~紅龍の夢~

巻の六 THE BRIDE OF DEATH ─死の花嫁─

1.石の心(2)

気が向いたらとそっけなく言い捨てたタナトスだったが、どういう風の吹き回しか、一週間か十日に一度の割で、“(かなめ)石の間”を訪れるようになった。
黯黒(あんこく)の眸”も、初めこそ驚いたものの、話し相手ができるのは喜ばしいことと、彼の訪問を歓迎した。

しかし、ある時、ささいなことで口論になり、それ以来、タナトスの訪問はぷっつりと途絶えてしまった。
謝罪したいと切に願うも、封印された身では、どうすることもできない。

(サタナエルの性格を(おもんぱか)れば、もはや、ここへは参ってなどくれぬであろう、淋しきことよ。
サマエルの(もと)へ嫁いだ、我が分身たる“焔の眸”……うらやましきことよ……)
“黯黒の眸”は、そう嘆きつつ、再び暗い眠りの中に戻っていく他はなかった。

そうして、二月ほどが経った頃。
“要石の間”に、またもや何者かが侵入したことに、宝石の精霊は気づいた。
聞き耳を立てていると、一応押しひそめているつもりらしい子供っぽい声が、石造りの部屋に響いた。

「ねぇねぇ、これが“焔の眸”? 光ってもいない、真っ黒けの石だね。
本当に魔界の至宝なの、これ?」
「しっ、大声出すなよ!」
「お前こそ声が大きいぞ、ヴァレフォル」
「静かにしろってば。
これは“焔の眸”じゃない、あれは紅いんだ、中に黄金の炎が燃え上がって、すごく綺麗だって話だよ。
でも、もう、見るチャンスなんてないだろうけど」

「ふーん、これは黒いもんね」
「ああ、それは魔界の至宝のもう一つの方、“黯黒の眸”さ。
そいつに気に入られると、“カオスの貴公子”になれるんだって」
「ホントに? いいなー、“紅龍”ってすっごーく強いんだろ?」
「そうだよ。だから、今にきっとサマエル様が、タナトス陛下と一緒に神族を全部やっつけて、ウィリディスを取り戻してくれるはずさ!」
「……そっか。でも、どんなところなんだろうな、ウィリディスって」
「いいところに決まってるだろ!」

そこまで聞いたところで、“黯黒の眸”は結界に光を入れ、同時に侵入者に声をかけた。
“かような場所にて何を致しておる、小童(こわっぱ)ども”
「わあ!」
「だ、誰!?」
二つの人影は、そろって飛び上がった。

結界の青白い光に照らし出されたのは、ごく若い……というよりかなり幼い、二人の少年達だった。
光の中に浮かび上がる宝石の化身を、ぽかんと口を開けて見つめている彼らのうち、一人はごく一般的な魔族の少年の姿をし、もう片方はライオンの頭部を持っている。
しかし、動物の頭部を持つこと自体、魔界の住人には取り立てて珍しくはなく、“黯黒の眸”も驚きはしなかった。

“それはこちらの台詞だ。おぬしら、魔界の結界の(かなめ)たる、かの部屋へ、何をしに参った?
返答次第では、童子と申せど容赦はせぬぞ!”
テネブレの鋭い声に、少年達は震え上がった。
「あ、わ、ま、待って下さい! 僕達は……」
「だ、だからよそうって言ったんだよ、ヴァレフォル。あんな賭け……!」

“……賭け、だと?”
“黯黒の眸”の化身は、眉を寄せた。
「は、はい、あ、あの、僕ら……友達と競争してて……ですね。
それで……負けたら、罰として、すごく強い結界張ってるところに、こっそり忍び込むことにしてた、んです。
けど、今日は、僕らが負けちゃって……だ、だから……」
ライオンの頭を持つ少年は、しどろもどろに答える。
“何、賭けの敗者の罰と申すか?”
テネブレはあきれ声を出した。

