4.迷宮の宝石(2)
「……というわけなのでございますよ。
ぜひとも、よきお知恵を拝借願えませんでしょうか、サマエル様、ダイアデム殿」
人界のサマエルの屋敷に着くと、プロケルはあいさつもそこそこに、二人に
「ふ~む、お前も苦労するねぇ、プロケル。
やっと
サマエルが笑いを含んだ声で言うと、プロケルは首を横に振った。
「いえいえ、ご懸念には及びませぬ。
ここ数十年は、毎日、老妻の顔ばかり見て過ごすのにも、いい加減飽きが来ておりましたゆえ、渡りに船と」
「ふふん、ンなコトゆっていーのかよぉ?
お前、あの女を妻にできなきゃ二人で自決するとか、ほざいてたらしーじゃねーか、あん時」
唇をゆがめたダイアデムが、いたずらっぽく口を挟む。
プロケルの頬に、ぱっと朱が走った。
「ご、ご存じだったのですか……!」
「ああ。ベルゼブルに言われてシンハが予知してみたら、正妻にしても別に害はねーって出てさ。
だから、つまんねー恨み買うよりか、婚姻を許可して恩を売っとけ、ってシンハは答えたんだ。
だから、お前、あの嫁さんを大事にしなきゃ、罰当たるぞ」
にやにやしながら、紅毛の少年は言う。
「さ、左様でございましたか、ダイアデム殿。
知らぬこととは申せ、お礼の言葉もございませぬ。
無論、大事に致しておりますとも。
それに、妻は、年は取っておりますものの、
プロケルは焦り、額の汗をふきながら答える。
「はん、よく言うぜ」
「のろけられてしまったねぇ」
サマエルはダイアデムと目を合わせ、微笑む。
「そ、それでしたら尚のこと、“焔の眸”殿のご兄弟である“黯黒の眸”殿にも、お幸せになって頂きたいのです!
是非、お力をお貸し下さいませ、サマエル様、ダイアデム殿!」
プロケルは深々と頭を下げた。
ダイアデムは肩をすくめた。
「けどよぉ、オレらよか、もっと難しいと思うぜ、色んな意味でよ」
「そうだね。いっときの恋愛感情だけでは解決出来ない問題も山積みだ。
あの気の短いタナトスに、果たして、それを一つ一つ乗り越えてゆくだけの辛抱強さがあるだろうか?」
サマエルは、優雅に首をかしげた。
「いやいや、タナトス様なら、必ず克服されます。
あのお方は、もはや、我がままな子供ではございませぬ、信じて差し上げては下さいませぬか、お二方。
先日も、かような出来事がございましてな……」
プロケルは、アルキュラ村の人々の話を、二人に詳しく語って聞かせた。
実はパイモンの訪問を受けた直後、タナトスのことを心配したエッカルト男爵が彼を訪ねて来て、パイモンも知らずにいたことを色々と、教えて行ってくれたのだ。
「ふうん、あいつも少しは、王としての自覚が出て来たのかな。
ともかく、ダイアデム、何から始めたらいいだろうね」
王子に問われた宝石の少年は、真剣な表情になった。
「じゃあ、タナトスに伝えろ、プロケル。
今すぐ地下迷宮の結界を強化して、誰も入れないようにしろって……あ、もちろんお前も、絶対入るなよ、って言っとけ」
「迷宮の結界を強化……とはまた、何ゆえに」
「いいから、早く伝えろ。
ま、今どき、ンなトコにもぐり込みたがる馬鹿もいねーとは思うけど、念のためだ。
めんどくせーことになる前によ」
「はあ、ではすぐに」
プロケルは
「タナトス様は、理由を知りたいと仰っておいでですが」
「あのな、タナトスのヤツ、“黯黒の眸”に、全然エサやってなかったみてーだからさ。
今、“黯黒の眸”は、すんごく飢えてて何すっか分かんねーから、オレ達が行くまで厳重に閉じ込めておけ、って言っとけよ」
プロケルは、ぽかんと口を開ける。
「餌? ですが、あなた方は食事など……」
そんな彼に、ダイアデムは問いかけた。
「じゃあ、オレの
「それは……たしか、死にゆく者達が流す血潮とお聞きしたことがありましたが」
「んじゃあ、“黯黒の眸”は?
あいつだって、魔力を維持していくための糧は、必要なんだぜ」
「むう、“黯黒の眸”殿の糧?
