15.光の紅龍(2)
サマエルは、サイドテーブルに二つ目の石を置き、黒髪の少年をベッドに降ろした。
「あの……?」
きょとんと見上げる化身に、夢魔の王子は、白い歯を見せて微笑みかける。
「インキュバスの私に、たった一回で終わりにしろとは
「ああ、サマエル……!」
ゼーンは彼にしがみつき、二人はベッドに倒れ込んだ。
フェレスとのことを踏まえて手加減するつもりだった彼も、化身の情熱にほだされる形で、またもや、休みなしの四日間が経ってしまった。
サマエルの腕の中で、ゼーンはほとんど失神に近い形で眠りについた。
「……やれやれ、我ながら進歩がないな」
ため息混じりに言いつつも、彼は、喜びを隠し切れず笑みを浮かべ、幸せな気分で横になった。
頬に当たる涼しい風に、目覚めたときは夜だった。
脇を見ると、黒髪の少年はいない。
「ゼーン? また外かな」
サマエルはガウンを羽織り、バルコニーへ向かう。
揺れるカーテンの向こうにいたのは、一人の少年……ただし、その髪は黒ではなく、燃え上がるような紅をしていた。
「悪かったな、ゼーンじゃなくて」
腰掛けていた手すりから飛び降り、少年は腕組みをした。
月のない夜、瞳に宿る炎が一際明るく輝いている。
サマエルは、ぎくりと足を止めた。
「ダイアデム……いや、私はただ……」
「ゼーンもフェレスも、まだ寝てるぜ、生憎と」
「そ、そう……」
予想もしていない事態に、どぎまぎしてサマエルは答え、歩み寄ろうとして思い留まる。
「来て見ろよ、星が綺麗だぜ」
だが、意外にも、ダイアデムは彼を手招いた。
「え、いいのかい?」
恐る恐る近寄ったサマエルは、思わず感嘆の声を上げた。
「本当だ、なんて美しい……!」
二人の頭上には、無数に
「ああ……降るような星空とは、こういうことを言うのだね。
ここしばらく、夜空など、ゆっくり眺める余裕もなかったから、心に染みるようだ……」
感慨に浸る彼の背中に、少年がしがみついて来たのは、そのときだった。
「生きててよかったろ、サマエル。
星とか空とか見れんのも、風を感じれんのも、水で遊べんのだってよ、生きてればこそなんだぜ」
「お前に触ることが出来るのも、だね」
彼はそっと、ダイアデムの手を握る。
「喜びを感じんのも、だろ?」
握り返して来るその手に同意を感じ取って、サマエルは化身を抱き上げた。
「ああ、ダイアデム……!」
「お前、マジに男でもよかったんだな……」
紅毛の少年はささやく。
紅い瞳の中で、黄金の炎が
「先にゼーンを相手にしたことなら謝……」
言いかけるサマエルの唇に人差し指を当て、ダイアデムは黙らせた。
「それはいい。お前の相手は女じゃなきゃって思い込んで、勝手に、オレが一人で辛くなってただけなんだから。
フェレスに譲って、ずっと引っ込んでようかとも思ったけど、やっぱ無理……。
でも、出て来たら来たで、お前に触られたり、キスされると辛くてさ……。
それ以上のことなんか、してくれるわけねーって思って……」
「そうだったのか。でも、それはお前の思い違いだよ。
私はてっきり、お前の方が私を嫌っているのだと思っていた……」
「ああ、勘違いさせるようなことした、オレが悪りーんだよな。
ゼーンみたく、思い切ってぶつかっていきゃよかったんだ。
けど、怖くて……だって、いつも逃げてばっかだったし、今さら何だって言われそうでさ……」
うなだれる紅毛の少年を心底愛しく思い、サマエルは、紅サンゴ色をした唇に口づけた。
ダイアデムは、初めて抵抗せずにそれを受け入れた。
さらには、みずから進んで、彼の背中に手を回しさえしたのだ。
サマエルは唐突に悟った。
(ああ……ダイアデムはこんなに私を好いていてくれたのに、私自身の心……考え方や行動が、彼を遠ざけていたのだな)
“そりゃそうさ。死ぬことばっか考えてるヤツに、誰が寄りつくもんか。
ンなヤローに本気で
ま、その大バカが、ここにいるんだけどよ”
少年は、彼と唇を合わせたまま、その手に力を込める。
“ありがとう……信じておくれ、私はもう、死ぬのはやめたから。
そして、私の一番はお前だよ、ダイアデム”
“ああ、信じてやるよ”
ひとしきり愛し合った後で、サマエルは、再び化身をベッドまで運んだ。
その後のダイアデムは、今までのよそよそしさが嘘のように彼を放さず、四日どころか五日が経ってしまった。
途中でペースを落とそうとした夢魔の王子も、ゼーン以上に激しいこの化身の熱情に押し切られた……というのは表面上で、実際は彼自身も、ダイアデムを手放すことが出来なかったのだった。
意識を失った化身を、
「……おや? 石が増えている、いつの間に」
横に並ぶ二つよりも一回り大きな、三番目の貴石を彼は手に取った。
おそらくダイアデムが創り出し、こっそり置いたものなのだろう、紅い光輝を発する石の内部には、様々な色合いが、爆発するかのように躍動していた。
「……直接渡してくれたらよかったのに」
サマエルはつぶやくが、同時に、彼らしいとも思って微笑んだ。
口は達者だが、意外に照れ屋なのだ、彼は。
「それにしてもすごいな、まるで太陽のフレアのようだ。
見ていると熱気さえ感じられる……なのに、触ると冷たい。
不思議な石だ……ファイア・オパールに近いようだが」
