7.罪と罰(1)
「そう。私も、父親殺しの重罪人なのさ、シュネ……」
サマエル様は、重ねて言った。
「そ、そんな口から出任せ、言わないで下さい!
ぼ、僕に、話を合わせる気なら、も、もっと、うまい嘘、ついたらどうですか!」
僕がむきになると、彼はにっこりした。
「本当の話だよ、ダイアデムに聞いてご覧、彼は知っているから」
こんな深刻な話をしてる時に、どうして笑ったりできるんだか、その神経が分からない。
ともかく、彼の話を詳しく聞いてからホントかどうか判断しようと、僕は思った。
「そ、それじゃあ、聞きますけど、サマエル様は、なんでお父さんを殺したんですか?
お父さんのこと、そんなに嫌いだったんですか?
それとも……僕みたいに、間違って……」
彼は、かぶりを振った。
「いや、さっきも言ったように、嫌われていたのは私の方だよ。
そして、
兄タナトスの前に魔界の王だった、ベルゼブル陛下……それが、私の父親とされた人だったが……」
「ち、“父親とされた人”、って、どういう意味ですか?」
僕が訊いたら、サマエル様は、少し悲しそうな顔をした。
「ああ、おそらく私は、ベルゼブル陛下の血を引いた、本当の子供ではないのだよ。
汎魔殿では、王妃である私の母が、
陛下が、私を毛嫌いしていらしたところを見ると、それは真実なのだろうな。
……そして、相手は、おそらく……」
「あ、あの、カンイン、って何でしょう」
僕は、つい、また口を挟んだ。
その言葉を僕は初めて聞いたし、僕はこの一年で、分からないことをすぐ質問する癖が出来ていたんだ。
「ああ、つまり、母が誰かと浮気をして、その結果出来てしまった子供が私……ということだな」
表情も変えずにサマエル様は答えてくれたけど、僕は、かっと顔に血が昇り、慌てて頭を下げた。
「ご、ごめんなさい、変なこと聞いちゃって……」
「いいよ、遠慮は要らない。意味が分からなければ、話も見えないからね」
サマエル様は、大して気にした感じでもなく、話を続けた。
「……ともかく、陛下が私を無視し続けたために、兄も幼い私を虐待し、家臣達も、極力私には関わらないようにしていた。
住む者すべてが贅沢な暮らしを
時には、食事も満足に与えられず、餓えて倒れたこともあったな……」
「ひ、酷い! いくらお母さんが浮気したって、子供のあなたには関係ないのに!」
僕が
「多分、陛下は、生まれたばかりの私を、即刻処分してしまいたかったのだろう。
だが、魔界では、子殺しは一番の
魔族の長である陛下が、表立って禁を破るわけにはいかない……私が殺されたりすれば、真っ先に疑いが掛かるから。
それで、わざと私を酷く扱い……そう、口には出せないような、悲惨な目にもたくさん遭った……直接手を下さずとも、私が死ぬよう仕向けたのだろう。
……結局、私は、まだ、こうして生き恥をさらしていて……現在も、陛下を失望させているわけだけれど」
……そんなことって、あるんだろうか。
いくら、血のつながってない親子で……サマエル様が本当の息子じゃないからって、そこまでする?
僕は心が痛んだ。
「……酷い話ですね。
それじゃあ、僕があなたの立場だって、多分、義理のお父さんのこと、憎くなっちゃうと思います……」
サマエル様は眼を伏せた。
「そう。たしかに、あの方を憎む気持ちがなかったと言えば、嘘になる……
あのとき……陛下を殺さずに済む方法も、考えついてはいたから……。
でもね、彼の死体を目の前にしたとき分かったのだよ、私はこの人を、父親として
「サマエル様……」
なんて気の毒な、可哀想な人なんだろう。
僕なんかより、ずっとずっと、何倍も何十倍も悲しくて、辛い目に遭って来てたんだ……。
そう思ったら、また涙が出てきて、止まらなくなった。
サマエル様は、びしょ濡れの僕の頬に、そっと触れた。
「私のために泣いてくれるのかい、優しい子だね、キミは。
だが、うらやましいよ。私の眼は、“カオスの貴公子”の称号を受けてから、涙を流す機能を失ってしまった……。
もはや、私は、泣くことさえもできない……」
「え? 涙を流せない……?」
僕は顔を上げた。サマエル様が、涙でぼやけて見える。
「そうだよ。透明な膜に覆われているのだ。
ご覧、この外側のまぶたは、単なる飾りに過ぎないのさ……」
ごしごし涙をふいて、彼の眼を覗き込んでみると、たしかにそうなっていた。
「ホントだ……え?」
サマエル様の紅い瞳の中に黒い炎が現れるのと、彼に両肩をつかまれるのとは同時だった。
そして、今まで優しかった彼の声の質までが、がらりと変わった。
「──ねぇ、シュネ。
キミ自身に落ち度がないのに、両親の死に責任があるというなら、みずから父王を殺すことを選んだ私は、どうなるのだい?
