~紅龍の夢~

巻の五 THE MEMORY OF EMERALD ─緑柱石の記憶─

2.単眼の巨人(3)

目覚めたとき、僕は、見たこともない部屋のベッドに寝ていた。
「あ、あれ……ここ、どこだ?」
がばっと上半身を起こした僕は、混乱して周りを見回す。
カーテンが閉じられてる室内は薄暗かったけど、とっても広い。
そして、眼に入るものすべてが、豪華絢爛(けんらん)ってしか言いようがなかった。

でっかくて三人くらいは楽に寝れそうなベッドは、天蓋(てんがい)って言うんだったか、布で囲まれてて、布団は多分、羽毛が入っているんだろう、軽くてふかふかだった。
天井からは大きなシャンデリア、床には絨毯(じゅうたん)が敷き詰められ、壁にも高そうな絵が飾ってある。

「……なーんかすごい部屋だなー。
でも、何で僕、こんなトコにいるんだっけ……?」
頭をひねったとき、そばのテーブルに白い紙が置いてあるのが眼に入り、僕はそれを手にとった。
『シュネへ。ちょっと用事を済ませて来るから、起きたらここで待ってて。
──リオン』

思い出した。
ネスター先生に記憶と魔力を封じられそうになったところを、僕はリオンに助けられて、ここ……ファイディー城に来たんだった。
「ふあーあ」
僕は、大きく伸びをしてベッドから降り、カーテンを開けてみた。
「わ、眩し……」
外には芝生と庭園が広がっていて、太陽は高い位置にあった。
学院から逃げ出した時は午後だったから、もう半日以上、寝てたってことになる。

「ここはリオンの部屋じゃないよな。彼は何をしてるんだろう」
枕元に、昨日着ていた服が洗濯されて置いてあったから、寝巻きから着替え、それからドアを開けてみた。
広い廊下がどこまでも続いていて、召使か、女官みたいな人達が行き交っている。
その人達には声をかけづらいし、一人で出歩いても迷子になりそうだ。
手紙の通り待っていようと、ドアを閉じて僕は椅子に座った。

ともかく、今日が新しい始まりだ。
賢者サマエルってどんな人だろう。弟子にしてもらえるかな?
試練って大変?
彼に会ったら、僕の記憶は戻るんだろうか。
……僕は一体、どこの誰なんだろう……。 

ぼんやりそんなことを考えていると、ノックが聞こえて、やっとリオンがやって来た。
今の彼は、僕と同じ年頃の、子供の姿に戻っていた。
「やあ、シュネ、おはよう。よく眠れた?」
「おはよう、ぐっすり寝れたよ」
「そう、よかった。ライラは忙しいから来れないけど、キミによろしくって」
「女王様だもんね、泊めて下さってありがとう、って伝えておいて」

「うん。ところでさ、キミ、どうやってサイクロプスを召喚したの?」
唐突な質問に、僕は首をかしげた。
「どうやってって……授業で習ったユニコーンの召喚呪文、唱えただけだよ。
“──清浄なる水辺に()むもの、清き乙女を愛すもの、額に純白の角を(いただ)きしものよ、
我が呼びかけに応え、姿を現せ”って」

「その後は?」
「えっと、なかなか召喚できなくて、しつこく唱えてたら、いきなりサイクロプスが……」
「そうじゃなくて、呪文の続きだよ」
「え……?」
僕はおでこに手を当てたけど、分からない。続きなんかあったっけ。

するとリオンは、ぱちんと指を鳴らした。
「──ウニコルヌス!」
その途端、ほんの少しの煙と一緒に、白い獣が一匹、部屋の真ん中に現れた。
面食らったみたいに、きょろきょろ辺りを見回してる。
小さいけど、ちゃんとしたユニコーンだ。

「す、すごいや、魔法陣も描いてないのに」
僕が驚くと、リオンは肩をすくめた。
「呪文や魔法陣で呼び出すより、こんな風に直接呼んだ方が、手っ取り早いこともあるんだよ。
キミ、最後の“ウニコルヌス”を付け忘れたから、角があるサイクロプスは、自分が呼ばれたと思ったんだろな……彼の一族は海辺に住んでるしね。
それで、きっと、ネスターもビビっちゃったんだと思うよ」
「どうして?」

