12.龍の死闘(3)
次の瞬間、タナトスは、見覚えのある部屋で覚醒していた。
「……ふう。ようやく終わったな」
頭を振って起き上がり、ベッドを覗くと、サマエルも目覚めており、やつれた顔に笑みを浮かべて彼をねぎらった。
「お疲れ様」
「くっ、何がお疲れ様だ、この!」
かっとなり、思わず殴ろうとした彼の腕をかいくぐり、ダイアデムが弟に飛びついた。
「サマエル、よかった、よかったよぉ……! やっと、やっと戻って来たぁ……!」
「済まなかったね、ダイアデム、心配をかけた」
泣きじゃくる少年の紅い髪を、優しくサマエルはなでる。
「ふん……!」
腕組みをし、タナトスはそっぽを向いた。
リオンとシュネも立ち上がり、微笑み合ったちょうどそのとき、日が沈み、夕闇が部屋を覆い始めた。
「まだこんな時間か。もっと長い間、戦っていた気がするが。
あそこでは、時の流れ方が違ったのかも知れんな」
タナトスはつぶやき、指を鳴らして燭台に火を入れる。
安堵の空気が流れる中、サマエルはベッドに伏せったまま、わずかに頭を下げた。
「皆、ありがとう……どれほど礼を述べても足りないくらいだ」
「ふん、まったく、手数をかけさせおって」
腕組みしたまま、タナトスは顔をしかめた。
「あ、すいません、サマエル様、お疲れのところ。で、でも、あの、あたし……」
おずおずと、シュネが切り出す。
「そうだね、色々と聞きたいだろう、黙っていて済まなかった、シュネ。
機会を見つけて、ちゃんと説明するつもりでいたのだが」
サマエルは再び、頭を下げた。
「そ、そうなんですか? ホント、知りたいことがたくさんあって、何から聞いたらいいか……。
あ、リオン兄さんは、いつからあたしのことを?」
シュネは、隣のリオンを見た。
「あの祭りのときさ。けど、父さんが、後で自分で教えたいって言うから。
でも、四色の龍の話を聞いたのは最近で、ぼくもびっくりしたけどね」
そのとき、ぐうという音が聞こえ、彼女は顔を赤らめて腹を押さえた。
「あ、い、嫌だぁ、恥ずかし……」
サマエルは、にっこりした。
「お腹が減っているようだね、シュネ。リオンとキッチンで食事を……そうだ、ダイアデム。
お前も一緒に行って、彼女に色々と説明してくれないか?
その間、私は、タナトスと二人だけで話がしたいから」
「え、でも、やっと帰って来れたのに……!」
死んでも離れまいとする妻を、サマエルはなだめた。
「大丈夫だよ、それほどかからない。終わったらすぐに呼ぶから。ね?」
しかし、ダイアデムは彼にしがみついたまま、激しく首を横に振った。
「やだ! また何かあったら、どうすんだよ!」
「ふん、俺がついているのだぞ、何も起こるわけがなかろう」
タナトスはあごを突き出し、尊大な台詞を吐く。
紅毛の少年は、鼻にしわを寄せた。
「お前が一緒だから、余計に心配なんじゃねーか」
「何だと!」
「ダイアデム、後で」
有無を言わせぬ口調でサマエルが言い、少年は渋々同意する。
「ちぇっ、分かったよ」
すると、今度はニュクスが心細げに尋ねた。
「タナトス……
その手を取って口づけ、タナトスは言い聞かせた。
「もちろん、お前とも後でちゃんと話をする。今は、こいつと話させてくれ」
「相分かった……」
四人が部屋を後にし、気配が完全に消えてから、タナトスは弟に問いかけた。
「それで? 話とは何だ。王位のことか?」
サマエルは眼を伏せた。
「……まあね。やはり私は、魔界の王位には
「血筋のことなら、黙っておればよかろう。宮廷雀どもには、勝手に憶測させておけばいい。
どうせ、本当のことなど、誰にも分からんのだからな」
現在の魔界王は、肩をすくめた。
「いや、私が王になれない理由は……これだよ」
言うなり第二王子は、掛け布団を跳ねのけた。
「……!」
タナトスは息を呑んだ。
彼が驚いたのは、弟が一糸まとわぬ裸だったから……ではない。
サマエルの、火閃銀龍にくわえられていたところから下の部分が、半透明の白い石に変わっていたからだった。
サマエルは、石化した体をそっとなでた。
「滑らかで、ひんやりしている……アラバスターかな。
少し、汚れてしまったのが残念だが……」
石となった部分には、火閃銀龍の牙による傷から流れ出た血が、紅い染みをつけていた。
「石の名などどうでもいい、一体どうしたのだ、その体は!?
