10.龍の邂逅 (2)
「僕らもいるよ、それに、ほら、シンハも!」
タナトスに続き、シュネとリオンが隠形術から出て行く。
さらに、黄金のライオンがのそりと現れると、サマエルの声は、意識せずに震えた。
「ああ……シンハ……来ていたのか……」
直後、兄の陰から出て来た夜色の豹に眼を止め、彼は問いかけた。
「おや、その黒豹は……?」
タナトスは、カーラの頭を一なでし、誇らしげに答えた。
「こいつは“黯黒の眸”の化身、カーラだ。俺が名づけた」
「お前、また、
思わず、サマエルは眉をひそめる。
「勘違いするな、俺が創ったわけではないぞ。
こいつは、俺達の知らないところで、以前から存在していたのだ。
それが、ここに来るとき、戦闘用の化身として現れた。
テネブレと分離したばかりで名無しだと言うのでな、俺がつけてやったまでのことだ」
“
そのとき、不意に、伝説の龍の忌々しげな思念が割り込んで来て、サマエルを除いた全員が、さっと身構えた。
“
──いざ!”
言うが早いか火閃銀龍は、四つの頭をもたげ、黒い色の口をかっと開けた。
「──まずい、散れっ!」
タナトスが叫び、皆はさっと四方に散った。
直後、漆黒の光線が発射されて激しい爆発が起こり、息が止まるほどの熱風が周囲に吹き荒れた。
さすがは、魔界の救世主と
さらに、龍は、サマエルを捕らえている紅以外の口から、それぞれと同色の光線を、彼らめがけて吐き出し始めた。
タナトスは避けつつも時折反撃するが、小山のような火閃銀龍のどこに攻撃が当たっても、思ったようなダメージは与えられない。
少量の煙が上がる程度だった。
それを見たリオンやシュネ、そしてシンハやカーラも、それぞれに魔法で攻撃を加え始めた。
だが、やはり、龍の巨体は大した損傷を受けない。
それにまた、あまりに強力な魔法を使うと、サマエルに影響が出る恐れもある。
ならばと、うねうねとうごめく首や、弱そうな眼に攻撃を集中させてみても、龍はそれを平気な顔で受け流し、小石が当たったほどにも感じていないようだった。
それでも、相手の動作が比較的緩やかなため、光線を避けることは、さほど難しいことではなく、これなら時間を稼ぎつつ、弟を取り戻せるかも知れないと、タナトスが思ったのも束の間。
「──うっ、あ、ああ、くっ……!」
彼は、サマエルが苦悶の表情を浮かべ、うめき声を漏らしていることに気づいた。
さらには、弟の体の、火閃銀龍にまだ飲まれていない部分に、火傷に似た跡までが次々と現れ出したことにも。
「何だ、サマエル、どうした!?」
タナトスが叫んだことで、全員がそれに気づいた。
『まさか……ルキフェル!』
シンハが、何かを悟ったように、眼を見開いたのはそのときだった。
「どうしたのだ!? なぜ、サマエルが苦しんでいる?
あの跡は一体何だ、火閃銀龍が、何かしているのか!?」
焦って弟を指差すタナトスに、ライオンは苦々しげな視線を向けた。
『ここはルキフェルの内部。ゆえに、我らが光線を避ければ、彼に命中したも同然となる。
先ほど、モトがあれほど傷を負っていたのも道理、避ければルキフェルが負傷致すゆえ、その身に受けるしかなかったのであろうよ』
「ふん、ならば結界を張ればいいだろうが!
──」
頭に血が上り、勢いで結界を張ろうとした彼を、シンハは冷静に止めた。
『待つがいい、サタナエルよ。弾き返した魔力は、
結界が跳ね返した光線……それは言うまでもなく、サマエルを傷つけるに決まっていた。
「くそっ、それでは、俺達はやられているしかないということか!?」
タナトスは、苛立たしげに拳を振り回す。
シンハは、捕らえられて苦しげにもがくサマエルから、片時も眼を放せない様子で答えた。
『……
さもなくば、救いに参ったはずの我らが、ルキフェルの……死の使いとも成りかねぬ……』
「何、今さら尻尾を巻いて逃げるだと!? そんなことが出来るか!」
タナトスは言い返すが、その間にも、苦悶する声と共に、サマエルの傷跡は増えていく。
火閃銀龍は、わざと彼らを外して乱射しているようにも思え、彼は
「くそう、ここまで来て、みすみす……!」
「お、伯父さん、ぼくら、どうすればいいんですか!?」
リオンは、ただおろおろしていた。
サマエルを守りたいのは山々だが、相手は伝説の龍である。
その魔力の強さは、
下手をすれば命を落とすかも知れないと思うと、うかつに攻撃を受けることはできなかった。
「や、やっぱり外に出ましょう!
こ、このままじゃ、サマエル様が死んじゃうよ!
