14.究竟 の光(3)
タナトスとエッカルトは、
彼らの視線の前に剥き出しになったケテルの裸体は、色々と想像を巡らし、思い浮かべていた姿とは、これ以上ないと言うほど、かけ離れていたのだ。
「……お前、気は確かなのか? それとも、俺がおかしいのか……」
タナトスは
「やはり、俺の眼や頭が変なわけではないな。
おい、ケテル。鏡を出してやるか? 自分の体をよく見てみるがいい、どこが醜いと言うのだ」
「まったく、そのなりで
エッカルトも声を
この少年が、醜悪な外見をしていたのなら、彼らもさほど面食らわずに済んだことだろう。
たとえば、全身が触ることもできないほど
だが、高温で焼き上げられた磁器のごとく、白く滑らかな肌をしたケテルの均整の取れた肉体は、“光の申し子”という通り名に見合う美しさを持って彼らの前に立っており、そのことが一層、二人の混乱に拍車をかけていた。
「……これを見ても、そう言えるのか、おぬしらは」
化身は彼らを睨みつけながら、胸の前で組んでいた腕を解いた。
その下から現れたのは、女性のような丸い乳房だった。
「お、お前、女、だったのか……む、いや……!?」
タナトスは思わず声を上げる。ケテルの下半身は、男性のものだった。
エッカルトは難しい顔になった。
「むむ……なるほど、
されど、それは、美醜とは違う話でございましょうに」
「こいつの言う通りだ。半分男で半分が女、それのどこが醜いのだか、俺にはさっぱり分からんぞ」
タナトスは首をかしげる。
ケテルは、さらにきつい視線を彼らに向けた。
「生まれてこの方、おのれを男子と思うており、周囲も左様に見ていたものを、ある日突然、半分女だなぞと言われて、おぬしらは承服できるのか!?
突如、胸が膨らみ、月経さえもが始まり……その
「何、月経!?」
魔界の王は眼を剥いた。
彼の驚愕には構わず、ケテルは独り言のように続けた。
「今にして思えば、我の眼……瞳の金と銀はこのことを……我が“ふたなり”であるということを示していたのかと……。
ケテルは目蓋に手を当てた。
こぼれ落ちる涙は床に触れ、透明な中に虹色が煌く、世にも
それを拾い上げ、“黯黒の眸”の化身は、誰にともなくつぶやいた。
「我は、男にも女にも
「ケテル」
魔界の王に声をかけられた、かつての王子は顔を上げると、美しい顔に、淋しげな笑みを浮かべた。
「……正体を突き止められてしまったな。これにて、隠れ鬼も終わりか……。
我本来の寿命は、
「消えるだとか、寿命だとか、詰まらんことを言うな。
お前がたとえ何だろうと、俺は」
手を差し伸べるタナトスを拒むように、ケテルは後ずさった。
「生にしがみつきし我が
そこな魔法医もまた、害をこうむりし者の一人であろう?」
「お前、俺達の会話を聞いていたのか?」
化身は、頭を横に振った。
「否、我は、流れ来る負の感情に
おぬしが創りし女が孤独を嫌い、おぬしのそばにいることを望んだのも、闇……すなわちテネブレに、飲み込まれるのを恐れたゆえだ。
我は、闇の怪物と化して、実の父を
闇の中にて、死の瞬間の苦しみを繰り返し味わい……狂っていき……おのれ同様、憎しみと恨みに満ちた者に取り
ここにて終わりにせねば、我は、さらに罪を重ねることとなろう」
「そんなことはない。
テネブレだとて、心を入れ替えたはずだ、先ほども涙を見せていたくらいで……」
「泣き落としに惑わされるでない。
サタナエルよ、おぬしの名の意味する通り、闇とは敵対せねばなるまいぞ。
同化なぞ、もっての
「いや、俺は、お前達と敵対はせん」
「……!」
自分の言葉を否定し続ける王に苛立ったように、ケテルは歯を食いしばると、いきなり結界に向けて身を投げた。
すさまじい光と共に、激しい衝撃波が辺りを揺るがす。
光が消えると、タナトスの首をつかんでいたのはテネブレだった。
結界を突き破った“黯黒の眸”の化身は、白から闇の姿へと変化していたのだ。
「我と同化せよ、サタナエル。
さすればもはや、
「ぐっ、き、貴様……!?」
「タナトス様!」
エッカルトが慌てて引き離そうとするが、闇の化身はものすごい力で、もがく魔界王の首を締め上げ続ける。
「くそっ、や、やめろ、テネブレ……!」
そのとき、小蛇が魔法医の体に飛び乗リ、素早く耳元まで
『慌テルナ。ヤツノ後頭部ニ、雷撃ヲ食ラワセヨ』
「何!? そうか──トニトルス!」
エッカルトは、言われた通りに呪文を唱える。
「ぎゃっ!」
青紫の電撃が走り、テネブレは悲鳴を上げて倒れた。
「タナトス様、ご無事で!」
エッカルトは、化身と一緒に倒れた君主を助け起こそうと駆け寄る。
「くっ、だ、大丈夫、だ……ふう」
手を振って助勢を断り、タナトスは自力で起き上がって、椅子に座り込んだ。
『魔封具ヲ着ケヨ! てねぶれガ目覚メヌウチニ、早ク!』
小蛇は、さらに促す。
「おお、魔封具とな。
──カンジュア! ……お?」
魔法の
ぐったりと正体なく横たわる化身の姿は、再び白い王子の姿になっていた。
魔族は意識を失うと、通常の場合、変身が解けて元に戻る。
「……むう。たしかに、第一形態と申すはまことのようだな」
魔法医は一人うなずき、手枷でケテルを拘束した。
その魔封具は、鎖で両手首をつなぐものではあったが、黄金製で、一見すると幅の広い腕輪のようだった。
優美な形状をしていたのは、無意識のうちに、相手を王子として認めていたからかも知れない。
『ソノ上デ、今一度、魔法陣デ封ジルノダ。
コレデ、コヤツモモウ、結界ヲ破ルコトハ出来マイ』
「なるほど、さすがはサマエル様の分身……そなたは頭が切れるな」
感心しながらエッカルトは、気絶した化身の周りにせっせと魔法陣を描いた。
「……よし、これにて完成だ」
ほっと額の汗をぬぐうエッカルトから、紫の蛇は机に飛び移り、息を整えているタナトスの顔を覗き込んだ。
『魔界王ヨ。ヤハリ、コノ者ハ、消スベキダト思ウゾ。
一番イイノハ、公開処刑ニスルコトダガ』
それを聞いたタナトスは、喉の痛みも忘れて立ち上がり、細長い体をむんずとつかんだ。
「何だと、貴様!」
『“黯黒ノ眸”ヲ、妃ニト、望ムノナラ、闇ハ、不要ダ。
皆ヲ、納得サセ、婚姻ヲ、認メサセル、ニハ、てねぶれ……スナワチ、けてるノ処刑ガ、最善ノ、策、ダ……』
小蛇は、苦しげに身をくねらせながら、語り続ける。
「くそ、処刑だと!?
