~紅龍の夢~

巻の六 THE BRIDE OF DEATH ─死の花嫁─

14.究竟(くきょう)の光(3)

タナトスとエッカルトは、唖然(あぜん)としていた。
彼らの視線の前に剥き出しになったケテルの裸体は、色々と想像を巡らし、思い浮かべていた姿とは、これ以上ないと言うほど、かけ離れていたのだ。

「……お前、気は確かなのか? それとも、俺がおかしいのか……」
タナトスは目蓋(まぶた)をこすり、首を振って化身の体を見直し、それから再び口を開いた。
「やはり、俺の眼や頭が変なわけではないな。
おい、ケテル。鏡を出してやるか? 自分の体をよく見てみるがいい、どこが醜いと言うのだ」
「まったく、そのなりで不器量(ぶきりょうなどと……一体、いかなるつもりで左様な戯言(ざれごと)を!」
エッカルトも声を(あら)らげた。

この少年が、醜悪な外見をしていたのなら、彼らもさほど面食らわずに済んだことだろう。
たとえば、全身が触ることもできないほど()み崩れていたり、あるいは、汚らしいかさぶたに覆われているとか、それとも、水死体のように色変わりし、ぶくぶくに膨れ上がっている、などといった状態だったなら……。
だが、高温で焼き上げられた磁器のごとく、白く滑らかな肌をしたケテルの均整の取れた肉体は、“光の申し子”という通り名に見合う美しさを持って彼らの前に立っており、そのことが一層、二人の混乱に拍車をかけていた。

「……これを見ても、そう言えるのか、おぬしらは」
化身は彼らを睨みつけながら、胸の前で組んでいた腕を解いた。
その下から現れたのは、女性のような丸い乳房だった。
「お、お前、女、だったのか……む、いや……!?」
タナトスは思わず声を上げる。ケテルの下半身は、男性のものだった。

エッカルトは難しい顔になった。
「むむ……なるほど、半陰陽(はんいんよう)でおられたか……。
されど、それは、美醜とは違う話でございましょうに」
「こいつの言う通りだ。半分男で半分が女、それのどこが醜いのだか、俺にはさっぱり分からんぞ」
タナトスは首をかしげる。

ケテルは、さらにきつい視線を彼らに向けた。
「生まれてこの方、おのれを男子と思うており、周囲も左様に見ていたものを、ある日突然、半分女だなぞと言われて、おぬしらは承服できるのか!?
突如、胸が膨らみ、月経さえもが始まり……その惑乱(わくらん)から抜け出す(いとま)も与えられぬまま、父親に()み嫌われて幽閉され、(たお)れた身ともなってみるがいい!」
「何、月経!?」
魔界の王は眼を剥いた。

彼の驚愕には構わず、ケテルは独り言のように続けた。
「今にして思えば、我の眼……瞳の金と銀はこのことを……我が“ふたなり”であるということを示していたのかと……。
金眼銀眼(きんめぎんめ)は幸福の証、などと(おだ)てられ、無邪気にそれを信じ込んでいた……何と愚かなことよ……」
ケテルは目蓋に手を当てた。

こぼれ落ちる涙は床に触れ、透明な中に虹色が煌く、世にも(まれ)な貴石となる。
それを拾い上げ、“黯黒の眸”の化身は、誰にともなくつぶやいた。
「我は、男にも女にも(あら)ず……あまつさえ、生き物でもなくなってしまった……」

「ケテル」
魔界の王に声をかけられた、かつての王子は顔を上げると、美しい顔に、淋しげな笑みを浮かべた。
「……正体を突き止められてしまったな。これにて、隠れ鬼も終わりか……。
我本来の寿命は、()うの昔に尽きておる……いよいよ、消える時が参ったのだな」

「消えるだとか、寿命だとか、詰まらんことを言うな。
お前がたとえ何だろうと、俺は」
手を差し伸べるタナトスを拒むように、ケテルは後ずさった。
「生にしがみつきし我が妄執(もうしゅう)が、テネブレという闇の怪物を生み、守護すべき魔族を逆に苦しめた……トリニティーとの戦が、その際たるもの。
そこな魔法医もまた、害をこうむりし者の一人であろう?」
「お前、俺達の会話を聞いていたのか?」

