~紅龍の夢~

巻の五 THE MEMORY OF EMERALD ─緑柱石の記憶─

10.緑柱石の貴婦人(4)

「僕が二人目? じゃあ……一人目は、リオンじゃないんですか?
彼の手にも紅い痣があったし、前に、サマエル様のお弟子だったんでしょう?」
ワルプルギスで倒れた僕を、彼が天使の代わりに看ててくれたとき、別れ際、バイバイと振ったその手に、紅い龍そっくりの模様が見えたんだよ。

あ、だからヴェパルはあのとき、僕のこと、『リオンみたい』って言ったのかな。
強過ぎる力を、サマエル様に封印してもらいに来たんだと思って、魔族達にも、
そう伝えてくれたんだろう。助かったな。
だって、河童の他にもちょっかいをかけてくる魔物がいたら、もっと早く僕の魔力が暴発して、大変なことになってたかも知れないもの。
相手がシンハだったから、気絶くらいで済んだんだ。
……多分、河童と同じレベルの魔物だったら、死んじゃってたかも。
そしたら、せっかくのお祭りも、目茶目茶になってただろうな……。

サマエル様はうなずいた。
「そうだよ、一人目はリオンだ。
彼もまた、すさまじい力の持ち主だった……そのため、母親が彼の魔力を封じ、亡くなるときに、私を見つけて封印を解いてもらうようにと言い残した。
そこで、彼は、長年私を探し続け……女王と出会ったのを機に、ついにこの山の存在を突き止めて訪ねて来たのだ。
彼が屋敷にいられたのは、ほんの二月ほど……その間に、彼と闘ったこともあるが、素晴らしい力で、将来が楽しみだと思ったよ……」

僕は驚き、訊き返した。
「えっ、リオンって、人間なのに、魔族のサマエル様と闘えるくらい強いんですか?」
「ああ。前に……たった一度だけ、ちょっとやってみただけだが、おそらく彼の力は、キミよりもさらに上を行くだろうね……」
「えっ、僕よりももっと……?」

さらにびっくりしたけど、学院で僕を助けてくれたときのことを考えると、それもうなずける気がした。
でも、楽しみだなんて言いながら、サマエル様がどことなく、辛そうな表情をしているのはなぜなんだろう。

「さあ、それはさておき、シュネ、少し手伝ってもらえないだろうか。
ダイアデムの目を覚まさせたいのだが……」
はぐらかすようなサマエル様の言い方は、なんか引っかかる。

そのとき、僕は、サマエル様達の話し合いの結末を聞いていないことを思い出した。
ダイアデムの目を覚まさせたい? ってことは……。

「手伝うのは構いませんけど、話し合いはうまくいかなかったんですか?」
サマエル様は眼を伏せた。
「……うまくいった……と、私的には思っているのだけれど。
彼は、本体の“焔の眸”に戻って、ずっと眠ったままでいてね……」
「眠っている? どうして……彼は今どこに? 地下室ですか?」

「そうだ。キミには、話しておかなくてはいけないね。
実は、“焔の眸”には四人の化身がいて……その最後の化身の呪縛を解くことが出来たから、妻になってくれるとは言ってもらえた。
けれど、なぜか、疲れたと言って、地下室にこもったままでいるのだよ。
私のわがままで、彼らの休養を邪魔するのは心苦しいのだが、一人でいると淋しくて……もう二度と、目覚めてくれないのではないかと思ったり……。
だが、私一人で行っても、相手にしてもらえないのではないかと、心配でね……」
そう話すサマエル様は、とっても切ない顔をしてる。
彼は、ホントーに、すっごくダイアデムのことが好きなんだなぁ……って、僕はそのとき実感した。

「それに、暗闇に浮かぶ“焔の眸”は美しい……この世のものとも思えないほどにね。
その姿を、キミにも、一度は見せたいと、かねがね思っていたのだよ。
幼少の頃、初めて“王の杖”にはめ込まれた“焔の眸”を見たとき、私は身も心も震え……一目でその美しさの(とりこ)となった。
(うるわ)しいその宝石が獅子の姿となって、泣いている私を慰めに現れたと知ったとき、私は、彼を得るためなら、どんな犠牲でも払おうと心に決めた。
そして……長い間の紆余曲折(うよきょくせつ)()て、それが今、ようやく叶ったのだ、だから……」

失礼かも知れないけど、僕はサマエル様の話をさえぎった。
「じゃ、さっそく行きましょうよ、彼を起こしに。
大丈夫ですよ、二人がかりなら、ダイアデムもすぐ起きますって」
放っておくと、話が長くなりそうだったから。
僕も、早く“焔の眸”の本体を見てみたかったんだ。

「あ……ああ、済まないね、私の昔話など、詰まらなかっただろう」
サマエル様は我に返り、済まなそうに言った。
「え、いえ、そんな」
「いいさ、では行こう、さ、手をつないで。
──ムーヴ!」

地下へ行く階段も通路も、屋敷にはない。
魔法で移動することしか出来ないんだ。
地下室と呼ぶには広過ぎて、地下の迷宮と呼んだ方がピッタリくるかも知れない、この山の内側全体に広がる深い鍾乳洞。
前はちょっぴり怖かった、どこまでも続く闇のトンネルも、僕が少し大人になったせいなのか、今ではそれほど暗くも思えず、それどころか、神秘的な美しさに満ちている感じがした。

