~紅龍の夢~

巻の六 THE BRIDE OF DEATH ─死の花嫁─

14.究竟(くきょう)の光(4)

「誰が何と言おうと、お前を諦める気はないぞ!
もう、俺は決めたのだ、必ず妃にするからな!」
身体は拘束されても、心の自由までは奪われまいと、タナトスは声を張り上げる。
ケテルは、ため息をついた。
「……おぬしは、そうまで我に執着するか。よんどころない、蛇よ、あれを創るとしよう」

蛇はうなずいた。
『えっかると、王ノ髪ヲ一本取レ。てねぶれノ処刑ノ段取リヲツケルタメ、複製ヲ創ルノダ』
詮方(せんかた)あるまい……タナトス様、たびたびご無礼の段、平にご容赦」
エッカルトは、気の進まない様子で結界に手を差し入れ、君主の黒髪を抜き取った。

「ふ、ふざけるな、貴様ら! 大人しくしておれば、たわけたことを!
今すぐ俺を解放しろ! いや、こんな(いまし)めごとき、引き千切ってくれるわ!」
言うが早いかタナトスは、拘束を解こうと腕に力を込め始めた。
筋肉が盛り上がり、額に青筋が立つ。

しかし、いくら力を入れても、蛇は平然としのいでいた。
「く、くそ、なぜだ! さ、っきは、今にも、千切れ、そうだった、というのに……!」
タナトスの息が上がって来ても、細長い体はびくともしない。
それどころか、蛇の胴体は、紫に輝きながら徐々に太さを増し、縛る力も強くなっていくようだった。

『ソレハ、コレガ我が本体……さまえるノ寝台ダカラダ』
蛇は答えた。
「何、どういうことだ!」
『コノ寝台ニハ、本体ノ悲シミヤ苦悩、ソシテ、オ前ニ対スル複雑ナ思イガ、今モ残留思念トシテ、強ク残ッテイル。
ソレガ、オ前ヲ縛リ、カツ、我ニモ、力ヲ与エテイルノダ』
「サ、サマエルの思念だと……くそっ!」
タナトスは、歯を食いしばる。

「……サタナエル。我が消えても女は残る。豹もな。
それで足りねば、何か別の……左様、おぬし好みの新しき化身を、創れば済むことではないか」
ケテルは、淋しげな微笑を浮かべた。

「お前、それでいいのか!」
「……我は、おのれの罪を(あがな)わねば……。
有体(ありてい)に申せば、無論、生き続けて……いや、もはや生きておらぬ身ではあるが、それでも、
おぬしと共におることを望んではいたよ。
されど、許されまい……左様なことは」
化身はうなだれた。

「諦めるな、俺が必ず……!」
身をよじり、縛めから抜け出そうともがきながら、タナトスは叫ぶ。
「いや、テネブレがいる限り、我に対する魔族達の恨みつらみは消えず、その念により、またもや我は、闇の化身へと変じてしまうだろう、今までもそうであったように……。
強い恨みと憎しみを持つ者の念、その誘惑はいかんともし難く……我はテネブレを抑えられぬ……ああ」
ケテルは頭を抱えた。

「だから、簡単に諦めるな!」
「サタナエル、要石の間に封じられていた折、おぬしが会いに来てくれるたび、心が弾んだよ。
封印を解かれ、さらに新しき姿と名をも与えられ、天にも昇る心持ちだった……。
おぬしが我を遠ざけるようになったときには……ああ、しくじってしまったかと……深き奈落の底に突き落とされしごとく……わらにもすがる思いで、“焔の眸”に、いかが致せばよいか尋ねた……。
おぬしが、我を好いていると知らされしときにも、安易には信じられず……永久(とわ)に闇中で過ごそうと心に決め、みずから地下迷宮へと……。
その後、おぬし自身が迎えに来てくれ、妃にと……夢見心地でそれを聞いたというに……!」

両膝を抱え、ケテルは肩を震わせた。
食いしばった歯の間から嗚咽(おえつ)が漏れ、見る間に、床が輝く貴石で覆われていく。
「ケテル、泣くな。済まなかった。あのときは、自分でもおのれの気持ちがよく分からなかったのだ」
タナトスは暴れるのをやめ、優しく声をかけた。

「……相済まぬ。おぬしは悪くない」
化身は手の甲で涙をぬぐった。
「我が表に出て、話をするのは久方ぶり……いや、肉体が滅んでのち、初めてのことやも知れぬ。
それゆえ、感情の制御もよう出来ぬ……女々(めめ)しき者よと(さげす)まれるも、詮方(せんかた)なきこと……」

