2.単眼の巨人(1)
リオンに会ってから、もうすぐ一月経つという頃、召喚魔法の授業があった。
でっかい魔物を呼び出すこともあるから、召喚魔法専用の大広間が、学院にはある。
前は苦手な科目だったけれど、最近の僕は、小さな魔物なら、思い通りに呼び出せるようになっていた。
その日の課題は、一角獣の召喚だった。
ユニコーンは、人見知りが激しい上に、外見に似合わず気性が荒いし、呼び出すのも難しいんだ。
「さあ、魔法陣は描いたね、呪文を唱えて!」
ベタク先生の号令で、皆一斉に唱え出したけど、なかなかうまくいかない。
そのうち、ついに、一つの魔法陣が輝き出し、周囲から拍手が起きたけど、煙と一緒に現れたのは魔物じゃなく、角もないただの馬だった。
がっかりして、生徒は馬を消す。
それを皮切りに、あちこちで小さな魔物が出現し始めた。
でも、一角獣は出て来ない。
僕も頑張っていたけれど、まるで手ごたえがなかった。
他の生徒は、とりあえず召喚はできているのに。
……何がいけないんだろう。
泣きそうになりながら、僕は、懸命に呪文を唱え続けた。
「──清浄なる水辺に
もう何回唱えたか分からなくなった頃、ようやく、待ちに待った反応があった。
魔法陣が緑に輝き、激しく明滅を始める。
(──やった! ひょっとして、僕が成功一番乗り!?)
なんて思ったのは甘かった。
学院中に響く
頭が広間の天井につきそうなくらいにでかい、一つ目の大男だった。
僕は、尻餅をついてしまった。
「サ、サイクロプス!? せ、生徒がこんなものを……そんな馬鹿な……」
先生も驚きのあまり、動けないでいる。
サイクロプスっていうのは、一つ目の巨人のことだ。
けど、一角獣を呼んだのに、なんでこんなのが出て来るんだ──と思って見上げたら、こいつのおでこにも、角が一本生えていた。
……それでかよ。
ため息をつく僕に、巨人は、そのでっかい一つ目を、ぐっと近づけて来た。
「わわわ……」
腰が抜けてしまって逃げられない。
そのとき、変な声が聞こえた。
“主ヨ、我ハ、汝ノ悲シミト怒リニ呼バレテ参ッタ。
主ノ悲シミノ元ハ、
「え、何、これ……声? どこから……」
僕は耳を押さえた。でも、それは耳から聞こえるんじゃなく、頭の中に直接響いていたんだ。
「これ……お前がしゃべってるの?」
尋ねると、肯定するように、サイクロプスはうなずく。
それから、大きい腕を伸ばして来た。
「や、やだ、来るな!」
僕が叫ぶと、巨人は手を止め、首をかしげた。
“何ユエ、我ヲ拒否致ス? 我ハ、汝ニ呼バレシ者”
「ぼ、僕が呼んだのはユニコーンだ、お前なんか呼んでない!
──
僕は、必死に声を振り絞った。
けれど、大男は消えず、不思議な眼で僕をじっと見つめた。
“主ノ悲シミト怒リ……ソレガ、ナクナラネバ、主ノ苦シミハ終ワラヌ。
ソノ
鳶色の眼をした初老の男の人……それは、学院には一人しかいない……。
髪は白髪交じり、眉間にくっきりと二本、深い縦じわを刻んで僕を見ている、深緑色のローブを着たネスター先生の姿が浮かんできた。
「──やめて! 僕はそんなこと望んでない!
もういいから、還れってばーっ!!」
僕は絶叫した。
その途端、サイクロプスの姿が薄らぎ、白い煙になったかと思うと、魔法陣に吸い込まれていった。
「大丈夫か、シュネ!」
ベタク先生が駆け寄って来るのにも気づかず、僕はただ、ガタガタ震えていた。
「授業は終わりだ! 皆、教室に戻って、自習していなさい!」
先生は大声で言い、僕は医務室に運ばれた。
震えが止まらないので、眠り薬を飲まされ、僕がベッドでうとうとしていると、ネスター先生がやって来た。
「ベタク先生、シュネの様子は?」
「ケガはありません。ただ、ショックが強く、魔法医が薬で眠らせました。
幸い、サイクロプスはすぐ帰還しましたので、他の生徒達にも被害はありませんでした」
「そうですか、それは何より」
安堵したように、ネスター先生は言った。
心配してくれてるんだ、そう思ったのも束の間、次に来た言葉が、僕を凍りつかせた。
「懸念していた通り、いよいよ、シュネの力は手に負えなくなって参りましたな。
「しかし、学院長、そこまでしなくとも……」
「いや、これ以上の被害が出ないうちに、早く魔力を封じた方がいいでしょう。
シュネが眠っている今が絶好の機会、ベタク先生、手伝って下され。
ああ、邪魔が入っては困る、先に結界を張るとしますか」
──ええっ、そんな! あと何ヶ月かは余裕があると思ってたのに……。
僕は、目の前が真っ暗になった。
肌身離さず持っていた先輩にもらった護符を、布団の中、震える手でぎゅっと握る。
“せ、先輩、スクライ先輩! 助けて!”
僕は、心の中で叫んだ。
返事は、すぐに返ってきた。
“シュネか! どうしたんだ!?”
“ネ、ネスター先生が、今すぐ僕の魔力を封じるって、ベタク先生と、準備を始めちゃったんです”
“──何っ、シュネ、今どこにいるんだ!?”
“ぼ、僕、医務室です……”
“分かった、すぐ行く! 逃がしてやるから!”
