~紅龍の夢~

巻の六 THE BRIDE OF DEATH ─死の花嫁─

4.迷宮の宝石(4)

「つまり、お前達は、神族の手により、魔族を滅ぼすための先兵として、ウィリディスに送り込まれて来た、と言うわけか。
……それでは、なぜ侵略の時には、ヤツらに(くみ)しなかったのだ?
私の中にある先祖の記憶では、“黯黒の眸”は、魔族のために“紅龍”を呼び出し、そしてお前……“焔の眸”もまた結界を張って、初代紅龍の見境ない攻撃から、我らフェレスを守ってくれてさえいたよ」

ダイアデムの衝撃的な告白を聞いても、サマエルの声は、あくまでも冷静だった。
以前、幼少時代に自分の魔力を封じていたのが、シンハだったと打ち明けられた時に比べれば、彼自身のショックは遥かに少なかった。

宝石の化身は、遠い眼をした。
「ああ、たしかにオレ達は、初めは敵のスパイ同然の存在だったんだけどな。
お前らの先祖は、とても穏やかな性質で、邪悪とは全然無縁な人々だった。
だから、オレ……“焔の眸”の輝きを浴びても、邪心はさほど強く呼び起こされなかったのさ。
戦いが起きたのは、たった一度きり、それもごく局地での争いで、絶滅戦にゃ、なんなかった。
戦が終わった後は、オレ達を清めて神殿に(まつ)り、花や供物(くもつ)を供えて、(あが)めてくれてさえいたんだ、オレらが敵だってことも知らずに。
そんな平和な時が、気が遠くなるほど長く続いてた……」

「そこへ、神族がやって来たのか。
だが、連中がウィリディスに着くまで、どうしてそれほど長くかかったのだろうね?」
第二王子は再び尋ねる。
紅毛の少年は、可愛らしく小首をかしげた。
「んーと……それはだなぁ。
……ほら、連中は、オレら以外にも“眸”をあちこちばらまいてたろ?
だから、候補地は、他にいくつもあったんだよ。
ちょいと住んでみて、自分らに合わねーとそこをぶち壊して次行く……ンな野蛮なことを、何度も繰り返して、とうとう、今の天界……ウィリディスにたどり着いちまった、ってわけさ」

「そう。それで?」
サマエルは穏やかに先を促す。
「……そんで、オレ達も初めは計画通り、先住生物を抹殺しろっていう命令を実行しようとした。
……っていうか、ホントのトコ、それ以外の行動は出来るはずもなかったんだ、オレらは、元々、命令通りにしか、動けないように創られてたんだから。
けど、サマエル、お前は、いつも心の中で見ているんだろ、あのすさまじい惨劇を……。
あの当時、オレ達には、まだ肉体はもちろん、心だってなかった。
でも、戦の元凶になった鉱物を、平等に皆のものにしようって決めて、神殿に(まつ)った優しい人々が、なす術もなく殺されてくのを結晶面に映し出しているうちに、不思議なことが起こったんだ。
……長年崇められ、祈りを捧げられるうちに、いつの間にか、フェレス達の精神と同調しちまってたのかもしんねー……うまく説明できねーけど。
ともかく、オレらの中に、魔族の悲劇に対する怒りと悲しみが湧き上がって来た……オレらに、初めて“心”ってもんが生まれたんだよ。
その生まれたての心に、彼らの悲鳴、苦痛の念、流されていく血がどっと流れ込んで来た。
それが、オレらに力を与え、ついには、神族の命令を無効にしたんだ。
そのお陰で、お前らに味方して、一緒に戦えるようになったってわけ。
ま、“黯黒の眸”は、魔族に味方した方が、戦が大規模になって、たくさん負の感情……つまり、餌を手に入れられるって思ったみてーだけどな。
……後は、お前達も知っての通りさ」

