~紅龍の夢~

巻の六 THE BRIDE OF DEATH ─死の花嫁─

3.魔界の影(3)

「ふん、あの小汚い村に戻しさえすれば、ヤツらは息を吹き返すのだろう、文字通りにな。
これでいい、目障りな連中が消えて、ようやくせいせいした!」
タナトスは、傲慢(ごうまん)とも取れる仕草で手を払った。
「なれど、タナトス様、少々乱暴でございますぞ。
村に帰すのは、きちんと事情を説明し、彼らが納得した後でも、よろしかったのではございませぬか?」

(とが)めるように言うエッカルトに、タナトスもまた、激しい叱責(しっせき)口調で応じた。
「魔法医ごときが俺に説教する気か、大体、何を説明しろと言うのだ!
『お前らは、魔界王家による人体実験の成果だ。
よって一生、辺境からは出られん、あのみすぼらしい、餌も満足に取れん村で(みじ)めに死んでいけ。
たとえ魔族が神族との戦いに勝利し、ウィリディスの奪還に成功したとしても、お前らは故郷に住むことは出来んのだ』とでも言えと!?
わざわざそんなことを教えて、連中を絶望に(おとしい)れる必要がどこにある!」

「……ご説は、ごもっともでございます。
なれど、このままでは彼らは、なぜ村に戻されたかも分からず、疫病(えきびょう)(かか)ったがゆえに見捨てられたと思い込んで、あなた様を恨むようになってしまうのでは……それが心配なのでございますよ」
魔法医は、自身の懸念を述べた。

「それで構わん。
連中は、俺の気紛れで汎魔殿に連れて来られ、また気紛れに追い出された、そう思っておればいい。
嘆くのはそのことだけでいい、恨みたければ俺を恨むがいいのだ、いくらでも恨まれてやるわ!」
タナトスは自分の無力さに歯噛みし、足を踏み鳴らす。

「何と、タナトス様。そこまで彼らのことを……?」
エッカルトは、気短で常に不機嫌、唯我独尊(ゆいがどくそん)(かたまり)だと思い込んでいた主君の、意外な情け深さに触れて、衝撃を受けた。
同時に、その心情を汲んで、痛ましそうな表情をする。

そのとき。
小さな悲鳴と同時に、何かが割れる大きな音が背後で響いた。
「こ、こりゃ、どうなったんだす、部屋がねぇだ!?」
はっとして、タナトス達が振り返ると、蛙の姿をした女が呆然と立っていた。
足元には、叫んだ拍子に落としたらしい水瓶が粉々に砕け、床は水浸しになっている。

「……オルプネ。お前、連中と一緒ではなかったのか……?」
タナトスは、いたずらが見つかったときの子供のような、ばつが悪そうな顔をした。
「あ、あたい、水汲みに行ってて。
けど、タナトス様、この部屋は、いってぇどしたんだす、ば、爆発でも起こったんだすか!?
中にいた人達は……ま、まさか皆、吹っ飛んんじまっただすかっ!?」
オルプネは必死の面持ちで、彼に取りすがった。

「落ち着け。爆発など起こっておらん、その証拠に、音も揺れもなかったろうが!」
「……あ、そうだすな。んじゃあ、どうなったんで……?」
女は胸をなで下ろしたものの、がらんとした空間を前に首をひねった。
「それは……」
「貴様は黙っていろ、エッカルト!」
魔界の王は、言いかける魔法医をさえぎり、荒っぽく女の手を捕らえた。

「連中は全員村に帰した、これ以上、汎魔殿で死人を出したくないからな!
──さあ、お前も村に帰れ!
そして今後は一切、村から出ることを禁じる、俺は、お前らという玩具に飽きたのだ、もう見たくもない、目の前からさっさと消えろ!」

タナトスの粗暴な振る舞いにも、オルプネは怯えた様子も見せず、ただ、小さなため息をつき、うるんだ眼で彼を見上げた。
「……はぁ。
タナトス様は、やっぱ、お優しいだね……あたいらを気遣って下さったんだしょ?」
「何のことだ?」
意外な反応に面食らい、タナトスは蛙女を凝視した。
「隠さなくてもいいだすよ。
あたいらもね、薄々分かってはいたんだす、村から出たら死んじまうんじゃねぇか、ってことはね」
「何だと……」