“でも、ネスター先生は結界を張っちゃいましたよ、どうやって中に……”
“えっ、結界!? ベタク先生もいるって……くそ、相手が一人だけなら破れるかも知れないけど……”
歯ぎしりしてるような先輩の念が伝わって来る。
先輩が助けに来られないんなら、何もかも終わりだ。どうしようもない。
ぼくは、深く息を吸い込んだ。
“……もういいです。
先輩は、あと数ヶ月で卒業出来るんですから、僕なんかのために、無理しないで下さい”
“な、何言ってんだよ、シュネ”
“最後にお話出来てよかった。今度会うことがあっても、僕は先輩のこと、覚えてないでしょうから。
ありがとうございました、そして、さようなら”
“バ、バカ、諦めるな! 今、……”
先輩の話はまだ途中だったけど、僕は護符から手を離した。
もう助かりようがないと分かった以上、先輩に迷惑をかける気には、なれなかったんだ。
けど、僕だって、もちろん、ただ記憶や魔力を奪われるままにしておくつもりはなかった。
僕はベッドの上に起き上がり、尋ねた。
「ネスター先生、何をするつもりなんですか?」
「ああ、シュネ、起きたのか……」
「ええ、先生。教えて下さい。最終手段って何ですか」
僕はネスター先生をじっと見つめた。
先生は息を呑み、それから慌てて言った。
「い、いや、その、……そうだ、お前の記憶を戻す方法が見つかったのだよ。
そ、それで、さっそく戻してやろうと思ってな」
「え?」
ベタク先生が、驚いた顔でネスター先生を見る。
一ヶ月前の僕だったら、こんな嘘にも、簡単に引っ掛かっていただろう。
でも。
「ふうん? それが“最終手段”なんですか。
まるで、もう何もかも終わり、って感じに聞こえますね。
それに、“早く魔力を封じた方がいい”って言葉も聞こえたんですけど?」
その声は、自分でもびっくりするくらい冷ややかだった。
「シュネ……わたしは……」
「白々しい嘘はやめて下さい。僕は知ってるんですよ。
お二人が廊下で話してるの、聞いちゃったんです。
僕は成績が悪いから、よそにやられるんでしょ。
そのためには魔力は邪魔。記憶もいらない、って」
「そ、それは違う、ネスター先生は、キミのためを思って……」
ベタク先生の声なんか、僕の耳には入って来ない。
僕は、ネスター先生の顔だけを見ていた。
「なら、どうして僕を助けたんですか、先生。
先生みたいに五十も年がいってたら、たった五年って思うかも知れないけど、その五年間の記憶が、今の僕にはすべてです。
制御出来ない魔法を使っちゃ駄目なのはまだ分かる、でも、どうしてマイアさんのことや、せっかく出来た友達のことまで、忘れなくちゃいけないんですか?」
「そ、それは……」
「話を聞いたときは、ショックでした。
でも、スクライ先輩は、先生は保護者だから、わけもなくそんなことはしない、それに、頑張れば、きっと進級出来るからって言ってくれて。
だから、僕も、それもそうだなって思い直して。
魔力や記憶を消さなきゃならないとしても、その前にきっと、先生は理由を話してくれる、そう信じてたのに……」
「シュネ……」
「──嘘つき!
記憶を消されても、それだけは絶対忘れない、大人は嘘つきで勝手だってことだけはね。
決して忘れない……絶対、忘れるもんかーっ!」
僕が絶叫した時だった。
ぐらぐらと空間が揺れたかと思うと、雷みたいな音が
「うわーっ!」
「な、何!?」
先生達は床に這いつくばり、僕はベッドの縁にしがみついた。
ようやく振動が止まると、一つ目の巨人がまた現れていた。
天井が高くないせいか、さっきよりかなり背が低い。こいつ、自由に大きさを変えられるんだな。
でも、呪文は唱えてないし、魔法陣だって描いてもないのに……。
……何でもいい、天の助けだ。
僕はベッドから飛び降り、サイクロプスのそばに駆け寄った。
「駄目だ、シュネ、行ってはいけない、話を聞きなさい!」
“主ニ触レルナ!”
僕を捕まえようとするネスター先生の手を、巨人は軽々と払った。
「あ、ありがとう」
“礼ニハ及バヌ。我ハ、主ヲ護リニ参ッタ”
僕はほっとして、巨人の陰から叫んだ。
「もう遅いよっ!
僕、もしこのまま成績が悪くて、そしてちゃんとわけを説明してもらえたら、その理由によっては、魔力を封じられてもいいかなって思い始めてた。
なのに……どうして、赤の他人のあんたが、僕のことを勝手に決めるんだ?
「違う、そうではないのだ、シュネ」
「もういい、聞きたくない。サイクロプス、ここを出よう」
“
巨人はうなずいたけど、動くたび光が激しく飛び散り、部屋を出ることはできない。
“ウヌ、憎キ結界メ、邪魔ヲシオッテ!”
もがくたび、すさまじい振動が起こり、サイクロプスの体は傷つく。
「やめて、もういいから! 死んじゃうよ!」
僕は巨人にとりすがったけど、彼はやめようとしなかった。
“主ヲ自由ニ。ソレガ我ガ望ミ。シバシ待タレヨ……”
さらに暴れても、強力な結界は壊れない。
サイクロプスの全身から、血が流れ始めた。
「それ見なさい。召喚した魔物の制御もできないとは。
もっと手に負えない魔物が出現してからでは、遅いのだぞ、シュネ」
“──黙レ! 主ヲ苦シメル
巨人が、ネスター先生目がけて拳を振り下ろす。
「サイクロプス、駄目だーっ!」
僕が叫んだ