5.闇の誘惑(3)
もみ合う彼らの間にプロケルが割って入り、言い
「まあまあ、お二方とも、落ち着きなされ。
タナトス様、お怒りはごもっともなれど、この場は一時、お納め下さいませんかな。
激情に駆られ、闇雲に行動なさっては、何事もうまくは運びませんぞ」
「くっ……!」
タナトスは、歯ぎしりをしながらもダイアデムを解放した。
「されど、ダイアデム殿。
サマエル様がどうされるおつもりなのか、お分かりならば、お教え願えませんかな」
下手に出られたダイアデムは、ようやく答える気になった。
「う~ん、オレも、よくは分かんねーけど……。
ハッキリしてんのは、あいつがニュクスに危害を加えるつもりはねーってことくらいだなぁ」
「どうして、そんなことが分かる!
あいつは、女と見れば見境のない、下劣なヤツだろうが!」
魔界の王は
少年は口をとがらせた。
「そりゃ、ヤツの罪じゃねーよ、勝手に女の方から寄って来るんだし。
あいつは“カオスの貴公子”、生きてる媚薬みたいなもんなんだから。
それに考えてみろよ、このオレを置いてってことだけで、ニュクスは大丈夫だって分かるだろ」
タナトスは、眉間にしわを寄せた。
「何ゆえそれが、大丈夫だという理由になる!?」
「だって、マジに、サマエルがニュクスを手に入れようと思ったんなら、オレも連れてったさ。
お前が激怒して、オレをどうにかしようとするに決まってんだから。
あいつが、そこまで考えねーはずねーだろ。
だからさ、『自分を信じて待っていて欲しい』ってことなんだと思うぜ」
「では、なぜ、あの馬鹿は、そう言って行かんのだ!」
ダイアデムは、可愛らしく小首をかしげた。
「そこが、オレも引っかかるトコなんだよなー。ちょいと聞いてみっか」
「何、それでは貴様は、あいつがどこにいるのか知っているのだな、言え、ヤツはどこにいる!」
再びタナトスは少年に詰め寄る。
「こん中」
宝石の化身は、サマエルが置いて行った、巨大な水晶球を指差した。
そこには、たった今、魔界王が出てきたばかりの、地下迷宮の入り口が映っていた。
「迷宮の中だと!? なぜ、ヤツはあんなところに!」
「だから、今それを聞いてみるんだ、少し黙ってろよ」
ダイアデムが意識を集中させるのを、タナトスとプロケルは固唾を呑んで見守った。
静寂が辺りを支配した。
長い長い沈黙が続き、タナトスの苛立ちが頂点に達しようとしたとき、少年はいきなり頭を抱え、しゃがみ込んた。
「サマエルの馬鹿……!」
涙が滑らかな頬を伝って滴り落ち、美しい深紅の宝石となって床に散らばる。
滅多に見ることが出来ない宝石を目の当たりにして、魔界の王族達は驚愕した。
「一体どうした、ダイアデム!」
「ダイアデム殿、いかがされた、サマエル様は!?」
二人が“焔の眸”の化身を揺さぶると、ダイアデムはうつむいたまま、低い声で言った。
「見る勇気があるか……? タナトス。
……とてつもなく、嫌なものを見ることになるかもしんなくても……?」
「どういう意味だ?」
「サマエルが何をしてるか、これに映せるっつったら、見る気があるかって聞いてんだよ!」
ダイアデムは、水晶球を小さな拳で殴りつけた。
それはまだ先ほどと同じく、迷宮の入り口を映し出しているだけだったが、タナトスの胸の鼓動は激しくなり始めた。
「な、何をしているのだ、ヤツは……」
「……もう始めちまったかな……オレ、一人で見る勇気ねーや。
お前が見るんなら、一緒に見てもいいけど、さ」
彼のひどく落ち込んだ様子から、タナトスは、弟が自分の恋人にどんなことをしているか、分かってしまった気になった。
「──くそっ! 貴様は腹が立たないのか、サマエルに裏切られて!」
「……裏切る?」
その紅い眼に、今にもあふれそうに涙をたたえたまま、ダイアデムは顔を上げる。
涙で一層美しさを増すはずの至宝の輝きが、裏切られた悲しみに曇っているように思えて、プロケルまでもが腹を立てた。
「そうではありませんか、あの方はあなたを捨てて、“黯黒の眸”殿に乗り換えたのですぞ!
ニュクス殿はたしかにお美しい、ですが、兄君様と奥方であるあなたを裏切ってまで、手に入れようとなさるとは!」
“焔の眸”の化身は、ぽかんと口を開けた。
「……何言ってんだ? おめーら……」
「まだ、あの方をかばうのですか、お話をなさったのでしょうに!」
「そうだ、場所を教えろ、直接行ってニュクスを取り返して来てやる!」
「え……だ、駄目だよ、邪魔しちゃ……」
「貴様は諦めがついているようだが、俺は許さんぞ!
今度こそ、八つ裂きにしてくれるわ!」
魔界王の剣幕に驚愕したダイアデムは、大慌てで立ち上がる。
「よせよぉ、タナトス、ンな馬鹿なこと!
何勘違いしてんだ、今、サマエルは、お前らのために命賭けてんだぜ!」
今度は、タナトスが眼を見開く番だった。
「何だと、命を賭けている? 一体ヤツは、何をしていると言うのだ!?」
少年は眼を伏せる。
「あいつ……死ぬ気なんだ……うまくいく確率の方が低いのに……」
「何ぃ! どういうことだ、言え!」
「ダイアデム殿!」
二人に促され、ダイアデムは重い口を開いた。
「……あのな、“黯黒の眸”は、ずっと力がない状態でいただろ?