一番大きくて、よく魔法の実験に使っていた広間に、“焔の眸”はいた。
遠くからでも、その妖しいまでに美しい紅い光が、暗闇に慣れた眼を射る。
人を惑わし、魅きつけてやまない、(まばゆ)い光を放つ“焔の眸”は、その広い空間の真ん中あたりに浮き上がって、ゆっくりと回転していた。

「暗闇の中でこそ、その真の美しさを現わす魔界の至宝、“焔の眸”……」
サマエル様が、うっとりとした口調で手を差し伸べた。
「あれ? 紅い宝石なのに、角度によって、全然違う輝きが見えますね」
「美しいだろう?
力ある者が覗き込めば、結晶面に過去や未来の情景が視えるともいうよ」
「ふうん、すごいな……」

近づくにつれて、一層、魅惑の輝きは強くなっていく。
大人の握り拳二つ分ほどもある巨大な深紅の宝石、その中に揺らめく、黄金色をした炎のような煌き。
その炎自体が生き物でもあるかのように、うごめいているのが見える。
ファイディー国の至宝として、小さなペンダントになっていた彼の右眼を見たときよりも、インパクトは強かった。
けど、それも当然だ、こっちが本体なんだから。
サマエル様が夢中になるのも、分かる気がした。

だいぶ近づいてから、僕は気づいた。
宝石の下に、大きな金の剣が斜めに突き刺さっていて、その周囲に、紅い小さな輝きが散らばっている。
「何だろ、これ」
拾い上げてみると、それも宝石だった。
スタールビーのように星の光を秘めた、神秘的な紅い輝きが、闇の中で煌く。

「それはダグリュオンだよ」
「ダグリュオン……これって、彼の涙なんじゃ……?」
「よく分かったね、それは“ダイアデムの涙”とも呼ばれる。
彼は“貴石の王”、自分自身が類希な宝玉であるだけでなく、宝石を創り出す力も持つ……。
だが、彼に、その話はしないでくれないかな。思い出させたくないのだ。
彼にとって、ダグリュオンは、辛い記憶と分かちがたく結びついているのでね……」
サマエル様の視線は、宙にたゆたう。

それから、気を取り直したように彼は言った。
「さてと、ダイアデムを起こそう。
生まれ変わったキミを、彼も見たいだろうからね」
「そ、そうです……ね」
彼が気に入ってくれるといいけどと思いながら、慌てて僕は、ドレスの胸元や裾を直す。
でも、間近で見ると、“焔の眸”はさすがに大きくて、迫力があった。
最初に出会ったときの、シンハの瞳と同じ……ううん、あのときよりも、もっとずっと綺麗だと僕は思った。

「ダイアデム、シュネが来たよ。眼の色や髪も変化して、“紅い封印”も施し終えた……。
彼女は、完全に大人の女性になったよ。それを見たくはないか? 起きておいで……」
「ダイアデム、僕だよ、起きてよ、サマエル様と約束したんでしょ!」
僕とサマエル様は、交互に声をかけた。

「わ……っ!」
すると、いきなり宝石の輝きが増して、僕はとっさに手で眼をかばった。
普段の彼が変身するときよりも、もっと眩しい感じがする。
やっぱり、本体の宝石の姿をしてるからかな。

いつものように、紅毛の少年が現れる。
「よう、シュネ、久しぶり……ってほどでもないか。
なかなかイカスぜ、眼も髪も。ドレスも、似合うようになったな」
変身した“焔の眸”は、サマエル様もいたのに、わざわざ僕に話しかけてきた。
「ありがと。元気そうだね、ダイアデム。サマエル様から聞いたよ、うまくいってよかった」
彼は肩をすくめた。
「そりゃあ、こっちのセリフだ。心配して損したぜ。
やっぱ、ガキは単純で、立ち直りが早くていいよな」

「どうせ僕は子供さ、キミ達から見ればね。でも、子供なりに色々考えてたんだよ。
たとえ、今、僕が死んだとしても、両親はもう帰っては来ない……なら、今の僕に何が出来るんだろう?
……そう考えてたら、この力を使って、タィフィンみたいな困ってる人達を助けることが、僕の罪滅ぼしになるのかも知れない……って思えて来たんだ。
だから、僕はもう、死のうとか考えるのはやめた」

「へっ、いっちょ前なこと、ゆってくれるじゃねーかよ、おい!
たしかに、大丈夫みてーだな、よかったぜ、ホント!」
そう言うと、ダイアデムは、僕の肩を思い切りどやしつけた。
「わっ、い、痛いじゃない!」
「ははは、威勢がいいな!
じゃ、オレ達は、話の続きがあっから、先に帰っていいぞ!」
ダイアデムは、にやにやしながら、上を指差した。
「済まないね、シュネ。ありがとう、後は私達で……」
「分かってますって。お邪魔虫は消えますよ」
サマエル様の言葉を、僕も笑ってさえぎり、一人で自分の部屋に戻った。

それからの僕は、魔法を使うのがとても楽になった。精神的にも肉体的にも。
もちろん、間違った召喚獣を呼んでしまったりってこともなくなった。
……それらは全部、無意識に力を抑えようとした結果だったからだ。
“紅い封印”が、僕を自分の力から守ってくれ、強烈な罪の意識も消えた今は、ただ魔法の勉強に専念すればよかった。

そんなわけで、今、僕は、生きてきた中で一番幸せに思える時を過ごしていて……こんな毎日が、このままずっと続いていくような気がしていたんだけれど……。