14.究竟 の光(4)
「誰が何と言おうと、お前を諦める気はないぞ!
もう、俺は決めたのだ、必ず妃にするからな!」
身体は拘束されても、心の自由までは奪われまいと、タナトスは声を張り上げる。
ケテルは、ため息をついた。
「……おぬしは、そうまで我に執着するか。よんどころない、蛇よ、あれを創るとしよう」
蛇はうなずいた。
『えっかると、王ノ髪ヲ一本取レ。てねぶれノ処刑ノ段取リヲツケルタメ、複製ヲ創ルノダ』
「
エッカルトは、気の進まない様子で結界に手を差し入れ、君主の黒髪を抜き取った。
「ふ、ふざけるな、貴様ら! 大人しくしておれば、たわけたことを!
今すぐ俺を解放しろ! いや、こんな
言うが早いかタナトスは、拘束を解こうと腕に力を込め始めた。
筋肉が盛り上がり、額に青筋が立つ。
しかし、いくら力を入れても、蛇は平然としのいでいた。
「く、くそ、なぜだ! さ、っきは、今にも、千切れ、そうだった、というのに……!」
タナトスの息が上がって来ても、細長い体はびくともしない。
それどころか、蛇の胴体は、紫に輝きながら徐々に太さを増し、縛る力も強くなっていくようだった。
『ソレハ、コレガ我が本体……さまえるノ寝台ダカラダ』
蛇は答えた。
「何、どういうことだ!」
『コノ寝台ニハ、本体ノ悲シミヤ苦悩、ソシテ、オ前ニ対スル複雑ナ思イガ、今モ残留思念トシテ、強ク残ッテイル。
ソレガ、オ前ヲ縛リ、カツ、我ニモ、力ヲ与エテイルノダ』
「サ、サマエルの思念だと……くそっ!」
タナトスは、歯を食いしばる。
「……サタナエル。我が消えても女は残る。豹もな。
それで足りねば、何か別の……左様、おぬし好みの新しき化身を、創れば済むことではないか」
ケテルは、淋しげな微笑を浮かべた。
「お前、それでいいのか!」
「……我は、おのれの罪を
おぬしと共におることを望んではいたよ。
されど、許されまい……左様なことは」
化身はうなだれた。
「諦めるな、俺が必ず……!」
身をよじり、縛めから抜け出そうともがきながら、タナトスは叫ぶ。
「いや、テネブレがいる限り、我に対する魔族達の恨みつらみは消えず、その念により、またもや我は、闇の化身へと変じてしまうだろう、今までもそうであったように……。
強い恨みと憎しみを持つ者の念、その誘惑はいかんともし難く……我はテネブレを抑えられぬ……ああ」
ケテルは頭を抱えた。
「だから、簡単に諦めるな!」
「サタナエル、要石の間に封じられていた折、おぬしが会いに来てくれるたび、心が弾んだよ。
封印を解かれ、さらに新しき姿と名をも与えられ、天にも昇る心持ちだった……。
おぬしが我を遠ざけるようになったときには……ああ、しくじってしまったかと……深き奈落の底に突き落とされしごとく……わらにもすがる思いで、“焔の眸”に、いかが致せばよいか尋ねた……。
おぬしが、我を好いていると知らされしときにも、安易には信じられず……
その後、おぬし自身が迎えに来てくれ、妃にと……夢見心地でそれを聞いたというに……!」
両膝を抱え、ケテルは肩を震わせた。
食いしばった歯の間から
「ケテル、泣くな。済まなかった。あのときは、自分でもおのれの気持ちがよく分からなかったのだ」
タナトスは暴れるのをやめ、優しく声をかけた。
「……相済まぬ。おぬしは悪くない」
化身は手の甲で涙をぬぐった。
「我が表に出て、話をするのは久方ぶり……いや、肉体が滅んでのち、初めてのことやも知れぬ。
それゆえ、感情の制御もよう出来ぬ……
「軽蔑などはせん、それこそ仕方がないことだ。何があろうと、俺がお前を守ってや……」
「──蛇よ、サタナエルを眠らせよ!」
突如、ケテルは耳に手を当て、叫んだ。
「その後、我をも眠らせれば、テネブレも眠りにつく!
さすれば、もはや妨げる者はなく、手はずは整えられよう!」
「な、何を言っている、俺の話を聞け、ケテル! 蛇、俺を眠らせたりしたら、承知せんぞ!」
タナトスは足をばたつかせるも、空しい努力だった。
『イイ考エダ。イツ結界ガ破ラレルカト、気ヲモム必要モナイ』
蛇は言い、その瞳が妖しい紅い光を帯びて輝くたびに、睡魔が襲いかかり、タナトスの意思とは裏腹に、動きも徐々に
「く、くそぉっ! 俺は眠りたくなどない! サマエル! 貴様、この蛇を何とかしろ!」
自分で創り出したというのに、魔界王はそう叫び、眠りに落ちる寸前、思った。
(サマエル、“焔の眸”を破壊したあの時、こんな気持ちだったのか?
ああ……おのれの半身が引き千切られるようだ……!)
