11.小夜鳴き鳥の唄(3)
一寝入りして起きたら、もう午後も遅かった。
いつになくすっきりとした頭で、僕は、今後のことを真剣に考えることにした。
今までだって、考えてないわけじゃなかったけど、とりあえずは、魔法がちゃんと使えるようになろう、将来のことはそれからだって思っていたんだ。
そして、散々考えた結果、出て来た答えは、ここを出ていこうってことだった。
……っていうか、出ていかなくちゃいけないんだろうな。
ちょっぴり、淋しいけどね……。
学院に帰ったら、ネスター先生にこっぴどく怒られるだろうし、それに、こんな風に変身……っていうか外見が全然変わっちゃったから、学院中の噂になりそうだし、ホントは……考えるだけで、気がめいっちゃうけど……。
でも、中途半端なままじゃいけない。
このまま逃げてちゃ、いつまで経っても先へは進めないんだ。
僕は、いつも自分自身から逃げてた。
だから記憶を失くして、勉強も出来なくて……ネスター先生からも逃げ出して……こんな遠くまで来ただけじゃなく、ホントの姿さえ、今まで封じられてしまっていた。
──だけど、もう、僕は逃げない。
サマエル様とダイアデムのようにはなりたくないもの……。
心の迷宮に閉じ込められ……彷徨い続けてた二人……。
サマエル様は、彼と一緒にいられればいいと思ってたみたいだけど、僕は、そんなのは嫌だな。
逃げずにぶつかれば、きっと道は開ける!
僕は、そう思っていたいよ。
行き場のない、暗い思いに捕まってしまいたくはないから……。
少し遅くなったその日の夕食の時、僕はサマエル様に言った。
「サマエル様、僕、やっぱり学院に戻ります。
ネスター先生にも、ちゃんと謝らなくちゃいけないし」
彼は、僕の返事を予期してたみたいにうなずいた。
「そう。それが一番いいかも知れないね」
「淋しくなってしまいますわ、シュネ様……」
タィフィンは悲しそうだった。
「止めてはいけないよ、タィフィン。彼女には、帰るべき場所があるのだからね」
サマエル様が優しく諭す。
「はい、分かっております、ですが……」
「ごめんね、タィフィン。でも、僕、もう決めたんだ。
だって、半端なままじゃ、いい魔法使いにはなれっこないし、それに……僕の力を、誰かのために役立てるつもりなら、尚のこと、ここにはいられないんだよ、分かって」
「はい、わがままを言ってしまって……」
彼女は袖で涙をぬぐった。
サマエル様は微笑んだ。
「とてもいい心がけだね。私達が、反面教師になった甲斐があるというものだ」
「えっ、反面教師……って?」
「つまり、どんなものでも教師になり得るということさ。
最悪のものからでも、何かしら学ぶことが出来る。
『自分は、こうはなりたくない』と思うことも、立派な勉強というわけだ。
キミは我々を見ていて、このまま逃げていては、やがてこうなってしまうかもしれないと、心配になったのだろう?」
「すみません……でも、たしかに、そう思っちゃいました、僕」
僕はぺこりとおじぎをした。
サマエル様の微笑みは、さらに優しくなった。
たった今、気づいたけど、その笑顔は、僕のお祖父さんにどことなく似ている感じがした。
そういえば、お祖父さんも綺麗な銀髪だったっけ、そのせいかな。
「キミの感覚が正しいのだよ。
私達の心は年老いて柔軟性を失い、しかも過去に縛られて、自分自身をも見失っていた……。
我らの祝福と共に帰るがいい、シュネ。キミがいるべき世界……人間の世界へ。
それでも、時々は、過去を……愚かな私達のことも、思い出しておくれ」
サマエル様の瞳は悲しげだった。
「愚かだなんて、そんな……」
「愛していると言いつつ相手を傷つけ、信じることもできず苦しむ……。
そんな私が、“賢者”などと呼ばれる資格はない。
愚者と呼ばれる方が、よほど似合いだ……」
「でも、もう今は、そんなことはないんでしょう? もっと自信持って下さいよ、サマエル様」
「……キミに、そう言われるのは二度目だな。
自分が、自滅的思考の持ち主だということは、よく分かっているのだよ。
だが、なかなかそれを改善することが出来なくて……ね」
「そうですか。
でも、僕、思うんですけど、こういう淋しいところで、二人きりって言うか、いつも同じ顔ぶれで、ずっと同じことして暮らしてるのが、よくないのかも……。
たまには、二人で、気晴らしにどこかに遊びに行くとか……あ、それも出来ないんでしたっけ?
