~紅龍の夢~

巻の五 THE MEMORY OF EMERALD ─緑柱石の記憶─

7.罪と罰(2)

そのとき、突然、口が勝手に動いた。
『──サマエル、やめて!
あなたが死んだら、魔族、それに、ダイアデムはどうなるの?』
僕は、マジ、心臓が止まりそうになった。
だって、その声は、僕のじゃなかったんだ。
いきなり、自分の口から別人の声が聞こえて来たら、誰だってびっくりするに決まってる。

「──ジル!?」
サマエル様も、驚いたように動きを止めた。
僕は、いきなり解放されて、物が散乱している床に尻もちをついた。
「痛ってて……」
でも、よかった。
今度は、ちゃんと自分の声が出たし、血まみれの矢も抜け落ちて、サマエル様も助かった。

──と思って、お尻をさすっていたら、彼は頭を振り、再び僕を操ろうと呪文を唱え始めた。
『駄目よ、サマエル、聞いて』
だけど、あの女性が、僕の口を借りて語りかけると、彼は頭を抱えた。
「ジル、もう……楽になりたい、辛過ぎる……」

『サマエル、生きて。お願い、自棄(やけ)を起こさないで。
今に、きっと、いいことがあるから』
女の人は、彼を説得し続ける。
──誰だか知らないけど、頑張って。
僕は、心で応援した。

「ジル……キミのいない世界にはもう、耐えられないよ……。
誰も、私を、愛してはくれない……」
サマエル様は、僕の手を取る。
震える彼の手は、死んだ人みたいに冷たかった。

「ああ、ジル……もう一度会えたら……」
彼は、冷たい頬に僕の手を押し当て、眼をつぶった。
その瞬間を待っていたように、女の人は声を上げた。
『──シュネ、ダイアデムを呼んで、早く!
サマエルに生きる希望を取り戻せるのは、彼だけよ!』

すると、サマエル様は眼を開けた。
「無駄だよ、ジル。彼は今、地下で、結界を張って眠っている……」
『いいえ、シュネの声なら、どんな結界も突き抜けて、必ず届くわ。
あたしが、あなたを目覚めさせ、呼び寄せたようにね。
──さ、シュネ、早く!』
女性は僕を急かす。

“──は、はい!
ダイアデム! 起きて! 僕の部屋に来て!
──早くしないと、サマエル様が死んじゃうっ!!”
僕は、ありったけの思いを込めて叫んだ。

でも、返事はない。
もう一回呼ぼうか、もっと大きな声で。
そう思ったとき、紅い光が部屋を満たし、宝石の化身の少年が現れた。
ほっとしたのも束の間、ダイアデムは、とても怒った顔をしている。
寝ていたところを、起こしちゃったからかな。

「ご、ごめん、でも、緊急事態なんだ、サマエル様が……」
もごもご言い訳してる僕の側に、彼は無言で、ずかずか近づいてくる。
そして、あたふたしている僕をしり目に、いきなり、サマエル様のほっぺたをひっぱたいた。
「この変態! 今度はシュネにまで、手ぇ出したのかよ!」
僕は、眼をぱちくりさせた。

「それは違う、ダイアデム、私は……」
紅くなった頬を押さえているサマエル様を、ダイアデムは怒鳴りつけた。
「ふん、白々しい! いくら女に飢えてるからってよ!」
「待ってよ、ダイアデム」
僕は急いで金の矢を拾い上げ、二人の間に割り込んだ。
「ほ、ほら、これ見て。
か、彼、ぼ、僕を操って、こ、これが、おでこに刺さって……も、もう少しで、死んじゃう、とこで……」

しどろもどろの説明を、彼はちゃんと理解してくれて、うなずいた。
「……なるほどな。けど、シュネ、半分はお前のせいだぞ。
知らなかったから仕方ねーけど、“死にたい”は、サマエルにゃ禁句なんだ。
いっつも死ぬコトばっか、考えてんだから。
危なく、心中するトコだったな」

