~紅龍の夢~

巻の五 THE MEMORY OF EMERALD ─緑柱石の記憶─

1.魔法学院(4)

ようやく休日がやって来た。でも、僕は前より、かなり冷静でいた。
今までみたいに、やたら期待して、後でがっくり来るのも嫌だしね。

スクライ先輩は、学院の寮に住んでいる。
約束の夕方、辺りが少し暗くなり始めたのを見計らうと、僕は、誰にも見られないように、手っ取り早く裏庭を突っ切って、寮の門をくぐった。

薄暗い廊下を小走りで、教えられた部屋番号を探す。
左右を見回して、誰もいないのを確かめてから、僕はそっとノックをした。
「先輩、シュネです……」
すぐにドアが開き、先輩が顔を出した。
「待ってたよ、彼はもう来てるから」
「そうですか、お邪魔しま……」

「やあ、初めまして! ぼく、リオンだよ」
部屋に入った途端、僕と同年代の男の子が、元気よく手を差し出した。
「……ど、どうも、初めまして。シュネです……」
僕の手を握り返す、彼の力は強かった。
背は、ほぼ僕と同じ。栗色の髪、同じ色の眼はくりくりとして、唇には明るい笑みが浮かんでいる。
髪も眼も違うのに、なんとなく、スクライ先輩に似てるような気がした。

「さっそく、キミの記憶を見せてもらえるかな。
どういう状況なのか、ちゃんと把握しておきたいんだ」
手を離すと、リオンは言った。
「え、あの……」
何て返事をしたらいいか迷って、僕は先輩を見た。

「安心しなよ、リオンは、俺なんかより、ずっと魔力が強いから。
ひょっとしたら、サマエルに会う前に何か分かるかも知れない、とも思って、彼を呼んだんだ」
スクライ先輩は、このリオンって子を、心から信頼してるみたいだった。
「はい、じゃあ、お願いします……」
僕は答えた。

「じゃ、ここに座って。体の力を抜いて、気分を楽にしてね」
向かい合って椅子に腰掛けると、リオンは、僕のおでこに指を二本、あてがった。
水晶球とか、道具は使わないんだなと思った瞬間、僕の心を、過去の記憶が勢いよく流れ始めた。

本を読むみたいに楽々と、彼は、僕の記憶のページをめくってゆく。
不快ではないけど、何だか不思議な感じ。
何の道具も使わずに、これだけのことをやってのけるなんて、たしかにすごい力がある人だっていうのは分かった。

やがて。
しんしんと雪が降り積もる深い山奥を、僕が、とぼとぼと歩いている情景が見えて来た。
ボロボロの服と靴は、多分、大人用なんだろう、全然体に合ってない。
何か思い出せないかと思ったけど、僕の心は空っぽで、ただ機械的に足を動かしてるだけ。
何も考えていなかった。

体に積もった雪が融けて、背中に流れ込んで来る。
身震いし、肩を抱いて寒さをしのごうとしても、ちっとも温まらない。
手も足もかじかんで、次第に重たくなっていき、しまいに一歩も進めなくなって、とうとう、僕は倒れてしまった。
それでも、雪は止むことなく降り続き、僕の体を覆い隠してゆく。

これは、ネスター先生に会う、直前の記憶だ……。

「……うーん、たしかに、これ以上は、(さかのぼ)れないねぇ」
リオンの声に、僕は我に返る。
部屋の中は温かかったけど、僕はぶるぶる震え、肩を抱いた。
「大丈夫かい? シュネ。
──カンジュア!
ほら、これ飲みな」
先輩が、温かい飲み物を出してくれた。

「あ、ありがとう……ございます」
僕はそれをすすり、ほっと息をつく。
スクライ先輩が見てくれたときより、ほんの少し前進したけど、昔の記憶には、たどりつけなかった。
期待しないようにはしてたけど、やっぱり、ちょっとがっかりした。

