~紅龍の夢~

巻の五 THE MEMORY OF EMERALD ─緑柱石の記憶─

1.魔法学院(1)

「シュネ・ヴィアラー」
「はーい」
名前を呼ばれて、僕は、教壇のところまで行った。
受け取るとき、先生が声を低めて言った。
「学期末までこんな調子だと、高等科へ進級するのは無理だぞ」
(ちぇっ、そんなこと、言われなくても分かってら)
先生に聞こえないように、僕はつぶやく。

「おい、シュネ、シュネってば!
点数どうだったって聞いてんのに!」
「え! な、何だ、バルトか……あ、見るなよ!」
友達の声に我に返った僕は、持っていたテストを慌てて隠した。
「はん、その様子じゃ、また赤点だな?
……あれ、そう言や、中間も全滅だったんだろ? ヤバいんじゃねーのか」

「う、うるさいなー、しょーがないだろ、バルト!
この頃忙しいんだから!」
僕が叫ぶと、バルトはニヤリと笑った。
「へー、何が忙しいんだい? 夜遊びばっかりしてるからだろ!」
「ち、違う! スケベなお前らと一緒にするな、バカ!」
顔をしかめて、僕はもう一度叫んだ。

「……はぁああ……やっぱヤバ過ぎだよなぁ、この点数……」
再び、テスト用紙に眼を落とし、僕は思わず大きなため息をついた。
魔法実験はいつも失敗、呪文はなかなか覚えられず、覚えてたはずの呪文もすぐ忘れ、召喚魔法では、呼んでもいない召喚獣が出て来て暴れまくる……。
「僕、やっぱり魔法使いには向いてないのかな……」
僕は頭を抱えた。

「そんなに落ち込むなよ、シュネ。
オレ達は年々、減ってきてる数少ない魔法の素質がある者、つまりエリートなんだから、自信持てよ。
そのうち何とかなるって!」
ケイルが、そう言って励ましてくれた。
根はいいヤツなんだけど、そのエリート意識が強すぎて、ついていけないときがある。

「ま、人生七転び八起き、頑張っていきましょうや。
人生楽ありゃ苦もあるさ、ってね」
慰め顔にそう言って僕の肩をたたいたのは、ジン。
彼は、言うことがちょっとオジンくさい。
「もっとも、シュネ、お前は転んだらそのまんまで、起き上がって来れないみたいだけどな。
ハハハ!」
今度はキイトが冷やかす。

「ちぇっ! キイト、お前はどうなのさ?」
僕が睨むと、キイトは自慢げな顔でテストを広げた。
「よくぞ聞いてくれました!
ご開帳──!」
僕を始め、みんなが競って覗き込む。
「えー、ホントなの? その点数……!」
「はっひゃー、すっげえ──!
この呪文テスト、ちょーむずだったんだぜ、どーやったらンないい点、取れるんだよ!?」

「カンニングしたんじゃないのぉ?」
横から覗いた女の子が、わざと意地悪そうに言う。
僕はむっとした。
「言い過ぎだよ、エリン。そりゃキイトは軽いヤツだけどさぁ。
カンニングでいい成績取ったって、呪文使えなかったら困るのは自分なんだから」
「ちぇっ、軽いヤツってのはよけいだろ、シュネ」
「あ、そうか。ははは」

「ふうん? どうかしらねぇ……」
エリンはやっぱり、疑り深そうな眼差しで彼を見てる。
キイトは肩をすくめた。
「言いたいヤツには言わせとけよ、シュネ。オレがいい点取ったからひがんでるのさ」

「ひ、ひがんでなんかいないわ!
あんたこそ、いつも赤点スレスレのくせに、こんな難しいときに限って、いきなりいい点取るから、勘ぐりたくもなるのよ!」
「何ぃ~この、文句ばっかのガミガミ女!」
「なによ!」

エリンとキイトは睨み合った。まさに一触即発。
ま、こいつらは、いつもそうなんだけどさ。
僕は、くすくす笑いながら二人を見てた。

夫婦(めおと)漫才はいいから、ぼくにも点数見せてくれよ。
わっ、ホント、すげーや!」
二人に割り込んで、ケルビンがそう叫んだとき、先生がドアを開けた。
「こら、お前達、始業の鐘はとっくに鳴っているぞ!」