あたし達だって、無事じゃいられない!」
シュネが振り向いて叫んだとき、その隙を狙いすましたように、光線が彼女目がけて発射された。
「危ない! うわっ!」
彼女をかばったリオンは、光線をまともに浴びて、跳ね飛ばされてしまった。
「きゃあ! リオン兄さん! しっかりして!」
「き、来ちゃ駄目だ、大丈夫……かすった、だけ、だから……うっ!」
唇から血を滴らせながらも強がって見せ、駆け寄ろうとするシュネを、手を上げて止める。
しかし、想像以上に火閃銀龍の攻撃は強力で、全身に鋭い痛みが走り、起き上がることさえ出来ずにいた。
その彼に向けて、龍は、容赦なく追い討ちをかける。
「──うわあっ!」
リオンは、転げ回って必死に攻撃を避けた。
だが、そのことでますます、サマエルは窮地に追い込まれていくのだった。
「だ、誰か、助けて! 兄さんが……サマエル様も、どっちも死んじゃう……
死んじゃうわ!」
シュネはどうすることもできずに、頭を抱えてその場にうずくまる。
その彼女も、無事では済まなかった。
「きゃああっ!」
直撃こそしなかったものの、シュネは爆風で吹き飛ばされ、ぐったりとなった。
「──シュネ!」
リオンは叫ぶが、自分の身を守るだけで精一杯で、彼女に近寄ることもできない。
『“黯黒の眸”よ、リオンをサタナエルの
我はシュネを連れてゆく!』
シンハは兄弟石に指令を出し、一飛びでシュネのところへ行き、彼女に触れ、呪文を唱える。
『──ムーヴ!』
「心得た」
カーラもまた、逃げ回るリオンのそばへ降り立つと、主の許へと運んだ。
爆風のせいで獲物が逃げたことに気づかないのか、火閃銀龍は、二人がいた辺りに、まだ攻撃を加えていた。
ライオンは、その隙に、ぐったりとしたシュネに回復呪文をかける。
黒豹も同様に、リオンを回復させた。
それが終わると、シンハは魔界の王に声をかけた。
『サタナエルよ。特殊結界を張るがいい。
「……特殊結界、とは何だ? それに、結界を張るなと言ったのは貴様だろう」
不審そうなタナトスの腕に触れて、シンハは一瞬で理由を説明した。
「なるほどな。
──ネガー・スクータム!」
タナトスは、
「どこを狙っている、火閃銀龍!
俺達はここだ、全員此処に集まっているぞ!」
“
火閃銀龍は、一斉に首を回し、今度はタナトスの張った結界に攻撃を集中し始めた。
シンハが伝えたこの結界は、相手の魔力を跳ね返さずに吸収するという特殊なものだった。
吸い取った魔力を使い、ほぼ無限に維持出来るのはいいのだが、結界内からは攻撃が出来ないため、実用的でないとして、近年では使用されることがなくなっており、タナトスは習っていなかったのだ。
そしてまた、無期限に張っていられるはずのこの結界も、相対するのが無敵の龍ともなると、話は別のようだった。
四色の閃光が、半球状の結界表面を縦横無尽に行き交い、内部は帯電し、皆の髪や体毛は、ぱちぱちと音を立てながら逆立ち、結界自体も不安定に揺らいでいる。
「ちっ、火閃銀龍め、さすがは、名にし負う伝説の龍、忌々しいほど強力だな。
まだ実体化もしておらん癖に!」
結界を支えるタナトスもまた、鈍い頭痛に襲われ続け、顔をしかめて、こめかみを押さえていた。
『さて、サタナエルよ。
これにて、ようよう落ち着いて話が出来る……何としても、ルキフェルを救い出したきは山々なれど、左様な有様では、汝の結界も長くは持つまい。
断腸の思いで、
苦渋の表情で切り出すシンハの言葉を、タナトスは否定した。
「いや、それでは手遅れになりかねん。
俺達のことを知ったからには、取り戻される前にと、サマエルを飲み込む速度を上げるに決まっているからな、こやつは」
彼は火閃銀龍の方へ、
『なれど、今のままでは……!』
黄金のライオンは、苛立たしげに全身を震わせ、たてがみの炎が、火の粉を上げて燃え盛る。
そのとき。
「少しの間、攻撃をやめてもらえないか、火閃銀龍よ」
聞き覚えのある
“何と、
火閃銀龍は、黒い頭をサマエルに近づけ、大きく口を開けて威嚇する。
「そうではないよ、このままでは共倒れになってしまって、誰も得をしないと思うからだ。
お前も、私を……紅龍を飲む込む前に、私に死なれては困るのだろう?
直接話して帰らせるから、私を彼らのそばに近づけてくれないかな」
傷つきながらもサマエルは、静かな口調、落ち着いた眼差しで伝説の龍を説得にかかる。
“……むう”
火閃銀龍は、しばしの間、彼を捕らえた紅の頭に、他の頭を寄せて考えていた。
「この、のろまめ! さっさと話をさせろ!
いや、早くサマエルを返せ、解放しろ!」
しびれを切らしたタナトスが叫ぶ。
“何と。
龍が
「落ち着くがいい、火閃銀龍。
お前は伝説に謳われた偉大な龍、たかが
「も、土龍の囀りだとぉ……!?」
こちらも憤激しかけるタナトスを、目顔でシンハが抑える。
“……ふむ。
心を決めた火閃銀龍はそう答え、サマエルをくわえた黒い頭を、ゆっくりとタナトス達の方へと下ろし始めた。
かしましい【姦しい・囂しい】
耳障りでうるさい。やかましい。かしがましい。
しかれども【然れども】
そうだけれども。しかしながら。
間(かん)髪(はつ)を容(い)れず
少しの時間も置かないさま。「説苑(ぜいえん)」正諫から。あいだに髪の毛1本も入れる余地がない意。
◆「間、髪を容れず」と区切る。「かんぱつを、いれず」「かんぱつ、いれず」は誤り。>
かんじゃく【閑寂】
1もの静かなさま。静かで趣のあるさま。かんせき。
へんしん【変心】
考えや気持ちが変わること。心変わり。