~紅龍の夢~

巻の五 THE MEMORY OF EMERALD ─緑柱石の記憶─

11.小夜鳴き鳥の唄(4)

初めてケルベロスに乗ったときと同じ旅がまた始まった。
と言っても、すっかり同じってわけじゃない。
魔界のライオン、シンハの乗り心地は想像以上に素晴らしくて、まるで毛皮で出来たふかふかのソファーに寝転んでいるみたいだった。
真っ赤に燃えてるたてがみも、温度調節できるんだろう、全然熱くない。
来た時と違って、朝の(さわ)やかな光の中を、飛ぶように駆け抜けるのも素敵で、見慣れた景色がどんどん後ろに消えてゆく。

あっという間に、砂漠に出た。
でも、ぎんぎん照りつける太陽に、僕もシンハもひるんでしまった。
「ごめんね、シンハ、無理言って」
僕は、熱さと日光をさえぎった。
『気にするでない。汝には口につくせぬほどの恩を受けておる。
困り果てし折には呼ぶがいい。
いつ如何(いか)なるときにも、我かサマエルが、必ず汝の許へと()せ参じよう』
「ありがとう。でも、キミ達の邪魔はしないから」

昼近くになってシンハは僕を下ろし、ダイアデムに変化した。
「シュネ。やっぱ夜、移動しようぜ。オレらは、ぎんぎらの太陽にゃ弱いんだ。
宝石は闇に属するもの、闇の静けさが輝きを育むんだからな。
お前が宝石持ったら、直射日光には当てるなよ、せっかくの色が()めちまう」

そこで、僕らは結界を張り、昼間はその中で休むことにした。
ダイアデムは、暇そうだったから、ずっと気になっていたことを、僕は聞いてみた。
「ねえ、姿が違うと、考えることまで変わっちゃうの?
話し方だけじゃなく、人格……って言うのかな? それも変わっちゃうような気がするんだけど」

「ああ、“オレ”でいる時は、考え方もガキのまんまだ」
ダイアデムは、自分を指差した。
「シンハは儀式のことと、危なくなったら爪と牙で身を守ろうってことしか頭にねーし、フェレスは……あいつは、サマエルのイメージから生まれた理想の女なのさ。
性格は、どうかしんねーけど。
サマエルの好みは色が白くて、髪がサラサラ長くって、華奢で、抱き締めると折れちまいそうな楚々(そそ)とした美人なんだからよ」

そして、彼は悲しそうな顔で、こう続けた。
「だから、お前が、ワルプルギスに帰って来ることがあっても、もう、オレとは会うこともねーな、きっと」
「えっ、どうして!?」
「だって、女がいりゃ、オレみたく口の減らねーガキんちょや、すぐ噛みつくケダモノなんかいらねーだろ?」

「そ、そんなことないよ!
それに、キミは、サマエル様のそばにいたいんじゃないの? シンハもだよ。
サマエル様も、キミ達のこと好きだと思うし」
「そりゃ、ずっと一緒にいてーけど。
サマエルが好きなのは、女……フェレスだけなんだ。仕方ねーよ」
ダイアデムは、うつむき、砂をいじり始めた。

「……そんなぁ」
なぜか知らないけど、涙が出て来る。
もう帰ることもない、ワルプルギス……それでも、ダイアデムとサマエル様が仲良く暮らしてると思えば、それだけで僕は安心出来たのに。
どんなに好きでも、彼は、サマエル様とは一緒にいられないんだと思ったら、急に涙が止まらなくなってしまった。

「お、おい、どうしたんだよ!?」
ダイアデムは面くらい、あたふたして僕の顔を覗き込んで来る。
彼を困らせたくはなかったけど、僕は、どうしても泣き止むことが出来なかった。
「なあ、とにかくわけを言えよ、お前、何で泣いてるんだ?」
彼が困り果ててるみたいだったから、しゃくりあげながらも、僕はどうにか口を開いた。
「サ、サマエル様がそう言ったの? キミのこと、もういらないって……」

