~紅龍の夢~

巻の六 THE BRIDE OF DEATH ─死の花嫁─

12.龍の死闘(2)

サマエルはしばらく口を利かず、泣きじゃくるゼーンと、つるに締めつけられ、苦しみもがくタナトスやリオン、そしてシュネとの間に、視線をさ迷わせていた。

その後、彼は一つ息をつき、口を開いた。
「……済まない、ゼーン、カーラ。
私の我がままで、お前達まで振り回してしまったね」
「では、サマエル様!」
期待を込めて、ゼーンは顔を上げる。

サマエルは、首を横に振った。
「いや、よく聞いてくれ。火閃銀龍は、我々のいる世界には属していない。
それゆえ、どんな強力な魔法をもってしても、倒すことは出来ないのだよ……この世の(ことわり)の外にある存在なのだから。
三人のことは諦めてもらうしかないね、お前達には済まないが」
第二王子は、少年の頬に口づけ、黒豹の頭にも触れた。
そして、再び目蓋(まぶた)を閉ざし、ぐったりとした状態に戻ってしまった。

「そ、そんな、サマエル様……」
青ざめたゼーンが声をかけても、サマエルは微動だにしない。
「このままでは、サタナエルが……!」
涙を溜めた瞳で、苦悶し続けるタナトスを見つめていたカーラは、足下の火閃銀龍の紅い頭を、腹立ち紛れに前足でかきむしった。
「このっ、このっ、このっ!」

しかし、伝説の龍は引っかかれてもまったく反応せず、つるで捕らえた三人に、意識を集中させている様子だった。
説得を続ける気力も失せた貴石の化身達は、呆然と黙り込んでしまった。

ややあって、カーラは気を取り直し、自力で主を助ける決意をした。
紅い首から飛び降りようと、彼が身構えた、まさにそのとき。
“ゼーン、カーラ、感づかれないよう動かずに聞いてくれ、大事な話がある。
火閃銀龍は今、三人にかかり切りで、私達にまで気が回らないようだ”
サマエルが、眼を閉じたまま、念を使って二人に話しかけて来た。

“はい、何でしょうか、大事なお話って?”
ゼーンも念話で、不思議そうに返事をした。
一瞬躊躇(ちゅうしょ)したカーラも、とりあえず話を聞いておこうと、その場に座り直す。
“二人共、気を落とさなくていい。火閃銀龍を倒せないのは事実だが、封印することは可能だから。
今までも眠っていたのだよ、私の嘆きが、彼を起こしてしまうまではね”

“何、あやつを封印出来ると言うのか!?”
勢いよく振り向きたいのを我慢して、黒豹は尋ねる。
ゼーンも体を動かさず、心の声だけは勢い込んで、訊いた。
“と、どうやって眠らせたらいいんですか!?”

かすかに微笑むと、サマエルは答えた。
“簡単なことさ、子守唄で、寝かしつければいいのだよ”
“えっ、子守唄で寝かす!?”
ゼーンは眼を見張り、その瞳の炎が激しく揺れた。
黒豹はゆっくりと頭を振り、飛び移るのを断念したように見せかけて方向転換すると、彼を見た。
“……というと、ベリリアスが持ち帰ったあれか?”
何気なさそうな態度とは裏腹に、金色の瞳が熱っぽく光っている。

“いや。あれだけではなく、私の分を含め、四冊分の表紙にある文章を、全部つなげなければいけない。
さっき、シュネは、タナトスと火閃銀龍の言い争いを、『子供のケンカ』と評していたけれど、言い()(みょう)だね。
火閃銀龍は、幼い子供なのだよ。子守唄で眠ってしまうほどの、ね……”
“こ、こんなでっかいのに、まだ子供なんですか……!?”
ゼーンは面食らい、小山のように巨大な龍を見上げる。

サマエルは、わずかに首を振った。
“大きさではない、精神年齢が、ということさ。
遥かなる太古、彼が魔術師に召喚され、使役される羽目に陥ったのも、まだ経験が浅い子供だったからだろう。
彼がいつ、生誕したのかは判然としないが……ひょっとしたら、この宇宙の誕生より昔かも知れない。
そして、彼が成熟し、大人になるのは、さらに何十億、何百億年も先なのだと思うよ”

