7.罪と罰(2)
そのとき、突然、口が勝手に動いた。
『──サマエル、やめて!
あなたが死んだら、魔族、それに、ダイアデムはどうなるの?』
僕は、マジ、心臓が止まりそうになった。
だって、その声は、僕のじゃなかったんだ。
いきなり、自分の口から別人の声が聞こえて来たら、誰だってびっくりするに決まってる。
「──ジル!?」
サマエル様も、驚いたように動きを止めた。
僕は、いきなり解放されて、物が散乱している床に尻もちをついた。
「痛ってて……」
でも、よかった。
今度は、ちゃんと自分の声が出たし、血まみれの矢も抜け落ちて、サマエル様も助かった。
──と思って、お尻をさすっていたら、彼は頭を振り、再び僕を操ろうと呪文を唱え始めた。
『駄目よ、サマエル、聞いて』
だけど、あの女性が、僕の口を借りて語りかけると、彼は頭を抱えた。
「ジル、もう……楽になりたい、辛過ぎる……」
『サマエル、生きて。お願い、
今に、きっと、いいことがあるから』
女の人は、彼を説得し続ける。
──誰だか知らないけど、頑張って。
僕は、心で応援した。
「ジル……キミのいない世界にはもう、耐えられないよ……。
誰も、私を、愛してはくれない……」
サマエル様は、僕の手を取る。
震える彼の手は、死んだ人みたいに冷たかった。
「ああ、ジル……もう一度会えたら……」
彼は、冷たい頬に僕の手を押し当て、眼をつぶった。
その瞬間を待っていたように、女の人は声を上げた。
『──シュネ、ダイアデムを呼んで、早く!
サマエルに生きる希望を取り戻せるのは、彼だけよ!』
すると、サマエル様は眼を開けた。
「無駄だよ、ジル。彼は今、地下で、結界を張って眠っている……」
『いいえ、シュネの声なら、どんな結界も突き抜けて、必ず届くわ。
あたしが、あなたを目覚めさせ、呼び寄せたようにね。
──さ、シュネ、早く!』
女性は僕を急かす。
“──は、はい!
ダイアデム! 起きて! 僕の部屋に来て!
──早くしないと、サマエル様が死んじゃうっ!!”
僕は、ありったけの思いを込めて叫んだ。
でも、返事はない。
もう一回呼ぼうか、もっと大きな声で。
そう思ったとき、紅い光が部屋を満たし、宝石の化身の少年が現れた。
ほっとしたのも束の間、ダイアデムは、とても怒った顔をしている。
寝ていたところを、起こしちゃったからかな。
「ご、ごめん、でも、緊急事態なんだ、サマエル様が……」
もごもご言い訳してる僕の側に、彼は無言で、ずかずか近づいてくる。
そして、あたふたしている僕をしり目に、いきなり、サマエル様のほっぺたをひっぱたいた。
「この変態! 今度はシュネにまで、手ぇ出したのかよ!」
僕は、眼をぱちくりさせた。
「それは違う、ダイアデム、私は……」
紅くなった頬を押さえているサマエル様を、ダイアデムは怒鳴りつけた。
「ふん、白々しい! いくら女に飢えてるからってよ!」
「待ってよ、ダイアデム」
僕は急いで金の矢を拾い上げ、二人の間に割り込んだ。
「ほ、ほら、これ見て。
か、彼、ぼ、僕を操って、こ、これが、おでこに刺さって……も、もう少しで、死んじゃう、とこで……」
しどろもどろの説明を、彼はちゃんと理解してくれて、うなずいた。
「……なるほどな。けど、シュネ、半分はお前のせいだぞ。
知らなかったから仕方ねーけど、“死にたい”は、サマエルにゃ禁句なんだ。
いっつも死ぬコトばっか、考えてんだから。
危なく、心中するトコだったな」
「うん、ごめんなさい。
でも、僕はともかく、サマエル様が死んじゃったら、キミが悲しむと思って。
そしたら、知らない女の人がね、僕の口を使って、サマエル様を止めてくれたの」
「女だぁ?」
ダイアデムは、鼻にしわを寄せた。
「あ、……」
思わず口に手を当てる僕に、彼は険しい顔で詰め寄ってきた。
「何だよ、そいつ。
言えよ、誰なんだ」
「し、知ら、ないよ、で、でも、ジル、って……」
仕方なく答えたら、ダイアデムはサマエル様をじろりと見た。
彼は首を横に振った。
「私が呼んではいないよ。……殺してもらうつもりでいたのだから」
「ンなこた分かってら。けど、何かあるたびに、過去の亡霊が出て来るようじゃな……」
ダイアデムは紅い髪をかき上げ、ため息をつく。
「ジルもいない。お前も……いや、誰も私を愛してはくれない。
なのに、なぜ、生きなければならないのだ?