そうして、タナトスが完全に眠り込んでしまうと、蛇は縛めを解き、彼の枕元でとぐろを巻いた。
「……眠ったな。蛇よ、手数をかけた。
あとは、これをサタナエルに渡してくれぬか、我の形見として。
ケテルは、宝石と化した涙の中から、最も美しく大きい一粒を手に取り、差し出した。
「おう、何と美麗な石であろうか、例えようもない、この、虹色の輝き……」
受け取ったエッカルトは、あまりの美しさに、思わず灯りに透かし見た。
それから、君主の掌に滑り込ませる。
タナトスは眠ったまま微笑み、胎児のように体を丸めて、さらに深い眠りへと落ち込んでいった。
『チョウドイイ。アレヲ、オ前トたなとすノ夢ヲツナグ、媒体トシヨウ』
蛇は、舌をちょろちょろと動かした。
「……同じ夢を見させてくれるのか?」
『アア。短イ間ダガ、夢ノ中デ共ニ暮ラスガイイ』
「礼の言葉もない」
蛇に頭を下げたケテルは、魔法医に向き直った。
「準備には、いかほどの期間かかるだろうか」
「左様、おそらく、半月ほどもあれば……」
言いかけたエッカルトは、元王子と眼が合い、小さく咳払いした。
「……こほん。いや、一月は必要であろうかと」
「かたじけない、エッカルト。一月の間、おぬしの君主を借り受ける。
それから……我、すなわちテネブレが滅した後、王が創りし新しい化身……ニュクスとして、そばに
妃の位などいらぬ、召使いか使い魔でよいのだ……」
化身は、深々と頭を下げた。
「
自分は、そなたの処遇を
されど、ニュクスには含むところは何もない、陛下が妃にと
エッカルトは優しく微笑んだ。
「……ありがたい……」
かつての王子は、額を床にすりつけた。
「サタナエルが目覚めて、万が一おぬし達に怒りを向けても、我が……いや、ニュクスがきっと取り成し、決しておぬしらに罰など与えぬように致すゆえ、
「いやいや、仕置きなどなさらぬよ、このお方は。
それより、いつまでもそなたを裸でおくのも気の毒だ。
──ストーラ!」
エッカルトは魔法で、少年に服を着せた。
白いシャツ、濃紺の上着と七分丈のズボン、白いソックスに、革の短靴……王子にふさわししい、すべてがシルクで出来た豪華な衣装だった。
「こ、これは……!?」
化身は飛び起き、着衣に触れる。
「そなたの肖像画を見たのでな。たしか、かような服装であったと記憶して……」
「これは我が最も好んだ衣装……そして、死した折にも身につけておったものだ……」
化身は、はらはらと涙をこぼした。
「おお、それは済まぬ、別なものと取り替えよう」
魔法医は慌てて提案する。
ケテルは否定の仕草をした。
「いや、肉体が滅んだ
それから……ついでと申しては何だが、あと一つ、頼まれてはもらえまいか?」
「構わぬが、何かな?」
「実を申せば、我が
「何と!?」
エッカルトは驚きのあまり、のけぞった。
「さ、されど、王室の墓地には、そなたの墓が……」
化身は微笑んだ。
「我に興味を持って、色々調べてくれていたようだな。
墓は空だ。我が死した場所を知る者はおらず、幽室も数世代の間、閉ざされておったゆえ」
「……遺体なしで葬儀を
エッカルトは、一人うなずく。
王家に伝わる古文書には、そう記してあったのだ。
「左様。我はと申せば、生への執着を断ち切ることが出来ず、肉体が腐りゆく様を、ただ眺めておったものだよ……。
嘔吐を催す腐臭が漂う中、うじが
やがて、洗われたごとくに白き骨ばかりとなり、致し方なく幽室を後にした……。
もはや、すべてが
無論、手が空いたときでよいが」
「必ずや、そなたの
今は眠るがよい、王と共に。この蛇が、特上の夢を見せてくれよう」
エッカルトは、
「かたじけない。おぬしらには、返す返すも厚く礼を述べねば」
化身は再び床に頭をつけた。
『ヨイ夢ヲ編モウ。我ガ眼ヲ見ヨ、けてる』
蛇の瞳がまたも紅く輝くと、ケテルの目蓋はゆっくりと閉じていった。
「さて……あとは複製を作らねばな」
魔法医は、手の中の髪に視線を落とした。
『婚礼モ一緒ニ、挙ゲテハドウカ?
我ハ王ノ怒リヲ買ッタ。千切ラレ、踏ミツケラレ、燃ヤサレルダロウ……。
最期ニ、美シイ物ヲ見テオキタイ……』
蛇は悲しげに言った。
「いや、タナトス様には、落ち着いて頂く時間が必要だ。
それに、無体なことはなさるまいよ」
エッカルトは、優しく蛇の頭をなでた。
蛇は小首をかしげる。
『ナゼ、我ナドニ慈悲深クスル?』
「長年医者をやっておると、いかにしても救えぬ命というのもあるゆえ、な」
魔法医は、結界の中で横たわる、かつての王子をちらりと見た。
『てねぶれヲ、憎ンデイルノデハナイノカ』
「それよ。
先ほどの怒りも、陛下を心配するあまりだと。
されど、ケテルは、『憎しみに感応』したと申した。
生にも死にも執着するは愚かと思うが、自分も修行が足りぬと、つくづく思うてな……」
エッカルトは
ケテル(Kether、王冠を意味する)
「セフィロトの樹」の第1のセフィラ。思考や創造を司る。数字は1、色は白、宝石はダイアモンドを象徴する。
よんどころない【拠所無い/拠無い】
そうするよりしかたがない。やむをえない。
含むところがある
心の中に恨みや怒りをひそかにいだいている。
「含むところは何もない」は真逆の意味。
こうこ【後顧】
1 後ろを振り返って見ること。
2 あとあとを気遣うこと。
うれい【憂い/愁い/患い】
1 予測される悪い事態に対する心配・気づかい。うれえ。
2 嘆き悲しむこと。憂鬱(ゆううつ)で心が晴れないこと。うれえ。
◆1は「憂い」、2は「愁い」と書く。
また、中世以降「うれえ」に代わって「うれい」の語形が多く用いられるようになり、現在は「うれい」が一般的。
ぼうさつ【謀殺】
あらかじめ計画して人を殺すこと。