たぎる熱情、ほとばしる情熱……烈火の炎で生成された、まさしく激情の石……“愛こそがすべてを変える”という言葉を具現化したような。
それは見る者の心身に、あふれ出す活力と、無限の高揚感を同時に与える、神秘的な宝玉だった。
「これは、全身全霊をかけ、彼が私を愛してくれているという証……。
私も愛そう、“焔の眸”よ……お前は私を、私自身の王国の王としてくれる……自分こそが、自身の人生の主役だと……」
サマエルは貴石に口づけて元に戻し、もう一度ダイアデムにキスしてから、一眠りしようと横になった。
次に眼が覚めたときは昼間で、少年はまだ隣で眠り続けていた。
タィフィンに魔法で運ばせた軽食を摂る間も、食事の盆を厨房へ送り返してからも、化身はまったく動かず、覚醒する兆しもない。
(私が眠っていたときも、彼は、こんな思いを抱いていたのだろうか……)
王子が、後悔と淋しさを感じ始めていたとき。
「好きだぁ、サマエル……」
声が聞こえ、急いでベッドを覗き込むも、少年は眠ったままだった。
「ダイアデム、私もだよ」
手を取り耳元でささやくと、化身はにっこりして手を握り返すものの、目覚めには至らず、力が抜けて指が滑り落ちてゆく。
前の二人よりも無理をさせてしまったこともあり、起きるのは当分先だろうと考えたサマエルは、ふと、久々に入浴して時間を潰そうと思い立った。
体は魔法で簡単に清潔に出来るし、彼もここ数週間、そうして来た。
しかし、本物志向の魔界の王族達にとって、食事同様、魔法を使わず直接体を洗うというのは、最高の贅沢なのだった。
黄金製の獅子の口から勢いよく流れ落ちる温泉、もうもうと上がる湯気、独特の匂い……泳げるほど大きな岩風呂にたった一人、サマエルは大きく息を吐く。
「ふうー。本当に久しぶりだな、風呂なんて……」
彼は手を一振りし、壁を透明にした。
折しも夕日が沈んだところだった。浴室が闇に沈んでいき、星々が瞬き始める。
灯りをつけようか、今のままが風流でいいかと迷っていたとき、不意に室内が明るくなった。
壁に映る巨大な影に振り返ると、扉近くに一頭のライオンがたたずんでいた。
「シンハ!?」
『
厳粛な
湯気に煙る黄金の毛並み、たてがみは浴室に充満する湿気にも負けず、常と変わらぬ勢いで燃え盛っている。
「構わないよ、ぼうっとしていただけだから」
サマエルは両手を広げ、歓迎の意を表した。
音もなくそばに来たライオンの鼻に、彼はキスして尋ねた。
「どうしたのだい、わざわざ。たてがみに、もし
『心配無用。我が炎は、水中にても消えはせぬ』
「そう。入浴したことがあるのだね?」
『いや』
否定の仕草と共に火の粉が湯に飛び、弾けた。
「なら、せっかく来たのだし、洗ってあげようか。
気持ちがいいよ。石けんを使うと、いい匂いもするし」
『ならば、頼むとしよう』
シンハは重々しく同意する。
一通り洗い流した後、サマエルは言ってみた。
「お湯にも入ってみるかい?」
『それもよかろう』
ライオンは、後ろ足から、しずしずと温泉に巨体を沈める。
その様子を微笑ましく見ながら、彼は
「どう? 初めて入浴した気分は」
シンハは首をかしげ、少し考えてから口を開いた。
『ふむ、熱いものだな。湯の動きで毛が揺れるのが、何ともこそばゆい』
「ふふ、そう?」
サマエルは、湯面に映り揺らぐ炎に魅せられ、金色の海草のように波打つ、豪華な毛並みに指を
ライオンは背中をもぞもぞさせ、そそくさと風呂から出てしまった。
「あ、済まない……」
『汝のせいではない、熱さのゆえだ。
「ああ、では」
サマエルが湯から上がると、ライオンは前足で器用に石けんを泡立て、彼の体を洗浄し始めた。
「あッ、く、くすぐったい、やめ……」
柔らかな肉球で、体中をなで回されて、彼は身をよじった。
しかし、シンハは、猫がじゃれるように、逃れようとする彼を
「そ、そこは駄目、あッ、そ、そんな風に……ああッ、シンハ、そんな半端は嫌……。
いっそ、抱いて、あ……」
我知らず口をついて出た言葉に、王子は真っ赤になり、ともかく体の火照りを冷まそうと、浴室の端にある冷たい風呂へ飛び込んだ。
のぼせ防止用に湧き水を引き、円形にしつらえたそこは、さほど広くはないが、満々と水を
(恥ずかしいことを口走ってしまった……)
彼が、まだ熱い頬を押さえ水面を見上げたとき、水が激しく揺れ、
シンハが頭を突っ込み、彼の腕をくわえたのだ。
“ルキフェル、
だしぬけに冷水に浸かると、心の臓が止まるやも知れぬぞ”
“平気だよ、私は蛇だから。昔、人界へ来たばかりの頃、
でも、お前は本当に水も平気なのだね。
水中の花火のように、ぱちぱち、しゅうしゅうすごいことになって……”
“左様なことより、
引き上げられるままに水面へ出ると、彼は髪の雫を払い、ライオンを睨む真似をした。
「シンハ。こうなったら、責任を取ってもらうよ」
フレア【flare】
2 太陽の彩層の一部で爆発によって起こる閃光現象。
電波・X線・紫外線の増加や強い太陽風を発し、地球の大気上層や地磁気の攪乱(かくらん)を起こす原因となる。
【思索】
論理的に筋道を立てて考えること。思惟(しい)。
*オパールの宝石言葉
「歓喜」「安楽」「忍耐」「幸福を得る」。(安楽と忍耐なんて、正反対みたいですが)