4.夢飛行(4)
こうして始まった、僕の新しい生活は、今までに比べたら天国だった。
サマエル様は、とっても優しくて、彼が魔物だなんて忘れてしまうほど。
最初の日に怒ったのも、僕がダイアデムをたたいてしまったせい。
だから、普段は、声を荒げたりすることも全然ない。
「ここに来てから、魔法が使いやすくなった気がするんですけど。
そういう仕様になってるんですか?」
僕は、改めて訊いてみた。
サマエル様は、否定の仕草をした。
「いや、特にそういう仕掛けはしていないが。
私の結界の中では、魔力の弱い者は反対に、力を使うのが難しいかも知れないよ」
「えっ、そうなんですか」
予想外の答えに、僕はかなり驚いた。
だって、学院にいた時より、楽に魔法が作動しているのに。
「……なら、僕が、ちゃんと魔法が使えなかったのは、ネスター先生のせいかも知れないですね。
マイアさんの手前、口に出さなかっただけで、心の中じゃ、僕が魔法使いになることを望んでなかったのかも……」
旅の途中で思いついたことを言ったら、サマエル様はうなずいた。
「そうかも知れないな。魔力は心の力。それゆえ、術者の精神状態に強く左右される。
そして、魔力の強い者は、
養父の思いに敏感に反応した結果、キミは、無意識に力を抑え込んだ……あり得ることだね」
「そっか……」
「けどもう、ンなもん関係ねーだろ。
それに、魔界の王子の張った結界があんだからよー、気兼ねしねーで、どんどん行けよ、シュネ」
ダイアデムが太鼓判を押してくれる。
「うん、頑張るよ!」
僕は元気よく答えた。
でも、魔法が使いやすいのは、サマエル様のお陰もあると思う。
だって、彼は、常に僕を優しく見守っていてくれるんだもの。
失敗してしょげるたびに、次はきっと成功するよとか、キミが出来ることを私は知っているから、って、励ましてくれる。飛び切り素敵な笑顔で。
そして、何でもないことで怒ったり、愛想を尽かすようなことを言ったり、バカにしたりなんてことは、絶対しない。
信じてくれる人がいれば、どんなに失敗しても、次こそって頑張れて、本当に出来るようになるってことを、僕は初めて知った。
リオンの気持ちがよく分かる。
僕は、サマエル様が本当のお父さんだったらいいなーって、思い始めていた。
いつも、しかめっ面で僕を見てた、ネスター先生とは大違いだ。
たまにうまくいっても、全然
今思うと、先生はわざと、僕が失敗するように仕向けていたんだろう。
成績が悪いっていう
よーし、記憶が戻らなくても、絶対、立派な魔法使いになって、ネスター先生を見返してやるぞ。
僕は、そう心に決めた。
先生の魔力を跳ね返すくらいの力を身につけたら、堂々と学院まで行って、スクライ先輩にもお礼を言えるもんね。
ただ一つだけ困ったことは、サマエル様とダイアデム……この二人の関係が、僕にはよく理解出来ないってことだ。
……恋人、なのかな、違うのかな……。それも、男同士の……?
少なくとも、サマエル様は、彼に夢中なのを隠そうともしていない。
ま、ダイアデムの方も、王子様のことは嫌いじゃないらしいけどね。
それどころか、授業中なんかに、とても切ない眼でサマエル様を見つめている、なんてことはしょっちゅうだし。
なのに、サマエル様が、ダイアデムの方を見ると、彼はぷいっと視線を外して、無関心を装うんだ。
その上、髪だけじゃなく、サマエル様に触られるのを……それどころか、近くに寄って来られることさえ、時には嫌がっていた。
まるで、サマエル様のことを恐がっているみたい。
でも、なぜ?
サマエル様はとっても優しいし、あんなに一途に好きだと言ってくれてて、彼自身、まんざらじゃなさそうなのにな。
そうそう、僕が、夢飛行で見た子達は、サマエル様の本当の子供なんだって。
昔を思い出すように、遠くを見るような目つきで話してくれた。
そんな彼を見つめるダイアデムは悲しそうで、それを見ている僕まで切なくなってしまう。
彼の眼の炎も、細く、弱々しく揺れていた。
……そっか、子供がいたってことは、女性のお相手がいたってことだ。
何人いたのか、奥さんか、そうでないかは別として。
ダイアデムは、だから、あんな風に振舞っているのかも知れない。
いつか、サマエル様が別の女性を好きになって、自分から離れて行ってしまうんじゃないかって……。
でも、それを言ったら、彼を傷つけてしまいそうな気がして、僕は何も気づかない振りをした。
来たばっかりの僕が、口出しするのもどうかと思ってさ。
そして、子供達が大きくなって山を出てからも、サマエル様は、ここでずっと静かに暮らしていたんだって。
でも、そのうち、僕みたいな弟子入り志願者や、勝負を挑んでくるヤツとかが、山にたくさん押しかけてくるようになった。
色んな国の王様達も、家来にしたいと使者を送ってくるようにもなって、困った彼は、あの特殊な結界を張り、眠ることにしたってわけ。
“焔の眸”についても、サマエル様は教えてくれた。
「本体は、大人の拳ほどもあって、長い間、魔界の王位の象徴とされて来た宝石だ。
ダイアデムもシンハも、それに宿る精霊なのだよ。
