~紅龍の夢~

巻の五 THE MEMORY OF EMERALD ─緑柱石の記憶─

8.夜の宝石(4)

美女を背に乗せたシンハは、先ほどの騒ぎからかなり離れた人気のない場所にやって来た。
オアシスと呼ぶには、気が引けるくらいの小さな泉と、周辺に緑が少しある。
彼女を降ろすと、シンハは輝き、紅毛の少年が現れた。
「ふう、ここなら静かだろ」
「よくご存知ですね、素敵なところ……。
──カンジュア!」
美女は、物珍しそうに周囲を見回し、ストールを魔法で出すと、羽織った。

「だろ? 前にシンハが見っけてたんだ。
──カンジュア!」
ダイアデムは、魔法で、象牙色の敷物とクッションを二個、白いティーカップを二つ乗せた銀の盆を出した。
「ついでに火も(おこ)すか。
──イグニス!
さ、座れよ」
「はい」

砂漠の夜は、思いの外、気温が下がる。
小さな焚火を前に、二人は隣り合って座り、ダイアデムは、温かい湯気の立つ純白のカップを美女に渡した。
「ほら、あったまるぞ」
「ありがとうございます」
彼女は、礼をし、カップを受け取った。

「……んで、デートんときって、何しゃべりゃいーんだろな?」
茶をすすりながら、ダイアデムは上目遣いに彼女を見た。
美女は、優雅に小首をかしげた。
「そうですね……では、自己紹介から参りましょうか?」
「あ、そっか、あんたの名前も知らなかったんだっけ。
けど、敬語はやめよーぜ、うざってーから。
オレのことは、ダイアデムでいいし。で、あんたは……?」

「ラシアスよ。さっきの彼は、ヴァイス。雪豹なの。
でも、わたしは蜥蜴(とかげ)だから、肌が冷たくて、濡れてて嫌だって……」
美女はうつむいた。
ラシアスが言っているのは、魔族の第二形態のことである。
魔族は成長すると、ごく少ない例外を除き、そのほとんどが、第二の姿を持つことになるのだ。

「よっし、その調子な。
……冷たいって? どれ」
ダイアデムは、美女の浅黒い腕に触れる。
ひんやりとした感触は、サマエルを思い出させた。
王子の第二形態は蛇なので、多少似ているのだろう。
「ふーん、たしかにつめてーな。
けど、ベッドの中で、あっためてやる楽しみがあっていいじゃんか、なぁ?」
彼が顔を覗き込むと、ラシアスは、ぎこちない笑みを返して来た。
「……え、ええ」

わずかに身を引く仕草に気づいた宝石の化身は、にっと笑った。
「心配すんなよ、ベッドになんか連れ込まねーから。
呪いがかってるせいで、オレ、女は駄目なんだ。
今夜は、特別な日だから、たまにゃ、女の子とゆっくり話してみてーなって思っただけさ」
「そうなの……でも、魔界の至宝のあなたに、どうして呪いが……?」

すると、ダイアデムの表情が曇った。
「……昔、シンハに()れ過ぎて、狂っちまった女がいてな、そいつが死ぬ間際、呪いをかけたのさ。
『“焔の眸”と相思相愛になった女は、非業(ひごう)の死を遂げる』って……。
だから、オレらに出来んのは、『他の男を愛してて、心変わりしそうもない女の子相手に、楽しくおしゃべりする』くらいさ……」

美女は眼を伏せた。
「……ご免なさい。あなたが嫌って言うんじゃなく、わたし、彼との子供しか作りたくないの」
「へー、そこまで思われてんのに、あの野郎、しょうがねーな」
言いながら、彼は、カップを口に運ぶ。
ラシアスはにっこりした。
「でも、よかったわね。
サマエル殿下は男性、その呪いには当てはまらないし、あんな美しい方が恋人なんて、うらやましいわ」

「──ぶはあっ!」
それを耳にした瞬間、ダイアデムは、たった今口に含んだ茶を勢いよく噴き出した。
「げほっ、げほっ!」
「だ、大丈夫?」
激しくむせる少年の背中を、慌ててラシアスはさする。

