6.緑の龍(2)
「──わあああああああ……っ!」
飛び起きると、全身が、冷たい汗にまみれていた。
「しっかりしなさい、シュネ!」
誰かが、僕を揺さぶった。
それは、ベッドの側にいた、サマエル様だった。
彼に、僕はすがりついた。
「サマエル様っ、恐しい、夢……僕が、シンハを、殺しちゃった……!」
「いや、それは……」
「──あああ! 夢じゃない! 僕はまた、殺しちゃったんだあっ!」
僕は頭をかきむしった。
震えが止まらない。涙があふれてくる。
「落ち着きなさい、シュネ。シンハは……」
サマエル様が言いかけたとき。
「物騒だな! 誰が誰を殺したってぇ?」
陽気な声と共に、紅毛の少年が、部屋の真ん中に現れた。
「ダ、ダイアデム!?
い、生きてた、んだね……よ、よかった……!」
元気一杯の姿を見た僕は、安堵のあまり、ばったりとベッドに倒れ込んでしまった。
「けけっ、勝手にオレを殺すなよ!
オレは、“貴石の王”、魔界じゃ、第五位の力の持ち主なんだぜぇ。
たかが人間の女のコ風情にやられたりしたら、超、カッコ悪りーだろーが。
弱っちい人間なんかと、一緒にすんじゃねーよ」
笑いながら、彼は僕のおでこを指で、つんとつついた。
「う、うん……よ、かった……。
僕……また、殺して、しまった、って……思って……」
しゃくりあげながら言うと、二人は顔を見合わせた。
まるで、そのことを前から知っていたみたいに……。
「まさか、知ってたの……?」
「……実は、キミが、ケルベロスとペルス・ネージュ山に行っている間に、女王に呼ばれてね。
ネスターが、私だけになら真実を話してもいいと言うので、話を聞いて来ていたのだよ」
サマエル様は、眼を伏せ、静かに言った。
「先生は、いつ……ああ、僕が寝てる間に、記憶を探ったのか」
それ以外に考えられなかったけど、サマエル様は否定の仕草をした。
「いいや。助けた直後に試みたが、キミの心からは、何も読み取ることが出来なかった、そう彼は言っていたよ」
「えっ、じゃあ、どうやって……?」
「彼は考えたのだよ。
家族や一族が全員死亡した、魔法に関する事件や事故を調べれば、身元が分かるかも知れない、と。
魔力は、遺伝的要素が強いし、記憶のないキミが一人だけ生き残っても、憲兵所に届ける者が誰もいないわけだからね」
「あ、そっか……」
「そして、彼は、八年前の魔法事故に行き着いた。
屋敷が粉々に吹き飛んでしまったため、家族全員、原形を留めないほどバラバラになって死亡したと思われていた事故だ。
ところが、当時、そこの娘は七歳……生きていたら十五歳のはずで、助けられたとき十歳くらいに見えたキミとは、年齢が合わない。
精神的ショックや栄養不良で、成長が遅れたとも考えられたが、確信が持てなかった彼は、直接その町に出向くことにした……」
「それが、僕の故郷……」
僕がつぶやくと、サマエル様はうなずいた。
「そう。ネスターは、キミの家が建っていた場所で、残留思念を読んでみた。
結果は……無惨なものだった。
彼は、キミには絶対、話すまいと思った。こんな酷い過去なら、思い出さない方がいい……とね」
僕の体は、どうしようもなく震えた。
本当に、思い出さない方がどんなに幸せだったかしれない……ネスター先生、ごめんなさい。
僕は眼をつぶり、心の中で先生に謝った。
サマエル様は、淡々と話を続けた。
「しかし、ネスターの奥方が亡くなったことが、キミの感情を激しく揺さぶり、記憶が甦りかけてしまった。
彼は、キミの記憶を封じる術をかけたが、このままではいつ戻ってしまうか分からない。
そこで、彼は、キミを、魔法から完全に切り離そうと考えた。
元々キミは、彼になついていなかったし、すべてを消去して、新たな人生を歩ませようと……」
「ネスター先生は、ホントーに僕のこと、真剣に考えてくれてたんですね……なのに、僕、ひどいこと言って、逃げて来てしまって……」
鼻がつんとしてきて、また、涙がこぼれた。
「ネスターは、キミに真実を話すかどうかは、私に
だから、私は、なりゆきに任せようと思った。
自然に記憶が戻るまで、そっとしておこうと……。
……本当のところ、記憶を戻すこと自体は、比較的簡単に出来るのだが。
最初のとき、出来ないと言ったのは、忘れていた方がいい場合のことを考えたのだよ、今回のように……。
済まなかったね……」
サマエル様は、沈痛な顔でそう言ったけど、僕は、かっと頭に血が上るのを抑えられなかった。
同時に、体も全部、燃えるように熱くなる。
「知っていたんですね、二人とも……最初から!
