~紅龍の夢~

巻の五 THE MEMORY OF EMERALD ─緑柱石の記憶─

3.金と銀の獣(1)

アロンの三つ隣の町まで馬車を乗り継ぎ、その後は、下手くそな移動魔法を使い、十日かかってようやくウースタインに着いた。
僕は、長距離移動の魔法はまだ使えないからね。
でも、これでいよいよ砂漠に入り、賢者サマエルのところへ行けると思うと、心が浮き立ってくる。

もっとさびれた感じを予想してたウースタインは、“刻の砂漠”を渡る隊商の基地になっている、意外とにぎやかな街だった。
広い通りを行き交う人の中には、外国人もちらほら見える。
たくさんの店がずらりと並び、アロンに引けを取らない品物が売られていた。

まずは腹ごしらえをしようと、僕は食堂を探した。
僕が魔法で出せるのはパンと水だけだから、行く先々の名物料理は楽しみの一つだった。
道端には、露店もいくつか出ていて、食欲をそそる匂いが流れて来る。
「わ、あれも美味そう、あ、こっちも!」

迷ったあげく、空腹が限界に来た僕は、ラクダ型の看板に“砂漠の舟亭”と大きく書かれた食堂に入ってみることにした。
「──らっしゃい!」
威勢のいい声と、美味そうな匂いに迎えられて、腹の虫がぐうと鳴いた。
けど、このうるささじゃ、誰にも聞こえないよね。

ここも、かなり混み合っているなぁ。
あ、空席見っけ。

運良く一つ空いた席に滑り込むと、僕は通りかかった店員を呼び止めた。
「ね、ウースタインの名物料理ってある?」
「名物料理、っていうと、“巨大砂ネズミの壷焼きシチュー”ですかね。
それと、今日のお勧めデザートは、チェリーパイですよ」
山盛りの料理が載ったお盆を手にした店員は、答えた。

えっ、巨大、砂ネズミ……? うーん、一体どんなんだろう……?
チェリーパイか、僕、アップルパイの方が好きなんだけどな。
ま、いいか、話の種だ、どっちも食べてみよう。

「じゃ、そのシチューとチェリーパイ下さい。あと、これも」
僕は、隣の客が食べているパンを指差した。
「飲み物は?」
「水でいいや」
「あいよ! 壷シチューとチェリーパイ、豆パンに水一丁!」
周囲のざわめきに負けないように大声で、店員は店の奥に向かって叫ぶ。

注文したのはいいけれど、巨大なネズミ……やっぱキャンセルしようかとまだ迷ってるうちに、料理が運ばれてきた。
「へい、お待ち!」
──わ、もう来ちゃったよ。

でっかいネズミが、丸ごと皿に盛られて出て来るんじゃないかって正直びびってたけど、そんなことはなかった。
テーブルの上に置かれたのは、小さな壷に、パイを蓋のようにかぶせて焼き上げた料理だった。
あとは、うずら豆の入ったパン一個とチェリーパイが一切れ。

「ふーん、これが、巨大砂ネズミのシチューかぁ……」
スプーンで、キノコみたいに膨らんだパイの蓋に穴をあけ、恐る恐る中を覗いてみる。
ホカホカのネズミがそのまんま入ってる……わけはなかった。
「何だ、普通のシチューじゃないか」

ほっとしたことに、中身はまともだった。
スプーンで肉をすくってみる。
これがネズミ……でも、見た目と匂いはごく普通だ。
ためらったあげく、勇気を奮い、僕は口に入れてみた。

「……う、美味い!」
途端に、猛烈な空腹感に襲われた僕は、この際、原型は想像しないことにして、どんどん食べた。
チェリーパイも豆パンも、なかなか美味しかった。
いい店に当たったな。
店員に砂漠の話を聞いてみたいと思ったけど、忙しそうだし、混雑もさらにひどくなって来たのであきらめ、僕は勘定(かんじょう)を支払い、店を出た。

