ……」

「な、何を言う、俺は、お前を……」
言いかけた刹那、タナトスは思いついた。
この化身に、首を絞めるのをやめさせ、()いては、二人で共に生きていく気にさせることが出来る方法を。

はいがん【拝顔】

人に会うことをへりくだっていう語。お目にかかること。拝眉。

しからば【然らば】

[1] 前述の事柄を仮定した場合に生ずる事柄を後述する。多く文章に使う。もしそうならば。それなら。

こうらん【高覧】

相手を敬って、その人が見ることをいう語。

ふしょう【不祥】

[1] めでたくないこと。縁起が悪いこと。また、そのさま。不吉。
[2] 運の悪いこと。不運。不幸。