~紅龍の夢~

巻の六 THE BRIDE OF DEATH ─死の花嫁─

7.夢の罠(1)

第二王子を連れた宝石の化身が去り一人きりになったプロケルは、まずは深呼吸して気を落ち着け、頭の中を整理しようとした。
事態は一応の沈静を見たものの、主の容態を含め今後のことを考えると、自分の手には余るように感じられる。
そこで彼は、魔法医エッカルトに相談を持ちかけようと思い立った。
魔法医の代表である男爵は、職業柄、守秘義務があることに加え、個人的にも信頼の置ける相手だった。
彼は、急ぎ短い手紙をしたためて使い魔に持たせ、人目につかないところで渡すよう命じた。

引退したはずのプロケル公に、タナトスの私室に呼び出されたエッカルトは、内心驚きつつも、まずはうやうやしくお辞儀をした。
「プロケル元公爵、ご無沙汰致しております。
して、内密なお話とはまた、どのようなことでございますか?」
「おお、エッカルト殿、わざわざ呼び立て致して申し訳ない、実は……」
さっそく、プロケルは、第二王子が反逆すれすれの行為に及んだことも含め、つい先ほどこの部屋で起きた、目まぐるしい出来事を詳しく話した。

聞くうちに、エッカルトは徐々に難しい顔になり、彼の話が終わると、重々しくうなずいた。
「……なるほど。お話はよく分かりました。
まず、何はさて置き、タナトス陛下のご容態が気がかりでございます。
陛下は今、どちらにおいででしょうか?」
「おそらく、ご寝所だと思うのだが」
そこで、二人は、そっとタナトスの寝室に入って行った。

広い豪華なベッドの上には、ついさっき倒れ込んだままの格好で、タナトスとニュクスがぐっすりと眠っていた。
“いかがであろうな、エッカルト殿。
それがしには、さほどお弱りになっておられるようには感じられなんだが”
彼らを起こさないよう、プロケルは念話で医師に話し掛けた。
“少々お待ち下さいませ”

慎重に診察していたエッカルトは、やがて振り向き、心配そうな公爵に笑顔を向けた。
「ご懸念は無用でございますぞ、プロケル公。
幸いなことに、お二方共、取り立てて異常は見られませぬ。
酷使した精神を回復させるため、睡眠を取っていらっしゃるだけのようです。
この分では、数日もすれば完全に回復され、お目覚めになるでしょう」

「左様か、それは何よりだ……!」
心から安堵してプロケルは言い、安らかな寝息を立てている二人を魔法で着替えさせ、布団をかけた。

足音を忍ばせて元の部屋に戻ると、老公爵は切り出した。
「ところで、サマエル様について、エッカルト殿はいかに考える?
いかに、兄君をお助けしたいというお心からとは申せ、先ほどの振る舞いは、あまりに過激であったと思うのだが。
ベルフェゴールの謀反の時などもそうだったが、やはり、ご幼少時の体験が原因で、時折、あのように……その、少々度を越した行動に出なさるのであろうか……?」

エッカルトは顔をしかめた。
「サマエル殿下につきましては、わたくしも、かつてベルゼブル陛下に、僭越(せんえつ)ながらと、ご意見申し上げたこともございました。
なれど、まったくお耳を貸して頂くことが出来ませんでしてな……」

「おう、エッカルト殿も、とは……」
プロケルは悲痛な表情になり、嘆息(たんそく)した。
「何ゆえ、ベルゼブル陛下は、サマエル様のこととなると、ああも(かたく)なになってしまわれるものやらな。
また、そうまでされてもなお、お父君を一心にお慕いなさっておられる殿下が、おいたわしくて、見ておられぬよ……」

「左様、サマエル殿下は、ご自分のことは、ベルゼブル陛下には何も言ってくれるなと仰っておいででしたな。
周りがあまりに強く意見すると、意地になってしまわれるという陛下の性格を、よくご存知だったのやも知れませぬが」
「あの方は、幼少の(みぎり)より、大層利発なお子だったゆえな。
……そうそう、ダイアデム殿が、まだ洗脳が解けておらぬと仰せだったのだが、エッカルト殿は、心当たりがおありか?」

プロケルの言葉に、魔法医は重々しくうなずいた。
「はい。虐待に近い行為が執拗に繰り返されれば、洗脳に近いものになってしまうことは十分に考えられまする。
されど、そのお言葉からすると、すでに“焔の眸”閣下が、解除を試みられておられるのでしょう。
さすがは、長の年月、魔界の守護精霊を務められた方……こういうことにも精通しておられるようですな。
それでも、やはり、洗脳から解放されるには、かなりの時間が必要と思われまする。
何しろ、サマエル殿下が魔界をお出になるまで……つまりは、一万年以上もの間、みずから死を望むように仕向けられていたと申し上げていい状態が、続いていたのですからな……」