変だと思った、初めは迷惑そうだったのに、後で急に弟子入りを許してくれて。
僕が、何度、魔法を失敗しても、サマエル様は優しくて。
……あれは同情? 可哀想な子だからって、情けをかけたんですか!?
僕は──僕は、たしかに人殺しですよ!
それも、実の父を殺し、母も僕のせいで死にました……でも、憐れみなんか、いりません!」
僕は、ふとんをはねのけ、ベッドから飛び降りた。
……正確には、飛び降りようとした。でも、できなかった。
目に見えない力が、僕を押さえつけていたんだ。
僕に出来たのは、彼らを睨みつけることだけだった。
「無理しない方がいい、回復が遅れる。
私達は、キミを憐れんで、ここに置くことにしたわけではないよ」
魔力で、僕を押さえつけながら、静かにサマエル様は言う。
その落ち着いた声と態度が憎らしくなって、僕は、彼の力を振りほどこうと暴れた。
「──放せよ、そんなの嘘だ! ホントは迷惑してるくせに!」
「落ち着けって。お前に嘘ついたって、オレらは何の得にもなりゃしねーよ。
それに、ショック受けるの分かってて、んな話、出来ると思うか?
いくら事故だったっても、お前の親は、お前の魔力が暴発したせいで死んじまった……なんてよ。
オレらは、魔物だけど、そこまで不人情じゃねーぜ」
言いながら、ダイアデムは、僕の顔を覗き込んで来た。
彼の紅い眼の奥で揺れてる炎を見ているうちに、高ぶっていた僕の気持ちも静まって来る。
そりゃそうだよね……僕がネスター先生や、彼らの立場だったら、言えるわけない。
それに、同情でも何でも、弟子にしてくれて、魔法もちゃんと教えてくれたのに、文句言う筋合いなんかないし……。
「そうだね、ダイアデム。ごめんね、痛い思いさせちゃって。
サマエル様、済みませんでした」
僕は、二人に頭を下げた。
「こうなったら、僕、もう、ここにいちゃいけないと思います。
起きられるようになったら、すぐ出ていきま……」
「それは、待った方がいいね」
僕の言葉をさえぎって、サマエル様が言った。
「え? でも……」
「キミの魔力の強さは、群を抜いている。
いくら、不意を突いたとは言え、シンハを気絶させることが出来る人間は、そうはいないよ。
キミが、私のところに来たのは、正解だった。
並みの魔法使いでは、キミほどの力をきちんと導くのは難しい。
それに今のまま、魔力が制御出来ない状態でいたら……また、同じことが起きるかも知れないよ。
事故を未然に防ぐためにも、まだ、ここで修業した方がいい」
「……僕、また、誰かを殺してしまうの?」
ぽつりと言うと、サマエル様は強く否定した。
「──いいや、力をちゃんと制御出来るようになれば、そんなことにはならないよ。
それに、キミは、ここに来る前からすでに、自力で制御しつつあったのだと思う。
学院で落ちこぼれだったのも、無意識に、力を抑えていた結果だろう」
「たとえ、出来たとしても、もう遅いです。
……僕が人殺しだってことには、変わりないんですから……」
僕は、うなだれて唇を噛んだ。
サマエル様の優しさが悲しい。
「たしかにそうだが、力が強いのはキミの責任ではないよ、シュネ。
そうだ、キミは体のどこかに、紅い
「……紅い痣? たしかこの辺に、結構大きいのが……」
寝巻きをずらし、左肩を見た僕は、はっとした。
そこにあったはずの痣は、消えてしまっていた。
「……あれ? ない。変だなぁ。いつ、なくなったんだろ?
