~紅龍の夢~

巻の六 THE BRIDE OF DEATH ─死の花嫁─

8.光中の闇(1)

“落ち着いて、フェレス。
ルキフェルの存在だけに意識を集中すれば、キミにも必ず見えるはずだよ、頑張ってご覧”
そう励ますモトの黒い瞳は、周囲が明るくなったため、猫のように虹彩が細長くなっていた。
“分かったわ”
フェレスは、赤紫の眼を細めて意識を集中させ、(まばゆ)光彩(こうさい)の中を凝視した。

“──いた! 見えたわ! サマエル!”
網膜が焼きついてしまいそうな光の洪水の只中に、サマエルはいた。
しかし、かろうじて見分けられたのは、顔を含む上半身だけで、いくら眼を凝らしても、下半身の方は見えない。
飲み込まれつつあるというのは、やはり本当なのだろうか、信じたくはないが……。

まつわりつく嫌な考えを振り払い、フェレスは念話を送った。
“サマエル、眼を覚まして! 起きてよ、サマエル!”
祈りにも似た、悲痛な彼女の叫びが届いているのかどうか、サマエルは微動だにせず、眼を開けることもない。

心の中に入り込み、こうして呼びかけているというのに……。
一体何が、ここまで強く、彼を呪縛しているのだろう。
せめて、もう少し近づくことができれば、たとえ敵の正体は判明しなくとも、自分の声を、サマエルに届けることが出来るかも知れないのに。
彼女が唇を噛んだそのとき、何者かの思念が、光輝の最中(さなか)から二人に届いた。

闖入者(ちんにゅうしゃ)よ、(なれ)は、もはや時機を失した。
餌食(えじき)たる紅龍を得て、(あれ)は現世へと顕現(けんげん)し、吾を次元の狭間より召喚致せし魔導師との契約は、いよいよ成就(じょうじゅ)致すのだ”
“サマエルが餌食!? お前を召喚した魔導師って……いいえ、それよりもまず、お前は一体、何者なの!? 名乗りなさい!”
フェレスは恐怖心を押さえ、詰問した。

()喫驚(きっきょう)な。
(なれ)は、かつて、吾を呼び()だしたる()の魔導師に、肖似(しょうじ)致しておる……神奇(しんき)なことよ。
(いな)、似通っておるは姿形に(あら)ず、内面に燃ゆる炎の有り様か”
輝きの中から、重々しい答えが届く。

“どうでもいいわ、それより早く、サマエルを自由にしなさい!”
直視出来ないほど強烈な光の中にいる相手を、それでもフェレスは、睨みつけずにはいられなかった。
謎の存在を召喚したという魔導師のことも気にはなったが、今は、サマエルを取り戻すことが先決だった。

“ふむ、実際の声音(こわね)も、耳にしてみたいものよ。されば少々……”
直後、フェレスを抑えつけていた途方もない力が、ごくわずか緩み、どうにか唇だけは動かせるようになった。
「サ、サマエルを、放し、て!」
彼女は、懸命に声を絞り出した。

謎の存在は、笑いにも似た思念を返して来た。
“思うた通りに、良き声音(こわね)よ。
されど、紅龍は、もはや粗方(あらかた)()が体内へと吸収されておるが”

「う、うるさいわ、お前が何であろうと構わない、今すぐに、サマエルを返して!」
必死に、フェレスは声を張り上げる。
“くく、()きが良いの。()が真なる風姿を眼前にしても、左様な大口をたたけるものやら。
どれ、()眩耀(げんよう)(きぬ)を、取りのけてくれようか”
謎の存在がそう告げると、眼に突き刺さるようだった強烈な光が、徐々に弱まり始めた。

そして、明るさが外の世界の昼間と同程度になったとき、フェレスの眼に真っ先に映ったのは、捜し求めていた愛しい伴侶の姿だった。
「ああ、サマエル!」
安堵したのも束の間、彼の体がかなり高い位置にあり、しかも、下半身は、ごつごつとした岩に挟まれていることに彼女は気づく。
彼を捕らえていたのは、天を突かんばかりに巨大な岩山だったのだ。
それは、青や銀、茶など様々な色の鉱物で構成されており、その間から時折、熾火(おきび)のような鮮紅色の(きらめ)きが覗いていた。

「な、何? この、山みたいな鉱物の(かたまり)は……!?」
“この岩山が、敵の正体なのか!?”
自身も宝石の化身とはいえ、想像外の事態に、フェレス、そして、モトもまた、眼を見張っていた。
(あれ)は岩には(あら)ず、山にも非ず。(とく)と見よ、“()が真の風姿を!”
苛立った思念が、二人の頭の中に(とどろ)き渡る。