「なるほどねー。これじゃたしかに、一筋縄ではいきそうもないや。
……うーん、どうしようかな……」
考え込んでいるリオンに、僕は思い切って尋ねてみた。
「あの、あなたは、賢者サマエルの居場所を知ってるんですか?」

「知ってるさ、もちろん」
栗色の髪の少年はさらりと言ってのけ、そして、口を開きかけた僕をさえぎるように続けた。
「ああ、でもね、彼の邪魔はしたくないんだ。
色んな理由で、本来なら、彼は表舞台には出られない。
前回と今回は、女王陛下のたっての望みで、記念式典に出たんだけどね。
それに、これほどガードが硬いと、彼でも、どうすることもできないんじゃないかな」

僕は一瞬、息を呑んだけど、すぐに答えた。
どっちみち、次の行動はもう決まっていた。
「分かりました。ともかく、僕は学院を出ますよ。
さっきの記憶だと、ネスター先生に拾われるまで、僕は、あちこち放浪してたみたいだし。
賢者に会えなくたって、ここにいるよりはましです。
リオンさん、今日はわざわざ、ありがとうございました。
先輩も、お手数かけちゃってすみません。
じゃあ、さよなら……」

二人に向かって頭を下げ、僕はドアに向かった。
残念だけど、予定通りだ。どうせ、出ていくつもりだったんだから。
「シュネ、」
先輩が声をかけてくるのと同時に、さっとリオンが僕の前に出てきた。
「待ってよ、キミ。シュネ」
「な、何ですか?」
僕は思わず、後ずさった。

「キミ、そんなに記憶を取り戻したいの?」
顔を覗き込み、聞いて来るリオンを、僕は睨み返す。
「当たり前でしょう。
自分が誰か、分からないってこと自体、何かすごく嫌で、苛々もするし、そのせいなのか、魔法もちゃんと使えないし。
それだけじゃなく、記憶や魔力まで、消されそうになってるんですよ?」

「……そうだよねぇ。ホント気の毒だって、ぼくも思うよ」
彼は頭をかいた。
それから急に、ぽんと手を打つ。
「──じゃあ、こうしよう。
とりあえず、キミは学院に残って、この学期を終わらせるんだ。
それからだって、賢者に会えるし、頑張れば、進級できるかも知れないだろ」

僕は頭を振った。
「先輩もそう言ってたけど……でも、無理ですよ」
「簡単に諦めちゃ駄目だよ。
一生懸命やっても成績が上らなくて、魔力や記憶を消されそうになるようだったら、そのときは、賢者の屋敷の場所を教えてあげるから」
「えっ、どうして、今すぐ教えてくれないんですか?」
思わず僕は口をとがらせた。

「何でも人任せじゃ、駄目だからさ。自分でも努力しなきゃ。ね?」
僕と同じ年頃だろうに、彼は偉そうなことを言う。
こんなに僕が切羽詰ってるのに、他人事だと思って。
「だって、このままいたら、僕はネスター先生に、魔力と記憶を盗られちゃうんですよ!」
僕は苛々して叫んだ。

すると、リオンは、ぐっと身を乗り出し、僕の眼を覗き込んで来た。
「いーや、いくら命の恩人だって、そこまで理不尽なこと、すると思うかい?
大体さ、キミの記憶を読んだけど、最悪の場合、消すこともあるって言ってただけだよ?」
「え、そ、そうだった……かな?」
僕は、急に自信がなくなった。

もう一度、あのときのことを思い出そうとしていたら、彼が言った。
「あとね、賢者の屋敷にたどり着くまでは、色んな試練があるんだ。
それをちゃんと乗り越えられたら、彼は、キミに会ってくれると思うよ。
けど、会えたとしても、記憶を戻せるかは分からないし、弟子にしてくれる可能性も低い。
それでも、キミ、賢者に会いに行く気がある?」
「もちろんですよ!」
きっぱりと僕は答えた。

「そっか。じゃあ、今学期が終わったら、また会おう。
その時に、賢者の居所を教えるかどうか決める、これでどうかな?」
「えー……」
「それが嫌なら、ぼくはもう来ないよ」