彼は、最近引退して、魔界から私のところに来たところでね。
そして、この国の“焔の眸”は、ダイアデムの右眼だった。今は、彼のもとに戻っているが」
不思議な話だけど、サマエル様が嘘を言うわけない。
「……ふうん。たしかに、シンハは威厳ありますけど。
この、少年のカッコはともかく」
指差しながら、わざと皮肉っぽく言ったのに、ダイアデムは偉そうに胸を張った。
「ふん、やっと分かったか、オレ様の偉さが!」
「じゃあ、どうして、そんな偉いキミの眼が、人界にあったのさ?」
僕がさらに突っ込んで聞くと、彼は、いかにもうるさいという顔をして前髪をかき上げた。
「──ちっ、これだからな。
ガキは、根掘り葉掘り聞きやがって、めんど臭いったらありゃしねーや。
お前、説明しろ、サマエル」
「好奇心旺盛なのは、悪いことではないだろう? 彼女は若いのだから」
サマエル様が言ったら、ダイアデムは、生意気そうに下唇を突き出した。
「ふん、オレが、ンなもん大っ嫌いだってこと、知ってんだろーがよ」
サマエル様は、仕方がないという顔で肩をすくめ、僕に言った。
「シュネ、彼はね、昔、愛した女性に右眼を贈ったのだよ。
現在のライラ女王は、その子孫なのだ」
「へー、そんなことが……」
なーんだ、ダイアデムにも彼女がいたんだ。
だったら、おあいこじゃないか。
そう思ったけど、彼らの間に流れている微妙な空気を察して、僕は黙っていた。
僕の複雑な思いには気づかないようで、サマエル様は話し続けた。
「ファイディー王家には、困った時には、宝石の精霊を呼び出すように、との申し送りがあった。
それに従い、ライラは十三年前の事件の時、ダイアデムを召喚し、瞳を返した。
そして、私達は力を合せて魔物を退治し、そのお礼にと、私は記念式典に招待されたのだよ」
「そうだったんですか。
実は僕、賢者が式典に招かれたって話を友達に聞いて、あなたなら、記憶を戻すことが出来るかもって思ったんです。
ネスター先生は、やってくれようともしなかったから」
サマエル様は眼を伏せた。
「……すまないね、役に立てなくて……」
「いいえ、そんなことないです!
だめもとで来てみましたから、弟子にしてもらえただけで、とってもありがたいと思ってます!」
僕は、力を込めて言った。
「……こちらこそ。私は本職の教師ではないから、分かりにくいところもあると思う。
そういうときは、遠慮なく聞いていいのだからね」
「大丈夫です。サマエル様は、学校の先生より、教えるのずっとお上手ですから!」
サマエル様は、にっこりした。
「ありがとう……たとえお世辞でも、そう言ってもらえるのはうれしいね」
「お世辞なんかじゃないですよ!
マジに僕、来てよかったな、って思ってるんです!」
僕は心からそう答えた。
だって、サマエル様は、これ以上ないくらい理想的な先生だったんだもの。
穏やかな語り口で教えてくれる彼の授業の内容は、多少古めかしいところもあったけど、とても分かりやすくて、学院にいたときより僕の上達も早かった。
人見知りが激しくて、特に年上の男の人が苦手なこの僕が、たったの一月で彼には慣れて、二人きりになってもおどおどしたり、気まずい思いもしなくなってたし。
「基礎はたしかに大切だけれど、退屈だからね。
ある程度、手ごたえのある方が面白いし、意欲や向上心も湧いて来るから」
そうサマエル様は言って、高等科で習うようなレベルの魔法をどんどん教えてくれる。
その上、今はもう学校で教えてない、どころか、多分覚えている人もいやしない古代の魔法(あまり危険がないヤツだよ、もちろん。中には、術者もぶっ飛ぶアブナイ魔法もあるらしいから)なんかも、教えてもらうことまで出来て、ラッキーだった。
ダイアデムは、毎日、僕の授業を見に……と言うか、邪魔しに来た。
彼は、サマエル様より遙かに年上なはずなんだけど、外見が子供だし、話し方や仕草、ううん、言うこと自体が、すごく子供っぽいんだよね。
「へったくそだなぁ、ンなコトもできねーのかよぉ。
お前学校で、一体なぁ~に習ってきたんだぁ?」
そんなことを言われても、別に腹も立たないのはなぜなんだろう、不思議だな……。
ダイアデムは、口は悪いけど、底意地の悪いところはないからかも知れない。
ともかく、彼らの関係さえ気にしなければ、ここはとても落ち着いて魔法の勉強が出来る、絶好の環境だった。
とても静かなので集中出来るし、外や広い地下で実験すれば、失敗しても誰にも迷惑は掛けない。
山の地下は鍾乳洞になっていて、その全体に結界が張ってあるから、何が起きても平気だった。
もっと広い場所が必要なときは、刻の砂漠に行くこともあった。
そういう時、ダイアデムは喜んでついて来て、シンハに変身し、駆け回っていた。
時々、サマエル様の魔法の実験につき合うのを口実にして、ストレス解消とばかり、こんな風に走り回っているらしい。
それを見た旅人がいて、噂が広まったというわけだった。
彼は、人間を襲ったことは一度もないって言ってた。
勝手な想像で、話がどんどん大きくなる。それが噂話の怖いところだ。
僕は、ずっと、このままここにいたいと、心の底から思った。
だけど……。