「だって、単眼の巨人族は、人界には住んでないもの。
キミの呼び声は、魔界にまで届いて、サイクロプスを呼び寄せたんだ。
人界にいる魔物を召喚するんだって、結構難しいのに。
キミの力は、それだけ強いってことだよ」
「そう……なのかな。キミだって今、呼び出したじゃない。
どっちにしろ、僕が学院にいた時は、魔法をちゃんと使えなかったんだよ。
……だから、こんなことになっちゃって……」

目頭(めがしら)が熱くなる。
うつむいたら、一角獣が、とことこ近づいて来て僕の臭いをかぎ、手をぺろっとなめた。
まるで、励ましてくれてるみたい。
僕は、たてがみをそっと、なでてみた。
白い獣はうれしそうに、僕の手に頭をすりつけて来る。
「あは、可愛い……」

「小さくても、さすがユニコーンだな。
急に呼び出して悪かったね、もう還っていいよ、ありがとう」
リオンは再び指を鳴らし、一角獣はいなないて消えた。
「気が荒くて人馴れしないって聞いたのに、人(なつ)っこかったね、今の」
そう言ったら、彼は僕をじっと見つめた。
「それは、相手がキミだからさ」
「え、それ、どういう意味?」

その質問には答えず、リオンは言った。
「あ、そうそう、ライラは、ネスターを城に呼び出すって。
女王直々の召喚となれば、必ず来て、キミのことも、正直に話さなきゃならないだろ」
僕は首を横に振った。
「あんな人のことなんか、もうどうでもいいよ。
それよか、賢者の家を教えて」

「分かった。
──カンジュア!」
リオンは、巻かれた地図を呼び出した。
何でも簡単に出せていいなあ。
賢者のところに行けば、僕も、こんな風にできるようになるんだろうか。

「まず、“刻の砂漠”近くのウースタインって街に行くんだ。
そこから、北東に向かって砂漠をずっと行くと、高い山が見えてくる」
テーブルの上に広げた地図をなぞっていた彼の指は、空白の場所で止まると円を描いた。
「国境近くの、ここら辺だよ。
これがワルプルギス山で、アロンからは馬車とラクダなら一、二ヶ月はかかるけど、キミは魔法が使えるし、もっと早く行けるよね。
この天辺に、サマエルの屋敷があって……」

言いかける彼を、僕はさえぎった。
「ちょっと待って、リオン」
「何? 質問なら、最後まで聞いてから……」
「違うってば。
国境近くに高い山があるなんて話、聞いたことがないし、ほら、地図にも載ってないよ。
そんな幻の山に、どうやって行くの?」

すると、リオンは、微妙な顔をして、訊き返して来た。
「幻……そう思ってるの、キミ?」
「だって、あの山は蜃気楼(しんきろう)なんでしょう? 皆、そう言ってるし」

ワルプルギス山は、ファイディーの七不思議の一つだった。
遠くから見るとちゃんとあるのに、近くに行くと消えてしまう。
今まで、何人もの王様が探検隊を送ったけど、山の発見はできなかったんだ。

リオンは、にやりとした。
「じゃあ、もし、それが本当にあったとしたら?
皆が蜃気楼だと思ってて、昔の王様も見つけられなかったなんて山、今さら、誰も探そうとは思わないだろ。
そしたら、サマエルも、安心して住んでいられると思わない?」
「あー、なるほど! 頭いい!」
思わず僕は手を打った。

「でも、どうして、近くに行くと見えないんだろう」
僕が頭をひねると、彼は肩をすくめた。
「サマエルが、そういう結界張ってるのさ。
でも、ふもとの村人には見えてるし、山に入ることも出来るよ、たきぎを拾いに行くとかね」
「ふーん、そうなんだ。さすがは賢者だね、不思議な結界だなぁ」

