~紅龍の夢~

巻の五 THE MEMORY OF EMERALD ─緑柱石の記憶─

プロローグ/白い闇

白い結晶が、後から後から男の厚いローブに降りかかる。
男は家路を急いでいた。
吐く息は凍り、その冷たさとは裏腹の、ほのかに桜色がかった雪雲が、空を覆い尽くしている。
雪明りに、ほの白く浮かび上がる周囲の情景は幻想的で、気が急いてさえいなければ目を奪われてつい立ち止まってしまったことだろう。

(……すっかり遅くなってしまったな。今日中に帰ると言っておいたのに。
マイアは心配性だから、気をもんでいなければいいが)
つぶやいたそのとき、男の足がぴたりと止まった。
子供の声を聞いたような気がしたのだ。

(はて、こんな雪の夜中、人家の灯りもない山の中で、子供の声がするとは……?)
辺りを見回しても耳を澄ましても、降り積もる雪が音を吸収し、すべてが静まり返っていて何の気配もなかった。

(……幻聴か。人恋しさが、声を聞かせたのだろう)
諦めて再び男が歩き出そうとした、そのとき。
右眼の隅で、緑色の光が(ひらめ)いた。
「──む!?」
男はとっさに、方向を転換した。

雪を蹴散らし、息を切らして、ようやくその場所にたどり着いたはいいが、輝きはすでに消え、白い闇が広がっているばかりだった。
「……気のせいだったのか? いや、たしかにここらで光っていたはず……」
魔法使いである彼、ファイディー国立魔法学院の長であるネスターには、分かっていた。
あれは間違いなく、魔力の輝きだった。

(こんな人気のないところで、誰かが魔法を使った……?
関わらない方がいいかも知れないが……何か気になる。
とりあえず、魔力の出所を見極めておくとするか)
ためらったものの、彼は魔力の残滓(ざんし)を探るため、感覚を研ぎ澄ましてみることにした。

かすかな手ごたえがある。
「──そこか!」
駆け寄る先に、少し盛り上がった雪の(かたまり)があった。
「おい、誰かそこにいるのか!?」
声をかけると、応えるように内部で緑の燐光が明滅した。
「今助けてやるから!」
ネスターは急いで雪を掘り起こした。

その下から出て来たのは、胎児のように体を丸めた子供だった。
「大丈夫か、君、しっかりしなさい!」
彼は子供を揺さぶったが、固く眼をつぶったままで、意識はない。
がたがたと震える小さな体は、氷のように冷え切っていた。

「いかん、まだかろうじて息はあるが、凍死寸前だ。
学院まではまだ遠い……人を運ぶとなるとかなりきついが、そんなことは言っていられない……!
頑張るのだぞ、君。──ヴェラウェハ!」
ネスターは子供を抱き上げ、呪文を唱えた。