貴様、少し甘い顔を見せれば付け上がりおって、死ね!」
タナトスは、その頭と尾をつかみ、力任せに引き千切ろうとした。
「やめよ、サタナエル」
その澄んだ声に、彼がはっと振り返ると、ケテルが目覚めたところだった。
「蛇にとって、おぬしは創造主……言わば、親のごとき者だ。
親に殺される悲しみを、我は知っている……それゆえ、我に免じて……」
貴石の化身はひじをついて半身を起こし、頭を下げる。
手首の鎖が、かちゃりと鳴った。
「それに、その蛇の提案は、すこぶる妙案だと思う……」
「お前まで何を言うか」
タナトスは顔をしかめ、それでも蛇を引き裂くのはやめて、放り出した。
蛇は声もなく、ぐたりと床に伸びた。
「“黯黒の眸”の化身のうち、
……そうであろう? エッカルトよ」
かつての王子は、初めて名を呼び、魔法医に視線を移す。
「えー、ごほん、左様……」
急に話を振られたエッカルトは、咳払いをして一呼吸置き、答えた。
「わたくしめには異存はございませぬ、皆も同様だと存じまするぞ」
「何だとぉ、貴様!」
タナトスは吼え、魔法医に殴りかかる。
「お、お静まり下され、タナトス様!」
「たわけ、これが落ち着いていられるか!」
そのまま二人は、しばしの間、もみ合った。
そうやって、家臣とつかみ合いを演じていた魔界王は、床に投げ捨てた小蛇が、意識を取り戻したことに気づかなかった。
ケテルが、その紅い眼を捉えたことにも。
鎌首をもたげた蛇は、小首をかしげ、白い王子の色違いの瞳を見返す。
ケテルは顔を曇らせ、それから小さくうなずいた。
すると、エッカルトもまた、一瞬だが動きを止めて、何事かに聞き耳を澄ませる様子だった。
「……む?」
タナトスが気づいたときには、もう遅かった。
「ご無礼
それまで身を守ることに徹していた魔法医が、突如、魔力を使い、彼をベッドに投げ飛ばしたのだ。
「くっ、き、貴様!」
柔らかい布団の上に投げ出され、起きようともがくタナトスの手首に、蛇が絡みつき、彼を寝台に拘束する。
『今ダ、えっかると、たなとすヲ封ジヨ!』
蛇が叫ぶ。
「何だと、貴様ら!」
「ええい、致し方ない!」
魔法医は、半ば
「……うまくいったな、光をもたらす者の化身よ」
ケテルが言った。
「う、うぬ……貴様ら、グルか!? 俺をどうする気だ!」
タナトスは暴れたが、蛇は強力な拘束具でもあるかのように彼を捕縛し、自由に動かせるのは足だけだった。
『少シ頭ヲ冷ヤセ、たなとす。ソンナニ感情的ニナッテハ、話モ出来ナイ』
「こんなことを仕出かしておいて、頭を冷やせだと!」
『けてるハ、我ニ尋ネタ。
オ前ヲ静メ、オノレヲ消スト言ウ、我ノ提案ヲ受諾サセルニハ、ドウスレバヨイカ、ト。
ソコデ、コウシタノダ。ソレニハ、えっかるとノ助力ガ、必要ダッタ。
二人共、気ガ進マナイト言ッタガ、我ガ押シ通シタ』
彼の耳元で、紫の蛇が冷静にささやく。
わくらん【惑乱】
冷静な判断ができないほど心が乱れること。また、人の心などをまどわし乱すこと。
斃(たお)れる
(「殪れる」「仆れる」とも書く)
命を奪われる。殺される。死ぬ。
もうしゅう【妄執】
《古くは「もうじゅう」とも》
仏語。迷いによる執着。成仏を妨げる虚妄の執念。
妄想がこうじて、ある特定の考えに囚われてしまう事、またはその状態を指す。
あまつさえ【剰え】
そればかりか。そのうえに。
すこぶる【頗る】
1 程度がはなはだしいさま。非常に。たいそう。