「ああ、彼の結界はすごく特殊なんだ。
遠目では、誰の眼にも映るけれど、山の存在を本気で信じてない者が近くに行っても、見えないし、もちろん山にも入れない。
それにね、結界を抜けるときは信じていて、山の途中まで登れたとしても、存在を疑った瞬間に、山は消え失せちゃうんだ。
……つまり、登った高さから地上へ、まっさかさまに墜落しちゃうってわけさ……」
彼は、いかにも恐ろしそうに言う。

「ええっ!」
顔から血の気が引いていくのを、僕は感じた。
「怖くなったかい? これが試練の一つだよ。その他にも色々……」
「……こ、怖くなんかないよ! 『山はある』って信じてればいいんでしょ!
そうだ、ワルプルギス山がなきゃ、そこに賢者の家もない。
そしたら、僕は、サマエルにも会えないってことになっちゃうじゃないか!」
僕は、自分に言い聞かせるように、大きな声を出した。

「うん、確かにね」
リオンはにっこりした。
「それと、護身用以外の武器を持ってると山には入れないし、結界の中では魔法が使えなくなるから、注意して。
山に入る前に、三日分くらい、食べ物と水を用意しとかないと」
「でも、ずいぶん厳重なんだねぇ。そんなに人に会いたくないのかなぁ」
僕が首をかしげると、彼はまた、肩をすくめた。

「ま、色んな理由があるのさ。サマエルは有名人だから、招かれざる客も多々あるしね」
「ふーん。賢者も結構、大変なんだね」
「そう。だからキミにも、試練をくぐってもらわなきゃいけないわけ。
さて、道順は覚えた?」
「うん、大丈夫」

「じゃ、これ、あげるよ」
彼は地図をくるくる丸めて、二枚の護符と一緒に僕に渡した。
「こっちは、山の中でも防御用の結界が張れる護符。あと、こっちは追跡逃れ用のだ。
サイクロプスに、キミを護るって約束したからね」
「ありがとう」

さらに、彼は、ふところから、ずしりと重い革の小袋を取り出した。
「それと、これはライラからの餞別(せんべつ)
旅費だよ。魔法が使えてもお金は必要だし、彼女も、キミのことはとても心配してるからね、頑張って」
「えっ、女王様が……僕に?」

全部、とてもありがたくて、じわりと涙が出て来た。
特に、追跡逃れの護符には感激した。
これがあれば、学院長が僕のことをこっそり探してても、見つからなくて済む。安心して旅ができる。

「ありがとう、リオン、女王様にも、いっぱい、お礼を言っといて」
「うん、言っとく。さ、もう行くんだろ。宮殿の外まで送るよ」
彼に案内されて、僕は生まれて初めて、お城の中を歩いた。
なんか、見るものすべてが輝いてて、すごく豪華で、圧倒されてしまう。
でも、段々僕はこれからのこと……賢者サマエルに会いに行くってことの方に注意が向いていき、周りのことは見えなくなっていった。

「さあ、着いたよ。
表玄関より、裏の方が静かに出られていいだろうと思ってさ」
その声に我に返ると、城の勝手口らしいところに来ていた。
「そうだね。……リオン、本当に色々ありがとう」
僕は深々とお辞儀をした。

「いや、お礼は、無事向こうに着いて、記憶を取り戻した時か、サマエルの弟子になってからでいいよ。
それからね、もし……もしもだよ、両方駄目だったとしても、そのままどこかへ行ってしまわずに、必ず、ここに戻っておいでね。
その後のこと、一緒に考えよう」

「うん、弟子になれても、なれなくても、きっとまた、戻って来るから」
僕はまた頭を下げた。
「ああ、気をつけて!」
手を振る彼に涙を見られないよう、僕は背を向け、歩き出す。

まずは、砂漠の側の町、ウースタインだ。
少し考えて、三つ隣の町から馬車に乗ることにした。
行ったことがあるから、そこまでは魔法移動できるし、もらったお金は大事にしなきゃね。

開けてみた革袋には、ぴかぴかの金貨が入っていた。
わ、さすが。
でも、田舎じゃあまり流通してないし、泥棒にも狙われやすい。
念のため、泥棒避けの魔法をかけ、僕は、足早に両替店へ向かった。