~紅龍の夢~

巻の五 THE MEMORY OF EMERALD ─緑柱石の記憶─

5.ワルプルギスの夜(1)

ある日、ダイアデムが言った。
「そういや、お前が来てから、もう一年、経つんだよな。
まるっきり、生まれたときから、オレらと一緒に住んでるみたいな顔してよ」
「だって、居心地がいいんだもん、しょうがないじゃない。
……でも、たった一年かぁ、もっといるみたいな気がするなー」
僕はそう答えた。

「あー、もうすぐ、ワルプルギスかぁー!
もう、ワクワクしちまうぜっ!」
彼は、なぜかすごくうきうきしていて、人の話なんか聞いちゃいないみたいだった。
僕は首をかしげた。
「……ワルプルギス? この山が、どうかしたの?」

ダイアデムは、ぶんぶん首を横に振った。
「違っげーよ、オレが言ってんのは、“ワルプルギスの夜”っていう、魔族の祭りのことさ。
ま、やるのは、千二百年ぶりなんだけどよ」
「え、千二百年ぶりのお祭り!?」
僕はびっくりした。

「そ。昔は、毎年春にやってたらしいけどな。
今回は久しぶりだから、場所も“刻の砂漠”にして、サマエルが結界張って仕切ってさ、盛大にどんちゃん騒ぎすることになったんだ。
今から、すっごく楽しみでよぉ!」
彼は、祈るように指を組み合わせ、紅い瞳をうるませた。
こんなに期待してるなんて、きっとすごいんだろうな、そのお祭り。
「ふうん、面白そうだね」

それから、祭りが近づくにつれ、ダイアデムは、ますます浮かれていって、僕まで落ち着かない気分になっていった。
サマエル様は、いつもと変わりなかったけど。
「すまないね、シュネ。ダイアデムは退屈し切っていて、今度のワルプルギスをとても楽しみにしているのだよ。
ある理由で、こんな折でもないと、なかなか外へ出ることも出来なくて、不自由な思いをさせてしまっている。
だから、私になついてくれないのかな。彼は束縛されるのを、とても嫌っているから……」

「そんなことないですよ、サマエル様。
彼だって、その辺はよく分かってて普段は我慢してるから、羽目を外して騒げそうな、今度のお祭りを楽しみにしてるんだと思いますけど」
詳しくは聞いていないけど、彼らには、複雑な事情があるらしいってことは、僕にも何となく分かっていた。
「……そう、かな……」
サマエル様は眼を伏せ、自信なさそうにつぶやいた。
「ええ、そうですよ、きっと」

「“焔の眸”は名目上、魔界王家の守護精霊だったが、実質的には呪文で縛られて、服従を強いられて来たようなものだ……。
だが、本当の意味で魔界で一番位が高かったのは、彼だったのかも知れない。
何しろ、彼が、代々の魔界王を選んで来たのだから」
「へえ、そうなんですか。
僕、最初に生まれた王子様が、次の王様になるんだとばかり思ってました」

「魔界では、“焔の眸”に認められなければ、王位には()けないのだよ。
彼は、王にふさわしい者を選び、その相手にだけ、忠誠を尽くす。
だから、私のところへ来ても戸惑いがあるのだろう。
追放同然に魔界を飛び出してきた私などでは、認めてはもらえないのか……。
私は、彼と……少なくとも、友人にはなりたいのだが、彼は嫌々従っているようでね。
命令されて初めて渋々言うことを聞く、そんな感じでいる……。
それでも、ずいぶんとマシになったのだよ。
キミが、もう少し早く来ていたら、彼のことで手一杯で、弟子入りは無理だったろう」
ちょっと沈んだ声で、サマエル様は言った。

「へえ、僕はタイミングがよかったんですね。
でも、もし、本当に嫌だったら、とっくに出ていってるでしょう、彼は。
それに、僕が見たって、彼は、サマエル様のことが好きだって分かりますよ。
ね、もっと自信持って下さい」
僕が慰めても、お師匠様は悲しそうに首を振った。
「彼は、ここを出ても行くところがない。事情があって魔界にはもう還ることが出来ないのだ。
私を好きだと言ってくれたこともあったが、それも無理に言わせたようなところがあるからね……」
「ふうん、そうなんですか……」