二人の少年は、貴石の化身のぼやけた姿に駆け寄り、必死の面持ちで、代わる代わる頭を下げた。
「ご、こめんなさい! “黯黒の眸”様! でも、陛下には言わないで!」
「言わないで下さい、テネブレ様、何でもします! 母様と父様に知られたら、ものすごく怒られちゃう」
“そうも参らぬ。
おぬしら、いかに貴族の子弟と申せど、かような童子ごときに『要石の間』の結界が易々(やすやす)と破られるようでは、敵の侵入を防ぐことも叶わぬ。
魔界王には、事の顛末(てんまつ)を報告せねばな”

「ち、違うんです、僕らが簡単に、ここに入って来れたのは……」
「……これのお陰なんです」
獅子頭の少年、ヴァレフォルが手を広げると、“黯黒の眸”の化身は、我にもなく息を呑んだ。
その掌は、血をなすりつけたように紅く染まっていたのだ。
そして少年の手の上に、禍々しいほどの美しさで(きらめ)いていたのは……。

“そ、それは、『ブラッディ・ムーン』ではないか! おぬしらそれを、一体、いずこで手に入れた!?”
宝石の化身は、興奮を抑え切れずに叫んでいた。

ヴァレフォルは、震えながら答えた。
「こ、これはグーシオン家の、家宝なんです。
ずっと前のご先祖様が、シンハ様に頂いたもの、なんだそうですけど。
これって、持つと、こんな風に血がついたみたいになります……よね?
だから、ただずっと大切に仕舞われてたんですけど……。
でもこの間、僕、いたずらしてて、これに結界を無効にする力があるってことに気づいて、それで……」

“それで、土竜(もぐら)のごとき真似をしておったと?
さぞかし、あれこれと潜ってみたのであろうな、グーシオン公爵家のヴァレフォルよ”
テネブレが話を引き取ると、二人の少年はうつむいた。
「はい……」
「ごめんなさい……」

“ふむ……聞き捨てならぬ。やはり王には報告せねばならぬな”
“黯黒の眸”の言葉に、少年達は顔色を変えた。
「ええっ!」
「そんなぁ~」
“自業自得だ。かの石も、密かに持ち出したものであろうが”
「わあっ、どうしよう!」
「逃げよう、早く、呪文を!」
「えっと、──」
少年達が慌てて呪文を唱えかけた、そのとき。

「もはや遅いわ、話は全部聞かせてもらったぞ!」
鋭い声が部屋の片隅から飛んだ。
それと同時に、闇の中から人影が歩み寄る。
漆黒のマントに身を包み、足音も高く近づいて来たのは、魔界に()む者ならば、決して見誤ることのない人物……魔界の君主である黔龍王タナトス、その人だった。

“おう、おぬし、いつからそこにおったのだ? 我としたことが、全く気づかなんだぞ、サタナエル”
宝石の化身が、我にもなく驚いたような声を出す。
「タ、タナトス陛下!?」
「も、もうダメだぁ」
少年達は抱き合い、ヘタヘタとその場にへたり込んだ。

「最近、厳重に張られたはずの結界の中に、何者かが侵入するという報告が相次いでいたのでな、ここもひょっとしてと思い、使い魔に見張らせておいたのだ。
盗られたものはなく、入られた場所も関連性はない。
そこでおそらくは、ガキのいたずらか何かではないか、と思っていたのだが、当たっていたな」
冷ややかな魔界王の声が、要石の間に響く。

「ご、ごめんなさぃいー!」
「わああんー!」
「うるさいぞ、黙れ、ガキども!」
泣き出した少年達を、タナトスは頭ごなしに怒鳴りつけた。
その剣幕に怯えた子供達は、ますます激しく泣きじゃくる。
「わああああん───!!」

「黙れと言っているのが分からんか、ガキども!
泣きやまぬと……!」
魔界王は苛つき、一層声を荒げ、拳を振り上げた。
あきれたように、“黯黒の眸”がそれを制する。
“これ、サタナエルよ。左様な物言いでは、余計怯えさせてしまおうぞ”