「それってぇのも、あんなへき地の、ひでぇ暮らしだしょ?
今までだって、ンなトコにいるんは嫌だっつって、おん出てったモンは何人もいたんだすけど、生きて帰って来たモンは誰一人、いなかったんだすよ。
風の便りに、皆死んだって聞いて……だから、あたいらは、村を出てくモンは、皆、バチが当たって死んじまうんだ、って思って……。
そんで、もっといい土地に引っ越そうって話が出ても、やっぱ恐くなって、いつも途中で立ち消えてたんだすよぉ」

「……そうか、知っていたのか、お前達……」
タナトスは力を抜き、蛙女の手も放した。
オルプネは、こくこくとうなずく。
「んだす。そんで、ここに来たときも、皆で心配したんだけんども、弱ってた長老様はもう、村の強烈な瘴気にゃ、耐えられなくなってただすしねぇ。
それに、ほら、あたいとゴルギュラは、十年も村を出てても平気だっただから、ひょっとしたら、今までのは偶然だったのかもって、皆、希望を持っただすよ。
でも、病気になっちまったから、やっぱ村に帰った方がいいんじゃないかって、話してたんだけんど、せっかくタナトス様に連れて来て頂いたのにって、言い出しにくくって……」

そのとき、エッカルトが口を挟んだ。
「左様だったか、オルプネ。されど、心配は無用だぞ。
十代ほど先にはお前達も、必ずや瘴気の薄い地……そう、王都や汎魔殿でも、普通の生活を、きっと(いとな)めるようになるはずだ。
おそらく、外からの血を入れさえすれば……ああ、つまり、村人以外の者と婚姻するようにすれば、お前達の子孫は可能になるはず、ということだが」

「えっ、十代先……そりゃあいってぇ、何千年先の話だべ?
……どっちにしろ、あたいらは、村から出るのは無理ってことだすなぁ。
千二百年しきゃ、生きられねぇんだし」
蛙の姿をした女は悲しい顔をし、魔界の王は、無言で歯を食いしばった。

「我らの力では、すぐにはお前達を救うことが出来ぬ。
お前達の体を変えるには、どうしても時間がかかるのだ、相済まぬ……」
魔法医は、暗い表情で頭を下げた。

「いやいや、お医者様、顔を上げて下せぇ。構わねぇだす、あたいらは。
アルキュラは生まれ育った村だし、今までとおんなじように暮らせばいいってことだしょ。
あ、でももう、瘴気の谷で毎日、穴をふさがなくてもいいんだよねぇ、そんだけでもかなり楽だすよ。
その分、畑作業に時間が取れるから、作物も今よりとれて、生活もきっと楽になるだしね」
オルプネはにっこりした。

「たわけ、貴様らの食い扶持(ぶち)くらいどうにでもなる、いや、食料だけでなく、必要な物は何でも、俺がいくらでも送ってやるわ!」
魔界王は、たまりかねたように声を上げる。
「えっ、何でも? そりゃありがてぇ!
あたい、村人全部に代わって、お礼を言いますだ、タナトス様。
何もかもお世話になっちまって、ほんに、ありがとうごぜぇますだ」

蛙女は深々と頭を下げたが、タナトスは鼻にしわを寄せた。
「礼など言うな!
俺はただ、(たわむ)れにお前らを助け、振り回していただけに過ぎん、いっときの退屈しのぎ、単なる玩具としてな!」

オルプネは否定の身振りをした。
「いんや、んなこた構わねぇだすよ。
どんな理由があったって、お城で夢みてぇな暮らしさせてもらっただし、長老様だって、あったにきれぇなお墓で、眠らせてもらってるだし。
村に帰っても、あたいらは、きっと話しますだよ、お城で過ごしたときのことを。
そんで、子供や孫にも、繰り返し言って聞かせますだ、そしたら、子孫が王都に住めるようになった頃にも、ご恩を覚えてられるだしょ?
タナトス様は、すっげぇ優しい王様で、あたいらを助けてくれて、その上、お城にまで連れてってくれた大恩人だって……」

