1.魔法学院(2)
でも、他の生徒はともかく、僕は諦め切れなかった。
誰も知らない、僕自身も覚えてない、過去。
それがどんなだったのか、この頃、どうしても知りたくなって来てたんだ。
僕には、幼い頃の記憶がない。
雪の中に倒れて死にかけてたところを、この魔法学院の学院長、ネスター先生に助けられたのは、五年前。
その当時、僕は十歳くらいだったらしいけど、その前のこと……本当の名前や両親のことなんかは、いくら頑張っても思い出せないんだ。
先生は、『僕の魔力に呼ばれた』って言って、僕を、学院の初等科に入学させたけど、僕は、別に魔法なんて使えなくたって構わなかったし、それ以上に、“学校”ってシステムが理解できなかった。
『どうして、毎日、同じ年頃の子供達が同じ場所に集まって、一斉に同じことしなくちゃいけないんだろう?』
……そう思って。
拾われた直後の僕は、読み書きができず、学校に行ったことなかったみたいだったから、そんな疑問を持ったのかも知れないけど。
あ、今はあまり感じないよ、友達ができたからかな。
その上、どうしてか、大人の男の人が怖くて……ネスター先生にも
でも、結局今も、先生の屋敷に住んでいる。
──なぜって? ネスター先生は、人界一と言われる魔法使いだからだよ。
どこに逃げても、隠れても、魔法ですぐ見つけられてしまうんだ。
けれどそのうち、僕は、先生の奥さん……マイアさんになついていった。
僕を、本当の子供みたいにかわいがってくれたから。
シュネという名前をつけてくれたのも、彼女だ。雪の日に僕に会えたから。
そして、ヴィアラーは、彼女に子供が生まれたら、つけたかった名前なんだって。
でも……彼女は二月前、病気で死んでしまって、それからというもの僕は、ネスター先生と一緒にいることに心底うんざりしていた。
先生の屋敷が、魔法学院と同じ敷地にあるせいかな、学院にいるのと同じ感じがして、全然落ち着けないってこともある。
育ててくれた恩を忘れてはいないけど、先生のことは今も好きになれない。
だって、先生は僕を、哀れな、他に行き場がないから引き取った子供としてしか見ていないんだもの。
死にかけてたから、仕方なく助けただけで、すぐに孤児院かどこかの施設にやるつもりだったみたい。
だから、マイアさんが、僕と正式に養子縁組したいと言い出したときも、先生は反対した。
『もし、本当の両親が現れたり、記憶が戻ったりしたら、両親の元へ戻れなくて、シュネが悲しむだろう』って。
たしかにそうだし、マイアさんも何も言えなくなってしまった。
でも、今思うと、先生は、彼女の心臓が悪くて、長生きできないことを知ってたから、反対したんじゃないかな。
彼女が死んでしまったら、その後は先生一人で、気に入らない子供をずっと育てなきゃいけないんだもの。
こんな風に考えていくうち、賢者サマエルに会って自分の過去を取り戻したい、それが出来なくても、弟子入りして魔法の修業をしたい、っていう気持ちがどんどん膨らんでいった。
もし、何も思い出せなくても、今よりは、ずっとマシになれるはず。
さっさと一人前になれば、ネスター先生と住まなくてもよくなるしね。
そう思ったら、元気が出て来て、僕は授業にも出ることにした。
そして、休みの日には、情報収集をしに王都アロンにまで出かけた。
元々、記憶を取り戻す方法を調べに、アロンの国立図書館にはよく行ってたから、王都の地理には明るくなっていたんだ。
即位十三年記念の式典の直後で、王都でも賢者の噂で持ち切りだったし、僕が魔法学院の生徒だと知ると、皆喜んで話をしてくれた。
そのお陰で、十三年前のことについてはとても詳しくなったけれど、肝心のサマエルの行方については、皆目分からなかった。
何も収穫がないまま、数週間が経って、僕の苛立ちはピークに達しかけていた。
前みたいに、放課後教室に残って友達と無駄話をすることもしなくなり、話し掛けられても、そっけなくしか返事ができなくなっていた。
もう、どうでもよくなっていたんだ、賢者のこと以外は。
皆、付き合いが悪いと僕を敬遠し始めたけど、僕は気にもしないでいた。
それどころか、もうさっさと学院を出て、サマエル探しに専念しようかと思い始めていた……そんなある日。
「なあ、シュネ。お前、まだサマエルのこと調べてんだって?」
「そうだよ、悪いか」
僕は、ぶっきらぼうに答えた。
最近はつい、こんな話し方になってしまう。
でも、めげずに彼は言った。
「そうつっかかるなよ。
あのな、お前、高等科に、サマエルに会った上級生がいるってこと、忘れてねーか?」
「──えっ!? そんなのいたっけ!?」
僕は思わず、身を乗り出した。
「やっぱり忘れてたな、ほら、四年前に……」
「四年も前のことなんか忘れたよ、それよか、その人の名前教えて、何クラス!?」
僕は荒っぽく、話をさえぎった。
「オメガクラスの、スクライって先輩だけど……ホントに覚えてないのか?
戻って来た後、いきなり成績優秀になって、皆、驚いてさー。
しかもイケメン、女の子にもモテモテ……」
「あーもういいよ、ありがと、ケイル!」
この際、相手の顔も、成績も、どうでもよかった。
僕は、お礼もそこそこに、高等科の棟めがけて全速力で駆け出した。
灯台
でも、四年前って、何があったんだっけ。
ま、いいか、今はそんなの関係ない。
ともかく、高等科の教室に着き、上級生の一人を捕まえて聞いてみると、その人は図書室にいるという。僕はまたも走り出した。
「あ、あの、あなた、が、スクライ、先輩、ですか?
