~紅龍の夢~

巻の五 THE MEMORY OF EMERALD ─緑柱石の記憶─

7.罪と罰(4)

そんな。誰でもいいから、彼らを助けて。
──そうだ、サマエル様はどこにいるんだろう。

急いで周囲を見回すと、彼はずっと遠くにいて、海から人を引き上げては、残った陸地まで連れてっている。
魔力が残ってないのか、一度に運べるのは、せいぜい二人か三人くらい。
ふらつきながら、それでも必死に、頑張ってるみたいだった。
たとえ、こっちに呼べたとしても、その間に、別の人達が死んじゃうだろう。

上空で、まだもめている二人は、下で起きていることには無関心。
それに、彼らも、あまり魔力が残ってるようには感じられない。
ど、どうしたらいいんだ、このままじゃ……。

僕が、やきもきしていたら、意を決したようにダイが口を開いた。
「分かった。弟と妹を助けてくれ」
「お兄ちゃん!?」
妹は眼を丸くした。
それまで、ぐったりしていた弟も、驚いたように眼を開ける。
彼の瞳の色は、僕みたいな灰色だった。

“それでよいのだな”
杖は念を押す。
「ああ。オレの残りの力も全部使って、二人を助けてくれ、オレはいい」
ダイは、きっぱりと言ってのけた。

「嫌よ、お兄ちゃんも一緒じゃなきゃ、駄目!」
妹が彼にすがりつき、泣きじゃくる。
「お、お兄ちゃ、ん……」
弟も何とか顔を上げ、ダイに手を伸ばした。
その服の胸や手は、真っ赤に染まっていた。

「アフマル、妹を守ってやれな。聞き分けろ、イズムルート」
ダイは弟の手をぎゅっと握り、それから銀と赤毛、二つの頭を優しくなでた。
「嫌よ、嫌!」
妹は泣きながら、首を激しく振っている。

「……くっ、は、早く二人を連れてけ、杖……!」
少年は、歯を食いしばった。
強い意志を秘めた印象的な緑の瞳が、涙でうるむ。
「でもオレ、もっと生きてたかった……生きて、お前達を守ってやりたかったのに……」
ダイの顔から、どんどん血の気が引いていく。
もう、限界が近いんだろう。

「お兄ちゃん!」
「し、死んじゃ、嫌だよ……あ!?」
その時、ダイに取りすがっていた二人の体が、不意に浮き上がった。
“王の杖”が、彼らを連れて行こうとしてるんだ。

「お、兄ちゃ……」
弟が、血まみれの腕を伸ばす。
「お兄ちゃん! ──お兄ぃちゃああぁん!」
妹は、髪を振り乱して泣き叫ぶ。
でも、杖はぐんぐんとスピードを上げ、宝石の紅い輝きと、幼い弟妹達の悲しい声は、段々遠くなっていく。

「……これでいい。元気でな、アフマル、イズムルート……」
ダイはつぶやき、板につかまっていた手から、力が抜ける。
微笑んだまま、彼は、荒れ狂う波に飲み込まれていった。

「……ダイアデム、キミ、キミの姿は……あの子、ダイの……」
過去の映像が消え、我に返ると、またまた涙が出て来て、僕は最後まで言うことが出来なかった。
彼らの悲痛な声が、まだ耳に木霊(こだま)している。
ここまで二人の話を聞いて来て、僕の頭はようやく冷えた。
どうして僕だけが、こんな目に遭わなきゃならないんだ、そんなやり場のない怒りも、消えてしまった。

ダイみたいに、生きたかったのに生きられなかった人達のことを考えると、簡単に命を捨てちゃいけない気がした。
たとえ、この後、僕が、どんないいことをしたとしても、僕の罪が消えるわけじゃない。
でも、罪を(つぐな)うことと、死ぬことは別だって分かったんだ。
それに、自分だけが人殺しじゃないって知ったことで、ちょっと気が軽くなったのかも知れない。

