~紅龍の夢~

巻の六 THE BRIDE OF DEATH ─死の花嫁─

1.石の心(4)

話しながら歩いているうち、至宝の化身達は魔界王の私室に着いた。
「……“焔の眸”……」
扉の前で、ニュクスは尻込みし、すがるような眼を兄弟石の化身に向けた。
「いいから、オレに任せとけって。
おーい、タナトス、邪魔するぜーっ!」
ダイアデムは、ノックもなしに勢いよくドアを開けた。

案の定、中では魔界王とその弟が、壮絶なののしり合いを演じていた。
「何だと、サマエル、貴様っ!」
「落ち着くがいい、タナトス。
まったく、お前と来たら。せっかく忠告してやっているのに、耳も貸せないとはあきれたものだな、それで、よく魔界の王などやっていられる」
「うるさい! 人界でふらふら遊んでいる貴様に、魔界王たる俺の大変さなど分からんわ!」

(……ったく、よく飽きねーよな)
つぶやくと、ダイアデムは駆けて行き、間に分け入って二人を引き離す。
「てめーら、いい加減にしろよ! 
特にタナトス、それも愛情表現なのかもしんねーけど、この後サマエルを殴り倒してベッドイン、とかってゆーのだけはやめろよな、もう、こいつはオレのもんなんだから!」

「何だと、それでは俺が、まるで色情狂のようではないか!」
タナトスは、むっとしたように叫ぶ。
“焔の眸”の化身は下唇を突き出し、かつての主を見上げた。
「へん、違ぇって言えんのか、お前」
「く……」
タナトスは、ぷいと横を向いた。

一応争いが収まったところで、ダイアデムは振り返り、入り口近くでまだ躊躇(ちゅうちょ)している片割れを手招きした。
「おい、ニュクス、何やってんだ、遠慮しねーでこっち来いよ」
「ああ」
おずおずと近づいて来るのが、先ほどの美女だと気づいたサマエルは、顔をしかめた。
だが、彼以上に険しい顔つきになったのは、タナトスだった。
「何しに来た、ニュクス。俺の部屋には入るなと言っておいたはずだぞ!」

ニュクスは歩みを止め、訴えるようにタナトスを見た。
「……申し訳ない。なれど妾は、そなたと今一度、話がしたく……」
「俺には、貴様と話すことなど何もない」
「……」
取りつく島もない魔界王の口調に、黒衣の美女は話の接ぎ穂を失い、うつむく。
それは、さながら夜露に濡れた黒薔薇のような風情だった。

サマエルは、首をかしげた。
「ダイアデム、この(ひと)はタナトスの知り合いのようだが。
さっきは、お前に何の話があったのだね?」

「へえ~、さすがのお前にも、まだ分かんねーんだな、こいつの正体」
にやにやしながら、ダイアデムはニュクスを指差す。
「……というと……私も知っている女性なのかな?
おや、この“気”は……ああ、そうか」
ここに来てようやく、第二王子も美女の正体に気づいた。

「左様、サマエル、妾は……」
口を開きかける“黯黒の眸”の化身を、タナトスは声も荒くさえぎった。
「──やめろ! こんな女たらしと口を利くな、食われるぞ!
さっさとここから出て行け、ニュクス! 
まったく、うろうろしおって、そんなに暇なら、“要石の間”に戻って昼寝でもしておれ、たわけめが!」
怒鳴りつけられた宝石の化身は、怯えたウサギのように飛び上がり、長い黒髪をなびかせて、部屋から駆け出して行った。

「……ふうん。彼女は、“黯黒の眸”の化身だったのか。
相変わらず気配を消すのがうまいね、今の今までまったく気づかなかったよ。
だが、“夜”とは。あのような美しい姿に、淋しい名をつけたものだな。
それに、曲がりなりにもニュクスは女性だ、手荒く扱うのは感心しないね。可哀想に、泣いていたのではないか?」
(なまめ)かしい美女の後ろ姿から目を離さずに、サマエルは気の毒そうに言う。