“す、すごい……”
彼自身、超がつくほど長く存在している“焔の眸”の化身も、壮大な時間に思いを()せ、気が遠くなりそうな顔をした。
“されど、誰がそれを歌うのだ?”
龍と化した彼らは歌えぬぞ。声が出ぬと言っておった”
カーラが口を挟む。

それを聴いたサマエルは、初めて眼を開け、貴石の化身達に視線を向けた。
“私が歌おう、火閃銀龍の心の中で、完全な歌詞も旋律も見つけたから。
今回のことは、すべて私の責任だからね。
お前達には、色々と辛い思いをさせた、許しておくれ……”
彼は頭を下げた。

“それにて、サタナエルが助かるのであれば、すべてを水に流そう”
“黯黒の眸”の化身は、重々しくうなずいた。
“ああ、サマエル様! 生きて下さるんですね、僕と!”
喜びのあまり、ゼーンは彼に抱きついた。

サマエルは眼を伏せ、そっと抱擁(ほうよう)を返した。
“……そうだね。
私にはまだ、生きてやらなければならないことがあるようだ……さあ、ゼーン、手を貸しておくれ”
“はい!”

少年に手助けされて身を起こしたサマエルは、背筋を伸ばし、歌い始めた。
「緑滴る沃野(よくや)(うるわ)しの野よー」
澄んだ歌声が、空間に流れていく。
“お、おのれ、ルキフェル、やはり寝返りおったか!”
火閃銀龍は、八つの眼をカッと見開き、怒りの念話を(とどろ)かせると、三つの首で一斉に、彼目がけて襲いかかろうとした。

しかし、“焔の眸”と“黯黒の眸”が張った結界に阻まれてしまう。
“おのれ、おのれ、おのれ!”
火閃銀龍は怒りの形相もものすごく、結界越しに彼を睨みつけた。
「優しき()腕に嬰児(みどりご)(いだ)くー」
サマエルは、顔色一つ変えず、揺るぎない声で歌い続けた。

歌うに連れて、紅を除く三つの首の動きが、緩慢になっていく。
タナトス達に巻きつき、高々と持ち上げていたつるもまた緩み始め、三頭の龍の重さを支え切れなくなったのか、徐々に下がっていった。
“や、やめよ、(あれ)は未だ、就眠(しゅうみん)しとうない、(いや)じゃ……!”
古めかしい言い回しのせいもあって、あれほど威厳があった火閃銀龍の口調は、今はまるで、小さな子供が駄々をこねているかのようになっていた。

「水多き星、恵み滴る緑陰に、安らかに眠る対の嬰児ー」
なおも、彼は続ける。
“厭じゃと申しておるに……”
口では抵抗しつつも、火閃銀龍の目つきはとろんとし、三つ首は、歌に合わせてゆらりゆらりと揺れ始める。

奥底(おうてい)に封ぜらるる者よ、寂滅(じゃくめつ)(うた)えー」
さらに、サマエルの歌は続いた。
火閃銀龍はもう、抗議の声も上げることが出来ない様子だった。
つるはタナトス達を下に降ろすと、するすると縮み、火閃銀龍の中に戻っていった。

そして、最後の旋律が消えると同時に火閃銀龍の眼はすべて閉じられ、首も全部、だらりと垂れ下がってしまった。
それでも、龍はまだしっかりと、サマエルを口にくわえ込んでいたが。

「やりましたね、サマエル様!」
ゼーンが再び、彼に抱きつく。
「いや、まだ全部は終わっていないよ」
サマエルは否定の仕草をした。
「えっ!?」

“サマエル!”
“お父さん!”
“サマエル様!”
そのとき、つるから解放された龍達が駆け寄って来た。
途中で三頭の体は輝き、龍から、人型と獣へと戻る。

「サタナエル、よくぞ無事で!」
カーラはタナトスに飛びつき、顔をなめまくった。
「こ、こら、落ち着け、カーラ!」
熱烈な歓迎にタナトスは驚き、黒豹の頭を手荒くなで回す。

