~紅龍の夢~

巻の五 THE MEMORY OF EMERALD ─緑柱石の記憶─

10.緑柱石の貴婦人(3)

まず、胸。
今まで全然なかったのに、女性らしくふっくらして来ている。
身長もかなり伸びていた。
栄養失調だった十歳頃があるせいか、ガリガリにやせたチビだったのに。
その上、ここに来てから伸ばし続けていた髪も、どうしようもないニンジン色が薄くなっていて、赤毛とは呼べなくなっている。
少し赤っぽいけど、これはもう、金髪……ストロベリーブロンドってヤツだった。
そして、とどめは、眼。
瞳の色まで、鈍い灰色から、綺麗なグリーンに変わってしまっていた。

「……けど……どうして、こんなことになっちゃったんだろう……」
僕は、頭をひねり、一生懸命、原因を考えた。
まるで、魔法にでもかかったみたい……誰かが僕に、魔法をかけたのかな。
……まさか、タィフィン?
いや、彼女の魔力は多分、そこまで強くない。
サマエル様……いや、タィフィンにしろ彼にしろ、僕に黙って魔法をかけるわけない……。
そこまで考えて来て、僕はようやく、あることに思い当たった。

そう。僕自身が、自分に魔法をかけたんじゃないだろうか、昨夜タィフィンにかけたみたいに。
きっと、眠っているうちに無意識にやってしまったんだ、すぐ元に戻さなくちゃ。
だって、こんなの、ホントの僕じゃないもの……。
僕は、もう一度、鏡の中の見知らぬ自分を見つめた。

でも、どうやって自分に魔法をかけたのか分からないし、戻し方なんて、さらに分からない。
「あ、サマエル様なら知ってるかも! どうせ、会いに行くところだったんだし!」
僕は、急いでバスタオルを体に巻きつけ、部屋に戻ると、枕元に置いてあった服を着ようとした。
でも、どれもきつくなっていて、下着はもちろんズボンも全然入らないし、シャツもボタンが留められない。
魔法で大きくしようと呪文を唱えてみたけど、まだ魔力は戻ってなくて……。
「困ったなぁ、もう、どうしたらいいんだろう……」
僕は途方に暮れて、ベッドに座り込んだ。

そのとき、ちょうどいいタイミングで、誰かがドアをノックした。
「お目覚めですか、シュネ様」
この声はタィフィン……天の助けだ!
僕は、勢いよくドアを開けた。
「タィフィン、大変なんだ、ほら、見て、僕、自分にも、魔法をかけちゃったんだ!
戻し方をサマエル様に訊きに行きたいけど、服も小さくなっちゃってて!」

「ええっ?」
タィフィンは眼を丸くしたけど、すぐに事情が分かったみたいで、にっこりした。
「なぜ、元に戻さなければならないのですか?
とても素敵ですよ。お着替えでしたら、わたくしがお出し致します。
──ストーラ! はい、どうぞ」
綺麗な衣装を差し出しされたけど、僕は受け取る気になれなかった。
「だって、こんなのインチキだよ……」

「それでは、わたくしの姿もインチキだと、元に戻すべきだと仰るのですか……?」
彼女の黒い瞳がうるみ、声まで涙声になる。
僕は、焦って手を振り回した。
「ち、違う、キミはいいんだよ、呪いが解けただけで、それがホントの姿なんだから!
でも、僕は……偽の姿をしてたらいけないだろ……」
「どうしてでしょう? “焔の眸”様は四つのお姿をお持ちでございます。それに、お館様も」

僕は面食らった。
「サマエル様も……? あ、だけど、彼らと僕とは違うよ、二人は魔族でしょ……」
「ともかく、お召し替えをなさって下さい。
お館様がお待ちです、朝食をご一緒したいと仰られて」
「そ、そうだね、ともかくサマエル様に……あ、でも、これは……」
タィフィンに手渡された衣装を広げてみて、僕は思わずため息をついた。
「ふぅ。こんなの、どう着ればいいの?
それに、こんな、まるで女の子みたいなカッコ、絶対、似合うわけないよ……」

