~紅龍の夢~

巻の六 THE BRIDE OF DEATH ─死の花嫁─

10.龍の邂逅(かいこう)(1)

“『子供達』ということは、貴様らは知っているということか、龍への変化(へんげ)の仕方を”
タナトスは、シュネとリオンの方へ手を振った。
“え……あたし、分かんないけど。リオン兄さんはどう?”
“いや、ぼくも分からないな”
顔を見合わせ、二人が揃って首を横に振ると、タナトスは舌打ちした。
“ち、役に立たんガキどもだ”
顔をしかめている魔界の王に、シンハが問いかける。

“ならば、サタナエルよ、汝はいかに。
モトの申した『子供達』とは、ロムルスとレムスの両名をも、含んでおるのではないのか?”
“俺も? ……なるほど、そうか”
早速タナトスは、自分の心の中を探ってみた。
しかし、何も思い浮かばなかった。
(おい、ロムルスとレムス! どうすればいいのだ、教えろ!)
おのれと融合した少年達に尋ねてみても、やはり答えは返って来ない。

“くそ、モトめ、いい加減なことを言いおって!
これでは、たとえサマエルが目覚めても、火閃銀龍に対抗できんではないか!”
今にもかんしゃくを爆発させそうな彼をなだめるため、魔界のライオンは急いで言った。
“モトと同化したルキフェルならば、当然知っていよう。
(はや)る心持ちを抑え、静寂を友とせよ、サタナエル”

“……むう、そうか。そろそろヤツが覚醒してもよい頃合だな”
タナトスはうなずき、怒りを収めた。
“あやつが起きれば、どうにかなるだろう。
火閃銀龍の弱点なども知っているかも知れんしな”

“左様。しばしの辛抱だ”
安堵したように、シンハはたてがみを震わせる。
ロムルスとレムス、二つもの(こん)が同化したというのに、タナトスの性急さは相変わらずだった。
それでも、自重(じちょう)できるようになった分だけ、前より増しになったと言えるかも知れなかった。

その後、皆は気を張り詰めて、周囲が明るくなるのを待った。
だが、いくら経っても辺りは暗いままで、サマエルが目覚めた気配はなく、かといって、火閃銀龍が攻撃を仕掛けてくる様子もない。
タナトスの例を見ても、サマエルとモトが同化するのに、それほど時間がかかるとは思えなかったのだが。

“……くそ、モトのヤツ、失敗したのか? まったく、口ほどにもない”
初めこそ大人しく待っていたものの、とうとうタナトスはしびれを切らし、ぶつぶつつぶやきながら、苛々と歩き回り始めた。
彼が何かしでかさないうちにと、すかさずシンハは釘を刺す。
“サタナエル、軽挙(けいきょ)(つつし)むがよいぞ”

“ふん、分かっておるわ、心配せずとも、単独で飛び出して行ったりはせん。
だが、この後、どうするのだ?
サマエルが起きんことには何も始まらんし、俺達がどうやって龍になるかも、分からんのだぞ。
八方(ふさがり)とはこのことだ……くそっ、忌々(いまいま)しい!”
タナトスは闇を睨みつけ、悪態をついた。

黄金のライオンは顔を上げ、探るように空間の匂いを嗅いだ。
周囲を取り囲む闇は、相も変わらず深い静寂に包まれており、何の気配も思念も伝わっては来ない。
“……ふむ。
幸いなことに、未だ我らの侵入を、火閃銀龍に悟られてはおらぬようだな、ならば……”
そうつぶやくと、彼はシュネに念話を送った。
“ベリルよ、ルキフェルに呼びかけてみよ。
モトが融合出来たかは不明なれど、汝の呼び声ならば、彼を目覚めさせることができるやも知れぬ”

“そうか、元々、そのために連れて来たのだしな。
早速やってみろ、ベリルとやら”
動きを止めて、タナトスも彼女を促す。
“は、はい。じゃあ、やってみます、ね”
シュネはうなずき、祈るように指を組み合わせると、この空間のどこかで眠っているはずのサマエル……その精神に向かって、呼びかけを始めた。

“え、えっと……サ、サマエル様! あたし、シュネです! 眼を覚まして下さい!
シンハやリオン兄さんや、あなたのお兄さんのタナトスさんも、ここに来てます!
皆、あなたのことを心配してますよ!
早く起きて下さい、お願いします!”

