~紅龍の夢~

巻の六 THE BRIDE OF DEATH ─死の花嫁─

11.龍の唄(2)

考えをまとめるように、しばらく無言でいた老人は、やがて微笑んだ。
その穏やかな笑みは、どことなく、サマエルを思い出させた。
「……たしかにお前さんは、わしの孫じゃな。わしもそうじゃった。
成長に従い、さなぎが脱皮するように、髪や眼の色が変化し、外見がまったく変わってしまったのじゃ。
我がパッサート家の者には、時折、そのような不思議が起こるのじゃよ」

「えっ、そうなの!?」
シュネは、祖父譲りの緑の眼を見張る。
「それをお前に話す前に、わしの寿命は尽きたのじゃな」
「う、うん……」
シュネは口ごもる。
祖父の死の数年後、何が起きたか……は、口が裂けても言いたくないことだった。

「それはともかく、立派になったな、ベリルよ。
夢飛行で飛んで来たのじゃろう? それほどの魔法使いになっておるとは」
祖父はしみじみと言ったが、シュネにはその意味が分からず、首をかしげた。
「え、何それ……?
あたしはただ、子守唄を歌わなきゃならなくなって、頑張って思い出そうとしてたら、いつの間にか、ここに来てたんだけど……」

すると、祖父の顔色がさっと変わった。
「な、何も知らずに来たじゃと!?
何としたことじゃ、元の“時”に戻れねば、命はないのじゃぞ!
夢飛行は、超上級者向けの、非常に高度な技なのじゃ!」
「え、ええっ、も、戻れないと、し、死んじゃうの!? ど、どうしよう……!」
青ざめたとき、急に後ろから肩をたたかれて、シュネは驚きのあまり飛び上がった。
「きゃっ!?」
「安心しなよ、ぼくが、キミをちゃんと元の世界に連れて帰るから」

「えっ!?」
その声に振り返ると、栗色の髪と朱色の眼をした青年が立っていた。
「リ、リオン兄さん!? い、いつからそこに!?」
シュネは眼を丸くした。
「キミが夢飛行をしそうになのに気づいて、とっさに腕をつかんだら、一緒に飛んで来てしまったんだ。
気づかなかった?」
こちらもまた、サマエルにどこか似ている笑みを、リオンは浮かべた。
「うん、ぜ、全然……」

「兄さん、じゃと? この子に兄はおらんぞ」
揺りかごを手で示す老人の瞳に、再び猜疑心(さいぎしん)が宿る。
「あ……えと、あ、あのね、リ、リオン兄さんは、ホントの兄弟じゃなくて、ええと……その、……」
どう話していいものか、迷ったシュネが言葉に詰まると、リオンが助け舟を出した。
「ああ、ぼくらは賢者サマエルの弟子、なんですよ。
ぼくは兄弟子なんで、彼女は、ぼくを……」
「何と、お前さん達、サマエルの弟子じゃと!?」
シュネの祖父は、彼に最後まで言わせなかった。

その勢いには、リオンの方が驚いた。
「え……ええ、信じてもらえないかも知れませんが、ぼくらは、本当に……」
「それでは、ベリル、賢者殿は、お前の血筋について、何か言っておらなんだか!?」
さらに勢い込んで、老人は尋ねた。
「えっ、お、お祖父ちゃん、ど、どうしてそれを……?」

「やはりそうじゃったか……。
それでお前は、人嫌いで有名な、賢者の弟子にしてもらえたのじゃな」
シュネの祖父は一人うなずき、それからリオンを見た。
「では、リオン殿とやら、お前さんも……賢者の血を引いているのじゃろうな?」
「はい、そうです。でも、なぜ、それをご存知なのですか?」
不思議そうに、リオンは訊いた。