「うん、ごめんなさい。
でも、僕はともかく、サマエル様が死んじゃったら、キミが悲しむと思って。
そしたら、知らない女の人がね、僕の口を使って、サマエル様を止めてくれたの」
「女だぁ?」
ダイアデムは、鼻にしわを寄せた。

「あ、……」
思わず口に手を当てる僕に、彼は険しい顔で詰め寄ってきた。
「何だよ、そいつ。
言えよ、誰なんだ」
「し、知ら、ないよ、で、でも、ジル、って……」
仕方なく答えたら、ダイアデムはサマエル様をじろりと見た。

彼は首を横に振った。
「私が呼んではいないよ。……殺してもらうつもりでいたのだから」
「ンなこた分かってら。けど、何かあるたびに、過去の亡霊が出て来るようじゃな……」
ダイアデムは紅い髪をかき上げ、ため息をつく。

「ジルもいない。お前も……いや、誰も私を愛してはくれない。
なのに、なぜ、生きなければならないのだ?
私には、その理由が見つからないよ……。
愛のない世界で生きていく、それが、私に科せられた罰なのか……」
サマエル様の眼は(うつ)ろだった。
泣くことができたら、気持ちを吐き出すことも出来て、楽なのに……。

今度は、僕が彼を説得しなくちゃ、そう思い、僕は話し始めた。
「ぼ、僕はサマエル様のこと、好きですよ。死んじゃわないで下さい。
さっき僕、お父さんを……もう一度殺してしまうような気がして、すっごく辛かったんです、だから……」
「済まない……だが、辛そうなキミを見ていられなかった……。
私は不死に近く、自殺するのは難しい……だから、キミと一緒に死ねたなら、お互いに幸せだと思って……」
サマエル様はうなだれた。

きっと、この人の心には、暗くて大きい穴が開いてるんだろう。
それを埋めようとして、いつも、必死に何か探しているみたい。

沈黙の中、ダイアデムは一つため息をつき、僕が渡した金の矢の両端をつかんで、ぐにゃりと曲げた。
驚く僕の鼻先で、彼は金属の矢を、まるで粘土みたいに引き伸ばしては、色んな形を作ってゆく。
細長いひもにして手首にぐるぐる巻いて腕輪、小さな丸にして耳輪、首に巻いたのはチョーカー。

「ダイアデム、それ……」
僕が指差すと、彼は言った。
「ああ、別に、オレが怪力だってわけじゃねーよ。
オレは“貴石の王”、つまり、鉱物の支配者とでも言やいいか。
石や金属は、オレに従うようになってるのさ。
……ともかく、サマエル、あんまり世話焼かすなよな。
そのたんびに増えてってよ、重いったら」

「え、じゃあ……」
「そ。これは全部、サマエルが作った矢のなれの果てさ」
彼は、自分の体を飾る金の装飾品を指差した。
「こないだ、お前がシンハを止めた時だってそうだ。
わざとヤツを怒らせて、自分を殺させようとしたんだ……」

「ええっ!? ホントですか、サマエル様!」
取りすがっても、彼は無言で、僕を見ようとはしなかった。
「オレも、シンハを止めなかったけどよ。
サマエルが望むんなら、それもいいかな、って。
ま、こいつが死んだら、オレも生きちゃいねーけどな」

「どうして、サマエル様! ダイアデムがあなたを受け入れないから?
だから? そんなの、おかしいよ!
それに、ダイアデムだって、好きな人を殺して自分も死ぬなんて、どうしてそんなこと考えるの!?
僕には分かんない……分かりたくもないよ!」
僕は頭を抱えた。

「じゃあ、他にどうすりゃいいって言うんだ、シュネ?
オレがしたり、言ったりしたことがサマエルを傷つけ、悲しませる……。
だから早く、オレのことなんか諦めろよ、サマエル。
お前が諦めないと、オレはもっと辛く当たらなきゃならなくなるだろ……」
ダイアデムは、沈んだ声で言う。