僕の手の中にあるのは、レースがいっぱいついた、ふわふわでうす緑色のドレスだった。
ずっと前、学院長先生の奥さんに、こんなのを着せてもらったことがあるけど、自分でも笑っちゃうくらい、ぜーんぜん似合わなかったんだ……。

でも、タィフィンは、珍しくキッパリと言った。
「あなた様は女性なのですよ、お似合いにならないわけがございません。
お館様もきっと、お喜びになられますわ。
さ、お貸し下さい。着付けのお手伝いをさせて頂きます」
「うん……」
僕は、渋々、ドレスを渡した。

「ヘ、変じゃない……?」
「いいえ、とてもよくお似合いですよ、鏡をご覧になりますか?」
四苦八苦して、着替えた後にそう聞かれた僕は、一瞬迷った。
けど、前よりは、少しはマシになってるハズだよね。
そう自分に言い聞かせて、僕は恐る恐る鏡を覗いた。

「う……誰だ? コレ……」
キラキラと肩にかかる巻毛は太陽の色、雨にぬれて輝く葉っぱのような眼を大きく見開き、
若葉色のふわふわのドレスを身に付けて、鏡に映ってるのは……。
う~ん、やっぱり、これ、僕じゃないや。

「うう、何か、変……」
「そんなことはありませんよ、さあ、参りましょう」
「はぁ……」
もう一度、鏡を覗いた僕はまた、ため息をつき、ひらひらするドレスの裾と、慣れないヒールに悪戦苦闘しながら、食堂に向かう。

「おはよう、シュネ。美しくなったね、そのドレスも、よく似合っているよ」
サマエル様は、僕を見るなり、微笑んで言った。
僕は、かっと顔が熱くなった。
「あ、ありがとう、ございます」
僕はぺこりと頭を下げ、それからつっかえつかえ、どもりまくって、変身してしまった
経緯(いきさつ)を話した。

黙って最後まで聞いてくれたサマエル様は、僕を真正面から見て、真顔で言った。
「いいかい、よくお聞き、シュネ。
キミは、魔法で変身したのでは『ない』、だから、元に戻すことは出来ないのだよ」
「え……違うんですか? てっきり、そうだとばかり思って……」
僕は驚いて聞き返す。

「当たり前のことだが、キミは本来、少しずつ成長していくはずだった。
しかし、潜在していたキミの強力な魔力は、みずからの記憶を封じたときに、身体的な発達も一緒に、停止させてしまったのだと思う」
確信を込めた答えが返って来て、僕は思わず眼を見張った。
「ホントに、そんなことがあるんですか?」

「ああ、ごくまれにだが。
キミの力はそれだけ強かったし、ご両親を亡くしたショックもまた、大きかったのだろう。
それを和らげてくれる者も、いなかったしね……」
少し考えて、僕はうなずいた。
「そう……ですね。おじいちゃんは、もう死んじゃってたし……」

「それでも、ネスター……いや、彼の奥さんと出会ったことで、キミは心を開き、体も成長を再開した。
そして、今回、記憶が戻り、かつ、タィフィンの呪いを解いたことにより、キミは自分自身の力を受け入れ……それに伴い、体の方も、一晩で年相応になったのさ。
今の姿は、二十一歳のキミ本来の姿なのだ。だから、元に戻す必要もないのだよ」
サマエル様は、にっこりした。

僕は、金色になってしまった髪をひとふさ、つまみ上げてみた。
「そっか。何年もかけて、少しずつ、変わっていくはずだったんですね、僕の体は。
この髪も、眼も……?」
サマエル様はうなずいた。
「その通りだよ。人間の女性は、十八歳前後で、急激に美しくなることが多いようだが」

