11.小夜鳴き鳥の唄(5)
魔法学院から戻ったダイアデムは、心配そうに屋敷の門の前でたたずんでいたサマエルに声をかけた。
「ちゃんと送り届けて来たぜ。……けど、お前、そこで何やってんだよ」
「よかった……帰って来てくれたのだね」
魔族の王子は、心の底から安堵したように、深く息をついた。
この様子では、ダイアデムが屋敷を出てからずっと、ここにいたのだろう。
あきれて、宝石の化身は答えた。
「約束したんだから、たりめーだろ。
けど、血筋のこと、シュネに言わなくてよかったのか?
もう、戻らねーかもしんねーぜ、彼女」
サマエルは否定の仕草をした。
銀の髪が、朝日を浴びて
「いや、必ず戻って来るさ。いずれ彼女も気づくだろう、自分が、普通の人間とは決定的に違うということに。
もう、薄々感じているかも知れないが」
少年は肩をすくめた。
「何で教えてくれなかったんだ、って恨まれちまうかもな」
「そうだね。ただ、短い間でも、彼女には、普通の女性として生きて欲しかったのだ」
「でも、結局は、魔界と天界との戦に巻き込んじまうことになるんだろ?
そん時になって、今までの生活を捨てて戦えって、酷くねーか?」
サマエルは眼を伏せた。
「たしかに辛いところだが、彼女が魔族として覚醒すれば、人間の中で普通に暮らすことは難しい。
成長速度も、人間とは違うしね」
「たしかにな」
「彼女は、我ら魔族の幸運の女神、存在そのものが周囲の者の心を和ませ、未来に明るい希望を持たせてくれる。
真実を告げなかったのは、彼女への、ほんのささやかなお礼なのさ。
恨まれてもいい、彼女には、一つでも多く素敵な思いをさせてやりたい。
思い出すたびに心が温かくなるような思い出を、人間の中でたくさん作って欲しいから」
ダイアデムは、にっと笑った。
「心配いらねーよ、シュネは明るくって強い。
何があっても、めげやしねーさ。お前よりもジルに似たんだな」
「そうだね。
これで、念願の四龍が揃い、ついに我らは、朱の貴公子とエメラルドの貴婦人を加えた最強の力を手に入れた。
運命の時はもう、すぐそこまでやって来ている……」
魔族の王子は、未来に思いを馳せるように遠い眼をした。
「予言通りなら、今度こそ魔族は天界に勝利出来るってわけか。
けど、魔族にかかってる呪いが解けたら、どうなるんだ?
お前は、元々の……人間っぽくなれんのかもしんないけど、オレは?
ただの石になっちまうんじゃねーのか?」
それはずっと、彼が密かに心配していたことだった。
「そんなことはないさ。お前も魔族なのだし、ちゃんと皆と同じようになれるはずだ。
その証拠に、予言にもお前が出て来るだろう?
宿願が叶うというのは、そういうことなのだよ」
サマエルは胸を張った。
この王子は、魔族が戦に勝利し、故郷への帰還を果たして、幸せに暮らせるようになることを確信しているようだった。
ダイアデムは、その自信に満ちた態度を頼もしく思い、うれしかった。
これほど
だが、へそ曲がりの彼は、わざとそっけなく言った。
「ふん、いつも気弱なお前にしちゃ、やけに自信たっぷりじゃんか。
珍しいこともあるもんだな、雪でも降るんじゃねーのか?
ついでにタナトスぶっ飛ばして魔界王にでもなっちまったらどーだ」
「王位など欲しくはないよ。子供の頃は切望していたけれどね。
魔界王になれば、お前とずっといられると聞いたから。
その望みは叶えられた、もう王になる必要はない。
ありがとう、ダイアデム」
サマエルは輝くような笑顔を見せる。
「な、何、バカ言って……」
その笑顔が眩しくて、ダイアデムはどぎまぎし、話題を変えた。
「そーいや、オレ、シュネがお前の嫁さんになれば、ずっと一緒にいられていいのに、って思ってたんだけどさ」
「あり得ないね」
サマエルは即座に否定した。
「何でだ? お前もシュネは気に入ってたろ?
千二百年後の子孫なんて、もう赤の他人だぜ」
「そういうことではないよ。お前、シュネの気持ちに気づかなかったのかい?」
「……気持ち?」
ダイアデムは首をかしげた。
「彼女は、お前のことが好きだったのだが……」
「えっ、そーだったのか!?」
宝石の化身は眼を真ん丸くした。
「彼女は私とまったく同じ、熱い思いを込めた眼で、いつもお前を見ていた……血のせいで、
だから、フェレスとのキスの瞬間、月を雲で隠したのだ、直に見せては可哀想だと思って……」
「あ、だから、あのあと、急に、学院に帰るって言い出したのか?
オレらの邪魔になんないようにって」
「居たたまれなくなってしまったのだろうね。
彼女には気の毒だが、私はもうお前を、誰にも譲る気はなかったから」
「俺だって、お前以外は嫌だけどさぁ……」
ダイアデムは頭を振り、ため息をついた。
たしかに、シュネは『僕と違ってキミは、好きな人といつでも一緒にいられるんだよ』と言っていた、泣きながら……。
校門前でのキスも、後々争いの元にならないようにと、唇にはしなかったのだろう。
そうまでして、彼女は、自分がこの王子と共にいられるよう、心を砕いてくれたのだ……。
シュネの
「なあ、サマエル。オレ、たまに出て来ていいか?」
「……え?」
魔族の王子は首をかしげる。
「ホントはもう、オレは引っ込んでなくちゃいけねーんだろ。
シュネともこれが最後、だから送らせたんだよな?
