5.ワルプルギスの夜(3)
「……あれ、僕は……」
眼が覚めたら僕は寝かされていて、おでこには濡らした布が置かれていた。
「シュネ、大丈夫?」
「あ……!」
僕の眼に飛び込んで来たのは、人なつっこい栗色の瞳、サラサラと風に揺れるまっすぐな、眼とおそろいの色の髪。
そこにいたのは、王都アロンにいるはずのリオンだった。
「あんまりにぎやかなんで、眼でも回した?」
「リオン……どうして、ここに?」
「千二百年ぶりの、特別なワルプルギスの夜だからって、サマエルに呼ばれたんだ」
「そう。サマエル様は、あっちの方にいると思うけど……」
僕が漠然と手を振ると、彼はうなずいた。
「うん、もう会って来たよ。ダイアデムは、まだだけど」
「……ああ、彼はね、ちょっと……」
「知ってる。女の子を
まったく、しょうがないヤツだよねぇ、サマエルってものがありながら。
彼も、あんまり甘やかさないで、力ずくでベッドに押し倒しちゃえばいいのにさ」
何げにすごいこと言うな、この人。
僕は、びっくりしたけど、すぐに思い出した。
「あ、そっか。キミ、ホントは、もう大人なんだっけ……」
「まあね。だって、あの二人見てると、じれったくなって来ないかい?」
彼はくすくす笑う。
「ね、キミが、初めてサマエル様に会ったのは、いつ?」
僕が訊いたら、リオンはちょっと考えた。
「……んーと、十……四、五年前、かな」
「サマエル様の居場所を、誰に聞いたの? それに、どうやって女王様と知り合ったの?
アンドラス様のことも知ってたの?」
「あはははは……!」
突然、リオンが笑い出したので、僕ははっとした。
……また、やっちゃったのかな?
「やっと分かったよ、ぼくが何か聞くと、いっつもダイアデムが顔をしかめて、ガキはしつこいからやだ、って言ってたその理由が」
彼は、明るい栗色の眼をキラキラさせて、今度は僕に訊いた。
「キミ、ダイアデムに気に入られてるんだろ?」
「そう、かな。最初に会ったとき、引っぱたいちゃったけど……」
僕がそう言ったら、彼は噴き出した。
「ぷっ、彼、気の強い女の子が好みだからね。
あ、シェミハザが戻って来た。じゃ、ぼくはもう、お役ごめんだな、またね。
──ムーヴ!」
「あっ、待ってよ、リオン!」
リオンは、バイバイと手を振り、姿を消してしまった。
その直後、天使が心配そうに近づいて来た。
「お目覚めでしたか、シュネさん」
「あ、シェ……じゃなかった、あの、……」
うっかり、彼の本名を言いかけてしまい、慌てたけど、天使は怒った様子も見せなかった。
「わたくしは、“セラフィ”ですよ。
魔族の方々が、サマエル殿をお離しにならないので、あなたを静かなところにお連れするよう仰せつかったのですが、天界にも、定時の連絡を入れなければなりませんで。
ちょうど、リオン様にお会いしましたので、お願いしたのです。ご気分はいかがですか?」
「もう、大丈夫みたいです、ありがとう。
今まで、山の中で静かに暮らしてたからかな、久しぶりのにぎやかなところが、ちょっときつかったのかも」
「人界の方には、無理もありませんよ。わたくしでさえ、魔族の方々に囲まれてしまうと、少々、体がすくむ思いを致しますからね」
“ええと、シェミハザさん……でしたね、でも、あなたは魔界に味方してるんでしょう?”
僕は、心の声で彼に話しかけた。
セラフィも、同じように、答えを返して来た。
“呼び捨てで結構ですよ。
わたくしは、ゆえあって、天界を裏切り、魔界に味方することを決めた堕天使なのです。
ご存じですか、魔界と天界とは、気の遠くなるほどの太古から争って来たのですよ。
それには、どちらが人界を支配するかも、含まれていましたが”
“えっ、人界を支配? だって、ここは人間の世界なのに!”
“あなた方が歴史に登場したのは、ごく最近のことですから。
戦いが始まったのは、万どころか億単位、それも何百、何千億年も前のようですけれどね。
遙かなる太古からの争いに、時には、あなた方人間も、直接巻き込まれたことも……”
「──おい、そこの人間!」
突然、天使の話をさえぎるように大きな声が降って来たので、僕はびくっとしてしまった。
セラフィは、驚いた様子も見せずに、穏やかに返事をした。
「何のご用でしょうか?」
「てめぇに用はねぇ! そこの人間に言ってんだ!」
「シュネさんは、具合がよくないのです、ご用なら、わたくしが……」
「うるせぇ! 消え失せろ、死神!
てめーのうっとおしい面なんざ、見たくもねぇっ!」
大声の主は、大きな酒ビンをかついで突っ立っている、酔っぱらった魔物だった。
顔も体も緑色、髪は針金みたいにツンツン立ってて、頭のてっぺんには毛がない。
口にはくちばし、手や足には水掻き、背中には、亀みたいな甲羅をしょってる。
僕が初めて見る魔物だった。
「わざわざ、遙か東方の
何でぇ、皆、サマエル、サマエルってちやほやしやがってよぉ、魔界王の、たかが弟が、どうしたってんだぁ、面白くねぇ! う~い!