「二人で、何そこそと話してるんだ?
オレも混ぜろよ!」
その時、いきなり当の本人が現れて話に首を突っ込んで来たので、僕は飛び上がった。
「──わあっ、びっくりした!
き、急に出てくるなよ!」
「? なーに焦ってんだ、お前?」
無邪気に、ダイアデムは首をかしげる。

「いきなり出現したら、誰だって驚くだろう? ダイアデム。
私達は、『ワルプルギスの夜が近づくと、空気さえもが一斉にざわめき始めて、身を入れて勉強が出来なくて困るね』と話していたのだ」
焦る僕とは正反対に、サマエル様は平然と話を取り(つくろ)う。

ダイアデムは、何も気づかなかったみたいだった。
「だあってよぉ、しょーがねーじゃん!
ンなコトでもなきゃ、退屈で死にそーなんだもんさぁ……!
魔界にいたときは、封印されて眠ってる時間の方が長かったから、起きてるってことが、こーんなにヒマだなんて知らなかったぁ。
お前らよぉく、ずーっと起きてられるよなぁ、感心しちまうぜ!」

「そんなに暇?」
「ああ、暇、暇、暇で死にそうだあぁー!」
彼は、大げさな仕草で髪をかきむしった。
「そんなに退屈なら、本を読むとか、何か……」
「サマエルの本は、とっくにぜーんぶ読んじまった!
こいつが、一生懸命読んでるから、面白いのかと思ったけど、全然つまんねーの。
読んだことあるヤツも結構あったしな」

「えっ、地下室に何千冊もある、サマエル様の本を全部読んだの?」
僕が驚くと、ダイアデムは自慢げな顔をした。
「読み終わるまで、半年もかからなかったぜ。ふふん、すごいだろ?
ま、オレは一応、魔界の王権の象徴ってことになってたから、目覚めさせられるたびに魔法関係の本とか、魔界の歴史とか、儀式のやり方とかは、かなり読まされてたんでな」
「へー」

「しかも、彼は、一度読んだら忘れない。
私が度忘れしても、彼に聞けばいいから助かっているよ」
サマエル様は微笑んだ。
「あ、そう言えば、そうでしたね」
「だから、こういう祭りとかが面白いんだっての。
本は、一度読みゃ終わりだけど、生き物の反応ってヤツは、毎回違うからな」

彼は、紅い眼をきらきらさせていた。
そんなときの彼の眼は、いつもよりさらに綺麗だな……と僕は思ったけど、サマエル様がそばにいるから、当たり(さわ)りのない返事をした。
「そっか。何か、僕まで楽しみになってきたよ」

そうしているうち、ついに、祭りの日はやって来た。
日が沈む前から、まだ人界には、こんなに残っていたのかって驚くくらい、たくさんの魔物達が集まってきたんだ。
刻の砂漠に、続々と集まる彼らのために、さしも広い砂漠も狭く感じるほどだったけど、ダイアデムは不服そうにつぶやいた。
「少ねーな」

「今日ここに集った魔族は、人界生まれの者がほとんどだろう。
今回の“ワルプルギスの夜”は、彼らに、私とお前のことを知らせるという意味合いも含んでいるのだよ。
無論、タナトスには了解を得ている。
近い将来、“敵”との戦いを控えている我らにとっては、彼らも立派な戦力だからね」

サマエル様の言葉を聞いたダイアデムは、鼻をくんくん言わせ、空気の匂いを()いだ。
「でもよぉ、大したヤツはいねーみてーだぜ。
これじゃあ、まだ、シュネの方がマシって感じだなぁ……」
「何それ。バカにしてんの?」
僕が顔をしかめると、彼は珍しく真面目な顔になった。

「違う! 魔物よりも強いって()めてんだ、ありがたく思え!」
ダイアデムは噛みつくように言った。
「それのどこが、褒めてんのさ」
僕の抗議を無視して、彼はサマエル様を振り返る。
「なあ、サマエル。んなザコどもをいくら集めたって、仕方ねーんじゃねーのか?」