けど、たまにでいいから、オレもお前に……フェレスとしてじゃなく、ダイアデムとして会いたいんだ。
なあ、一週間に一度、いや、一月……いや、一年に一日くらいはいいだろ?
それとも、やっぱ、ずっとフェレスでなきゃ駄目か?」
彼は、精一杯の願いを込めて尋ねた。
「何を言っているのだね、私もお前に会いたいし、いつでも好きなときにいていいに決まっているだろう」
「けど、夜はさすがに、“オレ”じゃまずいだろーが」
「……ひょっとしてお前、フェレスに妬いているのか?」
「バ、バカ言ってんじゃねーよ!」
ダイアデムは真っ赤になった。
「ともかく、ちゃんと話そう。ここに座って」
「うん……」
二人は、玄関の石段に並んで腰掛けた。
「よく聞いて、ダイアデム。
私はね、お前達全員に、私の妻となって欲しいと思っている。
だから、順番を決めるなり、気が向いたときに入れ替わるなり、自由にして構わないのだよ」
サマエルは、彼の眼を見ながら言った。
見返す瞳の炎が、か細く揺れて、ダイアデムは否定の身振りをした。
「……そんなの嘘だ。お前は夢魔だし、女が必要だろ。
シンハみてーな殺気立ったケダモノや、オレみたく口の悪いガキや、ゼーンの死にぞこないなんか、要るわけねーじゃんか」
「いいや、私は四人のうち、誰が欠けても嫌だ。
それに……私がフェレスを創った時、どうしてお前そっくりにしたか、知っているかい?」
「え? ……そりゃ、あん時はライラに、お前を諦めさせなくちゃいけなくて、オレ達が恋人同士だって思わせるために……」
「たしかにそうだが、別に、お前に似せて創る必要はなかった。
あれは私の趣味……フェレスには悪いが、私が、本当に抱きたかったのはお前なのだよ、ダイアデム」
「はあっ!?」
意外過ぎる答えに、ダイアデムは口をぽかんと開けた。
「本当だよ。お前の唇を強引に奪ったあのとき……。
お前の過去は知らなかったが、力尽くで男の玩具にされて来た私は、そういう目に遭う辛さはよく分かっていたから、嫌がるお前をあえて抱かなかった。
それでも、女性の化身だったら、私を受け入れてくれるのではないかと期待して、フェレスを創ったのだよ。
あのとき、まだフェレスという名ではなかった……だから私は、愛し合っている間、ずっとお前の名を呼んでいた。“ダイアデム”とね」
「じゃ、じゃあ、オレ、いてもいいんだな? いつでも?
そ、その……ホントに、夜、でも……?」
ダイアデムは、おずおずと王子を見上げた。
「もちろんだとも。ダイアデム。
他の化身には悪いが、私はお前を一番に愛している。
その証拠に、
──カンジュア!」
サマエルが出したのは、澄んだ青色を
「げ、まさか……」
宝石の化身は絶句した。
「そう、母上の形見だ。受け取っておくれ、ダイアデム」
「ンな大事なの、もらえっかよ」
思わずダイアデムは立ち上がり、後ずさりする。
王子はさらに、大きな黒檀の宝石箱を出し、開けて見せた。
「……これも母上の形見だが。
分かるかい、この大きさは、“焔の眸”を収めるのにぴったりなのだよ。
母上は、お前が私の妻となることを、予知していらしたのだろうね」
「……」
ダイアデムはまだ半信半疑で、王子と指輪、宝石箱を見比べた。
女のフェレスを引き止めておくために、男の自分にも愛をささやく……形見さえも、そのための小道具なのか。
そう思うと、気分が暗くなる。だが、もし本心だったら……?
“たとえ方便だとして、何の不都合があるのか、童子よ。
我らは王座、座することを許すは、ただ一人の王。それがルキフェルぞ”
堂々巡りの考えを断ち切るように、シンハが思考を挟んでくる。
“我らのすべてを受け入れる、そう申しておるのだ、ルキフェルは。
ならば、我らも応えねばなるまい。
また、フェレスのみでは荷が勝ち過ぎるは必至、魔族の王子相手の
シンハの念話は、幾分笑いを含んでいた。
その話に動揺したダイアデムは、つい、サマエルに向けて毒のある言葉を吐いた。
「けっ。今までの女全部に指輪ちらつかせて、お前だけだって言ったんだろ?
大体、そりゃ先に、ジルのだったんじゃねーか!」
「たしかにね。
だが、あの時は昔の記憶はなかったし、ジルは……本当なら、私の妻となる前に死んでいたはずだった。
ね、もう過去の女性の話は無しにしよう」
サマエルは彼の肩に手を置いて、引き寄せようとした。
「何すんだよ!」
しかしダイアデムの体は、思考よりも早く反応し、その手を払いのけていた。
サマエルは手を押さえ、悲しげな顔でうつむいた。
「……指輪は受け取ってもらえそうもないね……」
「いけね……。
あー、もう、オレ、どうしていいか、分かんねーよぉ!」
頭を抱えたダイアデムは地面から浮き上がり、そのまま上空へと向かう。
本当は受け取りたいのに。うれしくて抱きついてしまいたいのに。
どうして素直になれないのだろう。
「待ってくれ! ダイアデム!」
サマエルは翼を広げ、みるみる小さくなっていく少年の姿を、懸命に追いかけた。
「べーっ! 追いつけるもんなら、追いついてみな!」
一瞬空中に留まり、ダイアデムはあかんべをした。彼に追いついて欲しかったから。
当然、その隙にサマエルは追いすがる。
二人は、天高く飛翔していった。