~紅龍の夢~

巻の四 THE RED DRAGON'S SEAL ─紅龍の封印─

エピローグ/復活

漆黒のローブを身にまとった二つの人影が、聞きようによっては歌のような、不思議な響きの呪文を唱え続けている。
ここは、広大な敷地を持ち、カオス城の別称を持つ紅龍城──サマエルの居城の一室だった。

長い呪文の詠唱が終わると、魔法陣が金色に激しく輝き、中央に人影が浮かび上がる。
それは、鮮やかな紅い髪と眼を持つ少年だった。
「やったよ、サマエル! 成功だ!」
リオンは、喜び勇んで走り寄っていったが、魔法陣から一歩踏み出したダイアデムの瞳は、怒りで激しく燃え上がっていた。

「お前ら! どうして……なぜオレを、また呼び戻したんだよ!?
そんなにオレを苦しめたいのか、お前らは!」
「ええっ? ダイアデム、ぼくは……そんなつもりは……ぼくらはただ……」
「言い訳なんか聞きたくない! お前らの顔なんか二度と見たくない、オレは出ていくからな!
止めたらぶっ殺してやる!」

予想外のことに、リオンは、相手が怒る理由が分からず、ただおろおろしていた。
「……ど、どうして? ねぇ、ダイアデム、何でそんなこと言うのさ!
それに、どこに行くつもり? 出てかないでよ、せっかく……」
「──るせぇ! このガキめ、余計なことばっかしやがって!
どこに行こうとオレの勝手だ、そこをどけ!」
ダイアデムは、彼を乱暴に押しのけた。

その時、それまで黙っていたサマエルが、初めて口を開いた。
「リオン、ここは私に任せてくれないか」
栗毛の少年は、ほっとしてうなずいた。
「うん、お願いするよ、サマエル」

「……ダイアデム、少し落ち着いて話を聞いてくれないかな……」
「い、嫌だっ! 来るな!」
歩み寄ろうとしたサマエルは、宝石の化身が激しく拒絶し身を退いたので動きを止め、少し距離をおいたまま、なだめるような声を出した。

「お前が出て行きたいと言うのなら、私は止めない。
けれどね、リオンの気持ちも分かってやってくれないかな。
とても楽しみにしていたのだよ、お前が還ってくるのを……ライラもだ。今は人界にいるけれど。
皆、お前が好きだから、友人として出来るだけのことをしようと思っただけなのだが、余計なことだったのだろうか……」

「サマエル、一番楽しみに……っていうか、一番一生懸命だったのはあなたでしょう!
タナトスから許可もらうのに、すごく苦労して……」
思わず口を挟んだリオンを、ダイアデムはきつい目つきで睨んだ。
「オレはンなコト頼んじゃいない! オレを戻せ、暗闇の安らぎの中に!
すべてが終わり……苦しみも悲しみも終わりを告げ……やっと、楽になれると思ったのに!
目覚めてることさえ許しがなけりゃできねーような、がんじがらめの窮屈な毎日に戻れってのか!?
お前らはまた、オレを縛りつけ……無理矢理言うこときかせるつもりなのかよ!?
──あんな生活はもう、うんざりだ! オレは戻らねーぞ、絶対に!」

「お前は自由だよ、ダイアデム。
お前にはもう予言の力はないし、魔界の象徴として“王の杖”と呼ばれることも、もはやない……」
サマエルは、沈んだ口調で言った。
「……なに……? そりゃ一体、どういう意味だよ?」
ダイアデムは戸惑い、初めて見るように第二王子の顔を凝視した。

「お前を復活させるにあたり、少し能力を変えさせてもらったのだ。
“焔の眸”よ。お前は呼び出す者が思い描いた通りに、姿形だけでなく、その能力もが変化する。
お前は、すでに消滅したことになっているのだから、今後は公式の場に出ることはないし、予言の力も、お前を苦しめるだけなのではないかと思ってね。
タナトスとも話し合い、魔界王家の守護精霊としての任も、正式に解くことにしたのだ。
お前はもう自由だ、どこへ行こうと何をしようと、お前の意志を妨げるものはない。
好きにしていいのだよ、だから、私は、お前が行くのを引き止めない」
サマエルは、静かに、だが、きっぱりと言い切った。

「…………」
眼を見開いて聞いていたダイアデムは、話が終わると顔をうつむかせ、その内容を噛みしめているようだった。
その表情は、ほどけかかった紅い髪に隠されてよく見えない。
沈黙の時間が過ぎていき、サマエルとリオンは静かに待った。

やがて、宝石の化身は話し始めたが、二人の方を見ようともせず、その口調は重かった。
「話はよく分かった……。オレはもう、魔界じゃお払い箱……汎魔殿からおん出されて、サマエルに拾われて人界へ行かなきゃなんねーんだな……。
好きなトコへ行けって言ったって、結局は、そーゆーコトなんだろ?
けど、お情けで拾われて、また使い魔として拘束されんの、いくら相手がお前だって、オレ、もう嫌なんだ……。
サマエル、お前にゃ悪いけど、やっぱ、一緒には暮らしたくない。
だって……それじゃあ、今までとおんなじじゃねーか……!」
瞳で燃える炎のかすかな揺らめきが、微妙な彼の心持ちを映し出しているようだった。