“くっ……!”
とっさにモトは頭を押さえ、それから、はっと息を呑んだ。
“ああ、分かったぞ!
ルキフェルを飲み込もうとしているところが、口の一つなのだ、そして……”
「口の一つ? あ、動けるわ!?」
フェレスも、痛みを感じて頭に手をやり、体の自由が利くようになったことを知った。
輝きが薄らいだことで、彼らを拘束する力もまた、弱まったようだった。

“相手が大き過ぎて、全体像がつかめないのだな。
フェレス、もっと距離を取れば、キミにも判別がつくはずだ”
「ええ」
モトの言葉に従い、フェレスは足早に後ろに退いた。
「あ、ああ……龍だわ、これは、ものすごく大きな龍なのね!」
あまりに巨大で、ただの岩山としか見えなかったものが、こうして全体を見渡せるところまで離れて初めて、彼女にも相手の形状が把握できた。

「でも、この龍、一体何なの? なぜ、サマエルを捕まえてるのかしら?」
“これが紅龍というのなら、まだ分かるのだが……”
二人は困惑し、顔を見合わせた。
紅龍はその名の通り、紅い(うろこ)に覆われた龍である。
しかし、今彼らの目の前にいる、まるで鉱物そのものが命を持ったかのような巨大な龍は、何もかもが紅龍とは異なっていた。

“……ふむ。存外、(あれ)は知られておらぬか。
膾炙(かいしゃ)と豪語しておったは、()(おご)りであったのか”
龍の思念が、ほんのわずか、落胆の響きを帯びる。
しかし、それも束の間、巨大な龍は気を取り直したように、サマエルをくわえている以外の三つの首をもたげ、四対の眼を同時に開けた。
瞳の色はすべて銀、そして、頭部はそれぞれ別の色……黒、紅、朱、碧色をしていた。

「四色の頭……ま、まさか、お前は!?」
驚きに声を詰まらせるフェレスに向けて、龍は宣言した。
“吾は、唯一無二にして(まった)き龍、生滅変転(しょうめつへんてん)致す現象の背後にありて、常住不変(じょうじゅうふへん)の実在!
(しか)して、吾が名は、『火閃銀(かせんぎん)龍』なり!”

「か、火閃銀龍ですって!?」
思わず、彼女は顔色を変える。
「で、でも、なぜ、お前がサマエルの中にいるの?
それに、予言は変わった……もう、出番はなくなったはずだわ」
フェレスの言葉に、モトは、弾かれたように彼女を見た。
“この龍が出て来る予言があるのか!? それが変わった……?”

魔界王家の紋章となっている火閃銀龍は、紅龍を制御出来る唯一の存在とされ、その予言は、汎魔殿の(いしずえ)である要石に彫り込まれていた。
『──永劫(えいごう)(とき)の果て、四ツ首の火閃銀龍、覚醒したりなば、対の(まなこ)(みは)りて、(あお)き大地にて祈りを捧げよ。
さすれば、天地に()まいし者、(ことごと)く我らが力となりて、那由多(なゆた)の刻、平安を(むさぼ)りし仇敵(きゅうてき)を討つ。
白き翼と黒き翼、()じりし刻にこそ、宿願は叶い、(まが)つ影取り払われ、我ら呪いより解き放たれん──』

この序文の下に、“紅龍”となるべき者の資格、“火閃銀龍”に変化(へんげ)する王の条件、儀式の方法、惑星の位置等が謎めいた文章で記されていた。
それによると、紅龍は火閃銀龍の(えさ)であり、生け贄の儀式において紅龍の心臓を食らった王が、伝説の龍へと変化する。

この無敵の龍の力により、魔族は、神族との戦に勝利し、故郷ウィリディスを奪還出来るとされていた。

だが、この“要石の予言”は、モトの時代には存在しなかった。
それでも、敵による侵攻は、偉大な予知者の一人によって予知され、紅龍を呼び出す呪文も(のこ)されてはいたが、侵攻の時期は明確になっておらず、フェレス族が平和主義だったこともあって、アナテがその封印を解くまで、呪文は忘れ去られ、ひっそりと神殿の奥に眠っていたのだった。

「ああ、あなたは知らないのよね、モト。
ほら、紅龍を召喚すれば、味方にも被害が出てしまうでしょう?
それに、神族が攻めてくるたびに、紅龍が死ななくちゃいけないのも痛いわ、王族の血筋を継承するという意味でもね。
だから、あなたの子孫達は、様々な術を模索し、紅龍を制御出来る存在、“火閃銀龍”を召喚する方法の発見に成功したの。
この龍さえいれば、必ず神族に勝てると言われていたわ。
でも、サマエルの母が死ぬ間際、女神の言葉として、新しい予言を伝えたのよ」
“新しい予言? ルキフェルの母君が?”