「え? いや……」
「じゃあ、言いなよ、一緒にいたいって。
いつもはフェレスでいても、たまにはキミ……“ダイアデム”として、そばにいたいって」
「お前、んなことで泣いてたのか? オレらのことで……けど」

「諦めちゃわないで。
僕と違ってキミは、好きな人といつでも一緒にいられるんだよ、なのに……」
「『僕と違って』? お前、誰か好きなヤツがいるのか?」
ついうっかり口を滑らせたことに気づいて、僕は真っ赤になり、首を横に振った。
「う、ううん、そ、そういう、好き、じゃなくって……ぼ、僕の場合、ほら、その、両親共、死んじゃってるでしょ、だから」

「あ、そっか」
「だから、約束して。訊いてみるって!  サマエル様は絶対、いていいって言うから!」
僕は、必死に彼を説得した。
ダイアデムは、まだ納得してないみたいだったけど、うなずいた。
「分かった、必ず訊くから、もう泣きやめよ。
さ、そろそろ出発しよーぜ、夜のうちに距離を稼がねーと」
気づくと、砂漠に夜がやって来ていた。

僕は涙をふき、シンハの背に乗った。
満天の星空の下、少し欠け始めた月を見ながら、夜中走り続ける。
彼は、夜の間は疲れも知らず、久しぶりのストレス解消って感じで、元気そのものだった。
でも、日が昇ってシンハからダイアデムの姿に戻ったら、彼は、急に苦しそうに肩で息をし始めた。
僕は心配になって、水で冷やした布を、うずくまってる彼のおでこに乗せた。

「苦しいの? ごめんね、後は僕一人で、移動魔法で帰るから、もう帰っていいよ。
無理して、キミがどうにかなっちゃったら、サマエル様に恨まれちゃう……」
「大丈夫だって。こんぐらいでどうにかなるほど、(やわ)じゃねーよ、オレは!
ちっと運動不足がこたえてるだけだ、気にすんな、学院まで連れてく約束だろ!」
ダイアデムは、無理して空元気を出しているみたいだった。
しきりとため息をついて、頭を振っている。何か、辛いことを思い出してるのかもしれない。

でも、夜になってシンハに変化した途端、彼は力を取り戻し、すごい勢いで砂漠を疾走していく。
ついに砂漠を抜け、僕らはほっとした。
それからは早かった。
あの親切なおばさんがいた街もあっという間に通り過ぎ、とうとう僕らは、魔法学院が建っている丘のふもとに着いてしまった。

シンハは、僕を下ろし、紅毛の少年の姿になった。
「着いたな」
「うん……。やっぱり移動魔法で来ればよかった。
ごめんね、ダイアデム。わがまま言って、連れて来てもらって……」
僕はうなだれた。

「いーや。お前、心の準備が欲しかったんだろ?
だから、わざわざ、時間をかけて帰って来たんだろ?
その気持ちは分かるし、気にすんなって」
僕は黙ってうなずき、丘の上にそびえ立つ、どっしりとした校舎を見上げた。
悔しいけど、どうしても足が震える。

僕の視線を眼で追った彼は、なだめるように言った。
「まだ開いてねーだろ、時間つぶそうぜ」
「……うん……」
僕らは、近くの草むらに座り込んだ。
静かに辺りが明るくなっていき、懐かしい景色が広がっていく。
僕は胸がドキドキしてきて、ダイアデムが何か話しかけてきても、ろくに返事も出来なくなってしまっていた。

「う~、気が重いぃ……。
情けないー、サマエル様に、偉そうなこと言ったのに……」
僕は膝に顔を埋めた。
「ンなコトねーさ。誰だって、一度逃げ出しちまったトコに戻るにゃ、勇気がいる。
ケジメつけに帰って来ただけでも、お前は偉いって。
もし、ネスターが四の五の言うんだったら、もう落ちこぼれじゃねーんだし、山に戻って来るなり、それも嫌なら、世界中旅するってのもいいだろうし。
お前ぐらい魔法が使えたら、どこでも通用するぜ。それこそ自信持てよな」
ダイアデムは、慰めるように言ってくれる。