化身は、頭を横に振った。
「否、我は、流れ来る負の感情に感応(かんのう)するのみ……。
おぬしが創りし女が孤独を嫌い、おぬしのそばにいることを望んだのも、闇……すなわちテネブレに、飲み込まれるのを恐れたゆえだ。
我は、闇の怪物と化して、実の父を(あや)め……その(とが)により、地下深く封じられた……。
闇の中にて、死の瞬間の苦しみを繰り返し味わい……狂っていき……おのれ同様、憎しみと恨みに満ちた者に取り()き、操り、一層罪深き者となった……。
ここにて終わりにせねば、我は、さらに罪を重ねることとなろう」

「そんなことはない。
テネブレだとて、心を入れ替えたはずだ、先ほども涙を見せていたくらいで……」
「泣き落としに惑わされるでない。
サタナエルよ、おぬしの名の意味する通り、闇とは敵対せねばなるまいぞ。
同化なぞ、もっての(ほか)だ」
「いや、俺は、お前達と敵対はせん」

「……!」
自分の言葉を否定し続ける王に苛立ったように、ケテルは歯を食いしばると、いきなり結界に向けて身を投げた。
すさまじい光と共に、激しい衝撃波が辺りを揺るがす。

光が消えると、タナトスの首をつかんでいたのはテネブレだった。
結界を突き破った“黯黒の眸”の化身は、白から闇の姿へと変化していたのだ。
「我と同化せよ、サタナエル。
さすればもはや、如何(いか)なることがあろうとも、我と離れることは出来まい……くくく」

「ぐっ、き、貴様……!?」
「タナトス様!」
エッカルトが慌てて引き離そうとするが、闇の化身はものすごい力で、もがく魔界王の首を締め上げ続ける。
「くそっ、や、やめろ、テネブレ……!」

そのとき、小蛇が魔法医の体に飛び乗リ、素早く耳元まで()って来て、ささやいた。
『慌テルナ。ヤツノ後頭部ニ、雷撃ヲ食ラワセヨ』
「何!? そうか──トニトルス!」
エッカルトは、言われた通りに呪文を唱える。

「ぎゃっ!」
青紫の電撃が走り、テネブレは悲鳴を上げて倒れた。
「タナトス様、ご無事で!」
エッカルトは、化身と一緒に倒れた君主を助け起こそうと駆け寄る。
「くっ、だ、大丈夫、だ……ふう」
手を振って助勢を断り、タナトスは自力で起き上がって、椅子に座り込んだ。

『魔封具ヲ着ケヨ! てねぶれガ目覚メヌウチニ、早ク!』
小蛇は、さらに促す。
「おお、魔封具とな。
──カンジュア! ……お?」
魔法の手枷(てかせ)を取り出し、急ぎテネブレに装着させようとしたエッカルトは、眼を見張った。
ぐったりと正体なく横たわる化身の姿は、再び白い王子の姿になっていた。
魔族は意識を失うと、通常の場合、変身が解けて元に戻る。

「……むう。たしかに、第一形態と申すはまことのようだな」
魔法医は一人うなずき、手枷でケテルを拘束した。
その魔封具は、鎖で両手首をつなぐものではあったが、黄金製で、一見すると幅の広い腕輪のようだった。
優美な形状をしていたのは、無意識のうちに、相手を王子として認めていたからかも知れない。

『ソノ上デ、今一度、魔法陣デ封ジルノダ。
コレデ、コヤツモモウ、結界ヲ破ルコトハ出来マイ』
「なるほど、さすがはサマエル様の分身……そなたは頭が切れるな」
感心しながらエッカルトは、気絶した化身の周りにせっせと魔法陣を描いた。

「……よし、これにて完成だ」
ほっと額の汗をぬぐうエッカルトから、紫の蛇は机に飛び移り、息を整えているタナトスの顔を覗き込んだ。
『魔界王ヨ。ヤハリ、コノ者ハ、消スベキダト思ウゾ。
一番イイノハ、公開処刑ニスルコトダガ』
それを聞いたタナトスは、喉の痛みも忘れて立ち上がり、細長い体をむんずとつかんだ。
「何だと、貴様!」

『“黯黒ノ眸”ヲ、妃ニト、望ムノナラ、闇ハ、不要ダ。
皆ヲ、納得サセ、婚姻ヲ、認メサセル、ニハ、てねぶれ……スナワチ、けてるノ処刑ガ、最善ノ、策、ダ……』
小蛇は、苦しげに身をくねらせながら、語り続ける。
「くそ、処刑だと!?
貴様、少し甘い顔を見せれば付け上がりおって、死ね!」
タナトスは、その頭と尾をつかみ、力任せに引き千切ろうとした。