その視線を、物欲しげなものと勘違いしたタナトスは、弟を睨みつけた。
「黙れ、あいつは俺の下僕(げぼく)だ!
何と名づけようと、どう扱おうと、貴様に下知(げち)される言われはない!
それにだ、これ以上俺のものに手を出すつもりなら、魔界への出入りを永久に禁じてやるからな!
──痛っ! 何をする、ダイアデム!」
感情に任せて()えていた魔界王は、急に叫び声を上げ、足を押さえた。
そっと後ろに回ったダイアデムが、タナトスのふくらはぎを、思い切り蹴りつけたのだ。

「──けっ!
サマエルがニュクスに手ぇ出すんじゃねーかって、慌てて隠したってところだろーが、もー少し、優しくしてやれよ!
さっきあいつ、お前に無視されちまう、どうしたらいいか分かんねーっって、半ベソかいて、オレんとこ来たんだぞ!
あの女の姿を創って、名前までくれてやったのはお前だろ、言わばあいつの親なんだぜ、ちゃんと責任取れよ!
これ以上、オレの兄弟を泣かしたら、承知しねーぞ!」
ダイアデムは、元の主人を見据えた。

しかしタナトスは、貴石の化身の視線を平然と受け止め、例によって冷ややかに答えた。
「……ふん、俺は、あんな作り物など、女とは思っておらん。
貴様が何と言おうと、後宮に入れる気はないからな」
ダイアデムは眼を剥いた。
「こ、この大馬鹿野郎っ! 誰が、ンなコトしろって言ったんだよっ!
あいつがちゃんと一人前になるまで、責任持って面倒見ろって言ってるだけじゃねーか!」

「しつこいぞ! ニュクスには一通り、魔界のしきたり等は教え終わっている!
その上、俺の権限で罪は帳消しにもしてやった、これ以上、俺にどうしろと言うのだ!?」
以前、ダイアデムが魔界にいたとき同様、叫び返した魔界の王は、ぎょっとした。
気が強く、いつもは何を言われても、まったくこたえた風もない至宝の化身の眼に、今は、あろうことか、涙が浮かんでいたのだ。

「タナトスの馬鹿!
オレ達は、たしかに下僕……使い魔以下の“物”で、お前らにどんなことされたって、抵抗はもちろん、口答えする自由すらもねーさ。
けど、オレ達にだって“心”はある、お前、それ分かっててニュクスを創ったんじゃねーのか」
「むう、それはそうだが、だからと言って……」

「だから何だってんだよ。やっぱお前にとっちゃ、オレらは、ただのオモチャなんだな。
勝手に作っといて、飽きたらそこらに放り出し、すぐに忘れちまうみてーな。
だったらいっそのこと、後腐れなく壊しちまえばいいんだ。そしたらニュクスだって、もう悩まなくていい。
壊すのは簡単……首でも締めりゃそれでおしまい。楽に死なせてやれ、そうすりゃ、あいつはお前を恨んだりしねーよ。
後始末だって、楽なもんさ。一時間ほど放っとけば、魔力も失せて、死体も消えちまう……ニュクスなんて女、存在したこともなかったみたくな。
その間、死体で色々遊ぶことだって出来るぜ、そーやってベリアルの弟は、楽しんでたんだ」

「何!?」
タナトスは顔色を変えた。
「けど、一度創ってみたんだし、もう気が済んだろ?
いくら俺達が石だからって、退屈しのぎの道具にすんのは、やめてくれよ、お願いだから……。
あいつはともかく、オレ、頑張って、ずっとお前らに仕えて来ただろ?
それに免じてさ……」
紅毛の少年は深々と頭を下げ、そして夫の胸に顔を埋めた。