リオンが再び口を開きかけるのを、サマエルは目顔で制した。
「私はね、使い魔としてではなく、友人として、お前と一緒にいたいと思っているのだよ。
でも、私といるのが嫌だというのなら、無理強いはしない。
人界では、神族に捕まるかも知れないから、魔界にいた方がいいとは思うが、それも強制はしないよ。
好きなところで、自由に暮らせばいい」
「うん、そうする。……じゃな」
“焔の眸”の化身は小さくうなずき、肩を落としたまま足取りも重く、ドアに向かって歩いていく。
リオンは、涙があふれてくるのを感じたが、止めても無駄だと分かった今、言葉は出なかった。

しかし、紅毛の少年の細い肩がかすかに震えているのを、サマエルは見逃さなかった。
華奢な手が、ドアノブにかかる瞬間を見計らい、彼は静かに声をかけた。
「せめて、どこへ行くつもりなのか、教えてくれないかな」
ダイアデムは動きを止めたが、振り返らないまま、冷ややかに聞き返した。
「くっ……! 未練がましいぞ、サマエル。聞いてどうすんだ、追っかけてくるつもりかよ」

「いや、そんなことはしない。そこでお前が、幸せでいるかどうかと考えるだけだ……。
想うことすら、私には許されないのか……?」
悲しみを隠すことはせずに、サマエルは答える。

ダイアデムは、ノブから手を離した。
「ふん、勝手に想像してろ! オレは、オレのしたいようにする、誰が何と言おうとな!」
紅毛の少年はそう叫び、振り返って第二王子を睨みつけた。
その紅い瞳には黄金の炎が、挑戦的な輝きを帯びて渦巻いている。

それから、ダイアデムは、左の人差指を立て、勢いよく床を指さした。
「オレがこれから行くのはココ、お前ん城のいっちゃん下だ。
けどお前ら、今日はもう邪魔すんじゃねーぞ! オレは、これから寝るんだからな!
──ムーヴ!」

先ほどまでの険しい表情は嘘のように消え、その澄んだ声も、いたずら小僧めいた瞳の輝きも、サマエルとリオンが知っている、いつもの彼だった。
頬に浮かべた不敵な笑いと共に、ダイアデムは、二人の視界から消え去った。

リオンは、あっけにとられ、ごしごしと涙をふく。
「な、何だよ、散々脅かしといて……!
あいつ、初めっから、どこにも行くつもりなんか、なかったんじゃないのか……?」
サマエルは、首を横に振った。
「そうではない……と思うよ。
彼は、最初は本当に、我々の前から姿を消すつもりでいたと思う。
私と一緒にいるように無理強いしていたなら、きっとそうなっていただろう……。
ダイアデムは、何事によらず強制されたり、誓いや約束事で縛られたりすることに、もうすっかり嫌気が差していたようだったからね」

「それにしたってさ、あいつときたら……まぁったく、天邪鬼なんだから!
でも、よかった! さすがだね、お父さんは。ダイアデムのこと、とてもよく分かってるんだなあ。
これで、ずっと一緒にいてくれるよね?」
リオンは心底安堵した様子で言った。

「すまない、お前にはずっと、心配をかけ通しだったね……。
でも、ダイアデムを悪く思わないでやってくれないか。
彼は、自分が復活出来るとも……また、そうしてくれる者がいることすら、夢にも思わなかったから、驚いてしまったのだろう。
落ち着くまで、一人にしてやった方がいい。
彼が、真に望んでいたのは、自由の身になってどこかへ行くことではなく、自分の意志で……自分がここにいたいからという理由で、我々と一緒にいることだったのではないだろうか……」
サマエルがすまなそうに言うと、リオンは肩をすくめた。

「あなたが謝ることないさ。ダイアデムの性格はよく知ってるし。
それに、ぼくのことなんか、あいつの眼には入ってもいないことは、賭けてもいいよ。
彼が、いたいと思ってるのは、“あなたの”そばなんだから。
だけど、あいつ高慢ちきだから、一緒にいると苦労すると思うなぁ、大変だよ、きっと……」

サマエルは、くすっと笑った。
「刺激があっていいだろう? 少なくとももう、退屈することはないよ」
「……はは、それもそうかな。まあ、仲良くやってよ」
サマエルが楽しそうな顔をしているのを見るのは、ずいぶん久しぶりだった。
喜んでいる彼の心が伝わってきて、リオンは、自分の心も温まっていく気がしていた。

「じゃあ、ライラが心配してると思うから、もうぼく、行くね。
彼が起きて来て、ぼくに会ってもいいと言ってくれたら、教えて。
今度は、ライラも連れてくるよ」
「ああ、彼女によろしく。“焔の眸”は、ちゃんと復活出来たと伝えてくれ」
「うん、それじゃまた。
──ムーヴ!」

リオンの姿が消えて、一人後に残った魔族の王子は、しばし微動だにせず、灯りの消えた部屋にたたずんでいた。
夜も()けた今、役目を終えた魔法陣も輝きをすでに失い、数々の魔法アイテムも、漆黒の闇に沈み込んでいる。

それでも、サマエルの邪眼は、何層にも重なり合う鍾乳洞の暗い空間をもろともせず、最下層で妖しい輝きを放射している、甦ったばかりのダイアデム──“焔の眸”の化身──その美しさに、いつまでも釘付けになっていた。

The End.