「やめよ、サタナエル」
その澄んだ声に、彼がはっと振り返ると、ケテルが目覚めたところだった。
「蛇にとって、おぬしは創造主……言わば、親のごとき者だ。
親に殺される悲しみを、我は知っている……それゆえ、我に免じて……」
貴石の化身はひじをついて半身を起こし、頭を下げる。
手首の鎖が、かちゃりと鳴った。
「それに、その蛇の提案は、すこぶる妙案だと思う……」

「お前まで何を言うか」
タナトスは顔をしかめ、それでも蛇を引き裂くのはやめて、放り出した。
蛇は声もなく、ぐたりと床に伸びた。
「“黯黒の眸”の化身のうち、(とが)ある我……テネブレを消去し、おぬしが創り上げた女を妻にするとなれば、苦情を述べる者は、もはやおるまい。
……そうであろう? エッカルトよ」
かつての王子は、初めて名を呼び、魔法医に視線を移す。

「えー、ごほん、左様……」
急に話を振られたエッカルトは、咳払いをして一呼吸置き、答えた。
「わたくしめには異存はございませぬ、皆も同様だと存じまするぞ」
「何だとぉ、貴様!」
タナトスは吼え、魔法医に殴りかかる。
「お、お静まり下され、タナトス様!」
「たわけ、これが落ち着いていられるか!」
そのまま二人は、しばしの間、もみ合った。

そうやって、家臣とつかみ合いを演じていた魔界王は、床に投げ捨てた小蛇が、意識を取り戻したことに気づかなかった。
ケテルが、その紅い眼を捉えたことにも。
鎌首をもたげた蛇は、小首をかしげ、白い王子の色違いの瞳を見返す。
ケテルは顔を曇らせ、それから小さくうなずいた。
すると、エッカルトもまた、一瞬だが動きを止めて、何事かに聞き耳を澄ませる様子だった。

「……む?」
タナトスが気づいたときには、もう遅かった。
「ご無礼(つかまつ)る!」
それまで身を守ることに徹していた魔法医が、突如、魔力を使い、彼をベッドに投げ飛ばしたのだ。
「くっ、き、貴様!」
柔らかい布団の上に投げ出され、起きようともがくタナトスの手首に、蛇が絡みつき、彼を寝台に拘束する。

『今ダ、えっかると、たなとすヲ封ジヨ!』
蛇が叫ぶ。
「何だと、貴様ら!」
「ええい、致し方ない!」
魔法医は、半ば自棄(やけ)気味に声を上げ、寝台周りに手早く魔法陣を描いて、魔界王の力をすべて封じてしまった。

「……うまくいったな、光をもたらす者の化身よ」
ケテルが言った。
「う、うぬ……貴様ら、グルか!? 俺をどうする気だ!」
タナトスは暴れたが、蛇は強力な拘束具でもあるかのように彼を捕縛し、自由に動かせるのは足だけだった。

『少シ頭ヲ冷ヤセ、たなとす。ソンナニ感情的ニナッテハ、話モ出来ナイ』
「こんなことを仕出かしておいて、頭を冷やせだと!」
『けてるハ、我ニ尋ネタ。
オ前ヲ静メ、オノレヲ消スト言ウ、我ノ提案ヲ受諾サセルニハ、ドウスレバヨイカ、ト。
ソコデ、コウシタノダ。ソレニハ、えっかるとノ助力ガ、必要ダッタ。
二人共、気ガ進マナイト言ッタガ、我ガ押シ通シタ』
彼の耳元で、紫の蛇が冷静にささやく。

わくらん【惑乱】

冷静な判断ができないほど心が乱れること。また、人の心などをまどわし乱すこと。

斃(たお)れる

(「殪れる」「仆れる」とも書く) 命を奪われる。殺される。死ぬ。

もうしゅう【妄執】

《古くは「もうじゅう」とも》
仏語。迷いによる執着。成仏を妨げる虚妄の執念。
妄想がこうじて、ある特定の考えに囚われてしまう事、またはその状態を指す。

あまつさえ【剰え】

そればかりか。そのうえに。

すこぶる【頗る】

1 程度がはなはだしいさま。非常に。たいそう。