~紅龍の夢~

巻の六 THE BRIDE OF DEATH ─死の花嫁─

8.光中の闇(2)

“相分かった”
その返事と同時に、フェレスは現実世界に戻っていた。
「た、大変よ、サマエルが捕まって……」
(あわただ)しく話し始めた彼女の胸元を、タナトスはつかみ、揺さぶった。
「捕まっている!? 誰にだ!」
「嫌、苦しい、放して」
フェレスはもがく。

「我が兄弟を放せ、タナトス。それでは話も出来ぬ」
二人の間にニュクスは割り込み、フェレスを救い出して尋ねた。
「“焔の眸”よ、サマエルを捕らえているとは何者か?」
「お、驚かないで聞いて。相手は、あの、火閃(かせん)銀龍なのよ!」
フェレスは息を弾ませ、答える。

思いもよらない名前が出たことで、タナトスは眼を()いた。
「な、何ぃ、火閃銀龍だとぉ!? たしかか!」
「ええ、そう名乗っていたわ。それに、あんな巨大な龍が、他にいるとは思えないし」
「ふうむ、火閃銀龍とはまた、厄介な。
ともかく、詳細を聞かせよ、“焔の眸”」
冷静な兄弟石の言葉に促されて、フェレスは息を整え、話し始めた。

「まず、内部に入ったら、やはり、魔族の怨霊達が現れてね。
押し問答していると、初代の紅龍モトが出て来て彼らを(いさ)め、サマエルのところへ案内してくれたのよ」
「……モト。
アナテの息子であり、夫でもあった……()の者もまた、カオスの闇に()ちておったか」
“黯黒の眸”の化身は、感慨深げにつぶやく。

「そんなことはどうでもいい、続きはどうした!」
タナトスが荒々しく叫び、フェレスは急いで話を続けた。
「サマエルは、火閃銀龍に飲み込まれそうになっていたわ。
闘おうにも、すさまじい力で変化(へんげ)は阻止され、話し合おうとしても、耳を傾けるどころか、攻撃して来て。
モトは今、一人でサマエルを守ろうと頑張ってくれているの。
だから、一緒に来て、タナトス」
フェレスは、かつての主の手を取った。

「分かった、行ってやる」
当然のように身を乗り出したタナトスに向け、ニュクスは言った。
「待て。おぬしのみでは対抗出来かねようぞ、相手が火閃銀龍ともなれば。
他の龍、朱と碧龍も連れて行かねばなるまい」
「そうだわ、シュネの呼び声なら、サマエルを目覚めさせることができるかも知れない!」
そう言うと、ニュクスの体は輝き出す。

次に現れたのは、紅毛の少年だった。
「オレが呼びに行きゃ、シュネは……あ、っつっても、まだ彼女にゃ、魔族云々(うんぬん)の話はしてねーんだっけ。
びっくりするだろーし、どうすっかな」
ダイアデムは腕組みをした。

「この際だ、すべてを聞かせておいたがよい、いずれ、否応なく知ることとなるのだ。
()く碧龍を連れて参れ。事は一刻を争う」
ニュクスの言葉に、ためらっていたダイアデムもうなずいた。
「そーだな。んじゃ、タナトス、お前はリオンを呼んで来てくれ」

「分かった。ニュクス、お前はここにいて、サマエルを見ていてくれ」
「心得た。気をつけてゆけ、二人共」
「ああ」
「じゃな!」
ダイアデムとタナトスの姿は同時に消える。

「……火閃銀龍、か」
人界の魔法陣から出て、“焔の眸”の化身と別れたタナトスはつぶやいた。
別れ際、ダイアデムは彼に、サマエルの精神内部での体験を見せてくれた。
その中で火閃銀龍は、自分の願いを伝えようと、彼の子供に宿ったと言っていた。
生かそうと試みたが、赤ん坊は死ぬ定めだった、とも。

