~紅龍の夢~

巻の五 THE MEMORY OF EMERALD ─緑柱石の記憶─

8.夜の宝石(5)

魔界の獅子は、淡々と語り続ける。
『汝も存じておろう、蜘蛛族の女は、交尾の後、男を眠らせ、その体内に無数の卵を産み付ける。
男は、至高のもてなしを受けるものの、十月十日(とつきとおか)の後、卵は、男の体を食い破って(かえ)り……畢竟(ひっきょう)、男は死に至るのだ』

「ひえっ!」
ヴァイスは、殴られたようによろめいた。
わなわなと震え、紙のように白い顔で、体のあちこちを探る。
『かの女が、蟷螂(かまきり)族でなかった幸運に感謝せよ。
……その場合、交尾後、汝は即刻、食われておったろうからな。
ラシアスは、汝の危機を瞬時に見抜き、闘いに身を投じたのだ。
どちらに助太刀(すけだち)致すべきかは、明白であろう』

「──ラシアス!」
彼の言葉が終わらぬうちに、ヴァイスは、闘争を続ける女達の間に飛び込んで行った。
男の加勢で、あっけなく勝負はついた。
『かの男は諦めよ、蜘蛛の女』
ひしと抱き合うヴァイスとラシアスの前で、シンハは重々しく言い渡した。

蜘蛛族の女性は、地面にへたり込み、顔を覆ってしくしくと泣き出した。
髪は乱れ、体は傷だらけ、服はあちこちが破れている。
「ううう……ひどい……ひどいわ、シンハ様。
あ、あたしの赤ちゃん達はどうなるの、この人の体から出されたら、餌もなくて、死んじゃうわ……。
あたしが……赤ちゃん達に、自分の体を……食べさせるしかないけど、そ、そしたら、誰が育てるの? 
──ああ、悔しい、恨めしい、もう少しだったのに──!」
とうとう女性は、地面に体を投げ出して号泣し始めた。

その様子をじっと観察していたシンハは、やがて視線を男に移した。
「シンハ様、ありがとうございました」
深々と頭を下げるヴァイスを、魔界の獅子は、輝く瞳で見据えた。
『いいや、汝は、おのれの軽率な行為の(つぐな)いをせねばならぬ』
「えっ、まさか」
男は青くなった。
「シンハ様!」
ラシアスが、かばうように彼の前に出る。

『そこをのけ、ラシアス。
ヴァイスよ、腕を出すがいい』
「え、あの……?」
『何を致しておる、()()だせ!』
うろたえる男にライオンは迫るものの、なかなか腕を差し出さないと見るや、突如咆哮(ほうこう)し、飛びかっていった。

「──うわあ!」
「シンハ様、やめて!」
叫ぶラシアスには取り合わず、ライオンは男を押し倒し、鋭い牙をその左腕に食い込ませて、肩口から噛み切った。
「──ぎゃあああ!」
無惨に食いちぎられた傷口を押さえて絶叫する男に、ラシアスは取りすがる。
「ヴァイス、しっかりして!
シンハ様、どうしてこんなこと……」

その惨状を意に介した風もなく、シンハは、血にまみれた男の腕をくわえ、蜘蛛族の女性の前に運び、落とした。
そして、驚きと恐怖のあまり声も出せずにいるアラネアに、彼は神託を告げるような、厳粛な口調で言った。
『蜘蛛族の女よ。ならば我が、胞衣(えな)(こしら)えてやろう』
「え……?」

『──クーナエ!』
戸惑うアラネアの目前で、彼は呪文を唱えた。
刹那、男の腕の傷口からぶくぶくと大量の泡が出て来たかと思うと、徐々に人の形をなしてゆく。
泡が固まったとき、そこに横たわっていたのは、ヴァイスに酷似(こくじ)した男だった。

それを前にして、シンハは(おごそ)かに告げた。
()は、揺籃(ようらん)と餌を兼ね備えた(うつわ)ぞ。
もっとも、目覚めることなき器ゆえ、汝が世話をせねばならぬが。
それも十月(とつき)ばかりの間なれば、さほどの難儀でもなかろう』

シンハは、ヴァイスの腕から、複製を作り出したのだ。
遺伝子的には同一だったが、脳は故意に一部分しか働かないように処理してあり、意識がないため、当然、苦痛も感じない。