私には、その理由が見つからないよ……。
愛のない世界で生きていく、それが、私に科せられた罰なのか……」
サマエル様の眼は
泣くことができたら、気持ちを吐き出すことも出来て、楽なのに……。
今度は、僕が彼を説得しなくちゃ、そう思い、僕は話し始めた。
「ぼ、僕はサマエル様のこと、好きですよ。死んじゃわないで下さい。
さっき僕、お父さんを……もう一度殺してしまうような気がして、すっごく辛かったんです、だから……」
「済まない……だが、辛そうなキミを見ていられなかった……。
私は不死に近く、自殺するのは難しい……だから、キミと一緒に死ねたなら、お互いに幸せだと思って……」
サマエル様はうなだれた。
きっと、この人の心には、暗くて大きい穴が開いてるんだろう。
それを埋めようとして、いつも、必死に何か探しているみたい。
沈黙の中、ダイアデムは一つため息をつき、僕が渡した金の矢の両端をつかんで、ぐにゃりと曲げた。
驚く僕の鼻先で、彼は金属の矢を、まるで粘土みたいに引き伸ばしては、色んな形を作ってゆく。
細長いひもにして手首にぐるぐる巻いて腕輪、小さな丸にして耳輪、首に巻いたのはチョーカー。
「ダイアデム、それ……」
僕が指差すと、彼は言った。
「ああ、別に、オレが怪力だってわけじゃねーよ。
オレは“貴石の王”、つまり、鉱物の支配者とでも言やいいか。
石や金属は、オレに従うようになってるのさ。
……ともかく、サマエル、あんまり世話焼かすなよな。
そのたんびに増えてってよ、重いったら」
「え、じゃあ……」
「そ。これは全部、サマエルが作った矢のなれの果てさ」
彼は、自分の体を飾る金の装飾品を指差した。
「こないだ、お前がシンハを止めた時だってそうだ。
わざとヤツを怒らせて、自分を殺させようとしたんだ……」
「ええっ!? ホントですか、サマエル様!」
取りすがっても、彼は無言で、僕を見ようとはしなかった。
「オレも、シンハを止めなかったけどよ。
サマエルが望むんなら、それもいいかな、って。
ま、こいつが死んだら、オレも生きちゃいねーけどな」
「どうして、サマエル様! ダイアデムがあなたを受け入れないから?
だから? そんなの、おかしいよ!
それに、ダイアデムだって、好きな人を殺して自分も死ぬなんて、どうしてそんなこと考えるの!?
僕には分かんない……分かりたくもないよ!」
僕は頭を抱えた。
「じゃあ、他にどうすりゃいいって言うんだ、シュネ?
オレがしたり、言ったりしたことがサマエルを傷つけ、悲しませる……。
だから早く、オレのことなんか諦めろよ、サマエル。
お前が諦めないと、オレはもっと辛く当たらなきゃならなくなるだろ……」
ダイアデムは、沈んだ声で言う。
「だったら、キミがサマエル様を受け入れてあげればいいじゃない!
そうすれば、全部丸く納まるのに!」
僕が大声を出した途端、ダイアデムの眼の炎が激しく燃え上がり、彼は勢いよくサマエル様を指さした。
「──うるせー、何にも知らねーくせに!