「……ふむ。実はな、我が家に代々伝わる古文書には、こういう一節が繰り返し出て来るのじゃよ。
『我らは龍の一族。サマエルの血筋に連なる者』と……。
この“サマエル”が、賢者のことなのかどうか、かなり論議されておったのじゃが、現在に至るまで、結論は出なかったのじゃ。
何しろ、賢者は大の人嫌い、誰も会った者がおらんのじゃからな。
……そうか、やはり我が一族は、賢者サマエルの子孫であったか……」
感慨深げに、シュネの祖父は言った。

「そんな古文書が家にあったの、全然知らなかった。
でも、あたしもついさっき、その話を聞いたばかりなのよ、お祖父ちゃん。
それでね、まだちょっと混乱してるところに、大至急、解決しなきゃならないことができちゃって、えっと、それっていうのが……」
もっと詳しく言った方がいいかどうか迷い、シュネはちらりとリオンを見た。

彼は首をかすかに横に振り、念話を送って来た。
“サマエルが魔族……なんてことは、話さない方がいいと思うよ。
きっと、びっくりしちゃうと思うし、それにややこしくて話が長くなる。
前にぼくが夢飛行を習ったとき、飛んで行った先には長居しないようにって言われたんだ。
ずっといると、元いたところの印象が薄くなって、正確に思い出せなくなるから”
“……ふうん、そうなんだ”
彼女はうなずき、祖父との会話を続けた。

「えっと、詳しくは省くけど、その解決しなきゃならないことにね、子守唄が関係してるみたいなの。
それであたし、思い出そうと頑張ってたら、どういうわけか、その、夢飛行? で飛んで来ちゃった、らしくて……さっきお母さんの子守唄聞いたけど、これでいいのかもよく分かんないの」
孫のたどたどしい説明を聞いた老人は、あごに手をかけ考え込んだ。
「……ふむう、子守唄か……。
もしかして、あの書が関係しているのでは……」

「あの書? 何かご存知なのですか?」
リオンが尋ねると、老人は顔を上げた。
「いや……子守唄、ではないのじゃが、我が一族には、“龍の唄”と記された古文書が伝承されておっての。
しかも、厳重に封印が施されており、いまだかつて、それを解いた者はおらん。
これもまた、我が一族の謎とされておる書物なのじゃが」

「へえ……封印された古文書か」
「どっちにも“唄”がついてる……わね?」
二人は顔を見合わせ、リオンが口を開いた。
「彼女が、わざわざ“この時”に飛んで来たのには、何か意味がある気がします。
その本、見せてもらえないでしょうか」
「分かった、案内しよう、こちらへ……おう、その前に」
祖父はぱちんと指を鳴らし、うたた寝をしているシュネの母に毛布をかけると、ドアを開けた。
その後に、リオンが続く。

自分も続こうとして、ふとシュネは立ち止まり、眠る母の姿を見つめた。
「……お母さん……」
もう、遠い昔に死んでしまった母……自分のせいで。
万感の思いが、胸に迫って来る。
瞳が再び熱くなるのを、彼女は感じた。
「どうしたのじゃ、ベリル? 早くおいで」
部屋の外から、祖父の声が自分を招く。
「あ、はい、今行くから……!」
母から視線をもぎ放し、涙をぬぐうと、急いで彼女は二人を追った。

「わぁ! 懐かしい……!」
中に入るなり、シュネは祈るように指を組み合わせ、声を上げた。
今はもう存在しない、たくさんの書棚にびっしりと本が並んだ祖父の部屋。
幼い頃、彼女はよくここに来て、書を読む祖父の膝に乗ったものだった……。
「──カンジュア!」
感傷に浸る彼女を尻目に、祖父は棚の一番高いところから、一冊の書物を魔法で取り寄せた。
「そら、これじゃよ」

それは、大人の顔ほどもある、分厚い本だった。
色も大きさも様々な宝石に彩られた表紙は革製で、装飾の一部のようにも見える、金で(はく)押しされた題名は、現在人界で使われている文字ではないため、普通の人間には読むことができない。