情報収集を兼ねて買い物をしようと、今度は八百屋に入ってみる。
元気そうな小太りのおかみさんが、声をかけて来た。
「いらっしゃい、何をお探しで?」
ここは食料品店も兼ねているみたいで、果物や野菜の他に、保存の利く食料も置いてある。

僕は、いい香りのする、つやつやのりんごを手に取った。
「これいくら?」
「二十カルコスだよ!」
お金を払い、りんごの皮を袖でこすると、僕はさっそくかぶりついた。
「わ、すごい汁!」
「今朝、入荷したばっかりだからね、汁気たっぷりだろ!」
「うん、すっごくぱりぱりしてる!」

久しぶりの新鮮な果物に、僕はつい、がっついて食べてしまった。
「ぼっちゃん、本当に美味そうに食べるねぇ。()れ惚れするよ」
おかみさんが笑いながら言う。
「だって、しばらく食べてなかったんだ。
それに、今まで食べたりんごの中で、一番美味しかったよ、これ」
僕は、手についた果汁をなめながら答えた。

「おやおや、うれしいねぇ!
聞いたかい、このぼっちゃんの舌は確かだ、さ、皆さんも買っとくれ!」
おかみさんは、僕の食いっぷりが気に入ったらしく、満足そうに叫ぶ。
それに釣られて、他の客がりんごに集まってくる。

その騒ぎに負けないように、僕は大きな声を出した。
「あ、あとね、砂漠を渡るから、保存食も欲しいんだけど!」
「毎度! 何日分欲しいんだい、ぼっちゃん、おまけするよ!」
僕のお陰で売れ行きが何割かアップしそうなんだ、おかみさんは、ほくほくしてる。

「ええっとね、一週間分くらいでいいかな。
今から“刻の砂漠”を渡って、北東の国境まで行くんだ」
「えっ、お客さん、そんな格好で砂漠を渡る気かい!
一週間じゃ、どんなに急いだって国境までたどり着けやしないよ、それに、まさか、一人で行く気じゃないだろうね!?」
おかみさんは、あきれたみたいに叫んだ。

僕は、にっこり笑って答えた。
「大丈夫だよ。僕は魔法使いだから。って言っても、まだ見習いだけどね。
パンや水は魔法で出せるし、結界を張れば、砂嵐だってへっちゃらだから」
「へー、そうかい、魔法使い……ふうん、人は見かけによらないねぇ」
おかみさんは驚いたように、僕を見つめた。

「けど、気をつけた方がいいよ。砂漠じゃ最近、嫌な噂があるから」
ここでも噂か。僕はそう思い、聞き返した。
「へー、どんな?」
するとおかみさんは、急に声をひそめた。
「……出るんだとさ」

「えっ、出るって……ま、まさか、幽霊!?」
「はは、違う違う、出るのは魔物だよ」
僕は胸をなで下ろした。
「なぁんだ、魔物か。おどかさないでよ、僕、お化けが苦手なんだから」

「何言うんだね、魔物を甘く見ちゃいけないよ。
あんた、真っ赤に燃える炎のたてがみをした金色のライオンなんて、見たことあるかい?
そいつがね、月の綺麗な晩になると出るんだよ。滑るように、砂漠を渡って行くんだとさ……」
いかにも怖そうに、おかみさんは言う。

すると、他のお客達も話に加わって来た。
「なんだい、ぼうや、何も知らないで砂漠に出て行く気だったのかい」
「危ないぞ、今、その話で、ウースタインはもちきりだってのに。
旅をするには、まず食いもんと情報だろ」
「だって、僕、今日着いたばかりし、何か情報はないかと思って、このお店に入ったところなんだよ」

「ほう、そりゃ、ちょうどよかったな」
「うん。で、その魔物って……?」
「ああ、何でも、その炎のライオンを見てしまった者は、食い殺されるとか、眼を(つぶ)されるとかいう話だったな。
お陰で、近頃じゃ、皆、単独の砂漠行きは避けて、キャラバンも、いくつかまとまって旅するようになったそうだが」