一呼吸置いて、話の内容を理解したアラネアは、身を乗り出した。
「じゃあ、シンハ様、これは赤ちゃん用なのですね!?」
『うむ。今、これに卵を移すゆえ、しばし待て。
──オーウム!』
シンハは、まだ痛みにのた打ち回っている男に向けて、呪文を唱えた。
ヴァイスの体から、いくつもの輝く光の粒が飛び出し、複製の中へと送り込まれていく。

眠ったままの複製に、光がすべて吸い込まれてしまうと、彼は言った。
『これでよい。後は、汝が器の世話を首尾よくこなせば、赤子らは無事、この世に生を受くるであろう』
「はい、ありがとうございます! シンハ様、ご恩は一生忘れません!
ちゃんと育てますから!
失礼致します、──ムーヴ!」
蜘蛛族の女性は、幾度も頭を下げ、複製の男と共に消えた。

『さて、雪豹の男よ』
ラシアスに介抱されている男に、シンハは冷ややかな視線を送る。
「ひえっ……」
ヴァイスは震え上がり、後ずさろうとした。
『愚かなる男めが。
今後再びラシアスを泣かすようなことあらば、腕一本では済まぬと思え』
「う、は、はい……」
答える男の額から、冷たい汗が滴り落ちる。

『ラシアスよ』
「はい」
『男を傷つけたは詫びねばならぬが、かの女も我が同胞(はらから)、赤子らの命を救わんがための苦肉の策だ、許せ』
ライオンは頭を下げた。
「いいえ、分かっております、お顔をお上げ下さい、シンハ様。
わたしも、赤ちゃんが元気に生まれて来て欲しいって思ってますから」
ラシアスは、うやうやしく答えた。

『雪豹との子ならば、もはや、蜘蛛同様の生殖方法はとらぬであろうさ。
なれど、ヴァイスよ。
蜘蛛族の女どもは、汝のごとき放蕩者(ほうとうもの)……死するとも泣く者がおらぬ男……を、相手として選ぶのだ。
アラネアが引き下がったは、ラシアスがおったがゆえということを、よく肝に銘じておくがよい』

「は、はい……」
男はうなだれた。
「大丈夫です、わたしが彼を守りますから。
それに、蜥蜴(とかげ)も卵生だけど、男の人に産み付けたりはしませんよ、ふふ」
ラシアスは、いたずらっぽい笑顔を見せる。

『うむ。達者で暮らせ、ラシアス。何かあらば知らせよ、()く参る』
「はい、ありがとうございました、シンハ様。
あの……ダイアデムによろしく」
すると、ライオンの口から、少年の声が返事をした。
「いい卵産めよ、ラシアス。オレも頑張っから」
「ええ、今夜は本当にありがとう。
あなたと会ってなかったらって思うと、ぞっとするわ。
じゃ、サマエル様と仲良く出来るように祈ってるから」

「うん、じゃあな、ラシアス。
さて、サマエルがやきもきしてっだろーから、もう行かねーと」
「さよなら、ダイアデム、シンハ様。どうもありがとうございました」
ラシアスは、深々と頭を下げる。
『──さらばだ、ラシアス。
──ムーヴ!』
魔界のライオンは、移動呪文を唱えた。

過去の映像が消えてしばらく経ってからも、サマエルは、自分の愚かしさにあきれ果て、口も利けずにいた。
ダイアデムは、かつて人間の女性を愛したとき、彼女に指一本触れもせず、それでも愛の証にと、おのれの右眼を贈ったのだ。
冷静に考えれば、そんな彼が、行きずりの女性と、自分が想像するような関係になることなどあり得なかった……たとえ、その身に、呪いがかかっていなかったとしても。

宝石の化身の少年は、黙したまま、そんな彼に視線を注いでいた。
窓から吹き込む風が、優しくその紅い髪を揺らす。
うるんだ炎の瞳は、いつもより一段と(なまめ)かしく、輝きを増して見えた。

「……すまなかった。私はかなりひどく、思い違いをしていたようだ、許して欲しい……」
ようやく、王子が謝罪の言葉を口にすると、少年もまた、ぺこりと頭を下げた。
「こっちこそ、ごめん。何かうまく言えなくて、いつも喧嘩になっちまうし、直に見せりゃ、ちゃんと伝わるかなって思って……」
「ああ、とてもよく分かったよ。でも、心配はいらない。
私は今も、そしてこれからも、お前以外には目移りすることはない、誓うよ」