「あ、先生だ!」
机と椅子をきしませて、僕らは席に着く。
「では、昨日の続きからだ」
先生は、分厚い魔法書を広げて授業を始めたけど、このままじゃ進級が危ないってことで頭が一杯の僕が、授業に身が入るわけがない。

(やっぱり、僕、魔法使いには向いてないのかなぁ。
でも、ここを出ても行く当てもない……。
ちゃんとした魔法使いになれば、自分で記憶を取り戻すことができるかもって、それだけが唯一の希望だったのに……)
そう思ったら、急に気分が落ち込んで涙が出そうになり、先生の声も段々遠くなっていく。
色々悩んで眠れない日が続いていた僕は、つい、うとうとし始めた。

「おい、シュネ、起きろよ。もう放課後だぞ」
肩を揺さぶられて、僕は目が覚めた。
「──え、もう授業終わったの!?」
がばっと顔を上げると、ケイルのあきれ顔が目の前にあった。
「……まったく。この頃、寝てばっかだな」
「だって、眠いんだよ……ふあああぁ……」
僕は大きく伸びをした。

「ま、いいや。それよか、あの噂、聞いたか?」
「う、わしゃ……?」
まだぼうっとしてるせいで、舌がよく回らない。
「しっかりしろよ。今もその話してたんだぜ」
「……どんな話?」
ようやく頭がはっきりしてきた。

「おい、シュネがンな話、聞いてるわけないだろ」
キイトが口を挟む。
「そうだったな。
でもさ、シュネ。お前、黙ってるばっかりだから、余計、誤解されるんだぜ?
たまには……」

「何で、僕が、あんなヤツらと口利かなきゃならないんだよ!」
僕は、ケイルを睨んでやった。
正式ではないにしろ、僕は学院長の(やしな)い子だ。
それをねたんでるのか、僕を目の(かたき)にしていじめる連中がいる。
ま、大して気にしてないけどね。
きっと、先生達にえこひいきしてもらってるとでも思っているんだろう、バカなヤツら……。
現実は、そんなに甘いもんじゃないんだぞ。

そのせいやら色々あって、僕は学院の中で起きてることに、あんまり興味を持てないでいた。
誰と誰がくっついたの離れたの、喧嘩したのいじめられたのなんて話、どうでもいいやって思うのは、僕だけなんだろうか。

「あ、いや、続きだけど」
ケイルは慌てて話を戻した。
「これはかなり信憑性の高い話なんだ。
ルーンクラスのヤツが、宮殿に勤めてる親戚から聞いたっていうからな。
驚くなよ、シュネ。伝説の賢者が、まだ生きてたんだ。どうだ、すげー話だろ?」
彼は、鼻高々に言ってのけた。

「伝説の賢者……?」
僕は一瞬首をかしげたけど、誰のことか、すぐ分かった。
「ああ、サマエルか。千年以上も生きてるって言うけど、嘘くさいよな。
でも、どうして分かったんだい、生きてるって。その人が見たの?」
「そうそう」
ケイルは、勢いよく頭を上下させた。
「ほら、一週間前、女王陛下の即位十三周年記念の式典に、サマエルも招待されてたんだよ」

「ふうん。でも、何で、賢者が記念式典に招待されたの?」
「ああ、十三年前、アンドラス王の事件が起こったとき、ライラ様は、サマエルに助けを求めたんだって。
そこで、彼が魔物をやっつけて、国が救われたわけ。
女王様の即位の時も、もちろん来たそうだけど、今回も改めてお礼にって招待されたんだってさ。
それまで、どっかの山ん中で眠ってたんだって、二百だったか三百年」
「へーっ、よくそんなに寝てられたな」

「お前も人のこと言えないだろ」
隣にいたキイトが混ぜっ返す。
「うるさいな」
僕は彼を軽く睨んだ。
「でも、あの事件、たしかに大変だったみたいだけどね」
ケイルはうなずく。
「ああ。一国の王が魔物に操られてさ、戦争おっ始めるなんて、今考えても悪夢だよな」