僕、シュネって、言います。
あの、賢者、サマエル、に、会ったこと、あるって、ホントですか!?」
息を切らして僕が尋ねると、分厚い本を広げて真剣に読んでいた上級生は、驚いたように顔を上げた。
肩にかかる、さらさらしたトウモロコシ色の髪、澄んだ青い眼。
聞いてはいたけど、想像以上の美形だった。
女性徒に人気があるってのもうなずけた。
「また、その話を蒸し返す気かよ。……まったく。
ホント迷惑してるんだ、とにかく静かにしてくれよ、勉強中だし、周りにも迷惑だ」
先輩は、うんざりしたように言った。
ぼくは慌てて小声になり、頭を下げた。
「あ、す、すみません、でも先輩、お願いします、ちょっとでいいんです、どうか僕の話を聞いて下さい!」
美形の上級生は、わざとらしくばたんと本を閉じ、それを棚に戻した。
「出よう。皆の邪魔になる」
「は、はい、すみません」
僕は、ぺこぺこお辞儀をし、他の生徒の視線を浴びながら、彼について行った。
左右を見回し、誰もついてきてないのを確かめると、上級生は空き部屋を差した。
「ここなら、邪魔が入らないだろう」
「あ、はい、そうですね」
中に入ってドアを閉めると、スクライ先輩は腕組みをした。
「──で? キミの話ってのは?」
「あ、あの、ですね、……」
どこまで話していいか分からず、僕はとりあえず尋ねた。
「そ、その……先輩は、賢者サマエルが、今どこにいるか知ってますか?」
「聞いてどうするんだい、そんなこと?」
つっけんどんに、彼は聞き返して来た。
「ぼ、僕、弟子になりたくて……サマエルの。だから、教えて下さい」
僕は頭を下げた。
彼はため息をついた。
「……キミもか。俺も一回しか会ったことないし、知らないよ、サマエルの家なんて。
それに、賢者の弟子なんて、簡単にはなれないと思うよ、諦めた方がいい」
「いいえ、諦めません! どうしても会いたいんだ、弟子になれなくてもいい、会って……」
「会って……? キミはどうしたいわけ?」
ぶっきらぼうに、先輩は
一瞬、僕はためらったけど、思い切って、今まで友達にも言えないでいたことを話すことにした。
「実は、僕……小さい頃の記憶がなくて。
学院長先生に拾われたの、五年前で、その前のこと、分かんないんです。
本当の名前も、どこに住んでたかも、両親のこととかも。
いつも、頑張って思い出そうとするけど、全然ダメで、頭の中、真っ白になって……。
だ、だから、賢者サマエルなら、僕の記憶を戻せるかもしれないって思って、それで、どうしても会いたくて、……」
僕は、たどたどしく、だけど、一生懸命説明した。
上級生は、驚いた顔になった。
「そうだったのか、記憶が……そりゃ真剣にもなるね。
ご免。俺、色々追い掛け回されててさ。また、興味本位かと勘違いしてたよ」
「い、いえ、僕こそ、いきなりすいませんでした。
でも、僕、自分が誰なのか、どうしても知りたいんです。
落ちこぼれだから、そりゃあ、魔法も習いたいけど、それより何より、まず、記憶を取り戻したくて。
そうしたら、魔法もちゃんと使えるようになる気がして……弟子になるのは、その後でもいいんです」
「そうか……」
スクライ先輩は、同情するみたいにうなずいた。
「そういや、前に、学院長先生が助けた子供を生徒にするとかって騒ぎになったこと、思い出したよ。
それがキミなんだね」
「ええ。ネスター先生とはまだ、正式には養子縁組はしてませんけど」
「そう。で、学院長先生は、キミの記憶を戻せなかったんだ?」
「はい。……っていうか、先生は、僕に……記憶のことでは、何もしてくれたことがないんです」
すると、先輩は、ものすごく意外だ、って顔をした。
「ええ? だって、魔力の高い人は、水晶球で相手の過去を透視できるんだぜ。
それに高等魔法を加えれば、記憶を取り戻すことだって出来るはずだ」
「えっ、それ、ホントなんですか!?」
僕はびっくりした。
ネスター先生は、今までそんなこと、一度も言ってくれたことがなかったから。
「ああ、俺は、まだやったことはないけど、理論上は可能なはずだよ。
……でも、変だな。なら、どうして、先生は……」
先輩は首をかしげた。
僕は、ちょっと考えて、答えた。
「……ひょっとして、マイアさんのためかも」
「マイアさんって、先々月亡くなった、学院長先生の奥さんだよな?」
「はい。彼女は僕のこと気に入ってくれて、可愛がってくれました。
先生は、僕の記憶が戻って出て行ったら、彼女が悲しむと思ったのかも。
だから……」
「……なるほどね。でも、もしそれが本当だったら、ずいぶん勝手な話だよな。
けど、ふうむ……」
先輩は、何か考えていた。
ちょっとして、彼は顔を上げた。
「じゃあさ、とりあえず、俺が水晶球で見てやるよ。
記憶を戻すことが出来るかどうかは分からないけど、キミが誰で、どこでどんな風に暮らしてたかくらいは分かるかもしれない。
そしたら、わざわざサマエルを探さなくても済むだろ?」
「ホ、ホント!? ホントに僕の昔のこと、分かるんですか!?」
僕は勢い込んで聞いた。
「もちろんさ、俺の家系は、代々水晶占いを仕事にしてきたから、俺も、他のことよりかは得意なんだ。
ああ……でも、今日はもう無理だな、時間も遅いし。それに、人目がない方がいいだろ?
アルファ実験室を借りとくから、明日の放課後、やってみようぜ」
先輩はそう言ってくれた。
「はい、よろしくお願いします!」
僕は天にも昇る気持ちになり、深々とお辞儀をした。