彼がまだ王子だった頃、クニークルスの女性、フィッダが産んだ奇形児。
背中で融合した二つの体、頭は四つ、瞳はそれぞれ別の色……黒、紅、朱、(みどり)色をしていた。
そして『父よ、我は“火閃銀龍”の化身。予言はひずみ、生まれ()ずることあたわず』、そう言い遺して、死んだのだった。

(くそ、火閃銀龍め、いくら死ぬ運命だったとしても、勝手に、俺の子に宿っただと……?
それにだ、ヤツは本当に、子供を生かそうとしたのか?
どう見ても、あの赤ん坊の姿は、火閃銀龍を具現化したようだったぞ。
あやつが宿ったせいで、俺の子は死んだのではないのか?)
タナトスは、ぎりりと歯を食いしばった。

「……まあいい、ヤツを吊るし上げ、口を割らせればいいことだ!
──ヴェラウェハ!」
決意を口に出すと気分も落ち着き、タナトスは、ファイディー城に向かった。

“おい、リオン。俺だ、タナトスだ。
サマエルが危機に陥っている、貴様の助けが必要だ。
門の前にいる、急ぎ出て来い”
城門の前で、彼はリオンに呼びかけた。
“え、えええっ!? ちょ、ちょっと待ってて下さい、すぐ行きます!”
焦った返事が聞こえて来て、すぐに茶髪の少年が現れた。
「タ、タナトス伯父上、父さんが危機って!?」

サマエルを父と呼ぶことに決めてから、リオンは、タナトスをも伯父と呼んでいた。
タナトスは無言で、少年の額にいきなり指を二本、押しつけた。
「えっ、な、何……!?」
説明が面倒になった彼は、ダイアデムに見せられたことを、面食らうリオンにそのまま送ったのだった。

「わ、分かりました、急がなくちゃ、父さんが危ないんですね」
青ざめた顔で、リオンは言った。
少年の腕をわしづかみにし、心急くままタナトスは呪文を唱えた。
「行くぞ、
──ヴェラウェハ!」

一方、魔法学院に着いたダイアデムも、頭をひねっていた。
「……っと、何て言やいーかなぁ。
“黯黒の眸”は、全部話しちまえって言ってたけど……。
あーもー、ンなトコで、うだうだしててもしょーがねー、当たって砕けろだ!」
心を決めた彼は、シュネに念話を送った。

“シュネ、オレだ、ダイアデムだ。
サマエルがヤバいことになっててさ、キミの助けが必要なんだ、一緒に魔界へ行ってくんねーか?
門のトコにいるから、すぐ出て来てくれ”
「ダ、ダイアデム! サ、サ、サマエル様が、や、やばいって、ど、どういうこと!?」
一瞬後、赤みがかかった金髪の女性が、彼のそばに出現していた。
彼女は焦ると、どもってしまう癖があるのだった。

「あ、あのよ、話せば長くなっちまうんだけど……」
ためらう彼に、シュネは緑柱石の眼を向け、不思議そうな顔をした。
「ど、どうしたの、い、急ぐんじゃ、ないの?」
「えーと……実はな、キミに、その、色々言ってないコト、あってさ……。
うー、くそ、めんどくせー、オレの記憶、見てくれ!」
ダイアデムは彼女の手を取り、タナトス同様、まずは、サマエルの内部世界での出来事を見せた。
それには数分を要した。

「た、大変、や、やっぱ、い、急がなきゃ!」
叫んだシュネの手を、ダイアデムは放さず、言った。
「待ってくれ、キミにはもう一つ、見せなきゃいけねーんだ」
「え、もう一つ?」
不審そうな彼女の眼を、“焔の眸”の化身は見返すことが出来ず、うなだれた。
「……ああ。
キミが腹立ててもしょうがねーけど、でも、それでも、一緒に来て欲しいんだ、これ見ても」

「わ、分かった。と、とにかく見せて。
は、早くしなきゃ、いけない、んでしょ」
「ああ」
第二の記憶を見せ終わるには、数秒しかかからなかった。
それは、シュネを魔法学院に送っていったダイアデムが帰宅した直後の、彼とサマエルの会話……そのごく一部分だった。