「ありがとう。そ、そろそろ、行こう、か、な……」
「門の前まで送ってやるよ」
「うん……」
もう、完全に明るくなっていた。
僕は無理に立ち上がって、見慣れた景色の中を歩き始める。
でも、足取りはどうしても重くなってしまうんだ。

(あーあ。
自分で決めたことなのに、学院に着かなきゃいいのにって思っちゃう。
ダイアデムと一緒に、ワルプルギスへ帰りたい……。
何言ってるんだ、決めたんだろう、戻るって。ちゃんとネスター先生にも謝るって……。
でも、やっぱり、恐いよ……。
帰りたい……あの静かなお屋敷に……。
変だな、僕の故郷はにぎやかな港町だったのに、たった一年住んだ山の方が、ホントの故郷のような気がするなんて……。
だけど、あそこも、もう、僕の家じゃない……)

僕は、振子のように揺れる心を抱え、魔法学院へと続くなだらかな坂道を、一歩一歩登っていく。
僕の気持ちを察したのか、おしゃべりなダイアデムも、珍しく口をつぐんで、僕のそばを歩いている。
彼の顔を見ても、何の感情も読み取れない。

僕がいなくなっても、きっと彼は何も感じないんだろう……そう思うと、ちょっと恨めしくなったけど、文句を言う筋合いでもない。
僕が勝手に押しかけたんだから……。

そうやって歩いているうちに、ついに門の前に来てしまった。
「ああ、着いちゃった……」
僕は思わず言ってしまう。
ダイアデムは、肩をすくめた。
「心細そうな声、出すんじゃねーよ、いつもの元気はどうした、ええ?」
「だって……」
「じゃあ、オレ、行くからな」
「あ、ま、待って!」
僕は思わず、ダイアデムの腕をつかんで引き留めた。

「ご、ごめん……触られるの、嫌だったよね……」
「お前ならいいけどよ、どうした?」
謝りながらも、僕は、なぜか彼の腕を放すことができない。
彼も、手を振り払おうとはしなかった。
ただ不思議そうに、僕の顔を覗き込んで来る。

「あの、あのね……わたし……」
その時、僕は、自分でも信じられないことをしたんだ。
自分の唇が、彼のすべすべしたほっぺたに触れたとき、一番びっくりしたのは僕自身だった。
「シュネ……!?」
「こ、これ、は……こ、ここまで送ってくれた……おおお、お礼だよ……!」
僕は、真っ赤になってどもった。

怒るかと思ったけど、ダイアデムはとってもうれしそうな顔をした。
「女の子にキスされんのっていいな、うれしいなぁ!
生きてるって、いいよなぁ、こんなこともあるんだもんな!」
彼の眼の中に燃える炎は、さざなみのように揺れている。

「シュネ、キミとサマエルと三人で暮らしたこの一年は楽しかったよ。
女の子と、あんなに身近で一年も暮らせたんだもんな。
おまけに、お礼までしてもらえて……!
思い出すたびに、とってもいい気持ちになれるよ、ありがとな!」
彼が僕の手をぎゅっと握ると、炎の瞳が朝日を受けて、キラキラ輝いた。

「ね、僕の本名はベリル……ベリル・パッサート。忘れないで」
「ああ、忘れねーよ。エメラルドか、いい名だな!
さ、そろそろ、ガキどもが来る頃だろ。
じゃ、元気でな、ベリル!
──ムーヴ!」
ダイアデムは元気よく手を振り、目の前から消えた。

「バイバイ、ダイアデム……サマエル様と仲良くね……」
僕は、彼が握った手をもう一方の手で包み込んで、つぶやいた。
あふれ出て来そうになる涙を必死でこらえ、吹っ切るように、僕は勢いよく門を開ける。