隠れていなきゃいけないんでしたね……」
「……。フェレスと楽しく過ごすためには、やはり天界との勝負には敗けられないね……。
敗ければ、彼女の命はない……彼女がいなければ、私は……。
いや、暗く考えてはいけないのだったね、勝つことだけを考えよう」
「その意気ですよ! 大丈夫です、絶対勝てますよ、二人が力を合わせれば!」
「ありがとう、シュネ。きっと勝利してみせるよ。
そして、私は……彼女と……」
サマエル様の眼差しが、ふっと僕からはずれる。
彼は遙か遠くを見つめ、その唇には、今まで見たこともないくらい、幸せそうな笑みが浮かんで来た。
僕にとって、失ってしまった両親の代わりにできた、新しい家族のようにも思えるこの二人……彼らの未来が明るく輝くことを、僕は強く望まずにはいられなかった。
次の日、ケルベロスも見送りに来てくれた。
いよいよ旅立ち、というときになってやっと、ダイアデムが起きてきた。
てっきりフェレスの姿をして来ると思ってた僕は、紅毛の少年の姿を見て意外に思った。
でも、何だかほっとしたことも事実だった。
きっとサマエル様の前でだけ、女性の姿になるつもりなんだろうな。
彼は、大きな口を開けて、気持ち良さそうに伸びをしながら言った。
「ふあ~あ……。せっかくの門出って時に悪いな、ぼうっとしててよ。
いつもは、“焔の眸”に戻らないと悪夢にうなされてよく寝られやしなかったから、こんなにぐっすり眠ったの、初めてなんだ……ありがとな。
ろくな礼もしないうちに、別れの時が来ちまったけど、シュネ、お前にゃ涙で出来た石なんか似合わねーだろうし……」
「サマエル様にも言ったけど、僕は大したことはしてないってば。
それに、僕が綺麗な宝石つけたって、猫に小判だもの、いらないよ」
「そーゆー意味じゃねーよ、オレが創り出すダグリュオンとかみたく、暗い思いの詰まった石は、ふさわしくねーってことさ。
お前にゃ、お日様の光や、野の花の方が、遥かによく似合うぜ」
僕は首を振った。
「涙には辛いのだけじゃなく、“うれし涙”ってのもあるじゃない。
それにさ、あの……ううん、やっぱりいいや」
「? なんだよ。気になるじゃねーか、お前らしくもない。
この際だから、ハッキリ言っちまえよ」
ダイアデムにせっつかられて、僕はちょっとためらったけど、思い切って言ってみた。
「あ……あのね、お礼してくれる気があるんなら、一つだけ、お願いがあるんだけど……」
「なんだ、言ってみろよ」
「僕、最初の時、ケルベロスの背中に乗せてもらって来たでしょう?
あの時から、ずっと思ってたんだけど。
……えっとね、キミの背中……ううん、シンハの背中に乗ってみたいっていうか……そのぉ、つまり、僕を乗せて、学院まで連れてってくれない?
ケルベロスには悪いけど、彼の背中の方が、ふかふかで乗り心地よさそうだな、って思って……ああ、もしよかったら、だけど……」
「なーんだ、ンなコトか。オレ……は、いいけどよ……」
ダイアデムは、ちらっとサマエル様に視線を送った。
多分、いや、絶対断られると思ったけど、サマエル様はいつもの通り、優しい表情を崩さなかった。
「他ならぬキミの頼みだ、構わないよ、もちろん。
シンハのスピードならば、二日もあれば着けるだろう。
たまには、私のしかめっ面から離れて、シュネと一緒に行っておいで」
「……いいのかよ、ホントに……」
ダイアデムは、心配そうに、サマエル様を見上げた。
「もちろんだよ。ちゃんと私の元に帰って来てくれさえすれば……」
サマエル様は淋しげに微笑む。
すると、ダイアデムは元気よく言い返した。
「バッカだなー、このオレが迷子になるわけねーだろ、ガキじゃあるめーし!」
「そういう意味ではないんだが……」
サマエル様は、ちょっと困った顔をした。
(僕のこと、子供だガキだって言うわりには……)
僕は、ぷっと噴き出した。
「何がおかしいんだよ? シュネ。
……変なヤツ」
ダイアデムは、きょとんとしてる。
その顔がおかしくて、僕は笑いが止まらなくなった。
「だって……あはははは……!」
タィフィンも笑いをこらえ、ケルベロスでさえもにやにやし、サマエル様までつられてくすくす笑い出した。
「何がおかしいんだよぉ、お前らみんなして……!」
「ごめんごめん、で、でも……!
あはははは……と、とまらなくて……は、ははは……!」
「サマエルぅ……」
ダイアデムは、恨めしそうにサマエル様を見た。
「いいじゃないか、涙の別れよりも、湿っぽくなくて。
さあ、シュネ、いい加減に笑いやめて。出発の時間だよ」
「あは……は、はい……そうですね。
──えー、ごほん。
それじゃあ、タィフィン、元気でね。ケルベロスも」
「はい、シュネ様も、お体に気をおつけになって下さいませ……」
「うん……キミもね、タィフィン。サマエル様のお世話を頼むね」
タィフィンは、眼に涙を溜めてうなずく。
ケルベロスはしっぽを振りながら近づいて来て、僕の手をペロリとなめた。
“世話ニナッタナ、礼ヲ言ウ。スベテ、御身ノオカゲダ”
「僕は何もしてないよ、ケルベロス。キミのご主人達が、自分で気づいたのさ。
お前も、元気で山を守ってね」
“マカセテオケ”
二人と別れを惜しんだ後、僕はサマエル様に向き直り、きちんとあいさつをした。
「えっと、サマエル様。
今まで大変お世話になりました、ありがとうございました。
もうお会い出来ないかも知れませんが、お元気で……彼をちょっとの間、借りていきます。
あ、後で彼を責めたりしないで下さいね、僕の方からお願いしたんですから……」
「分かっているよ。キミも体に気をつけて。
辛いことがあったら、いつでも戻って来ていいのだからね、ここはもう、キミの家なのだから」
「家? でも……」
サマエル様はそう言ってくれたけど、やっぱりここは、僕のいるべき場所じゃない気がした……。
それが顔に出たんだろう、サマエル様は、念を押すように続けた。
「何年経とうと、私達は決してキミのことを忘れない。
困ったことがあったら、どんなことでも相談に乗るよ、一人で悩まずに、ここへ戻っておいで。
遠慮はいらない、キミは、一人ではないのだからね」
優しい言葉に、思わず涙が出そうになる。
「はい、分かりました……。
──じゃあ、皆さん、さよなら!」
僕がお辞儀をし、涙をぬぐっている間に、ダイアデムは紅く輝き、シンハへと変身した。
その背中にまたがって、僕は、以前とは違う未来が待っているだろう、人間の世界へと、再び旅立った。