記憶の中で、ダイアデムは言っていた。

「けど、血筋のこと、シュネに言わなくてよかったのか?
もう戻らねーかもしんねーぜ、彼女」
サマエルは否定の仕草をした。銀の髪が、朝日を浴びて煌く。
「いや、必ず戻って来るさ。いずれ彼女も気づくだろう、自分が、普通の人間とは決定的に違う、ということに。
もう、薄々感じているかも知れないが」

紅毛の少年は肩をすくめた。
「何で教えてくれなかったんだ、って恨まれちまうかもな」
「そうだね。ただ、短い間でも彼女には、普通の女性として生きて欲しかったのだ」
「でも、結局は、魔界と天界との戦に巻き込んじまうことになるんだろ?
そん時になって、今までの生活を捨てて戦えって、酷くねーか?」

サマエルは眼を伏せた。
「たしかに辛いところだが、彼女が魔族として覚醒すれば、人間の中で普通に暮らすことは難しい。
成長速度も、人間とは違うしね」
「たしかにな」

「彼女は、我ら魔族の幸運の女神、存在そのものが周囲の者の心を和ませ、未来に明るい希望を持たせてくれる。
真実を告げなかったのは、彼女への、ほんのささやかなお礼なのさ。
恨まれてもいい、彼女には、一つでも多く素敵な思いをさせてやりたい。
思い出すたびに心が温かくなるような思い出を、人間の中でたくさん作って欲しいから」

ダイアデムは、にっと笑った。
「心配いらねーよ、シュネは明るくって強い。
何があっても、めげやしねーさ。お前よりもジルに似たんだな」
「そうだね。これで念願の四龍が揃い、ついに我らは、朱の貴公子とエメラルドの貴婦人を加えた、最強の力を手に入れた。
運命の時はもう、すぐそこまでやって来ている……」
魔族の王子は、未来に思いを馳せるように遠い眼をした。
「予言通りなら、今度こそ、魔族は天界に勝利出来るってわけか」

そこで、いきなり記憶は途切れ、シュネは現実に引き戻された。
「つまり、キミは魔族で、そんで、サマエルの子孫なんだ……リオンと同じく、さ」
ダイアデムが、おずおずと付け加える。
それに答えるシュネは、意外なほど冷静だった。
「へえ、そうなんだ。
まあ、何となく、そんな気はしてたんだよね……サマエル様の子孫てのは、さすがに予想外だったけど。
でも、やっぱり、もっと早く教えて欲しかったな」

「いや、だから、サマエルは、キミに幸せになって欲しいって思って……」
「うん、気持ちはうれしいんだけど。
あたし、人界じゃ、あんまりいい思いしてなくて。
この姿になっても、違和感ありまくりで……周りの人達が、急にちやほやして来んのも、何だかさ……」
シュネは、大きなため息をついた。

そんな彼女を、ダイアデムはちらりと見た。
鬱陶(うっとう)しい、ってか?」
「……そう、かも。だから、あんまり人界に未練ないんだ。
それよか、早く、サマエル様を助けに行こうよ」
「ああ。けど、そんなに居心地悪いんか、ここ」
彼は学院の建物を指差す。

「居心地悪いっていうか、ここは自分の場所じゃない、って感じ?
その訳がようやく分かったよ、あたし、人間じゃなかったんだ……あ、そんな顔しないで、ダイアデム。
これでも、うれしいんだよ、すごく。
あたし、自分が何か分かんなくて、ずっと心細かったんだ。
けど、あたしは魔族で、しかも、サマエル様の血を引いてるんだよね。
なんかさ、すっごくうれしいよ」
シュネは微笑み、“焔の眸”の化身は、ほっと胸をなで下ろした。

「そんじゃ、行こうか」
ダイアデムは、手を差し出す。
「うん……キミに()かれたのも、そのせいだった……んだね」
その手をそっとシュネは取り、二人は魔界へと向かった。