「やめろ!」
タナトスは叫び、くるりと背を向けた。
「おや? どうなすったんだすぇ、タナトス様?」
蛙女は大きな目玉で、彼の顔を覗き込もうとする。

タナトスはさらに顔を背け、繰り返した。
「……やめろ。
たとえ、俺が、今すぐウィリディスを取り戻したとしても、お前らは故郷には住めんのだぞ。
皆が喜びに沸き立つ中、お前らは魔界に残るしかない。
しかも、あんな奥地の、くそしみったれた村にその後もずっと住み、そして、死んでいかねばならんのだ……!」
固く握り締めた彼の拳は、どうしようもなく震えていた。

「ああ……たしかに、そうかもしんねぇだすが。
あ、そんでも、あたいらだって、行くことだけは出来ますだよ、タナトス様。
ほれ、何っつうか……そう、観光旅行ってやつにさ。
汎魔殿でだって、どうにか一月くらいは、生きてられたんだし。
魔族の故郷がどんなトコか見に行く、何泊かの旅行くれぇは、あたいらだって大丈夫だしょ」
そこまで言うと、オルプネは眼をぬぐった。
「ねぇ、だから、タナトス様。
あたいらが生きてるうちに、きっと、ウィリディスを取り戻しておくんなさぇ。
そして、また、皆を招待して下さったら……そしたら、あたいらは、その話を子供や孫達に……」

「もういい!」
タナトスはオルプネに向き直り、再びその冷たい手を取った。
今度は、さっきより幾分優しく。
「オルプネ、もうそれ以上言わんでいい。
神族に勝ったら、お前らを一番先に、ウィリディスに連れて行く。
そして見せてやる、俺達の古里がどんなところかを、必ずな!」

「タナトス様……約束だすよ。きっと、あたいらを連れてって下せぇ」
オルプネは、くりくりとした大きな黒い眼で、彼を見上げた。
その声もまた、(うる)んでいた。

「ああ、だから、村で大人しく待っていろ、戦勝の知らせをな!
必ずウィリディスに連れて行ってやる、それまで全員、絶対生きていろ!」
タナトスはそう叫び、それから呪文を唱えた。
「──ヴェラウェハ!」
「待ってますだ、タナトス様、あたいら、アルキュラで、ずっと、ずっと……」
蛙女の声は、かすかに尾を引いて消えた。

「ああ、俺の命と引き換えにしてでも、すべてを取り戻してやるとも。
……とは言うものの、奪還の目処(めど)など、まったく立っておらんが、な」
魔界の王は拳を握り締め、険しく眉を寄せて天を仰ぐ。
それから彼は、再び呪文を唱えた。
「──フィックス!」
あっという間に、空っぽだった場所は、石造りの部屋として元通りになっていた。

優に五十台のベッドが置ける広さの部屋を、辺境まで転移させ、さらには、残されたその空間を部屋として再構築する、それは、想像以上に莫大な魔力を消費する行為だった。
しかし、それほどのことを平然とやってのけたタナトスは、息も乱していない。
魔法医は、魔界の王の強大な力に舌を巻いた。

(されど、このお方に、かような面がおありになったとは……。
ほとんどの者は、タナトス様の真のお心を知るまい……)
みずからも男爵位を持つエッカルトは、型破りな言動のために誤解されやすい主君の、隠された真の魂に初めて触れた気がして、孤高(ここう)のその姿をただ見つめていた。

ゆいがどくそん【唯我独尊】

1 「天上天下(てんじょうてんげ)唯我独尊」の略。「我は世界のうちで最もすぐれた者である」の意。
  釈迦(しゃか)が誕生するとすぐに、四方に七歩歩み、右手で天を指し、左手で地を指して唱えたといわれる詩句。誕生偈(げ)。
2 自分一人が特別にすぐれているとうぬぼれること。ひとりよがり。

ここう【孤高】

俗世間から離れて、ひとり自分の志を守ること。また、そのさま。