長いこと封印されてたし、この頃はどこも平和だしよ。
ンなトコへ、タナトスが魔力をたくさん注入してやった。
そんで、サマエルは、闇の力すべてを取り込む、いい機会だと思ったみたいなんだ」
「ちっ、見下げたヤツだ、さらに力が欲しかったと言うのか! あれほどの力を持ちながら!」
かつての主が大声を出すと、宝石の化身も負けじと叫び返した。
「違っげぇよ! まだ分かんねーのか、馬鹿!
“黯黒の眸”が、お前に取り
──ったく、少しは頭使えよな!
ニュクスは、お前が作った人格だから大丈夫だけど、“テネブレ”って厄介もんがいるだろ!」
思い出したくもない名を聞いて、タナトスは顔をしかめた。
「テネブレだと? 俺はヤツとも一緒にいたことがあるが、別にどうということもなかったぞ」
「あったり前だろ、そんときゃまだ、魔法陣の中に封じられてたんだもん。
けど、弱ってないときのテネブレは、どうしたって血と
そのことを、オレとサマエル以上に知っている者はいねーよ。
だからこそ、あいつは、テレブレを取り込もうって決めたんだ」
「それにしても、なぜだ? サマエルは俺を憎んでいるはず。
“黯黒の眸”のため……貴様の兄弟のためにしても、なぜそこまでする必要がある?」
魔界の王は首をひねった。
「そりゃ、きっと……一瞬だけだ、ってゆってたけど、お前を本気で殺そうって考えちまったからじゃねーかな」
「ふん、迷宮に入るときか」
タナトスは平然と答え、ダイアデムは眼を丸くした。
「お前、気づいてたのか?」
「ああ。迷宮に入ろうとした刹那、……いや、あいつと話をしていた時点で、氷のような殺気を感じたぞ。
もう、ここから生きて出られんかも知れんと、ふと思ったほどにな。
だが、それも当然だろう、俺が貴様にした仕打ち……何より幼少の頃、俺があいつにしたことを考えれば、な。
それより、分からんのは、なぜ頭で考えただけで命を賭けねばならんのか、というところだ。
俺だとて、かつては常にサマエルを殺してやりたいと考えていた……面と向かってそう言ってやったこともあるからな」
ダイアデムはかぶりを振った。
「いーや、サマエルはよ、お前が思ってるより、ずっと恩義感じてるんだぜ。
オレの左眼と、そしてオレの憑代にするために“盲いた瞳”を渡してくれたことにさ。
それに……“闇”に取り憑かれるのが、どんなに辛いかってことも知ってるしな」
「ふん、あいつが俺に恩義だと?」
疑わしそうに鼻を鳴らすタナトスに、ダイアデムはうなずいて見せた。
「ああ。昔の……ジルのこともあるし。
多分、お前は根に持ってて、絶対渡してなんかくれないだろうって思ってたみたいでさ。
ほんの気紛れだったとしても、とてもうれしかった、って感激してた」
タナトスは肩をすくめた。
「……あいつに感激などされてもな。
大体、ジルのことは仕方がないではないか。
いくら望んだところで、相手が受け入れてくれねば意味がない。
しかし、それとて、もはや済んだこと。俺はそれほど執念深くはないぞ」
「でも、サマエルはずっと、ジルはホントはお前のことが好きだったのに、自分が彼女の師匠だったから、言い出せなかったんじゃないかって、誤解してたんだ。
彼女は、オレのことを予知してて、そんで魔族にならなかったんだけどな」
「貴様のこと? “焔の眸”がサマエルの伴侶になる、とでも?」
少年はうなだれた。
「ああ。彼女がたった二百年しか生きられなかったのは、オレのせいさ……。
でも、それを言ったら、サマエルは、ジルは予知を無視することも出来たはずなんだから、気にするなって言ったんだ。
それを選んだのは、彼女なんだからって……」
タナトスは深くうなずいた。
「色々な意味で強い女性だったからな、ジルは」
「それによ、たしかに、サマエルはガキの頃、魔界を憎んでた。
お前や親父、“カオスの力”、“黯黒の眸”……そして魔界だけじゃなく、今現在、存在してるすべての世界をひっくるめてさ……。
けど、大人になってから、色んなことが分かって来て、お前も被害者なんだって知った。
オレといるから、“黯黒の眸”のことも、前より理解出来るようになった……なのに……まだ、遠い昔の憎しみに囚われ、引きずられてる自分が情けなくて、許せないみたいなんだ。
『これは、自分が落とし前をつけなきゃならないことだから、手を出さないでくれ』ってあいつは言ってるよ」
「むう、しかしだ……」
「左様、いかに、サマエル様が“カオスの貴公子”であられても、左様な大事を、お一人で試みられるのは無謀ではないのですかな?
よもやということもあるのでございましょう?」
プロケルが心配そうに言う。
「ああ、もし失敗したら……その可能性が高いんだけど……サマエルは死ぬ。
でも、“黯黒の眸”は無事さ。
ニュクスが消滅してたら、そんときゃお前が、も一回、体を創ってやればすむことだ」
タナトスは眉をしかめた。
「気楽そうに言っているが、あいつが死んだら、貴様、どうするつもりだ」
「自己破壊するよ、オレも。もう呪縛は解かれたからな。
ま、オレには魂なんかねーから、地獄の底まで付き合ってやるこたできねーけど。
あいつがいない世界なんかにゃ、未練はねーし」
(ちっ、こいつらは、いつもこうだ。
大して努力もせず、すぐ生きることを諦めたがる。
皆がうらやむ美しさと、能力を持ち合わせていながら。
ニュクスが、このたわけ者どもに感化されんように気をつけねば)
タナトスは、心の中で舌打ちした。