「ご覧、ここに、“龍の唄”と書いてあるのじゃよ」
祖父が二人に、表紙の文字を示したそのとき、突如、書物が、(まばゆ)い緑の光を発し始めた。
老人は驚き、危うく本を取り落とすところだった。
「ど、どうしたことじゃ、これは……!?」
「や、やっぱりこれ、子守唄と、なんか関係があるんだわ!」
シュネが叫ぶと、ひときわ強く、書物が緑色に輝いた。

「そうかも知れぬの。この文字は、かなり古い時代のものでな、色々な文献を調べ、近年ようやく解読できたのじゃが。
おそらくこれは、お前さん達のために、長年……一説には、千年とも、千二百年とも言われておる……我が一族に伝承されて来たのじゃろう。
さあ、持っておいき。お前ならきっと、封印も解くことが出来るはずじゃ」
祖父は古文書を差し出す。

シュネは掌を広げて、本を押し戻すような仕草をした。
「あ、駄目、無理よ、すり抜けちゃうわ。
さっき、お母さんに毛布かけてあげようとしたけど、持てなかったもの」
「いいや、真実、お前が必要とするものならば、そんなことはないはずじゃ」
祖父は、孫の手に書を乗せた。

「あ、待っ、おじいちゃ……!」
慌ててつかもうとする彼女の手の中に、ちゃんと書物は残り、光も消えた。
「あ、あれれ……?」
「そら、わしが言った通りじゃろう」
老人は、にっこりした。

「ホントだね。この本は、キミか、それとも……誰か必要とする人が、夢飛行で過去に飛んで来ることを想定して、キミの家に代々伝えられて来たんだよ」
リオンが言い、シュネは大きく息を吐く。
「……そうみたいね……」
持つことが出来ないはずの過去の物体が、こうして彼女の手の上にある。
それには、特別な理由があるに決まっていた。

「ともあれ、大きくなったお前の姿を見ることが出来てよかった。
あと、どれくらい生きられるか、大人になったお前を眼にすることは出来まいと諦めておったからの」
老人は例の、サマエルを思い起こさせる優しい笑みを、またも浮かべた。
「お祖父ちゃん!」
シュネは抱きつこうとするが、やはり体はすり抜けてしまうのだった。

「……ああ、お祖父ちゃん……」
シュネは思わず、小さな子供のようにべそをかいた。
「ベリルや、いい年頃の娘が、そんなみっともない顔をしてはならんぞ。
さあ、もうお帰り。リオン殿……でしたな、ベリルを頼みましたぞ」
「はい、お任せ下さい」
リオンは軽く頭を下げた。

「でも、どうやって帰るの?」
「念じるんだ、元いたところに帰りたいって。思い浮かべるんだ、元の世界を。強く、強く!」
「う、うん、分かった。さよならね、お祖父ちゃん……」
淋しげに、シュネは祖父に手を差し伸べる。
老人も手を伸ばし、二人のそれは重なったものの、やはり触れ合うことは出来ないのだった。

「ああ……」
再びシュネが泣きそうになると、祖父は穏やかに言った。
「嘆くことはないのじゃよ、ベリルや。
お前にとっては別れじゃが、わしにとっては、そうでもないのじゃからな」
それを聞いたシュネは、揺りかごで眠る自分を思い出した。
「そ、そっか。あたしは、これから大きくなるんだもんね……子供のあたしとはまだ、一緒にいられるんだよね」

「そうじゃ、その間、わしは、少しずつ成長するお前と過ごせるのじゃから、心配はいらんよ。
お前はお前の、今の世界で達者で暮らせばよい、ベリル。
賢者サマエルによろしくな、しっかり修行するのじゃぞ」
「う、うん。じゃあね、お祖父ちゃん」
シュネはようやく微笑み、祖父に手を振った。

そのサマエルが大変なことになっていて、彼を火閃銀龍から救い出すため、子守唄を捜しに来たのだ……とは、もちろん彼女は、祖父には告げることが出来なかった。