そうか、火閃銀龍の仕業か、ヤツの残した呪いだな!」
タナトスは、拳を握り締めた。
サマエルは否定の身振りをした。
「いや、呪いというより、むしろ祝福、かも知れないな」
「何が祝福だ! 負けた癖にいじましく呪いを残すなど、伝説の龍が聞いてあきれるわ!
こんなもの、今すぐ解いてくれる!
──リプレイス!」
叫ぶようにタナトスは唱えたが、効果は現れなかった。
「な、何ゆえ解呪出来んのだ!?」
「魔法で石に変えたわけではないからね、呪文では治せないだろう」
それを予期していたかのように、サマエルは静かに答えた。
「な、何を呑気な! 見ろ、今も進行しているのだぞ!」
タナトスは、石に変化した部分と、普通の肌との境界を指差した。
彼の言葉通り、じわじわとだが確実に石化はサマエルの肉体を侵し、その領域を広げつつあった。
だが、焦る兄王とは対照的に、弟王子は微笑さえ浮かべていた。
「火閃銀龍は、最初に現れたとき、約束してくれていたのだよ。
墓がないと嘆くな、お前の夢から解放されたなら、お前の体を美しい石に変え、戦勝記念の像“名もなき英雄”として、城の前庭に飾ってやるから、と。
そうすれば、お前を覚えている者はおらずとも、人々は像の前で戦勝の喜びに浸り、また、像を眺めて
「ヤツが、そんな約束を……」
タナトスは、信じられない気分で首を振った。
「あの龍なりに、私のことを考えてくれていたのだよ。
……こういうわけで、私は王にはなれない……もうすぐ死ぬのだから。
石化はやがて、心臓に達するだろう。ようやく私にも、死が訪れるのだな」
それから、サマエルは、ひじをついて無理に上半身を引き起こし、どうにか頭を下げた。
「済まない。せっかく、お前を始め、皆が私を生かそうとしてくれたのに、こんな結果になってしまって……」
「い、いや、これは貴様のせいではない、だが、くそっ、どうしたら……!」
頭をかきむしっていたタナトスは、はっと手を止めた。
「そうだ、“焔の眸”なら!」
途端に、サマエルは必死の眼差しになった。
「やめてくれ。魔力で解呪出来ないものを、眸達が治せるとは思えないし、一旦死んだ私を、彼らの力で蘇らせたところで、この石化は解けまい。
たとえ意識は戻っても、動くことは出来ず、生ける石像と化してしまうだろう。
お願いだ、誰も呼ばないでくれ、これ以上、皆に辛い思いをさせたくない」
「く、くそっ、何かないのか、助かる方法がー!」
タナトスの声は絶叫に近かった。
すると、サマエルはまたも笑みを浮かべた。
「一つ、あるよ」
「何!?」
「石化する前に、私の胸を切り開き、心臓を取り出して食らえばいい。
そうすれば、火閃銀龍がお前に宿り、私の死は無駄にならない」
「ふざけるな! 俺は、貴様を生かす方法がないかと問うているのだぞ!」
弟に指を突きつけ、タナトスは興奮のあまり、ぜいぜいと息を弾ませた。
そんな兄の様子を冷静に見ながら、サマエルは他人事のように言った。
「ふむ……お前がそこまで言うなら、もう少し知恵を絞ってみようか。
……そうだな。魔法医なら、あるいは」
「魔法医だと!?」
タナトスは、血走った眼で弟を見た。
「そう、彼らは、体に作用する魔法の専門家だ。
一般には知られていない、特殊な解呪の方法を知っている可能性も……」
「そうか、待っていろ! 今すぐ呼んで来てやる!
