1.石の心(2)
気が向いたらとそっけなく言い捨てたタナトスだったが、どういう風の吹き回しか、一週間か十日に一度の割で、“
“
しかし、ある時、ささいなことで口論になり、それ以来、タナトスの訪問はぷっつりと途絶えてしまった。
謝罪したいと切に願うも、封印された身では、どうすることもできない。
(サタナエルの性格を
サマエルの
“黯黒の眸”は、そう嘆きつつ、再び暗い眠りの中に戻っていく他はなかった。
そうして、二月ほどが経った頃。
“要石の間”に、またもや何者かが侵入したことに、宝石の精霊は気づいた。
聞き耳を立てていると、一応押しひそめているつもりらしい子供っぽい声が、石造りの部屋に響いた。
「ねぇねぇ、これが“焔の眸”? 光ってもいない、真っ黒けの石だね。
本当に魔界の至宝なの、これ?」
「しっ、大声出すなよ!」
「お前こそ声が大きいぞ、ヴァレフォル」
「静かにしろってば。
これは“焔の眸”じゃない、あれは紅いんだ、中に黄金の炎が燃え上がって、すごく綺麗だって話だよ。
でも、もう、見るチャンスなんてないだろうけど」
「ふーん、これは黒いもんね」
「ああ、それは魔界の至宝のもう一つの方、“黯黒の眸”さ。
そいつに気に入られると、“カオスの貴公子”になれるんだって」
「ホントに? いいなー、“紅龍”ってすっごーく強いんだろ?」
「そうだよ。だから、今にきっとサマエル様が、タナトス陛下と一緒に神族を全部やっつけて、ウィリディスを取り戻してくれるはずさ!」
「……そっか。でも、どんなところなんだろうな、ウィリディスって」
「いいところに決まってるだろ!」
そこまで聞いたところで、“黯黒の眸”は結界に光を入れ、同時に侵入者に声をかけた。
“かような場所にて何を致しておる、
「わあ!」
「だ、誰!?」
二つの人影は、そろって飛び上がった。
結界の青白い光に照らし出されたのは、ごく若い……というよりかなり幼い、二人の少年達だった。
光の中に浮かび上がる宝石の化身を、ぽかんと口を開けて見つめている彼らのうち、一人はごく一般的な魔族の少年の姿をし、もう片方はライオンの頭部を持っている。
しかし、動物の頭部を持つこと自体、魔界の住人には取り立てて珍しくはなく、“黯黒の眸”も驚きはしなかった。
“それはこちらの台詞だ。おぬしら、魔界の結界の
返答次第では、童子と申せど容赦はせぬぞ!”
テネブレの鋭い声に、少年達は震え上がった。
「あ、わ、ま、待って下さい! 僕達は……」
「だ、だからよそうって言ったんだよ、ヴァレフォル。あんな賭け……!」
“……賭け、だと?”
“黯黒の眸”の化身は、眉を寄せた。
「は、はい、あ、あの、僕ら……友達と競争してて……ですね。
それで……負けたら、罰として、すごく強い結界張ってるところに、こっそり忍び込むことにしてた、んです。
けど、今日は、僕らが負けちゃって……だ、だから……」
ライオンの頭を持つ少年は、しどろもどろに答える。
“何、賭けの敗者の罰と申すか?”
テネブレはあきれ声を出した。
二人の少年は、貴石の化身のぼやけた姿に駆け寄り、必死の面持ちで、代わる代わる頭を下げた。
「ご、こめんなさい! “黯黒の眸”様! でも、陛下には言わないで!」
「言わないで下さい、テネブレ様、何でもします! 母様と父様に知られたら、ものすごく怒られちゃう」
“そうも参らぬ。
おぬしら、いかに貴族の子弟と申せど、かような童子ごときに『要石の間』の結界が
魔界王には、事の
「ち、違うんです、僕らが簡単に、ここに入って来れたのは……」
「……これのお陰なんです」
獅子頭の少年、ヴァレフォルが手を広げると、“黯黒の眸”の化身は、我にもなく息を呑んだ。
その掌は、血をなすりつけたように紅く染まっていたのだ。
そして少年の手の上に、禍々しいほどの美しさで
“そ、それは、『ブラッディ・ムーン』ではないか! おぬしらそれを、一体、いずこで手に入れた!?”
宝石の化身は、興奮を抑え切れずに叫んでいた。
ヴァレフォルは、震えながら答えた。
「こ、これはグーシオン家の、家宝なんです。
ずっと前のご先祖様が、シンハ様に頂いたもの、なんだそうですけど。
これって、持つと、こんな風に血がついたみたいになります……よね?