シュネ……本名ベリルの特殊な呼び声は、次元さえも超えて、相手に届く。
人界にいながら、汎魔殿で宝物庫の門番をしていた魔物を呼び寄せたことさえある。
それこそが、ジルの血を色濃く継いでいる印であり、ましてサマエルの子孫でもある彼女の声が届かないはずはない、そう思われたのだが……。

どれほど待っても何の反応もなく、周囲の闇は、水を打ったように静まり返っているばかり。
“何だ、届いておらんのか? サマエルが起きた様子はないぞ”
眉をしかめ、タナトスはシュネをじろりと見た。

“え、あ、あの……じゃ、じゃあ、も、もう一度呼んでみます……!
サ、サマエル様! お、起きて下さい!
あ、あなたが、お、起きてくれないと、皆、こ、困るんです!
お、お願いします、め、目を、さ、覚まして下さいってば!”
焦ったシュネが、少々どもりながら呼びかける。
心の声なのだから、どもる必要はないと思われたが、癖というものは中々抜けないようだった。
その後、全員が耳を澄ますも、やはりどこからも応答はない。

“……ち、どいつもこいつも、物の役に立たんヤツばかりだな!”
タナトスは激しく舌打ちし、シュネは、穴があったら入りたいような風情で、うつむいた。
“ご、ごめんなさい……あ、あたし、や、役立たずで……”

“キミのせいじゃないよ、シュネ。
お父さんを押さえつけてる力の方が、キミの声より強いんだ、きっと”
リオンは彼女を慰め、それからタナトスに言った。
“こうなったら、ぼくら全員で、一斉に呼びかけてみましょうよ。
ぼくらは皆、サマエルには深い関わりがあるんですから。
一人じゃ駄目でも、皆一緒なら聞こえるんじゃ?”

“シナバリンよ、よくぞ申した”
ライオンは大きく全身を振り、賛意を示す。
“たしかに、ここに(つど)いしはすべて、ルキフェルとは浅からぬ(えにし)のある者。
いわんや、伝説の『四色の龍』である汝らの声が、ルキフェルに届かぬはずはあるまい”
“ふん……まあ、やってみても損はあるまい。どうせ、他に手段も考え付かんしな”
タナトスも渋々同意する。

“……サタナエルよ。我も、その呼びかけに加わるべきか?”
それまで、ただ成り行きを見守っていたカーラが尋ねて来た。
“無論だ、カーラ。
お前、すなわち“黯黒の眸”は、ヤツに『カオスの力』を分け与えたのだし、テネブレに至っては、ヤツを『息子』と言っていたくらいなのだからな”
“相分かった”
黒豹は居住まいを正した。

“さあ、皆、用意はいいな。
いくぞ! ──目覚めろ、サマエル!”
“ルキフェル、目覚めよ!”
“起きて、サマエル様!”
“お父さん、起きて!”
“覚醒せよ、ルキフェル”

タナトスの号令一下、シンハが、シュネが、リオンが、カーラが、一斉にサマエルに向けて呼び声を放った。

途端に、周囲がぱあっと明るくなる。
その眩しさに、皆は顔を覆い、あるいは固く眼を閉じた。
再び彼らが眼を明けたとき、すぐそばに、巨大な壁がそびえ立っていた。
意外にも彼らはすでに、目的地へ到着していたのだ。
そして、火閃銀龍に飲み込まれつつあった第二王子の目蓋が、彼らの声に応じてかすかに動き、ついに開いた。