彼は、真っ赤な顔でカップを放り出し、両手を振り回した。
「こ、恋人なんかじゃねーよ、オレは宝石の精霊、お前らナマモノとは違うんだからな!
あの女だって、変な呪いをかけたもんさ、石っころのオレと相思相愛になるだとか……!」
「いいえ、あなたは、わたし達とおんなじよ。
誰かを好きになる心があれば、魔族も人族も神族でも、そう、宝石だって皆、同じだわ」

それを聞いたダイアデムの動きがぴたりと止まり、その眼からは大粒の涙がこぼれ出た。
涙は彼の膝や敷物、砂の上に転がり落ちて、紅く燦然(さんぜん)と輝く。
「あ、ち、違……な、泣いてなんかねーぞ、ゴミが眼に入っただけだ!」
彼は焦って、ごしごし顔をふいた。

ラシアスは、輝く宝石を砂ごとすくい上げ、砂だけをさらさらとこぼす。
「綺麗な涙……あなたも辛い恋をしてるのね……。
殿下とうまくいってないの?」
「だ、だから、恋なんかじゃねーってば。けど……」
ダイアデムはうつむいた。
「けど、何?」
ラシアスは、彼の顔を覗き込んだ。

「……あいつ、滅茶苦茶なんだ。
すぐに自分の体切り刻んだり、死のうとしやがる……。
あいつが死んじまったら、オレ、どーすりゃいいんだよ……。
それに……生身じゃねーオレのことなんか、どうせすぐ飽きて……そのうちゴミみたく、ぽいって捨てられんだろーなとか思うと、何だか、一緒にいてもしょーがねーよーな気になってよ……」
彼は、くすんと鼻をすすり上げた。

「そうなの……。
大好きな人が、自分自身を大事にしないのは、見てて辛いわね……。
でも、サマエル殿下は、あなたを捨てたりはしないと思うけど。
さっきも、わたしのこと、すごい眼で睨んだのよ。
……一瞬だったけど、体がすくんじゃった。
殿下も、あなたのこと、とても好きなんだわ」
ラシアスはそう言ったが、ダイアデムは聞いていなかった。

「……オレは女でも男でも……それどころかナマモノですらもねー、ぴかぴかキレイなだけの石……。
けど、何で、宝石の精霊なんかに生まれちまったんだろう。
オレが普通の魔族だったら、身分の違いがあっても、普通に付き合えたかもしんねーのに。
いーや、オレが、ただの石っころのままでいりゃよかっだんだ。
そうすりゃ、サマエルだって、シンハに苦しめられることもなかったし、オレも……オレも、こんなに……」
ダイアデムは言葉を途切らせ、頭を抱えた。再び涙があふれ、砂に落ちる。

自分だけの思いに浸る少年を、美女はそっと揺さぶった。
「……ね、ダイアデム。今の話、サマエル殿下にしたことある?」
彼は顔を上げた。
「え? いや……」
「じゃあ、言っちゃいなさいよ、全部。
あなたが思ってること、心配なこと、悩んでること、みーんな。
そしたら、殿下もきっと、眼を覚ましてくれると思うわよ」

「そうかなぁ……?」
ダイアデムは小首をかしげる。
「ええ、だって、サマエル殿下は、あなたのことがとっても好きみたいだもの。
さっきみたいに、全部ぶちまけて、泣いてお願いして、それでも駄目なら、思い切って別れちゃえばいいのよ。
──なーんてね、わたしだって、そんな偉そうに言えないけど」
そこまで言うとラシアスは、ぺろりと舌を出した。

こうして見ると、最初受けた印象よりも、彼女はかなり若いようだった。
「ホント、他人のことは何でも言えるのよね。
なのに、自分のこととなると、全然……」
ため息混じりに、ラシアスは首を横に振る。

「言ってねーっていえばさ。オレ、あいつに秘密にしてること、まだあるんだ。
だって、これ知ったら、あいつ、余計に死にたくなっちまうかも知んねーんだもん……。
けど、ベルゼブルは言ってたな。
女の呪いが解けないのは、この秘密を解放出来てないからかも、って……」
眼をこするダイアデムを、ラシアスは横目で見た。
「……ふうん。
表面だけ見て、うらやましいって思ってたけど、あなた達って、何だか大変なのね」