だから、ただずっと大切に仕舞われてたんですけど……。
でもこの間、僕、いたずらしてて、これに結界を無効にする力があるってことに気づいて、それで……」
“それで、
さぞかし、あれこれと潜ってみたのであろうな、グーシオン公爵家のヴァレフォルよ”
テネブレが話を引き取ると、二人の少年はうつむいた。
「はい……」
「ごめんなさい……」
“ふむ……聞き捨てならぬ。やはり王には報告せねばならぬな”
“黯黒の眸”の言葉に、少年達は顔色を変えた。
「ええっ!」
「そんなぁ~」
“自業自得だ。かの石も、密かに持ち出したものであろうが”
「わあっ、どうしよう!」
「逃げよう、早く、呪文を!」
「えっと、──」
少年達が慌てて呪文を唱えかけた、そのとき。
「もはや遅いわ、話は全部聞かせてもらったぞ!」
鋭い声が部屋の片隅から飛んだ。
それと同時に、闇の中から人影が歩み寄る。
漆黒のマントに身を包み、足音も高く近づいて来たのは、魔界に
“おう、おぬし、いつからそこにおったのだ? 我としたことが、全く気づかなんだぞ、サタナエル”
宝石の化身が、我にもなく驚いたような声を出す。
「タ、タナトス陛下!?」
「も、もうダメだぁ」
少年達は抱き合い、ヘタヘタとその場にへたり込んだ。
「最近、厳重に張られたはずの結界の中に、何者かが侵入するという報告が相次いでいたのでな、ここもひょっとしてと思い、使い魔に見張らせておいたのだ。
盗られたものはなく、入られた場所も関連性はない。
そこでおそらくは、ガキのいたずらか何かではないか、と思っていたのだが、当たっていたな」
冷ややかな魔界王の声が、要石の間に響く。
「ご、ごめんなさぃいー!」
「わああんー!」
「うるさいぞ、黙れ、ガキども!」
泣き出した少年達を、タナトスは頭ごなしに怒鳴りつけた。
その剣幕に怯えた子供達は、ますます激しく泣きじゃくる。
「わああああん───!!」
「黙れと言っているのが分からんか、ガキども!
泣きやまぬと……!」
魔界王は苛つき、一層声を荒げ、拳を振り上げた。
あきれたように、“黯黒の眸”がそれを制する。
“これ、サタナエルよ。左様な物言いでは、余計怯えさせてしまおうぞ”
「ふん! 俺は子供は嫌いだ、特に、ぎゃあぎゃあ泣くガキどもは皆、ぶっ飛ばしてやりたくなるわ!」
「うわああん──!!」
「恐いよぉ、お母様──!!」
さらに大声で泣き始めた少年達の声が、石造りの部屋に反響し、頭が痛くなりそうだった。
“……前々から我は思いしが、おぬし自身が
“焔の眸”も、それゆえおぬしを見限り、サマエルの許に走ったのか”
ため息をつくような口調で、テネブレが言う。
タナトスは化身に向かって吼えた。
「何ぃ!? 言わせておけば、貴様!
主たる俺に向かって!」
“
夫となる者が
「くっ、ジルのことを言っているのか、何を今さら!」
“特定の女のことを申しておるのではない。
なれど汝も魔界の王、子孫を残す義務があるのを忘れては困る。
魔界の君主と名乗るからにはな”
「ちっ、家臣どもと同じことを言うのだな、貴様!
今、周囲には、俺を満足させるような女は一人もおらん、それに俺はまだ妃など!」
“落ち着くがよい、サタナエル。
左様なことよりもまず、この童子らの処分が先であろうが”
タナトスは再び言い返そうとしたが、“黯黒の眸”の言葉通り、口論などしている場合ではないことに思い至ってそれはこらえ、少年達を振り返った。
「ふん……そうだったな」
少年達は、ほこ先が自分達から一時それたお陰で落ち着きを取り戻し、少しべそをかきながらも、二人のやりとりを見つめていた。
しかし、魔界王にきつい目つきで
「ごめんなさい!」
「お許し下さい、陛下!」
今度は少し抑えた声で、タナトスは言った。
「……分かった、もう泣くな、男だろう。
今度だけは大目に見てやる、俺も昔は色々やったからな。
だが、言っておくぞ、今回だけだ」
子供達は眼に涙をため、抱き合ったまま頭を下げた。
「はい、ありがとうございます!」
「もう、絶対こんなことしません!」
「ならばここへ来い。二人共だ」
「はい……」
少年達は何とか立ち上がり、おずおずとタナトスに歩み寄る。
魔界王は二人の額に軽く手を当てた。
その掌が白く輝き、彼らの顔から表情が消えた。
「いいか、よく聞け。今日、貴様達は“要石の間”に侵入することはできなかった。
この石、ブラッディ・ムーンに、結界を無効にする力などない、貴様らの勘違いだったのだ。
それゆえ結界破りも、もはや出来ん。以前の場合は偶然だった、そう、悪友どもにも言え。
それにだ、魔界の貴族たるもの、いかに幼くともおのれの仕出かしたことに責任は持たねばならん、よく覚えておけ、分かったか」
「はい……」
「はい、分かりました……」
「よし、見つからんように石を戻して、二度と持ち出そうなどとするなよ。
では、行け!」
「はい。──ムーヴ!」
子供達の姿が消えると、テネブレは言った。
“暗示を掛けたのか”
「ああ。この場合は致し方あるまい。
あれに、結界を無効にする力があるなどと知れたら面倒だし、かといって家宝を取り上げたりしたら、今度は親が黙ってはおるまいしな」
“ふむ……おぬしも変わったものよ。
以前ならば、童子らを殴り倒し、親
「ふん、力ずくでは心まではつかめんということを、嫌というほど知る機会があったのでな」
“左様か……。我は変わることができぬ……おぬしらがうらやましい……”
「そうか? 貴様も、以前よりはかなりマシになったと俺は思うぞ」
その時以来、タナトスは再び、“要石の間”を訪れるようになった。
おもんぱかる【慮る】
周囲の状況などをよくよく考える。思いめぐらす。