「左様か……」
公爵は、またもため息をつき、それから気を取り直し、言った。
「ともかく、他の家臣達にも一応、今回の次第を聞かせておくとしよう。
汎魔殿では、噂が広まるのは早い。
尾ひれがついて収拾がつかなくなる前に、対処しておかねばならぬ。
それから、これは申すまでもないことながら、今回のサマエル様の過激な言動は伏せておいて頂きたいのだが。
テネブレを封じるため、“焔の眸”閣下と共に、手助けにいらして頂いた、とだけ。
……未だに殿下を王に担ぎたがっている(やから)に、不用意な口実を与えたくもないゆえな」

「かしこまりました。
されば、後でサマエル殿下も、内々に診察致しましょう」
「かたじけない。では、もう少々、お付き合い願うぞ、エッカルト殿」
「は、お供致します」

そこでプロケルは、使い魔を通じ、主立った家臣達に招集をかけた。

「……というわけで、陛下はあの者……“黯黒の眸”化身であるニュクスを得るため、危険なテネブレを封じる必要があったのだな。
本日、急に思い立ってそれを実行され、成功されたものの、お力を使い果たされ、お休みになっておられる」
会議室に集まった家臣達を前にして、プロケルは大ざっぱに事の経緯を説明し、エッカルト男爵が言葉を継いだ。
「左様、わたくしの見立てでは、陛下は数日もすればお元気になられ、お目覚めになると存じます、皆様方、ご懸念は無用でございますぞ」

話を聞いた家臣達は顔を見合わせ、小声で意見を述べ合っていたが、しばしの後、パイモンが、彼らを代表するようにゆっくりと手を上げた。
「プロケル公爵殿、少々よろしいですかな」
「それがしは、もはや元公爵だが」

パイモンは顔をしかめた。
「左様な瑣末事(さまつじ)は、この際はおいておくとしましょう。
陛下がすぐにお元気になられるとの、エッカルト殿のお見立てはよいとして。
されど……たかが、女の姿をした化身を得るために、左様な危険を冒されるとは、魔界の王にあるまじき軽率な行為でございますぞ。
第一、あの化身もまた、テネブレ同様、危険なのではありますまいか」
会議室内にざわめきが走り、彼らが同じような考えを抱いていることが見て取れた。

プロケルは、即座に否定の身振りをした。
「いや、ニュクスはタナトス陛下ご自身がお創りになった化身。
当然ながら、陛下のお言葉にはすべて従うよう創られておる上に、今回の封印でさらに従順になったゆえ、危険などはない」
元公爵の言葉にも、デーモン王の眼差しは疑わしそうだった。
「……まことでしょうか?」
プロケルは胸を張り、自信たっぷりにうなずいた。
「無論。陛下がお目覚めになられたなら、ニュクス殿にも会ってみるがよい。
それがしの言葉に、必ずや首肯(しゅこう)して頂けることを請合おうぞ」

「左様ですか。なれど……せめて、事前に一言仰って頂けましたなら、皆がお手伝いをすることが出来、お力を使い果たされるようなことにはならなかったのでは?」
「テネブレの封印は、神族との戦いの前に、必ずやらねばならなかったこと。
それが、たまたま今日だった、ただそれだけのことだ。
何しろ、あの者は、結界を張る能力に長けてはおるが、気随(きずい)気ままで、しかも生き物の命を軽んずる、危険極まりない化身。
あの者に、全幅の信頼を寄せることなど初めから無理だった。
“黯黒の眸”に魔界の結界を、安んじて守らせるためには、封印するほか、なかったのだ」
元公爵は、皆の者に言い聞かせるように話した。

「……ふむ。ならば、陛下のお目覚めを待つことと致しましょうか。
方々(かたがた)も、それでよろしいな」
「仕方ございますまい」
「今少し、お待ちしますか」
彼に説得されたパイモン達家臣は、渋々ながら王の回復を待つことに同意し、プロケル元公爵は、とりあえずの責任は果たしたと、肩の荷を降ろした。

三日後、エッカルトの言葉通り、タナトスはニュクスと共に目覚め、心配していたプロケル並びに家臣達は、あるじが元気を取り戻したことで歓喜に沸き立ち、あのパイモンまでもが多少浮かれ気味になった。

だが、紅龍城に運び込まれた弟王子の方は、一向に目覚めなかった。
ダイアデムが片時も離れずに、念話で必死に呼びかけ続けても反応はなく、一週間、十日と経っても、サマエルが覚醒する兆しはなかった。

【首肯】しゅこう

肯定の意味でうなずくこと。