「そうそう、こんなご時世に、いくら魔法使いだって、たった一人で旅するなんて自殺行為だよ。
無理しないで、同じ方向に行く隊商に頼み込んで、一緒に行った方がいいんじゃないのかい?」
おかみさんも、心配そうに言う。

炎のたてがみをした、金色のライオンだって?
僕は心の中で笑った。
「今時、そんなおとぎ話、誰が信じるのさ。
弱っちい使い魔ならともかく、もう人界にヤバイ魔物なんていやしないよ。
五年前に退治されたのが最後だと思うな。
何を見間違えたんだか知らないけど、この世の中で一番怖いのは“人間”さ、
そう思わない、おかみさん?」

「ははは、違いない! 若いのによく分かってんじゃないの、あんた!」
おかみさんは、威勢よく僕の背中をどやしつけた。
「痛って!」
「頑張って、いい魔法使いにおなり」
「う、うん。それよか、食べ物って、何が日持ちするかな……」

「ああ、食料一週間分だったね。
……これとこれとこれ、……あとは、これなんかどうだい」
おかみさんは、大きな紙袋に、手早く乾パンやチーズやハム、干した魚なんかを詰め込んでくれた。
「それから、これはおまけだよ」
さらに気前よく、りんごとオレンジを一個ずつ追加する。

「──これでよしっと、端数はまけて、一万カルコスちょうどでいいよ!」
「ありがとう!」
「それじゃ、いい旅をね!」
「うん!」
僕は代金を支払い、気のいいおかみさんに見送られて、店を出た。
外はもう、暗くなっていた。
しなびかけたおまけのオレンジをかじりながら、僕は、そのまま街を後にする。

砂漠の旅。
普通の人には大変なんだろうけど、魔法使いにとっては、そう困難な旅ってわけじゃない。
食料と水は魔法で出せるし、結界で、砂嵐も防げるからね。
でも、ちょっと心配なのは、ついさっき聞いた、砂漠に出る魔物……炎のライオンのことだ。
これも、リオンの言ってた、試練の一つなのかな?

昼間は暑いから、夜に移動しようと思ってたのに、魔物は月夜に出るらしい。
よりによって、今日は、特別きれいな三日月の夜なんだよね。
でも、きっと……いいや、絶対、見間違いさ!
僕は自分にそう言い聞かせ、心を落ち着けてから呪文を唱えた。
「──ムーヴ!」

あちらの砂山、こちらの砂山と目標を定めて空間移動の魔法を小刻みに使い、降るような星空の下、砂漠を渡っていく。
星と月のお陰で、方角を間違えることもなかった。
移動しているうちに日が昇った。
僕は、結界を張って熱と日光をさえぎり、砂漠での初めての眠りに落ちていった。

こんな感じで、砂漠を渡り、どんどん日にちが経っていく。
幸い、ライオンには出会わずに済んでいた。
単調な日々が続いて、疲れて来ると、淋しさも手伝ってか、ちょっぴり気も滅入(めい)り、後悔と
迷いが出て来てしまう。
何とか、サマエルに会えたとしても、弟子にしてもらえる保障はない……。

「──しっかりしろよ! まだ起こってもないことで、くよくよしたってしょーがない!
やるだけやってみようぜ! 悩むのは、断られてからでいいさ!」
わざと元気よく、声に出して自分を励ましながら、さらに進んでいく。
そんな調子で、一週間くらいが過ぎた頃だった。
遥か彼方に、うっすらと、山の形が見えて来たのは。

「あ、あれだぁ!」
それまでの元気のなさもどこへやら、僕は、思わず飛び上がってしまった。
「──ワルプルギス山、あそこにサマエルがいる……いやっほう!」
それからの僕は、ライオンのことなんか忘れた。
張り切って呪文を唱えるたび、どんどん山が近くなる。

いっそのこと、一気に移動しようか。
いや、ダメだ。
せっかくここまで来て、とんでもないトコに行っちゃったら、元も子もない。
焦りは禁物、地道に行こう。
がむしゃらに飛んで行きたい気持ちをなだめながら、僕は少しずつ進んでいく。