「誰……? 私を呼ぶのは……ジル、かい?
まさか、ね……彼女は、もう……。
ああ、誰でもいい……私は眠りたいのだ、起こさないでくれ……」
だが、せっかく目覚めたというのに、サマエルはすぐに眼を閉じてしまった。

“駄目、サマエル様、起きて! あなたは、あたしのご先祖様なんでしょう!?
ちゃんと会ってお話したいよ!”
思わず、シュネが声を上げた。
“あたし、ずっとずっと、サマエル様が、ホントのお父さんだったらいいのにって思ってた……!
ねえ、起きて、遠い遠いお父さん! ちゃんと僕を見てよ!”
しまいに彼女は、かつてサマエルの弟子として屋敷にいたときのように、自分のことを“僕”と言ってしまっていた。

再びゆるやかに眼を開き、サマエルは答えた。
「その声は……シュネ、かい……? どうして、キミが……?
そう、キミは、私とジルの子孫……そういう意味では、キミにとって、私は、父親に近しいもの、なのかも知れないが……」
シュネに手を伸ばそうとして、彼は、身動きが取れないことに気づき、周囲を見回す。

「おや、どうして……それにここは……?
ああ、そうだった、あの龍……伝説の火閃銀龍が現れて、そして……」
“ねぇ、どうやったら、あなたを助け出せるの!?
そんなところから早く出て、帰って来てよ、お願い!”
シュネは必死の思いで叫ぶ。

「……助ける? そう、火閃銀龍だけが、私を救えるのだよ。
私は、生け贄として死ぬためだけに生まれ、生きて来たのに……。
今頃になって皆が、死ぬ必要などないと言い出すから……どうすればいいか……分からなくなって……。
火閃銀龍は、ただ眠っていればいいと……目覚めなければいい、眠っている間に、すべて済んでいるからと……苦しくもないからと……言ってくれた……。
素敵だろう? シュネ。
眠っている間に……夢の中にいるうちに、すべてから解放されるなんて……」
うっとりとした眼差しで、サマエルは天を仰いだ。

“駄目、駄目だよ、死ぬなんて言わないで!
シンハは、ダイアデムはどうするの、それに、フェレスは!?
取り残されて、悲しい思いをするよ!
皆、サマエル様のことが大好きなのに!
あたしだって悲しいし、お兄さんだって、きっとそう思ってる、死んじゃ嫌だよ!”
シュネの緑の眼から、涙がこぼれ始めた。

その彼女の肩を抱き、リオンも言葉を添える。
“お父さん、リオンです……あなたが死んだら、ぼくも悲しい……。
せっかく、お父さんができたのに。
死なないで、お願いです……!”

「リオン、シュネ……お前達の気持ちは、うれしいが……」
サマエルは、わずかに首を横に振った。
「だが、“焔の眸”は私を……本当に、愛してくれているのだろうか……。
タナトスもだ……彼らは単に自責の念に駆られ、私を生かしておくことで、罪滅ぼしをしようとしている……それだけのことではないのか……?
何だか私には、そう思えて仕方がないのだよ……」

「──こ、このたわけ者め!」
たまりかねたタナトスは大声を上げ、隠形の術の範囲からずかずかと歩み出ると、サマエルを見上げた。
「たしかに、そういう側面もないではない、贖罪(しょくざい)の念から、貴様を真っ当にしてやろう、とも思ったりな!
だが、さっき、モトとのやり取りで気づいたのだ、俺は、貴様を……」

「タナトス、お前……いつの間に?」
兄の突然の出現に驚き、サマエルが身を乗り出した、そのとき。
“まことに(ろう)がわしきことよ。ルキフェルを目覚めさせたは、何奴か”
ついに火閃銀龍が目覚め、四つの首を一斉に持ち上げた。

けいきょ【軽挙】

1 深く考えないで行動すること。
2 軽く飛び上がること。登仙(とうせん)すること。

登仙

天に登って仙人となること。

ろうがわし【乱がはし】

2 騒がしい。騒々しい。  Yahoo辞書