中途半端な気分だったけど、仕方なく僕はうなずいた。
「……じゃあ、それでいいです」
「聞き分けてくれてありがとう。あ、ぼくもう、帰らなきゃ。
じゃあね、頑張れよ、シュネ」
リオンは手を振って帰って行った。

すっかり気落ちして、僕は椅子にへたり込んだ。
「そんな顔すんな。
俺も、一時は泡食ったけど、ネスター先生は保護者なんだし、いくら何でも、理由もなく、いきなりそんなことするわけないよ。
あと半年の辛抱だし、頑張ればきっとうまくいくさ。
ほら、気持ちが落ち着くぞ」
先輩はそう言って、湯気の立つハーブティーのカップを手渡してくれた。

「……どうも」
受け取って飲むと、本当に気分が楽になって、周囲を見回す余裕も出てきた。
先輩の部屋には、机一つと椅子が二つ、小さな棚には教科書しか並んでない。
ベッドカバーも、味気ない白。見事なくらい、がらんとしていた。
前に、寮の友達の部屋に遊びに行ったときは、絵や置物とか、とにかくたくさん物が飾ってあって、にぎやかだったのにな。

そこで、つい、僕は言ってしまった。
「……なんか、先輩の部屋って淋しいですね」
先輩は肩をすくめた。
「ああ。昔は結構、色々集めたりしてたんだけどさ。
学院を出されることになったとき、全部捨てちまったんだ。
復学した後は、そんな気もなくしたし」
「あ、す、すみません!」
慌てて僕は頭を下げた。顔が、かあっと熱くなる。

「何でキミが謝るんだ?」
不思議そうに、彼は首をかしげる。
「え、だって……」
「俺も親はいないから、寮が自分()みたいなもんで、持ち物もたくさんあったから、気に入ってたのは友達にあげようと思ったんだけど、誰も受け取ってくれなくてさ。
……飛び級のお陰で、皆と同じに卒業は出来るけど。
あと半年で学院を出られると思うと、ホント、せいせいするよ」

そういや、先輩のいるオメガは、魔法医を目指す特別クラスで、成績のいい生徒しか入れないんだっけ。
その上、先輩も、学院一の天才って呼ばれてて、どんな呪文でも一度読むだけで使えるようになるから、僕らみたいに何回も練習する必要がないんだ。
うらやましいな。

「先輩も、ご両親がいないんですか?」
「ああ、小さい頃に事故でね。
その後、村長に引き取られて、後継ぎになるはずだったんだけど、魔力があるからって学院に来たのさ。
けど、放校されたら、『村の面汚しだ、帰って来るな』って言われて。
それで、遠縁の叔母さん家に行くことになったけど、そこでも全然信じてもらえなくてさ。
学院だってそうだ。先生達は、一度ケチのついた生徒を、結局は信用なんかしないんだよ。
──ったく、大人なんて!」
先輩は、思い切り鼻にしわを寄せた。

彼と僕とは、境遇が似てる。
多分、僕も信用されてないんだろう。だからネスター先生は……。

「そうだ、これをやるよ。何かあったら呼んでくれ。飛んでって助けてやるからさ」
先輩がくれたのは、持ってる人同士が話が出来る護符(ごふ)だった。
僕は大喜びでそれを受け取った。
「ありがとうございます! この頃、よく眠れないで困ってたんです。
悪い夢ばっかり見て、飛び起きちゃって」
「そっか。でも、もう平気だろ」
「はい!」

その後、僕は、必死になって勉強に取り組んだ。
とりあえずは、魔力も記憶も消されない保証は出来たし、スクライ先輩っていう心強い味方もできた。
すると、奇跡のように物覚えがよくなって、魔力まで制御出来るようになってきた。 
この分なら、何とか、進級出来るかも知れないって思えるくらいに。
先輩にそう言ったら、とても喜んでくれた。

けれど、それが甘い考えだったことを思い知らされる事件が起きるなんて、このときの僕は、予想もしなかったんだ……。