「ええ。その予言では、火閃銀龍がいなくとも、四頭の龍が力を合わせて戦えばいい、そう解釈出来るのよ。
現魔界王タナトスとサマエルとが、朱龍と碧龍を従えて立ち上がれば、神族との戦いに勝てるはずだと。
それだから、もう、紅龍……サマエルを生け贄にする必要はないのだと思い、わたくし達は、ほっとしていたのに」

そのとき、不服そうな龍が口を挟んで来た。
気随(きずい)な真似を。それゆえ、()熱願(ねつがん)を伝えんと、現魔界王の赤子へと宿ったのだ。
なれど、脆弱(ぜいじゃく)なる()の赤子は、生まれ()ずるやいなや、(たちま)不帰(ふき)の客となった”

「えっ、では、タナトスの子は、お前のせいで死んだと言うの!?」
フェレスが驚くと、火閃銀龍は、否定の思念を送って来た。
“否。(あれ)は、赤子を生かそうと試みた。
なれど、()が力を()ってしても、運命は如何(いかん)ともし(がた)し。
()の赤子は、元より死する定めであったのだ”

「そう……。タナトスは、『もはや予言など不要だと知らしめるために、あの子は生まれて来たのかも知れない』と言っていたけれど、そうではなかったのね。
でも、お願い、火閃銀龍。わたくしは……わたくし達は、サマエルを死なせたくないの。
彼を返して。そして、次元の狭間とやらへ帰って」
フェレスは、祈るように指を組み合わせた。

しかし、返って来たのは、またも否定的な心の声だった。
“左様なわけには参らぬ。
第一、()の魔導師との契約を果たさねば、吾が帰還も叶わぬ。
今のまま、実体を持つことも叶わず、幽鬼のごとく彷徨(ほうこう)致すのみ。
それゆえ、吾は(すべから)く、紅龍を食せねばならぬのだ”

「でも、女神は、予言はひずんでしまったって……それに、タナトスに関する予言は外れているし、朱龍や碧龍の存在も、要石の予言には……」
“もはや、これより先の問答は無用!”
フェレスは新しい予言について説明しようとしたが、火閃銀龍は聞く耳を持たず、三つの口から、黒と朱と碧色の光線を吐いた。

「待って、火閃銀龍!」
“危ない!”
モトが彼女をかばい、かろうじてそれをかわす。
“フェレス、加勢を呼んでおいで。
それまでは、わたし一人で何とかするから”

「えっ、一人では無理よ」
“いいから、早く!”
「分かったわ!」
“『黯黒の眸』よ、わたくしを連れ戻して!”
フェレスは、ニュクスに呼びかけた。

闖入者(ちんにゅうしゃ)

突然入って来た者、突如許可無く入り込んで来た人、などの意味。

なれ【汝】

二人称の人代名詞。おまえ。なんじ。

えじき【餌食】

餌(えさ)。

あ・あれ【吾/我】

一人称の人代名詞。われ。わたし。◆上代語。中古には慣用表現に残るだけで、「われ」が多く用いられた。

けんげん【顕現】

はっきりと姿を現すこと。はっきりとした形で現れること。

こは 【此は】

これは。これはまあ。疑問・感動の気持ちを表すときに、多く用いる。

きっきょう【喫驚・吃驚】

驚くこと。驚天。

しょうじ【肖似】

よく似ていること。酷似。

しんき 【神奇】

不思議なこと。

げんよう【眩耀】

まばゆいほどに輝くこと。

とくと 【篤と】

よく念を入れて物事を行うさま。じっくりと。

かいしゃ【膾炙】

世の人々の評判になって知れ渡ること。
《「膾」はなます、「炙」はあぶり肉の意で、いずれも味がよく、多くの人口に喜ばれるところから》

まったき【全き】

完全で欠けたところのないこと。

しかして【然して/而して】

そして。それから。多く漢文訓読文に用いられる。

生滅流転(しょうめつ るてん)

この世のものごとは、常に変化しとどまるところがないというたとえ。

じょう‐じゅう 【常住】

仏語。生滅変化することなく、過去・現在・未来にわたって、存在すること。じょうじゅ。

驪龍(りりょう)

黒い龍。りりゅう。

不帰(ふき)の客となる

帰らぬ人となる。死ぬ。

うだい【宇内】

天下。世界。

ほうこう【彷徨】

さまよい歩くこと。あてもなく歩きまわること。

すべからく【須く】

当然。漢文訓読に由来する語。「すべくあらく(すべきであることの意)」の約。
(yahoo辞書より)