こいつが、王位継承権をなくした理由はな、“女”なんだよ!
女に、うつつを抜かしたせいで、魔界を追い出されたんだぞ!」
そして、彼は、ぷいと顔をそむけた。
そっか、やっぱり。でもそれって、昔のこと、だよね……。
僕が、サマエル様に視線を移すと、彼は重い口を開いた。
「……いつもこう言って、彼は私を受け入れてくれない……。
昔、若気の至りで問題を起こしたことや、自分の気持ちに気づかずに、冷たくあしらってしまったことなどを、未だに許してもらえないのだよ……」
サマエル様は、ゆっくりと首を左右に振った。
すると、そっぽをむいたまま、ダイアデムは言った。
「んなもん、許すも許さねーもねーよ、オレはかつてお前を裏切り、殺そうとまでした……何度もな。
それすら、お前は許してくれたんだぜ?
なのに、オレが、ンなコトを、いつまでも根に持ってるとでも思うのか?」
「う、裏切った? キミが、サマエル様を?
おまけに、殺そうとまでした? 何度も……?」
彼らの過去は、僕なんかよりずっと複雑みたいだった。
「私達のことは過ぎ去った過去……。
だが、シュネ、ご両親のことは、キミのせいではないのだからね。
それに、母上は、キミのことを最後まで愛していたと思うよ」
サマエル様はそう言ってくれたけど、僕は横に首を振った。
「いいえ……母さんは、僕のこと化け物って言って、海に飛び込んじゃったんですから……」
途端に、ダイアデムは、口をとがらせた。
「バカかお前。よぉく考えてみろ、魔力を使い果たしちまったヤツは、どうなるんだよ」
「え? ええと……」
僕が首をひねったら、サマエル様が教えてくれた。
「死ぬか廃人同様になる……直後に、魔力を誰かが補給してくれなければ、ね」
「あ、そうでした、習いました」
「じゃあ、どうしてお前は死ななかったんだよ?
一体、誰が、お前に魔力をくれたんだ、ええ?」
ダイアデムは、僕に指を突きつけた。
「……え、だ、誰って……」
「キミの町には、魔法使いが他にもいたのかい?」
助け舟を出すように、サマエル様が訊いてくれた。
「い、いえ、僕らの一家だけで……じゃあ、……」
「そう、キミに力を分けてくれたのは、母上だ。
ただ、魔力を多量に消費すると、心も弱るからね。
そのせいで、母上は、正常な判断がつかなくなったのだろう。
悲しみに負けて、幼いキミに、つい暴言を吐いてしまった。
それを後悔し、また、これ以上キミを憎みたくないと思った母上は、弱った精神で、誤った判断を下してしまった……自分も、夫の後を追えばいいと……」
「ふん、誰かとおんなじじゃん」
ダイアデムが皮肉っぽく言う。
「……耳が痛いね」
サマエル様は苦笑した。
そうか。母さんは僕のこと、憎んでいたわけじゃなかったんだ。
……それが分かったのは、とても嬉しいけれど……。
「でも、二人が死んだのは、やっぱり僕のせいですよ……」
僕はうなだれた。
そしたら、ダイアデムが肩をすくめて言ったんだ。
「ふん、たかが一人や二人、殺したからってどうだって言うんだ?」
「これ、ダイアデム、またそんな……」
さえぎろうとするサマエル様を、彼は制した。
「言わせろよ、サマエル。
おい、シュネ。オレには親なんていねー。
オレは精霊、石に魔力が宿っただけのもんだからな。
だから、ナマモノの気持ちはよく分かんねーけど、殺した数だけなら間違いなく、オレはお前らの上を行ってるぜ」
彼はにやりとし、ピンク色の舌でぺろりと紅い唇をなめた。
僕は、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「嘘、人間は食べないって……」
「食わなくたって、殺せるだろ?
オレはな、いっぺんに何十億も、殺っちまったことがあんのさ」
「ええっ!」
僕はびくっとした。