元魔界の至宝の長い告白が終わると、タナトスは組んでいた腕をほどき、さも軽蔑したように言った。
「……ふん、それが、本当のことだとどうして分かる、貴様らが俺達に、味方したなどと?」
妻をかばうように、さっとサマエルは前に出た。
「待て、タナトス、早まるな、“焔の眸”に嘘はつけない。
彼らは、やはり、私達の先祖を守って戦ってくれた守護神なのだ」

だが、タナトスは、そんな弟をじろりと見ただけで動こうとはせず、念を押すかのように尋ねた。
「つまりだ。かつて貴様らが真実、裏切り者のスパイで虐殺に手を貸したのだとしても、今は違う、……そういうことだな?」
宝石の化身はうなずいた。
「うん。だから、一万二千年前“黯黒の眸”がセリンを操って、人族と魔族の戦を起こしたのも、神族のヤツらの指図なんかじゃねーよ、ホントに。
……信じられねーかも、だけど」

「ああ、それはもういい、戦を起こした真の理由は、テネブレに聞いた。
だが、貴様らがスパイかどうかということが、現在の俺と“黯黒の眸”に何の関係があるのだ?
ついでに言えば、貴様とサマエルについても同様だな。
──見ろ、貴様のそんな与太(よた)話などより、俺が貴様に危害を加えるのではないかと、そればかり心配しているようだぞ」
タナトスは、弟王子を指差す。

ダイアデムは肩をすくめた。
「そりゃーそーさ。
サマエルは、たとえオレが母親を手に掛けたんだとしても許すから、そばにいてくれなんて、泣きついてくるようなヤツなんだぜ、オレが昔、何してよーが、文句なんか言うわけねーじゃん。
けど、お前の反応は、よく分かんねくてよ……」
「俺を見くびるな。過去は過去、今は今だ」
タナトスはきっぱりと言ってのける。

ほっとしたダイアデムは、今度は銀髪の老公爵に向き直った。
「んじゃあ、プロケル、お前はどうだ?」
「……は?」
いきなり話を振られたプロケルは、琥珀の猫眼(びょうがん)を見開く。
「今の話、お前はどう思う?
こいつらは、オレらに惚れた弱みでンなコトほざいてっけどよ。
魔族の代表として、お前はどう思うんだ?」
「そ、それがしが、魔族の代表とは、左様に恐れ多い……」
魔界の重要人物三人に見つめられ、プロケルはあたふたした。

だが、一瞬のち、彼は、にっと唇をほころばせた。
「いや、申し訳もございませぬ、それがし、寄る年波には勝てませず、この頃、とみに耳が遠くなりましてな。
お三人様のお話が、この年寄りめには、とんと聞こえませんでしたわい」
元公爵は、ピンと尖った、よく聞こえそうな耳にわざとらしく手をあてがい、聞き耳を立てる仕草をしながらそう言った。

「はぁ……お前、芝居、ヘタ過ぎ」
ダイアデムはため息をつき、サマエルは優しい微笑みを浮かべる。
「ありがとう、プロケル」
「ふっ、亀の甲より年の功、というわけだな。
それよりも、今はニュクスのことが心配だ。
──さあ、それで俺は、何をどうすればいいのだ?」
タナトスは身を乗り出す。
彼にとっては、済んでしまった大昔の話など、どうでもいいことの一つにすぎなかった。

サマエルは肩の力を抜き、気を取り直して説明を始めた。
「それではまず、一時的に封印を解き、お前が迷宮に入った後、再び封じる」
「ふん、それから?」
「“黯黒の眸”の名を呼びながら、彼女の気が感じられる方へと進むのだ」
「けどよ、やっぱ無理なんじゃねーの、タナトスにはよ。
オレでさえ、やっとなんだぜ、あいつの気配を追うのは」
ダイアデムが口をはさむ。