ダイアデムは肩をすくめた。
「そう言ってくれるときは本気(マジ)なんだろうけど、お前らナマモノってさ、百年もしたら、誓ったこと自体、忘れちまうんだよな……。
ま、いっか。呪いの女みたく、しつこ過ぎんのも考えもんだし」

「私も、その女性並みに執念深いから、大丈夫だよ」
軽い気持ちで言った王子の一言は、宝石の化身を青ざめさせた。
「ひえぇ、じょ、冗談でも、ディーネを引き合いに出すのはカンベンしてくれ……!」
「す、済まない……」
相手の反応の激しさに驚き、サマエルは急いで詫びた。

ダイアデムは、噴き出した汗をぬぐい、首を横に振った。
「お前は知らねーんだから、仕方ねーさ。
けど、この際だから聞かせとくか。お前のひいばーさんの、ディーネ女王のこと……」
王子は首をかしげた。
(そう)祖母が女王? そんなはずは……」

「公式の記録にゃ残されてねーんだ、ディーネは。
お前以上に滅茶苦茶で、存在自体、抹消されちまったんだから」
「ええっ、存在を抹消された!?」
サマエルは、抑え切れない驚きを(おもて)に表した。

「ああ。でも、シンハは、この記憶は見られたくねーって言ってる。
……あいつ、ディーネと寝てるからさ、何度も。
一応女王だったから、命令されれば従うしかなかったんだ。
……お前も見たくねーだろ?」
サマエルは眼を伏せた。
「……そうだね」

「初めは、まともだったんだ、ディーネも。
ホントは、女王になる器じゃなかった……でも、息子がまだ小さくてよ。
シンハは、彼女を摂政(せっしょう)にするつもりだったんだ。けど、家臣どもがどうしてもって……」
サマエルは、首をひねった。
「それは珍しいね、シンハの決定は絶対なはずだろうに」

「ああ、扇動するバカがいてな。
家臣どもがそれに踊らされて、仕事さぼったりなんだりして、すっげー魔界が混乱してさ。
仕方ねーから、名目だけの女王ってことで、シンハも渋々認めたんだ。
けど、大失敗だったって、今でも悔やんでる」
「……そうだったのか」

「彼女、魔力がそんなに強くないのに、シンハと……。
そしたら、やっぱ、誘惑に勝てなくなっちまって……あいつと寝るたびに、少しずつおかしくなって、政務も怠けるようになって。
いくら、シンハが、ちゃんとやれって言っても、全然耳を貸さなくて、しまいにゃ、女王の座から降ろすしかなくなったんだ……」
「それも珍しいことだね……」

「……うん。そんで、魔封じの塔に幽閉された頃には、完全に狂っちまってて。
その後、焼身自殺しちまったんだ。不幸のどん底で、シンハを呪いながら……。
彼女は火蜥蜴(サラマンダー)だったから、封じられてても炎を出すことが出来たのさ……」
「魔封じの塔は、過去に一度、焼け落ちたと聞いた、では、その時に……?」
「そう。だからオレ達、びびっちまってんのかもな……お前だけは、そんな目に遭わせたくないって思って……」
ダイアデムは、うるんだ眼で彼を見た。

「その心配は無用だよ。
幼い頃から、どん底を味わって来た私だ、これ以上()ちようもない。
それに、私は王でもないし、たとえ、ベッドでお前に溺れていたところで、誰にも迷惑はかけないだろう。
とっくの昔に狂ってもいるし、お前と堕ちていく不幸なら、喜んで付き合うよ、“焔の眸”。
……どこまでも……そう、地獄の果てまでも、ね」
サマエルは艶然(えんぜん)と微笑んだ。

ひっきょう【畢竟】「畢」も「竟」も終わるの意
 1 仏 究極。絶対。最終。
 2 その物事や考えをおし進めて最後に到達するところは。結局。要するに。
えな【胞衣】 胎児を包んでいた膜や胎盤など。
こしらえる【拵える】 物を作り上げる。製作する。(「こさえる」は、俗な言い方)
こ【是/此】 この。これ。ここ。
ようらん【揺籃】 ゆりかご。