今でも、時々、夢に見てうなされるよ、陛下を殺してしまったときのことを。
手にした剣が肉を切り裂き、心臓にまで達した時の感触を……。
だから、シュネ、私と一緒に死んでくれ。
父親を手にかけてしまった者同士、死んで罪を
私に同情を寄せてくれるキミとなら、淋しくない……」
サマエル様の瞳に踊る暗い炎を見つめながら、彼の……地の底から響いて来るような声を聞いているうち、頭が
膨らんでいった。
……そうだ、僕らは親殺し、生きてちゃいけない……死刑になるべきなんだ。
この美しい人と死ねるんなら、怖くない……。
僕はいつの間にか、うなずいていた。
口からも自然と、同意の言葉が出て来る。
「……ええ、死にましょう、サマエル様。一緒に……」
「ありがとう、シュネ」
サマエル様はとても嬉しそうに微笑み、それから呪文を唱えた。
「──ディ・プロファウンディス!」
現れた金色に輝く矢を、彼は僕に渡した。
「この矢を、私の
これ以外に、私を殺す方法はないのだよ……」
「え、でも、僕は……?」
それだと僕一人、生き残ってしまうんじゃないだろうか。
「──エンサングイン!
大丈夫、私が絶命する前に、この剣でキミを殺してあげるから。
ご覧、猛毒が塗ってあるのだ……まったく苦しまずに逝けるよ」
サマエル様は、呪文で出した美しい短剣を僕に見せた。
これも全部、金色で、柄の部分には、色とりどりの宝石がはめ込まれている。
その鋭い切っ先は、毒で青黒く濡れていた。
それから、彼はひざまずき、僕が持っている矢の先端を、自分の額に向けた。
「さ、ここを狙って」
「……はい」
これで楽になれる。サマエル様も、そして、もちろん僕も。
そう思った瞬間だった。
突然、サマエル様の紅い指輪が激しい閃光を発し、僕の眼を貫いたのは。
「──わ、痛たた……!」
突き刺さるような痛みが走り、僕は思わず眼を覆った。
「大丈夫かい、シュネ?」
サマエル様が、心配そうに声をかけて来る。
「え……ええ、もう平気みたいです」
痛みはすぐに消え、僕はほっとして手をどけた。
「あれ……?」
そしたらいきなり、僕は悪夢から覚めたような気分になった。
──やっぱりいけないよ、死ぬなんて。
だって、僕が死んだって誰も悲しまないけど、サマエル様は……そうだ、ダイアデムは絶対、悲しむに決まってる。
僕のお母さんみたいに……泣いて泣いて、そして……サマエル様の後を追って、死んじゃうかも……!
その考えにたどり着いた瞬間、僕は、金の矢を床に放り投げていた。
「や、やっぱり駄目です、サマエル様!
僕はいいけど、あなたは死んじゃいけない、ダイアデムがいるんだから!」
「……おや、今の光で、術が解けてしまったのか。でも、もう遅いよ。
キミは、私という悪魔に、同意を与えてしてしまったのだから……」
サマエル様は、けだるそうに髪をかき上げ、その眼が怪しく光り始める。
途端に、僕の体は、金縛りにあったように動かなくなった。
「あ、あれ……!?」
面食らっていたら、今度は、僕の意思とは関わりなく動き始めた。
「わあっ、な、なに、どうなってるの、これ……!?」
そんな気はまったくないのに、手が勝手に、矢を拾い上げてしまう。
「い、嫌だ、どうして……!?」
何が起きているのか、さっぱり分からない。
でも、サマエル様を見たら、口の中で何か唱えながら、操り人形を動かすような仕草をしている。
──まさか、僕を操っているの……!?
……ひょっとして、さっき、一緒に死にたいって思ったのも、この人が、僕の心を……!?
「い、嫌だ、サマエル様、やめて、下さい!
死んじゃ、駄目、ですってば……!」
必死にもがき、何とか説得しようとしたけど、彼は僕の言うことになんか、耳を貸してもくれない。
そうしてる間にも、僕の手は、操られるままに動いて矢を握り直し、のろのろと持ち上がっていって、ぴたりとサマエル様の額を狙った。
「サマエル様、もうやめて……むぐ」
そして、口までも、強制的に閉じられてしまった。
(誰か助けて、タィフィン、ダイアデム……!)
念話を使おうとしたけど、それまでも、抑えられてしまっている。
こんなときに限って、使い魔も近くにいないらしい。
邪魔しないように、彼が追い払ったのかも知れない。
(──ああ、誰か、助けて! 僕、この人を殺したくないよっ!
誰か、誰か、彼を止めて! 僕に、もう一度お父さんを殺させないで!)
心の中でいくら叫んでも、誰にも僕の声は届かない。
ゆっくり、じりじりと……僕の意思に逆らって、黄金の矢は、サマエル様の
近づいていく。
(……サマエル様、ひどい、ひどいよ……!)
僕に出来たことといえば、たった一つ、彼を見つめて、ただ涙を流すことだけだった。
「シュネ、悲しませてしまって済まないね……でも、辛いのは、今だけだから……。
死は永遠の安息だ……死んでしまえば、すべてから自由になれる……悩みも苦しみもない暗黒の世界へ、私が導いてあげよう……」
サマエル様は、にっと笑った。
こういうのを、
僕は、心の底から、この人が怖いと思った。
その間にも、ちょっとずつ僕の手は動き、矢はついに、サマエル様の顔に到達した。
眼をそらすことも出来ずにいるうち、矢はぷつりと、彼に突き刺さってしまった。
彼の眉間から、血が流れ始め、そして、矢はどんどん深く刺さっていく。
必死に止めようとしても、僕の体は前のめりになり、黄金の矢にはますます力が加わっていって、深く、深く……。
サマエル様は、その間も、穏やかな微笑みを浮かべていた。
(──嫌だあっ! 誰か助けてっ!
サマエル様が死んじゃう──っ!)
僕は心の中で絶叫した。