記憶の中のダイがそうしてたみたいに、サマエル様は、僕の頭を優しくなでた。
「……分かったかい、シュネ。
“焔の眸”は、若くして命を落としたあの少年の遺志を継ぐために、その姿、性格をすべて複製して、新たに化身を作り出したのだよ。
少年の最後の望み……『もっと長く生き、愛する者を守りたかった』は、その時死んでいった者、全員の望みでもあったろうからね……。
だから“焔の眸”は、この少年の姿を取るときには、数ある呼称のうち、最も似たもの……ダイアデム──これは王冠、王位、王権という意味がある──と名乗ることにし、今も、キミ達を見守っているのだ、ダイとの約束を守ってね」

「えっ、じゃあ僕も、彼らの子孫なんですか?」
驚いて顔を上げると、それまで黙っていたダイアデムが答えた。
「あん時、自力で助かった者や、サマエルが助けた連中を合わせても、数千人にも満たなかったから、お前が、ダイの弟妹の血を引く可能性は高いな。
……特に、その赤毛と、灰色の瞳を見れば……。
オレの髪は、どうしても、あいつより紅くなっちまうんだ……。
眼と同じく、禍々しい血の色をしてるのが分かるだろ……」
彼は、深紅の髪を持ち上げて見せる。

僕は、彼と自分の髪色を見比べた。
「……そっか。
キミが、その姿をしてるのは、罪滅ぼしのためもあるんだね……?」
「でもよぉ、お前が、一人二人、殺したことで死ななくちゃならねーんだったら、オレは、何度死ねばいいんだろーな?
そのせいだけじゃないけど、オレだって……しょっちゅう死にたくなるんだ。
シンハが暴れた時も、お前が止めてくれなかったら、サマエル殺して……オレも死んでたかもな……。
サマエル……だから、お前、よけも反撃もしなかったんだろ? 
せっかく、甦らせてやったのに、オレは全然思い通りにならない……それならいっそ……そう思ったんだろ?」

ダイアデムの口調は、ものすごく不吉な響きを持っていて、僕はぞっと鳥肌が立った。
「ねえ、お願い! 僕、もう、死にたいなんて言わないから! もう、死のうとしないから!
だから、二人も、死ぬなんて言わないで! 
お願いだよ、死んじゃわないで……!
僕、もう、身近な人達が死ぬのを見るの、嫌なんだ……二人が死ぬ気なら、僕も一緒に殺して!
せっかく……家族が出来たと思ってたのに、また誰もいなくなっちゃう……僕のせいで……!」

「お前のせいじゃねーって」
「キミのせいではないよ」
二人は、同時に言った。
「じゃあ、死なないで! 約束して!
せめて……僕より先には死なないで……やだよぉ、生きててよぉ……!」
とうとう、僕は感情が抑えられなくなり、布団に突っ伏して大泣きした。

サマエル様は、僕の背中を優しくさすった。
「分かったよ、シュネ。もう死のうとするのはやめるから」
「……ホント? ホントに?」
僕は勢いよく顔を上げた。
「ああ、そこは任せとけ。今までだってこいつ、何度死のうとしたか知れやしねーんだぜ。
それを、毎回オレが、何とかなだめすかして来たんだからよ。
それにしても、お前すごい顔してるな、涙と鼻水でぐしゃぐしゃだぞ」
顔をふこうとするダイアデムを、僕は振り払った。

「僕なんかのことより、ダイアデム、サマエル様のこと、受け入れてあげて。
昔、何があったのか、僕は知らない。でも、過去のことは水に流して。
キミが拒絶するから、サマエル様は余計死にたくなっちゃうんだよ、ね、お願い!」
僕は両手を合わせた。

「う~~ん」
ダイアデムは唸り、腕組みをした。
「そんな困らなくたっていいじゃない。
キミ、サマエル様のこと嫌いじゃないんでしょ? ううん、ホントは大好きなくせに!」
「……う、そりゃー嫌いじゃねーけどよ……まあ、女のこと以外でも、こいつとは色々<あるんでな……」
彼は、ぽりぽりと頭をかいた。