サマエルは、優しく“焔の眸”の化身を抱き止め、キッと兄を見据えた。
すると、いつもは穏やかな光を湛えている弟王子の瞳の紅い色が変化し、さざなみ一つ立たぬ底知れぬ湖だったものが、不意に、煮えたぎる血の池地獄へと変貌を遂げた。
タナトスは、我知らず息を呑む。

「この力を与えたのは“黯黒の眸”……私のこの眼をおぞましいと思うお前に、ニュクスを愛せるものだろうか……」
サマエルは、内心の怒りを(おもて)には出さず、その声も静かだったが、辺りの空気はぴんと張りつめ、タナトスのうなじの毛は逆立った。

「それとも、お前は恐れているのか?
今でこそ力を失っているが、そのうち、自分を操り始めるかもしれない……とでも思って。
過去、“黯黒の眸”に憑依されておのれを見失い、破滅した者のいかに多かったことか。
私も危うく支配されかけたが、皮肉なことに“黯黒の眸”自身に授けられた“カオスの力”に守られて、こうしていられる。
あの至宝の力を得たいと望んだ者は、心を操られ、支配されてしまう。
……それを恐れ、彼女を敬遠しているのだとしたら、そもそも、何ゆえ“黯黒の眸”に新たな肉体を、そして、名をも与えたのだ?
お前はひどく罪作りなことをしたのだぞ、分かっているのか」

タナトスは唇を噛みしめたものの、ひるんだところを見せまいと吼えた。
「黙れ、俺は誰の支配も受けん!
たとえ今、魔界の玉座を追われたとしても、俺は自分自身の主人であり続けるだろう、それができなくなったときが、俺の死ぬときだ!
それゆえ、俺は“黯黒の眸”を恐れてなどおらんし、ニュクスを敬遠しているわけでもない!」

すると、ダイアデムが顔を上げ、サマエルにしがみついたまま、うわずった声で言った。
「……タナトス。“黯黒の眸”は、今まで散々悪さばっかしてきた。
だから、お前があいつを、何しでかすか知れねー、うっとうしいヤツだって思う気持ちは、分かるよ。
でも、あいつもオレも、好きで、ンな能力を持って生まれたわけじゃねーんだ……。
サマエルはそこんトコを分かってくれてて、気にしねーって言ってくれてる……。
あいつを愛してくれなんて言わねー、だけど、ニュクスの姿を創り出した、親代わりのお前だけは、嫌わねーで、面倒みてやって欲しいんだ。
“黯黒の眸”は、ずっとオレのことをうらやましがってた……ちゃんとした肉体を欲しがってたんだよ。
恨みや悲しみや憎しみ以外の感情を、感じてみたいって言ってさ。
だから、お前に体を創ってもらえたの、とってもうれしいと思ってるんだ、その気持ちを、どうか汲んでやってくれ、タナトス。
そしたら、あいつだって、ちゃんとそれに応えるはずだから……」

かつて魔界の王権の象徴として、自分を魔界王に選んでくれた“焔の眸”の化身ダイアデムが瞳を震わせ、語りかけている。
普段は誰の話にも耳を貸さない傲慢(ごうまん)な魔界の君主、黔龍王の心にも、さすがにその言葉は響き、タナトスは眼を伏せた。

「……済まん、ダイアデム。口が滑った。
貴様らは物などではない、れっきとした魔族であり、俺の同胞だ……」
珍しく素直な兄の謝罪の言葉に、サマエルの眼も、穏やかな色を取り戻す。
少年の姿をした妻の紅い髪を優しくなでながら、弟王子は静かに言った。
「彼だけにでなく、ニュクスにもそう言って謝罪してくるのだね、タナトス」

「貴様の下知など……」
言い返そうとしたタナトスは、ダイアデムの背中が小刻みに震えているのに気づき、力を抜いた。
「……そうするか。
悪気はなかったのだが、俺の態度は、彼女を傷つけていたのだな。探して謝ってこよう。
──ムーヴ!」
魔界王は呪文を唱え、ニュクスを探しに行った。