「そんな風に言ってはいけないよ。
玉石混淆(ぎょくせきこんこう)、一人でも、素晴らしい力の持ち主がいてくれれば……」
「枯れ木も山の賑わい、って感じしか、しねーけどな……。
ま、いいや。そろそろ、あいさつすんだろ?
皆、早く始めたがって……いや、もう始めてるヤツらもいるみてーだ。
どっかにべっぴんのねーちゃん、いねーかな……」
ダイアデムは、おでこに手をかざして、きょろきょろ辺りを見回し始めた。

ちょっと複雑な顔をしたサマエル様だったけど、すぐに気を取り直した。
「シンハを呼び出しておくれ、ダイアデム。
古顔の魔物達にとっては、彼の方がなじみがあるだろう」
「ふん、お前、オレが、女とどっかにしけこむんじゃねーかって、それが心配なんだろ?
……ちぇっ、いい機会なのによ……!
なぁ、たまにゃ羽伸ばしてもいいだろぉ? お願いだよぉ、サマエルぅ、ちょっとくらいはさぁー」

甘えるように言うダイアデムの口調や仕草は、まるっきり、おもちゃをねだるときの子供だった。
でも、それに答えるサマエル様の表情と声とは、暗く沈んでいた。
「あいさつを終えたら好きにしていいよ、今夜だけはね……。
だが、明日の朝には、必ず帰って来ておくれ……」
「え、ホントか!? ホントにいいのか、サマエル!」
ダイアデムは、顔を輝かせて訊き返す。

「ああ、いいよ……」
暗い顔のままでサマエル様がうなずくと、ダイアデムは飛び上がって喜んだ。
「──やったぁ、ラッキーッ! うんうん、ちゃんと帰って来るよ!
ああー、どの娘にしよ?
──あ、あそこら辺に綺麗なおねーちゃんが一杯だぁ!
し、幸せだなぁ~~!、今日は何ていい日だ……!
ううっ、生きてりゃ、こんなこともあるんだぁ……!」

ダイアデムは、手をぎゅっと握り合せて、眼をうるませる。
紅い瞳の金の炎は、今夜は、さざなみのように細かく揺れていた。
それに引き換え、自分の気持ちをまったく分かってくれない彼を見つめるサマエル様は、とっても淋しそうだった。

(ダイアデムって、ホント、女の子が好きなんだな。
あ……そっか。たしかにこういうトコ見ちゃうと、サマエル様も自信なくすよね、可哀想に。
そりゃあ、僕だって最初は、男同士なんて……とか思ったけど。
あんなに一途なサマエル様を見てると……。
──まったく! 少しはダイアデムも、彼の気持ちを考えてあげればいいのに!)
僕は、サマエル様に同情した。

でも、ご機嫌なダイアデムも、さすがに、すぐには女の子といちゃついたりはせず、二人は、砂漠のど真ん中に作られた大きな舞台の上に上がっていった。
ダイアデムの瞳の炎が、妖しい輝きを放ち、体が紅く輝く。

『──ガオオオオ──ン!』
炎のたてがみを燃え立たせて出現したシンハが、一声高く咆哮(ほうこう)すると、ざわめきは一瞬で鎮まった。
静寂の中、サマエル様は、黒いローブのフードをはねのけて角のある整った顔を見せ、よく通る声で話し始めた。

「──皆の者、この特別な宵に、よく来てくれた!
我々を初めて見る者もいるだろうから、自己紹介をしておこう。
私は魔界王タナトスの弟、“カオスの貴公子”サマエル、隣にいるのが、“貴石の王”シンハだ。
彼は魔界の至宝“焔の眸”の精霊、ダイアデムという紅毛の少年を始め、他の姿を取ることもある。
現役を退いた現在は、人界で私と共に住んでいる。以後、見知り置きを願おう。
では、堅苦しいあいさつはここまでだ。
今宵は、千二百年振りの特別な“ワルプルギスの夜”だ!
存分に楽しんで行くがよい!」

大歓声が巻き起こり、魔族達は、祭りを楽しもうと思い思いに散っていく。
サマエル様とシンハも、舞台を下り始めた、その時。
「お待ち下さい、サマエル殿、シンハ殿!」
遙か頭上から、(りん)とした声が響き、眩しい光が、スポットライトのように夜を貫いて、二人を照らし出した。