「軽蔑などはせん、それこそ仕方がないことだ。何があろうと、俺がお前を守ってや……」
「──蛇よ、サタナエルを眠らせよ!」
突如、ケテルは耳に手を当て、叫んだ。
「その後、我をも眠らせれば、テネブレも眠りにつく!
さすれば、もはや妨げる者はなく、手はずは整えられよう!」

「な、何を言っている、俺の話を聞け、ケテル! 蛇、俺を眠らせたりしたら、承知せんぞ!」
タナトスは足をばたつかせるも、空しい努力だった。
『イイ考エダ。イツ結界ガ破ラレルカト、気ヲモム必要モナイ』
蛇は言い、その瞳が妖しい紅い光を帯びて輝くたびに、睡魔が襲いかかり、タナトスの意思とは裏腹に、動きも徐々に緩慢(かんまん)になっていく。

「く、くそぉっ! 俺は眠りたくなどない! サマエル! 貴様、この蛇を何とかしろ!」
自分で創り出したというのに、魔界王はそう叫び、眠りに落ちる寸前、思った。
(サマエル、“焔の眸”を破壊したあの時、こんな気持ちだったのか?
ああ……おのれの半身が引き千切られるようだ……!)

そうして、タナトスが完全に眠り込んでしまうと、蛇は縛めを解き、彼の枕元でとぐろを巻いた。
「……眠ったな。蛇よ、手数をかけた。
あとは、これをサタナエルに渡してくれぬか、我の形見として。
幻虹金剛石(げんこうこんごうせき)と名づけられし、この石を」
ケテルは、宝石と化した涙の中から、最も美しく大きい一粒を手に取り、差し出した。

「おう、何と美麗な石であろうか、例えようもない、この、虹色の輝き……」
受け取ったエッカルトは、あまりの美しさに、思わず灯りに透かし見た。
それから、君主の掌に滑り込ませる。
タナトスは眠ったまま微笑み、胎児のように体を丸めて、さらに深い眠りへと落ち込んでいった。

『チョウドイイ。アレヲ、オ前トたなとすノ夢ヲツナグ、媒体トシヨウ』
蛇は、舌をちょろちょろと動かした。
「……同じ夢を見させてくれるのか?」
『アア。短イ間ダガ、夢ノ中デ共ニ暮ラスガイイ』
「礼の言葉もない」
蛇に頭を下げたケテルは、魔法医に向き直った。
「準備には、いかほどの期間かかるだろうか」

「左様、おそらく、半月ほどもあれば……」
言いかけたエッカルトは、元王子と眼が合い、小さく咳払いした。
「……こほん。いや、一月は必要であろうかと」
「かたじけない、エッカルト。一月の間、おぬしの君主を借り受ける。
それから……我、すなわちテネブレが滅した後、王が創りし新しい化身……ニュクスとして、そばに(はべ)るのを許してもらえようか。
妃の位などいらぬ、召使いか使い魔でよいのだ……」
化身は、深々と頭を下げた。

(おもて)を上げなされ、ケテル。
自分は、そなたの処遇を云々(うんぬん)する立場にはない、すべては陛下がお決めなさることだ。
されど、ニュクスには含むところは何もない、陛下が妃にと所望(しょもう)なされるならば、喜んで仕えようと思うておるよ」
エッカルトは優しく微笑んだ。

「……ありがたい……」
かつての王子は、額を床にすりつけた。
「サタナエルが目覚めて、万が一おぬし達に怒りを向けても、我が……いや、ニュクスがきっと取り成し、決しておぬしらに罰など与えぬように致すゆえ、後顧(こうこ)(うれ)いなく、我が処刑の準備に(いそ)しんでもらいたい……」

「いやいや、仕置きなどなさらぬよ、このお方は。
それより、いつまでもそなたを裸でおくのも気の毒だ。
──ストーラ!」
エッカルトは魔法で、少年に服を着せた。
白いシャツ、濃紺の上着と七分丈のズボン、白いソックスに、革の短靴……王子にふさわししい、すべてがシルクで出来た豪華な衣装だった。
「こ、これは……!?」
化身は飛び起き、着衣に触れる。