おい、てめぇ、サマエルの弟子なんだってな、オレと勝負しろぃ!」
うへえ、酒臭い。いきなり何なの、こいつ。
しかも、自分達の王子様を、呼び捨てにして。失礼なヤツ。
“相手にしちゃいけませんよ。こういうのには、関わらないに限ります。
お立ちになれますか? 移動した方がよさそうです”
セラフィは、念話でそう言いながら、手を貸して僕を立たせてくれた。
「ありがと」
「さあ、もっと、静かな場所へ参りましょう」
「逃げるのかぁ? この腰抜け!」
僕らは行こうとしてるのに、魔物は、まだしつこくからんで来る。
腰抜けと言われて、正直、僕はかなりむっとした。
「申し上げたでしょう、彼女は具合が悪いのです。
それとも、わたくしが、お相手して差し上げますか? サマエル様が何と仰るでしょうね」
でも、天使はにっこりと笑い、まったく気にしている様子もない。
優しげな表情も、その声も、さっきまでと変わりはなかった。
さすがに、根性が据わってるなぁ。
サマエル様とも、共通したものがあるような気がする。
まあ、そうでもなければ、一応サマエル様と話はついてると言っても、敵陣の真っ只中にいるような状態で、これだけ落ち着いていられるわけもないけど。
でも、その魔物も、しつこくて、まったく退こうとはしない。
「何だとぉ? サマエルが恐くて酒が飲めるかぁ!」
かえって気勢が上がったみたいだった。
“……酔っ払いは始末に終えませんね。少し、お灸を据えましょうか”
セラフィは、そう言ったけど、僕は念話で止めた。
“待って、シェミハザ。あなたが手を出すとマズイんじゃない?
お祭りが中止になったりしたら、サマエル様に合わす顔がないよ。
ダイアデムにだって、恨まれちゃうと思うし。あなたは表に出ないで”
そして、魔物に向かっては、普通に話し掛けた。
「僕が勝負を受けるよ。ただし、魔法比べでね。
それで、文句ないんだよね、キミ?」
「そうだ、文句ねぇ! 初めからそうすりゃいいんだよ、ぼーや!」
酔っ払いは、うれしそうに酒瓶を振り上げた。
……何だかなぁ。
どうして、こんなのと対決しなきゃいけないんだか。
ため息をついたけど、もう後には退けない。
「オレは、由緒正しき“河童”という種族だ!
かれこれ三百年は生きてる。人間ごときに負けてたまるかぁ!」
緑の魔物が
「カッコイイ~!」
「いいぞぉ、やっちまえ!」
「魔物の意地を見せろ、河童!」
その頃には、面白そうなことが始まりそうだと言うので、お祭りの中心から外れたここら辺にも、大勢やじ馬が集まってきていたんだ。
(へーんだ、サマエル様なんて、二万歳以上だし、ダイアデムはさらに何倍も長生きだし、ケルベロスだって、千五百年生きてるって言ってたぞ!)
そう思ったけど、また、話がややこしくなると思って口には出さなかった。
「では、わたくしが判定致します。三本勝負ですよ」
天使が、審判を買って出る。
緑色の魔物は、自信たっぷりに答えた。
「おう! いつでもいいぞ。
一本勝負で行きたいところだが、こいつにも、ちょっとは望みを持たせてやらんとな!」
「いいよ!」
空元気を出して、僕は大声を出した。
だけど、誰かと魔法を競うのは、学院を出てからは初めてで、緊張で胸がドキドキする。
“落ち着いて。
あなたほどの力なら、こんな酔っ払いの
セラフィが、そっと応援してくれる。
“うん、ありがとう”
「さあ、いくぞ、ガキ! オレが先行だ!
──ピショウグ!」
河童の指先から、僕目掛けて水がほとばしる。
「──カウンターベイル!」
魔法のシールドで、それを防いだ僕は、ちょっと考えた。
こいつは、びしょびしょに濡れて、どう見たって水の魔物だ。
それなら、やっぱり弱点は……。
「今度は、僕の番だね、いくよ!
──サンダーボルト!」
僕の杖から、電撃が、河童に向かって放出される。
「うわっ!? し、しまった、痛ててて……!
な、何で、こんなに強いんだ!?」
河童は腕を押さえ、眼を丸くした。
魔法比べと言っても、大したものじゃなかった。
相手が放つ魔法を防ぎ、弱点を見抜いて攻撃を仕掛ける。
いつもの授業の復習みたいな感じ。
「一回目は、シュネさんの勝ちです!」
天使が手を上げると、
「何だ何だ、だらしないぞ、それでも魔物か!」
「へったくそ!」
「カッコ悪りー」
「けっ、そんな小娘にも勝てないのかよぉ、ええ?」
呆然としてた河童は、周囲にヤジられて我に返った。
「う、うるさいぞ、お前ら! い、今のは少し、手加減してやったんだ!
オ、オレ様が本気を出せばこんなヤツ、一発で……!」
だけど、そうは問屋が下ろさない。
河童は、口ばっかりで、からっきし弱かったんだ。
「三戦全勝で、この勝負、シュネさんの勝利です!」
そのまま、僕は勝ち続け、天使が大きな声で宣言した。
「気が済みましたか、河童殿?
では、シュネさん、もうサマエル殿のところへ戻りましょう」
「うん」
セラフィの口調には、ほんの少しだけど、自慢そうな感じがあって、僕は彼に親しみを覚えた。
「やるじゃないか、あの娘」
「さすが、サマエル様に、目を掛けられるだけのことはあるね」
周りで見ていた魔物達まで、ちょっとだけ僕を褒めている。
その代わり彼らは、がっくりと砂漠に座り込んでしまった河童に、悪口を浴びせ始めた。
「水の魔物の恥さらしね」
「人間にも劣るなんて、最低だな」
「魔物やめた方が、いいんじゃねぇか?」
「そうだ、やめて人間になっちまえ!」
「さっさと田舎へ帰りな!」
「──くっそぉ!」
顔を真っ赤にした河童は、いきなり、僕らめがけて魔法を放った。
「これでもくらえ!
──ウオーターベアラー!」
「あっ!」
水がすごい勢いで渦を巻き、僕らに襲いかかって来る。