「だったら、キミがサマエル様を受け入れてあげればいいじゃない!
そうすれば、全部丸く納まるのに!」
僕が大声を出した途端、ダイアデムの眼の炎が激しく燃え上がり、彼は勢いよくサマエル様を指さした。
「──うるせー、何にも知らねーくせに!
こいつが、王位継承権をなくした理由はな、“女”なんだよ!
女に、うつつを抜かしたせいで、魔界を追い出されたんだぞ!」
そして、彼は、ぷいと顔をそむけた。

そっか、やっぱり。でもそれって、昔のこと、だよね……。 
僕が、サマエル様に視線を移すと、彼は重い口を開いた。
「……いつもこう言って、彼は私を受け入れてくれない……。
昔、若気の至りで問題を起こしたことや、自分の気持ちに気づかずに、冷たくあしらってしまったことなどを、未だに許してもらえないのだよ……」
サマエル様は、ゆっくりと首を左右に振った。

すると、そっぽをむいたまま、ダイアデムは言った。
「んなもん、許すも許さねーもねーよ、オレはかつてお前を裏切り、殺そうとまでした……何度もな。
それすら、お前は許してくれたんだぜ?
なのに、オレが、ンなコトを、いつまでも根に持ってるとでも思うのか?」
「う、裏切った? キミが、サマエル様を?
おまけに、殺そうとまでした? 何度も……?」
彼らの過去は、僕なんかよりずっと複雑みたいだった。

「私達のことは過ぎ去った過去……。
だが、シュネ、ご両親のことは、キミのせいではないのだからね。
それに、母上は、キミのことを最後まで愛していたと思うよ」
サマエル様はそう言ってくれたけど、僕は横に首を振った。
「いいえ……母さんは、僕のこと化け物って言って、海に飛び込んじゃったんですから……」

途端に、ダイアデムは、口をとがらせた。
「バカかお前。よぉく考えてみろ、魔力を使い果たしちまったヤツは、どうなるんだよ」
「え? ええと……」
僕が首をひねったら、サマエル様が教えてくれた。
「死ぬか廃人同様になる……直後に、魔力を誰かが補給してくれなければ、ね」
「あ、そうでした、習いました」

「じゃあ、どうしてお前は死ななかったんだよ?
一体、誰が、お前に魔力をくれたんだ、ええ?」
ダイアデムは、僕に指を突きつけた。
「……え、だ、誰って……」
「キミの町には、魔法使いが他にもいたのかい?」
助け舟を出すように、サマエル様が訊いてくれた。
「い、いえ、僕らの一家だけで……じゃあ、……」

「そう、キミに力を分けてくれたのは、母上だ。
ただ、魔力を多量に消費すると、心も弱るからね。
そのせいで、母上は、正常な判断がつかなくなったのだろう。
悲しみに負けて、幼いキミに、つい暴言を吐いてしまった。
それを後悔し、また、これ以上キミを憎みたくないと思った母上は、弱った精神で、誤った判断を下してしまった……自分も、夫の後を追えばいいと……」

「ふん、誰かとおんなじじゃん」
ダイアデムが皮肉っぽく言う。
「……耳が痛いね」
サマエル様は苦笑した。

そうか。母さんは僕のこと、憎んでいたわけじゃなかったんだ。
……それが分かったのは、とても嬉しいけれど……。
「でも、二人が死んだのは、やっぱり僕のせいですよ……」
僕はうなだれた。

そしたら、ダイアデムが肩をすくめて言ったんだ。
「ふん、たかが一人や二人、殺したからってどうだって言うんだ?」
「これ、ダイアデム、またそんな……」
さえぎろうとするサマエル様を、彼は制した。

「言わせろよ、サマエル。
おい、シュネ。オレには親なんていねー。
オレは精霊、石に魔力が宿っただけのもんだからな。
だから、ナマモノの気持ちはよく分かんねーけど、殺した数だけなら間違いなく、オレはお前らの上を行ってるぜ」
彼はにやりとし、ピンク色の舌でぺろりと紅い唇をなめた。

僕は、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「嘘、人間は食べないって……」
「食わなくたって、殺せるだろ?
オレはな、いっぺんに何十億も、殺っちまったことがあんのさ」
「ええっ!」
僕はびくっとした。