タナトスは、憮然(ぶぜん)とした表情になった。
「やってやるさ、やらねばならんのだろう!
それで? 後はどうするのだ?」
「彼女が出て来るまで、ずっとそうしているしかない」
「なにぃ! 探すのとどう違うのだ、それでは!」
兄が叫ぶと、サマエルはにっこりした。
「大丈夫だよ。
彼女は飢えている、お前の魔力に()かれて必ず現れるさ、それもすぐにね」

「ふん、貴様の言うことは、いまいち信用が置けんからな。
だが……それしか方法がないというのなら、仕方があるまい」
タナトスは不服そうに言い、それからさっそく、地下迷宮の封印を解きにかかった。
「──地下に広がるラビュリントスを護りし結界よ。
魔界の王、(けん)龍王サタナエルが汝に命ず、その堅き扉を開き、我を招き入れよ!
よし、では行って来る。あとは頼んだぞ」
「は。ご幸運を祈っておりまする」
プロケルがうやうやしく頭を下げる。

ダイアデムも、ひらひらと手を振った。
「ま、せいぜい頑張りな。オレも祈っててやるよ」
「……私も」
付け足しのように言う弟王子を、タナトスは睨みつけた。
「ふん、二度と還って来るな、そう思っているのだろう、貴様」

途端にサマエルは、緋色の眼を、誰にも見られぬようフードに隠したまま、唇の端を釣り上げた。
「まさか、そんなことは思っておりませんよ。
第一、あなた様がいなくなってしまわれたら、魔界王の位が空位になってしまうでしょう?
私は継ぐことは出来ませんし、リオンもまだ無理ですし。
それゆえ、必ず還って来て頂きたいと、切に願っておりますよ、“兄上”」

魔界の王は、眉間にしわを寄せた。
「──ちっ! そこでなぜ、いきなり敬語になり、しかも“兄上”などと抜かすのだ!」
「ほらほら、急ぎませんと。
愛しいお方が、あなた様をお待ちになっておいでなのでございましょう?
魔界王陛下」
サマエルは、わざとうやうやしくお辞儀をし、兄が大嫌いな敬称を使ってみせる。

タナトスは顔を真っ赤にした。
「くっ、貴様、覚えておれ!」
「おいおい、サマエル、お前、他人のこと言えないじゃんか、それじゃ。
あ、そーそー、一つ教えといてやるよ、タナトス。
ニュクスの手なずけ方はよ、こーやるんだ」

ダイアデムは、ふわりと空中に浮かび上がった。
そして、サマエルの顔と同じ高さまで行き、彼の頬を手で挟み込んで、顔を近づける。
「……?」
彼が何をするつもりか分からず、サマエルはただ、眼を(しばた)いていた。
二人の唇が合うと、タナトスやプロケルが驚いたのは無論だが、一番信じられない思いでいたのはサマエルだった。
“ダ、ダイアデム、こんな、皆の前で……”

「口移しが一番美味い、って言ったのはサマエル、お前だぞ」
「そ、それはたしかに……あ、あの時は、そう言ったけれど……」
いつもは何があろうと頭に来るほど冷静な弟が、珍しくへどもどしているのを見たタナトスは、飛び切り皮肉な笑みを浮かべた。
「ふっ、幼獣に口移しでエサをやる要領というわけだな、ダイアデム」

「へっへぇ、分かってんじゃねーかよ、タナトス。
ま、頑張って来いよな。
あ、でもくれぐれも言っとくけど、エサやり過ぎんなよ。
いっつもギリギリって感じにしとくと、お前のそばをフラフラ離れてくってことがねーんだからな」
「貴様も、そうやって、サマエルを飼っているというわけか?
ふん、参考にしておいてやろう。
──ムーヴ!」

タナトスが目の前から消えると、サマエルはため息をついた。
「……はぁ。私は、お前に飼われているのかい?」
「そ。お前ペット、オレ、ご主人様、な?」
「サ、サマエル様が、ペットですと……?」
プロケルは、この二人の関係に驚きを隠せなかった。
悪びれる様子もないダイアデムは、例によって(たち)の悪い笑いを浮かべる。