ちっちゃい頃は、ここにあったんですけど……」
肩をさすってみたけど、そんなんで出て来るわけもない。
そしたら、サマエル様は、確信を込めた感じでうなずいた。
「そうか、やはりね。それは痣ではなく、封印だったのだよ」
「え? 封印?」
「お父上以外の親族に、魔法使いはいなかったかな?」
聞かれた途端、長い白いひげと白髪のお年寄りの姿が、僕の脳裏に浮かんだ。
「そうだ、死んだお祖父ちゃんも、魔法使いだったっけ……」
「では、お祖父さんだね、キミの強過ぎる魔力を危険と判断して封じたのは。
それを、なぜか、父上が解呪してしまった……」
すると、またも記憶が甦って来た。
両親が言い争う光景……。
「そう言えば、母さんは、やめた方がいいって、よく父さんと喧嘩してました。
でも、父さんは、いくら反対されても、いつも何か調べてました。
そのときは、よく分かんなかったけど、それが、僕の封印を解く研究だったのかも……」
「なるほど。母上は、封印を解く危険性について認識していたのだな。
しかし、キミの父上は、彼女の意見を聞かず、“パンドラの箱”を開けてしまった……。
こう考えていくと、彼が亡くなったのは、やはりキミのせいではないよ」
サマエル様の声は、一層優しくなった。
「パンドラの箱って……?」
「開けるのを禁じられた箱。解いてはいけなかったのだ、キミの封印は。
魔力などなくても、幸福に生きていくことが出来たはずだから」
「ええ。お祖父ちゃんの口癖は、『魔法なんか使えなくても、ベリルは、わしの大切な孫だよ』でした……」
「ベリル……美しい名だね。それがキミの本名か」
「美しくなんかないです。本名では、絶対呼ばないで下さい。
その名前で優しく呼んでくれたお祖父ちゃんは、もういないし、父さんも、母さんまで……僕が殺したんだ……もう、生きていたくなんかない……」
また、目頭が熱くなって来て、僕は下を向いた。
涙が、ぽとぽとと握り拳に落ちてくる。
「シュネ、絶望してはいけない。
パンドラの箱には、色々な災厄が詰まっていたけれども、一番底には希望が残っていたのだよ」
穏やかなサマエル様の声を聞きながら、僕は手で顔を覆い、首を横に振った。
「き、希望なんて、な、何にもなりゃしないです……」
「さ、そろそろ、休んだ方がいい。
シンハを気絶させたとき、キミは魔力を使い果たしてしまったのだよ」
サマエル様が、優しく言った。
たしかに、さっきから、体に力が入らない感じがしていた。
「──カンジュア!
飲めよ、モリュのスープだ。これ飲んで寝りゃ、もーちっと、明るい気分にもなれるさ」
ダイアデムが、呪文で出した皿を渡してくれる。
「ありがと」
湯気の立つ皿を受け取り、僕はスプーンを口に運んだ。
「どうだ?」
「美味しい……」
僕が答えると、ダイアデムは、にっと笑った。
「さ、あとはもう寝ろ」
「うん……」
皿を返し、僕はまた眼をつぶった。