──ムーヴ!」
弟の話を最後まで聞かず、タナトスは移動呪文を唱えた。
「い、一体、何事でございますか……!?」
患者を診察中だった魔法医は、理由も告げられずにいきなり連れて来られて、眼を白黒させていた。
「何でもいい、さっさとこいつを診ろ!」
タナトスは、医者を弟の前に突き出す。
「こ、これは……!?」
さすがにエッカルトは、一目で尋常でないことを悟った。
「し、失礼致しますぞ、サマエル様」
彼は早速、第二王子の脈を確かめ、石になってしまった部分を診察する。
それから、魔界の君主を振り返った。
「……このご様子では、リプレイスの呪文では駄目だったということでしょうな?」
「当たり前のことを聞くな。解呪出来ておれば、貴様など呼ばんわ」
横柄に、タナトスは答える。
「……ふむう。それに致しましても、何ゆえ、かような事態に……?
まずは、経緯を説明して頂けませぬと、治療法も確定出来かねまするが……」
「火閃銀龍の呪いだ」
吐き捨てるように、彼は答えた。
「か、火閃銀龍……伝説の、でございますか!? それが、何ゆえ!?」
エッカルトは、気が遠くなりそうな眼になった。
「ヤツは、自分の出番がなくなることを恐れ、儀式なしにこの世界に出て来るために、サマエルを利用しようとしたのだ。
それを、俺や貴石達がどうにか阻止したのだが、こんな置き土産を残していきおって!」
ごく簡潔に説明した魔界王は、忌々しそうに鼻にしわを寄せた。
「なるほど、お話は分かり申した。
……ふうむ、それでは、一筋縄では行きますまいな、相手があの火閃銀龍となれば。
はてさて……
エッカルトは難しい顔をし、額に手を当てた。
タナトスは彼に詰め寄り、襟首をつかんだ。
「貴様、魔法医の癖に、石化ごときを解呪出来んというのか!」
「およし、タナトス。誰にだって、できないことはあるよ」
サマエルが口を挟んだ。
「い、いえ……文献を探せば、あるいは。
おう、そう申せば、昔、何かの文献で見た覚えがございます。
お放し下され、タナトス様」
魔法医は、毅然とした態度で君主を振り払い、呪文を唱えた。
「──リブロ!」
その手の中に、一冊の書物が現れる。
「机をお借りしますぞ。
──レクティオ!」
分厚い本を広げ、呪文を唱えると、ページが自動的にめくられ始めた。
「むう……
ややあって、彼はつぶやき、別な本を呼び出した。
「これでもない、これも違う……!
はて、
ぶつぶつとつぶやき、魔法医は懸命に探し続けるが、なかなか目的の物を発見出来ない。
机の横には、魔法で呼び出された本が、うず高く積み重ねられていく。
アラバスター
1.雪花石膏。石膏の一種で、硫酸カルシウム2水和物の粗粒の結晶が集合して半透明となった岩石。工芸素材として古来重用されてきた。
2.大理石のうち、1.のアラバスターによく似た半透明のものもアラバスターとして扱われる。
Wikipediaより
めんよう【面妖】
不思議なこと。怪しいこと。また、そのさま。
《「めいよ(名誉)」の変化した「めいよう」がさらに変化したもの。面妖は当て字》