やっぱり駄目なんだろうか、この二人。
彼が受け入れてあげなければ、サマエル様はまた……。
そう思った途端、また涙が込み上げてくる。
「うううっ……!」

僕が泣きそうになっているのに気づくと、ダイアデムは、慌てて手を振り回した。
「──ま、待てって、シュネ。
分かった、オレ、女に泣かれるの、超苦手なんだ……と、とにかく、この場は落ち着け、な?
オレとサマエルのことは……まあ、その、なんだ、ガキが口を挟むようなことじゃ……」
言いかけた彼は、僕の眼からぼろぼろ涙があふれ始めると、ため息をついた。

「……ったく、しょーがねーなぁ。
ともかくよ、こりゃー、オレ達で解決しなきゃなんねー問題なわけだ。
だから、これから二人で、じっくり話し合うことにする、それでいいだろ。
──ただし、どういう結論が出るか、それは、やってみなきゃ分かんねー。
ま、問題点をはっきりさせれば、何か解決策が見つかるかもしんねーしな」
「う、うん、分かった……」

「さ、後は休んでいなさい、シュネ。
そんなに泣いたのでは疲れただろう、タィフィンをつけておくから」
「はい……」
ホントに、僕はくたくただった。
最近は泣いてばかりで、我ながらよく、涙が()れてしまわないもんだと思う。
でも、お互いを避けていた二人が真剣に話し合ってくれる、それだけでもほっとする出来事で、僕は枕に頭を戻した。

サマエル様が、温かいタオルで顔を拭いてくれた。
「では、ゆっくりお休み。いい夢をね」
「はい、でもあの……」
「そんな顔をしなくても、私達は大丈夫だから。ね?」
僕はきっと情けない顔をしていたんだろう、サマエル様は微笑み、優しく僕の頬に触れてくれる。

これまでは、ただうっとりと眺めていただけだったこの美しい笑顔の陰に、一言じゃとても表現し切れないないほど、ものすごく複雑な事情があるなんて、僕は今まで考えもしなかった。
マジに涙が止まらない。

「そうだ、そうやってたくさんお泣き。
泣きたい時には、感情を抑えずに泣いた方がいい。
今感じている感情をとことん感じ切ること、それが心の傷を速く癒すコツなのだそうだよ、シュネ。
……私には、出来ないけれどね。
幼い頃から、ずっと感情を殺し続けてきたから、自分が一体、今、何をどう感じているのか、私にはもう、よく分からないのだ……」

「サ、サマエル様は、悲しいん、でしょう、ダイ、アデムが、相手、して、くれない、から。
さ、淋しいん、でしょう、ひ、一人ぼっちだ、って、思って。
で、でも、それは、違います、ダ、ダイアデムは、意地っ張りな、だけで、だから……」

僕がしゃくりあげながら言うと、ダイアデムは、僕の顔を覗き込んで来た。
「ああ、シュネ、だからよ、オレ達はこれから、そーゆう話をしに行くトコなんだってば。
心配しねーで待ってろ、な?」
「う、うん、分かった、よ……」
彼に見つめられると、僕はいつも、なぜかすぐにうなずいてしまうんだ。

「さて、シュネを頼んだよ、タィフィン。
それから、この部屋も片付けておいてくれ」
サマエル様が、空中に向かって呼びかける。
緑の龍が暴れてから、僕の部屋は目茶目茶になって、そのままだった。
「かしこまりました、お館様」
どこからか、眼に見えない使い魔の答えがする。

「では、シュネ、私達は行くからね」
「大人しくそこで寝てんだぞ、メシもちゃんと食えよ」
「うん」
僕がうなずくと、二人は部屋を出て行った。
うまくいくといいな、僕は心からそう願わずにはいられなかった。