失礼ながら、考えたこともありませんでしたな。
ふむ、一体何でございましょうや……?」
腕組みをして考え込むプロケルに、サマエルが助け船を出す。
「負の感情、闇の思考。
恨みや妬み、怒りや憎しみ、殺されゆく者の断末魔の悲鳴……などだね?」
宝石の少年は、首を縦に振った。
「うん、そう。お前にゃ分かるよな、“カオスの貴公子”なんだから。
そんでな、オレと違って、
なのに、何も問題を起こしてねーよな、まだ。
つーことは、タナトスに連れられてた間は、あいつの美しさをうらやんだり
けど、この頃は、それも出来なくなってた……」
「なるほど。逃げ出したのも、その辺に理由があるかも知れないわけだ」
サマエルが
「ああ。新しい体を創ってもらっただけじゃなく、罪も許してくれて、牢獄の外にも出してもらったんだ、タナトスにだけは迷惑をかけたくねーって思って、我慢したんだ、きっと」
「されど……お言葉ですが、それでは食事を与えて欲しいと申し出ればよかったのではないのですかな。
何も、逃げ出さずとも」
プロケルが口を挟むと、ダイアデムは否定の仕草をした。
「いや、あいつは、多分、自分が空腹だってことも、よく分かってねーと思う。
これまで“黯黒の眸”は、魔力が足んなくなると、激しい感情を持つヤローに取っ憑いて、闇の感情をどんどん増幅させて、喰らって来たんだけどよ。
それだって、意識的っていうよか、本能的なもんだったんだ。
たとえば、トリニティーとの戦い……人族の王、セリンに取り憑いたときなんかがいい例さ」
「はあ、それが……?」
「ちぇっ、なんだよ、まだ分かんねーのか? これだから年寄りってヤツは。
説明してやれよ、サマエル」
ダイアデムは舌打ちし、プロケルは頭を下げる。
「申し訳……」
「いや、それだけでは分かる者の方が少ないよ、ダイアデム。
つまりね、プロケル。彼が言いたいのは、一歩間違えば、タナトスがセリンの二の舞になっていたかも知れない、ということなのだよ」
「な、何ですと!」
魔界の第二王子の口調は淡々としていたが、プロケルの眼の黒い虹彩は、抑えようもなく大きく広がった。
「タナトスの魔力は強い。
普通なら、いくら“黯黒の眸”でも、そう簡単には取り憑くことは出来ないだろう。
だが、この頃のあいつは、色々と悩んでいて、心には隙が出来ていた。
だから、取り憑こうと思えば、出来たはずだ……かなり抵抗はあったにせよね。
でも、彼女はそれはせず、代わりに姿を消したのだ」
ダイアデムはうなずいた。
「うん。もう、したくなかったんだろーさ、誰かに取り憑くなんてよ。
自分がそれをすれば、またたくさんの血が流されることになる、ってことを、あいつも、ようやく理解したんだと思う。
久しぶりに会ったらさ、“黯黒の眸”のヤツ、すっげぇ変わってたぜ、見た目だけじゃなくて、考え方もさ。
昔、一緒に宝物庫にいた頃とは全然違ってて、マジびっくりした。
なんか、いい方に変わったなって、うれしくなっちまったくらいさ」
「そう。新しい体をもらって、タナトスと一年半暮らしたことで、いい意味で、お互い感化されたのかも知れないね」
「ふ~む……」
プロケルは少しの間腕組みをして、考えをまとめると、二人に聞いたことをタナトスに伝えた。
“──と、こういうわけでございます、タナトス様”
“『黯黒の眸』が……そうだったか”
タナトスの心の声は、彼らしくもなく、暗く沈んでいた。
“それに致しましても、タナトス様。
何ゆえ、直接、サマエル様やダイアデム殿とお話をなさいませぬのか?”
プロケルは尋ねた。
次元を超えての心話のやりとりは、老人である彼には、少々荷が重かったのだ。
“そんな気分になれんだけだ、貴様が話を聞いておけ”
いつも通りの素っ気なさで答え、タナトスの心の声は一方的に途切れた。
「……お二方、お気の毒に、タナトス様は、だいぶへこんでおいでですよ」
プロケルがほっと息を着くと、ダイアデムが頭の後ろで腕を組んで、言い放った。
「ふふん、自分が一番だとずっと思ってたバカには、たまにゃーいいクスリだろーぜ」
その言葉に、プロケルは猫のような眼を燃え上がらせた。
「ダ、ダイアデム殿、いくらあなた様でも、そのような暴言……!」
「へっ、ホントのことじゃねーか!
気紛れで勝手に命を創り出しといて、手に負えなくなったらポイ、ンなことやるあいつが
悪いんだろーが!」
「ですが!」
そこへサマエルが割って入った。
「待ちなさい、ダイアデム。
お前の気持ちも分かるけれどね、タナトスは変わってきたよ、確実に。
ニュクスのことも真剣に想っているのだそうだから、許しておやり。
それに、いい機会だ、しばらく魔界に還っていてはどうかな?
今度のことは、タナトスの無知から起こったことだ。
彼らは、お互いを知らな過ぎる、お前が二人の間に入ってやるといい」
「お前は? 一緒に来ないのか?」
元魔界の至宝の少年は、第二王子を指差した。
「……もちろん、行くつもりだが。
長期に滞在することは、タナトスが許さないだろうな……」
「じゃあ、嫌だ。お前がいらんないんなら、オレもすぐ戻る」
「お、お待ちを。それがしが、責任を持ちまして、タナトス様に掛け合います!
お願いでございます、お二人そろって魔界にお越し下さり、タナトス様をお助け下さいませ!
これ、この通り……!」
そう言うとプロケルは、いきなり体を投げ出し、頭を床にすりつけた。
「プロケル、およし、そんなことは」
サマエルが手を差し伸べるも、公爵は顔を上げようとはしなかった。
「何とぞ、平に、平に、お願い申し上げます!
これ、この通りでございまする!」
ダイアデムは、面倒くさそうに手を振った。
「あー、分かった分かった、行きゃいーんだろ!
……ったく、年寄りは話が大げさでいけねーや、立てよ、プロケル!」
サマエルは、くすっと笑った。
「お前の方が、ずっと年上だろうに」
「うっせーな、いーだろーが、ンな細けーコトは!
早くタナトスにナシつけろ、プロケル!
さっさと行って、片づけよーぜ、面倒くせー!」
そこで、プロケルは再び念話を送り、魔界王をどうにか説得した。
許可が下りると、三人は急いで砂漠に転移し、封印してあった魔法陣から汎魔殿へと向かった。