それなら、別に、不思議でも何でもないかも知れない……。
久しぶりで会った人が、まるっきり別人みたいになっちゃってるなんてのは、珍しいことじゃないもんね。
それが、僕の場合、一晩で急に起きちゃったってことか。
美しいとまではいかなくても、まあ、ブサイクからは卒業出来た、かな……。

そのとき、タィフィンが、豪華な食事を運んで来た。
「お食事をお持ちしました。どうぞ、お召し上がり下さいませ。
今朝は、腕によりをかけて、シュネ様のお好きなものを、たくさん作りましたわ」
美味しそうな匂いを嗅いだ途端、いきなりお腹が、グーとすごい音を立てたから、冷や汗が出た。
こんな綺麗なドレスを着てても、中身の方は、ちっとも進歩してない……。
ちょっとがっかりしたけど、最近は、病人食みたいなものばかり食べていたし、空腹で死にそうだった。

「ぼ、僕、おなかペコペコ。い、頂きます!」
「ああ、たくさん食べなさい、シュネ。
こんなにいい気分で食事ができるのは、久しぶりだ。
ふむ、いつもながら美味しい料理だよ、タィフィン」
サマエル様の声は明るい。

「ホント、とっても美味しいよ、これも、これも、これも、ぜ~~んぶ!」
「ありがとうございます」
タィフィンは、うれしそうに頬を染めた。
考えごとは後回しにすることにして、僕は食べることに専念し、タィフィン自慢のアップルパイを、三回もお代わりした。

「シュネ、(あざ)が戻ったと言っていたね。
ちょっと、見せてもらえるかな?」
久しぶりに楽しんで食べる、ほっぺたが落ちそうな朝食が終わると、サマエル様が言った。
「ここです」
僕は、ほんのちょっとドレスをずらして、左肩にある痣を見せる。

サマエル様は、掌をかざして呪文を唱える。
「少し熱く感じるかもしれないが、我慢しておくれ。
……目覚めし龍の末裔(まつえい)よ、我、“カオスの貴公子”が汝に贈る、“紅龍の紋章”を加納せよ。
──ファンズ・エト・オーライゴウ!」

僕の肩は青白く輝き、熱くなったけれど、すぐに元に戻った。
「な、何をしたんですか?」
「どうぞ」
タィフィンが渡してくれた鏡で見てみると、痣はまたも姿を変えていた。
まるで、飛びかかろうと身構えてる、紅い龍みたいな姿に……。

「へー、龍みたいな形になっちゃってますね」
「それが、キミに渡したかったものだよ」
「え、これが?」
「それは私の紋章、“紅龍の紋章”とか、“紅い封印”と呼ばれるものだ。
祭りの時のように、もめ事に巻き込まれそうになったら見せるといい。
魔界の者ならば、キミが、私にゆかりのある者だとすぐに分かるだろう。
それに、この封印は、真にキミが危機に陥ったときにだけ解かれるから、使いたくないときに魔力が暴発したりすることを防いでもくれるのだ。
ああ、もちろん、これがあっても、普通の人間並みの魔法は使えるよ」

僕は、鏡に映る紅い龍の紋章を、まじまじと見つめた。
「ふうん、便利なものなんですね、これ」
「もっと早くにこれを使って、キミの力を封印することもできたのだけれどね。
自分の力……つまり、自分自身を肯定出来ないまま、封じてしまうと、今度は、まったく魔法が使えなくなってしまうのだよ。
どんな力も、使い方次第で、人を幸にも不幸にもする、ということを理解してからでないと、この封印は意味を持たないのだ」

「今はよく分かります、たしかにそうですね」
「うまくいってよかった……素晴らしい力があるのが分かっていながら、封じなければならないとなると、術者も本人も辛いからね。
……これで二人目、だな……」
サマエル様の言葉は、最後の方はささやきに近かったけど、僕にはちゃんと聞こえた。