「ふん! 俺は子供は嫌いだ、特に、ぎゃあぎゃあ泣くガキどもは皆、ぶっ飛ばしてやりたくなるわ!」
「うわああん──!!」
「恐いよぉ、お母様──!!」
さらに大声で泣き始めた少年達の声が、石造りの部屋に反響し、頭が痛くなりそうだった。

“……前々から我は思いしが、おぬし自身が童子(どうじ)のごときよな。
“焔の眸”も、それゆえおぬしを見限り、サマエルの許に走ったのか”
ため息をつくような口調で、テネブレが言う。
タナトスは化身に向かって吼えた。
「何ぃ!? 言わせておけば、貴様!
主たる俺に向かって!」

真実(まこと)のことであろうが。
夫となる者が(わらわ)のごときの上、童子を(いと)うとなれば、妃となる婦人も安んじて子など産めまい”
「くっ、ジルのことを言っているのか、何を今さら!」

“特定の女のことを申しておるのではない。
なれど汝も魔界の王、子孫を残す義務があるのを忘れては困る。
魔界の君主と名乗るからにはな”
「ちっ、家臣どもと同じことを言うのだな、貴様!
今、周囲には、俺を満足させるような女は一人もおらん、それに俺はまだ妃など!」

“落ち着くがよい、サタナエル。
左様なことよりもまず、この童子らの処分が先であろうが”
タナトスは再び言い返そうとしたが、“黯黒の眸”の言葉通り、口論などしている場合ではないことに思い至ってそれはこらえ、少年達を振り返った。
「ふん……そうだったな」

少年達は、ほこ先が自分達から一時それたお陰で落ち着きを取り戻し、少しべそをかきながらも、二人のやりとりを見つめていた。
しかし、魔界王にきつい目つきで一瞥(いちべつ)されると、また泣き出しそうになった。
「ごめんなさい!」
「お許し下さい、陛下!」

今度は少し抑えた声で、タナトスは言った。
「……分かった、もう泣くな、男だろう。
今度だけは大目に見てやる、俺も昔は色々やったからな。
だが、言っておくぞ、今回だけだ」

子供達は眼に涙をため、抱き合ったまま頭を下げた。
「はい、ありがとうございます!」
「もう、絶対こんなことしません!」
「ならばここへ来い。二人共だ」
「はい……」
少年達は何とか立ち上がり、おずおずとタナトスに歩み寄る。

魔界王は二人の額に軽く手を当てた。
その掌が白く輝き、彼らの顔から表情が消えた。
「いいか、よく聞け。今日、貴様達は“要石の間”に侵入することはできなかった。
この石、ブラッディ・ムーンに、結界を無効にする力などない、貴様らの勘違いだったのだ。
それゆえ結界破りも、もはや出来ん。以前の場合は偶然だった、そう、悪友どもにも言え。
それにだ、魔界の貴族たるもの、いかに幼くともおのれの仕出かしたことに責任は持たねばならん、よく覚えておけ、分かったか」

「はい……」
「はい、分かりました……」
「よし、見つからんように石を戻して、二度と持ち出そうなどとするなよ。
では、行け!」
「はい。──ムーヴ!」

子供達の姿が消えると、テネブレは言った。
“暗示を掛けたのか”
「ああ。この場合は致し方あるまい。
あれに、結界を無効にする力があるなどと知れたら面倒だし、かといって家宝を取り上げたりしたら、今度は親が黙ってはおるまいしな」
“ふむ……おぬしも変わったものよ。
以前ならば、童子らを殴り倒し、親(もと)へ怒鳴り込んだ上、力ずくで取り上げておったであろうに”

「ふん、力ずくでは心まではつかめんということを、嫌というほど知る機会があったのでな」
“左様か……。我は変わることができぬ……おぬしらがうらやましい……”
「そうか? 貴様も、以前よりはかなりマシになったと俺は思うぞ」

その時以来、タナトスは再び、“要石の間”を訪れるようになった。

おもんぱかる【慮る】

周囲の状況などをよくよく考える。思いめぐらす。