国立魔法学院があるのは、砂漠に面したファイディー国の、リュケイオンという町だ。
あんまり裕福じゃないけど、砂漠のお陰で外国から攻め込まれる心配は少ない。
時々()きんとか、流行病なんかもあったけど、代々の王様がちゃんとしてたから、ずっと平和だった。
ところが、十三年前、王様が病気で亡くなり、アンドラス王子が即位した直後、異変は起きた。

その新しい王様が、突然おかしくなったんだ。
家来や、大臣達を地下牢に押し込め、ひどい場合は殺してしまったり。
しかも、それを止めようとした摂政のライラ様……お姉さんまで、殺そうとした。もう、滅茶苦茶だった。
どうやら、王様は魔物に取り()かれて、世界征服を企んでたらしい。
何でそんなこと考えたんだか、さっぱり分からないけど、ともかくその野望は阻止されて王様は死んでしまい、ライラ様が女王に即位した。
隣の国が攻めてくると大騒ぎた人もいたけど、女王様のお陰なんだろう、そうはならなかった。

僕は……もし、記憶があったとしても、まだ赤ん坊だったんだし、全然覚えてない。
当時、魔物なんてもう人界にはいないと思われていたから、まだそんな力のあるのが残っていたのかって、皆、驚いたらしいけど。
そうか、そのとき、魔物を退治したのは、サマエルだったのか。

「でも、賢者サマエルかぁ、いいよなー、僕も千年も生きてたら、絶対、もっと魔法がうまくなってみせんのにな!」
僕が言うと、ケイルが笑った。
「はは、お前なんか、何万年生きたってムリムリ!」
「ちぇっ、どうせ僕はデキが悪いよ!」
僕が、ぷうっとほっぺたをふくらましたところに、リンが近づいて来た。

「まあ怒るなって、シュネ。
独学でやるより、いっそのこと、サマエルに弟子入りしちゃえばいいんだ。
学校の先生なんかより、絶対色んなこと知ってるよ」
「──あ、それいい!」
僕は思わず大声を上げた。
賢者サマエルなら、僕の記憶を取り戻せるんじゃないだろうか。
そうも思ったけど、口には出さない。彼らには言ってないことだからだ。

「僕も行く!」
「オレも!」
「僕も!」
ケイルとキイトとリンが声をそろえる。
「よーし、皆一緒に行こう!」
「おー!」
四人は一緒に拳を突き上げた。

そうやって、盛り上がっていた僕らを、シビアな現実へ引き戻したのは、それまで黙っていたジンだった。
「落ち着けよ、お前達。
無理に決まってるだろ、そんな有名人、簡単に弟子なんか取らないって。
オレ達みたいな落ちこぼれ……っていうか、どんないい成績のヤツでも、断られるよ、きっと」
「え、でも、行ってみなきゃ分かんないだろ」
僕は、口をとがらせたけど、ジンはあきれたように首を振った。
「行くって言ってもさ、サマエルの家、誰か知ってんのか?」
「あ……」

知るわけがない。どうやって探したらいいかも分からない。
女王様は知ってるだろうけど、お城に行ったって気軽に会えるわけないし、たとえ会えても、そんな重要人物の家、僕らになんか簡単に教えてくれるはずないよね。

「……あーあ、いい考えだと思ったのにな……」
僕は、心底がっかりして机に突っ伏した。
「よく考えたら、場所が分かんなきゃ、頼みに行きようもないよな」
ケイルも同意した。
「残念だけど、諦めるしかないね……」
キイトも、ため息交じりに言った。

「あ、もう暗くなりかけてるぜ、そろそろ帰らないと」
リンの言葉に、気づくと日はもうとっぷり暮れて、窓の外には夕闇が迫っていた。
「あー、腹減った。帰ろうぜ」
「そうだな、帰ろ」
話は自然と立ち消えて、皆帰宅していき、僕も仕方なく、とぼとぼと学院の隣に建ってるネスター先生の家に向かった。