「い、今歌っていたの、あたしの子守唄ですよね?」
「ぼくのもあったみたいですけど?」
勢い込んで訊いて来る二人の子孫に、サマエルは答えた。
「さあ、お前達も歌って。
火閃銀龍を倒すことは出来ないが、眠らせられれば、封印が可能なのだよ」

「えっ!?」
「子守唄で封印!?」
シュネとリオンは驚きの声を上げる。
「そ、それは本当か!?」
タナトスが、勇んで訊いた。

「本当だとも。だが、今はまだ、まどろんでいる状態だ、すぐに眼が覚めてしまう。
シュネ、まずはキミから歌って」
「は、はい。
で、でも、あ、あの歌って、変身のためだけじゃなく、封印の呪文も兼ねてたんですね?」
シュネがそう尋ねた時、“書”が、輝きながら彼女の胸元へと飛び込んで来た。
「わっ、び、びっくりしたぁ……!」

「おっ!」
「わあ、ぼくのも来た!」
彼女が受け止めたと同時に、光を発しながら、残りの二冊も持ち主目がけてやって来て、それぞれの手の中に納まった。
「そう。本に選ばれた者が歌うことで、封印はさらに強固なものとなるのだよ。
最初がシュネ、次はリオン、その次がタナトス、そして最後が私だ。
四人が順番に歌う、これを繰り返すのだ、さあ、シュネ」

「え、あ、は、はい……!」
再度サマエルに促されたシュネは、大きく息を吸い込むと、本をぎゅっと抱きしめて、子守唄を歌い始めた。
「緑滴る沃野(よくや)(うるわ)しの野よ、優しき()腕に嬰児(みどりご)(いだ)く。いとけなき子よ、眠れ。
母なる星の御胸にー」

サマエルが合図し、続けてリオンが歌う。
「“水多き星、恵み滴る緑陰に、安らかに眠る対の嬰児(みどりご)
(あけ)の龍よ、(あした)に、(よい)(うた)え、新たなる()を、月をー」
緊張のため音程が少々不安定で、声もか細く震えているが、それは仕方ないことだった。

奥底(おうてい)に封ぜらるる者よ、寂滅(じゃくめつ)(うた)え。
恐れを知らず、慈愛(じあい)を知らず、また涕涙(ているい)をも知らぬ驪龍(りりょう)よー」
次は、タナトスが自分のパートを歌った。
渋々ながらの参加にしては音程も外さず、なかなかいい声である。

それから再び、サマエルが歌う。
黎明(れいめい)の龍は光と闇を包含し、ゆえに(ふた)つの名を持つ。
玉響(たまゆら)の心地に負けじと、命の賛歌を謡え、光を(もたら)す者よー」
彼は知るよしもなかったが、禁呪の幽室に置き忘れられた彼の書も、歌声に合わせて紅い光を発していた。

その後も、四人は代わる代わる、懸命に歌い続けた。
これが現実世界なら、とっくに声が枯れてしまっていたことだろう。
彼らが歌うにつれ、火閃銀龍の巨体は、暖かい海域へ到達した氷山が海水へ溶け込んでいくように、徐々に縮んでいった。
そしてとうとう、サマエルをくわえ込んでいる紅い頭だけが残った。
「さすがにしぶといな……」
タナトスがつぶやく。

「よし、今度は皆で、最初から歌おう。お前達もだよ」
サマエルが化身達を示すと、ゼーンとカーラの体が輝いた。
現れたフェレスとニュクスを加え、全員が心を合わせて子守唄を歌い始めた。
眼を閉じて幸せそうな表情を浮かべ、それに聞き入っているようにも見える紅い頭は、ますます小さくなっていく。
最後のフレーズが響き終わったとき、火閃銀龍の頭は完全に消え失せ、サマエルはついに、束縛から解き放たれた。

言い得て妙

巧(たく)みに言い表しているさま。

しゅうみん【就眠】

眠りにつくこと。眠っていること。