「うん、色々、こんがらがっちまっててさ……」
「ともかく、話してみたら? 今のまんまじゃ、辛いでしょ?」
「んー、今さらって感じもするけど、この頃、あいつとはロクに口も利いてねーしな。
一度、ちゃんと、話してみなくちゃいけねーかも……」

そうやって、二人が話し込んでいるうちに、東の空が白み始めてきた。
ダイアデムは、ぱっと立ち上がった。
「いっけね、もう夜が明けちまう。送ってくよ、ラシアス。家、どこだ?」
「え、でも、悪いわ」
「平気さ、シンハならひとっ走りだ」
そう言うと、少年の体は輝いた。

シンハは、ラシアスを再び乗せ、彼女の住処(すみか)へと急ぐ。
遥か前方に見えて来た、羽を広げた鳥に似た大岩を、彼女は指差した。
「あ、あれよ。あの岩が目印なの。鳥みたいでしょ」
彼は、さらに速度を増し、目標へと向かった。

砂漠を出て、ごつごつした岩場へ差しかかったとき。
シンハは突如、立ち止まった。
「きゃ、どうしたの、ダイ……いえ、シンハ」
魔界のライオンは、低く唸り声を上げ、背中の毛を逆立てている。

そこにいたのは、彼女の思い人だった。
「ヴァイス……」
「なんだ、お前か」
男は、うんざりしたように眉をしかめた。
まだ若いラシアスが、盲目的に愛情を注ぐだけあって、なかなかの男前である。

そのとき、男の後ろから女性が現れて、ラシアスは蒼白になった。
黒の短髪、釣り上がった紅い眼、白い肌をこれ見よがしに露出する大胆な服を身につけ、こちらもまた、かなりの美女だった。

「ヴァイス、そ、その人……」
「ふん、お前には関係ないだろ」
男は、ふてくされたようにそっぽを向く。
「駄目よ、その人から離れて!」
ラシアスは叫び、女性に飛びかかっていった。

「──きゃあ、何すんのよぉ!」
突然襲われた女性は、悲鳴を上げた。
「──アラネア! くそ、やめろ、ラシアス!」 
『待つがいい、ヴァイスとやら』
助けに向かおうとする男の前に、シンハが立ちふさがる。

「シ、シンハ様! おどき下さい、あいつは、嫉妬に狂ってこんなことを……」
『何を申すか。ラシアスは、汝のため闘っておるのだぞ』
「俺のため?」
男は、ぽかんとした。
『左様。しかと見るがいい』
「は、はあ……」
促されたヴァイスは渋々、派手なつかみ合いを演じている二人の女性に眼をやった。

「ええい、邪魔するんじゃないよ、このアバズレ!」
黒髪の女は、ラシアスの頬を張ったが、彼女も負けていない。
お返しに、往復ビンタを食らわす。
「嫌よ! 彼は渡さないわ、諦めなさい!」
「──痛たたっ! よくもぶったね!
あの人はもう、とっくにあたしのもんなんだよ!」
「そうはさせないわ!」

魔法をあえて使わない、女同士の激しい肉弾戦を背景に、シンハは重々しい声で、男に問いかける。
『汝は、かの女の第二形態を知っておるのか?』
彼女達から目を離せないまま、男は答えた。
「はあ、ラシアスは蜥蜴(とかげ)で……」
『いいや、我が申しておるのは、今一人の方よ』
「アラネアですか。いえ、まだ聞いてませんが……」

すると、ライオンは、どうしようもないと言いたげに頭を揺すった。
炎のたてがみから、紅い火の粉が周囲に飛び散る。
それから、託宣(たくせん)を下すように、彼は(おごそ)かに告げた。
暗愚(あんぐ)な男よ、よっく聞け。あれはな、蜘蛛(くも)なのだぞ!』
「──ええっ、蜘蛛!?」
ヴァイスは、弾かれたように振り返った。

たくせん【託宣】
神仏が人にのりうつったり夢の中に現れたりして、その意志を告げること。また、そのお告げ。神託。
あんぐ 【暗愚】 道理がわからず賢さに欠ける・こと(さま)。愚か。