「そなたの肖像画を見たのでな。たしか、かような服装であったと記憶して……」
「これは我が最も好んだ衣装……そして、死した折にも身につけておったものだ……」
化身は、はらはらと涙をこぼした。
「おお、それは済まぬ、別なものと取り替えよう」
魔法医は慌てて提案する。

ケテルは否定の仕草をした。
「いや、肉体が滅んだ(みぎり)の身なりにて、今度こそ、我は真の死を死ぬ……死に装束(しょうぞく)として、これ以上ふさわしき物はなかろう。
それから……ついでと申しては何だが、あと一つ、頼まれてはもらえまいか?」
「構わぬが、何かな?」
「実を申せば、我が亡骸(なきがら)は未だ(とむら)われず、幽室にあるのだよ」

「何と!?」
エッカルトは驚きのあまり、のけぞった。
「さ、されど、王室の墓地には、そなたの墓が……」
化身は微笑んだ。
「我に興味を持って、色々調べてくれていたようだな。
墓は空だ。我が死した場所を知る者はおらず、幽室も数世代の間、閉ざされておったゆえ」
「……遺体なしで葬儀を()り行ったか。反逆者に謀殺(ぼうさつ)された、との名目で」
エッカルトは、一人うなずく。
王家に伝わる古文書には、そう記してあったのだ。

「左様。我はと申せば、生への執着を断ち切ることが出来ず、肉体が腐りゆく様を、ただ眺めておったものだよ……。
嘔吐を催す腐臭が漂う中、うじが()き、どろどろに溶けていく我が身。
やがて、洗われたごとくに白き骨ばかりとなり、致し方なく幽室を後にした……。
もはや、すべてが(ちり)と化しておろうが、骨の一片なりと残っておれば、墓に収めてはもらえまいか?
無論、手が空いたときでよいが」

「必ずや、そなたの遺骸(いがい)、埋葬致すと誓おう。
今は眠るがよい、王と共に。この蛇が、特上の夢を見せてくれよう」
エッカルトは、真摯(しんしな態度で答えた。
「かたじけない。おぬしらには、返す返すも厚く礼を述べねば」
化身は再び床に頭をつけた。
『ヨイ夢ヲ編モウ。我ガ眼ヲ見ヨ、けてる』
蛇の瞳がまたも紅く輝くと、ケテルの目蓋はゆっくりと閉じていった。

「さて……あとは複製を作らねばな」
魔法医は、手の中の髪に視線を落とした。
『婚礼モ一緒ニ、挙ゲテハドウカ?
我ハ王ノ怒リヲ買ッタ。千切ラレ、踏ミツケラレ、燃ヤサレルダロウ……。
最期ニ、美シイ物ヲ見テオキタイ……』
蛇は悲しげに言った。

「いや、タナトス様には、落ち着いて頂く時間が必要だ。
それに、無体なことはなさるまいよ」
エッカルトは、優しく蛇の頭をなでた。
蛇は小首をかしげる。
『ナゼ、我ナドニ慈悲深クスル?』
「長年医者をやっておると、いかにしても救えぬ命というのもあるゆえ、な」
魔法医は、結界の中で横たわる、かつての王子をちらりと見た。

『てねぶれヲ、憎ンデイルノデハナイノカ』
「それよ。憎悪(ぞうお)なぞ、自分には最も縁遠いものと思うておった。
先ほどの怒りも、陛下を心配するあまりだと。
されど、ケテルは、『憎しみに感応』したと申した。
生にも死にも執着するは愚かと思うが、自分も修行が足りぬと、つくづく思うてな……」
エッカルトは嘆息(たんそく)した。

ケテル(Kether、王冠を意味する)

「セフィロトの樹」の第1のセフィラ。思考や創造を司る。数字は1、色は白、宝石はダイアモンドを象徴する。

よんどころない【拠所無い/拠無い】

そうするよりしかたがない。やむをえない。

含むところがある

心の中に恨みや怒りをひそかにいだいている。
「含むところは何もない」は真逆の意味。

こうこ【後顧】

1 後ろを振り返って見ること。
2 あとあとを気遣うこと。

うれい【憂い/愁い/患い】

1 予測される悪い事態に対する心配・気づかい。うれえ。
2 嘆き悲しむこと。憂鬱(ゆううつ)で心が晴れないこと。うれえ。
◆1は「憂い」、2は「愁い」と書く。
また、中世以降「うれえ」に代わって「うれい」の語形が多く用いられるようになり、現在は「うれい」が一般的。

ぼうさつ【謀殺】

あらかじめ計画して人を殺すこと。