~紅龍の夢~

巻の四 THE RED DRAGON'S SEAL ─紅龍の封印─

19.予言のひずみ(3)

「信じようが信じまいが、事実だ。俺は嘘など言わん」
憮然(ぶぜん)とした表情のタナトスには構わず、第二王子は頭をひねった。
「ふうむ……。そして、その赤ん坊は“火閃(かせん)銀龍”と名乗り、瞑目(めいもく)したと言うのだな……?
しかし、“(かなめ)石の予言”では、儀式で“紅龍”の心臓を食らった魔界の君主……つまりタナトス、お前が、“火閃銀龍”に変化(へんげ)するはずなのだろう?
では、その子供は何者なのだ?
『予言がひずんだため、生まれることが出来なかった』とは、一体どういうことだ……?」

魔界王家の紋章となっている“火閃銀龍”は、四色の頭を持つことから、“四頭龍”とも呼ばれ、暴れ狂う紅龍を、唯一支配出来るとされていた。
そして、“要石の予言”とは、巨大な汎魔殿の礎石に古代の文字で刻み込まれた、この龍に関する予言のことである。

『──永劫(えいごう)(とき)の果て、四ツ首の火閃銀龍、覚醒したりなば、対の(まなこ)(みは)りて、(あお)き大地にて祈りを捧げよ。
さすれば、天地に()まいし者、ことごとく我らが力となりて、那由多(なゆた)の刻、平安を(むさぼ)りし仇敵(きゅうてき)を討つ。
白き翼と黒き翼、()じりし刻にこそ、宿願は叶い、(まが)つ影取り払われ、我ら呪いより解き放たれん──』

この序文の下に、“紅龍”となるべき者の資格、“火閃銀龍”に変化(へんげ)する王の条件、儀式の方法、惑星の位置等が謎めいた文章で記されていた。
それによると、紅龍は火閃銀龍の(えさ)であり、生け贄の儀式において紅龍の心臓を食らった王が、伝説の龍へと変化する。
この無敵の龍の力により、魔族は、神族との戦に勝利し、故郷ウィリディスを奪還出来るのだという。

予言は、(いにしえ)の魔法で厳重に封印されており、碑文を読むことが可能なのは、魔界王と双子の“眸”達、それに、カオス神殿の司祭と紅龍を射る役の女性、この四名に限られる。
サマエルは、紅龍の試練を経て“カオスの貴公子”になった直後、そして、無論タナトスも、戴冠式の後に碑文に眼を通していた。

長い間、魔族がよりどころとしてきた、この古き予言が変わってしまったというのか。
魔族には、もはや未来はないのだろうか、自分と同様に。
どう考えても不吉な出生に、サマエルは動揺し、珍しく不安げな面持ちで兄に視線を注ぐ。

「何をうろたえている。どうせ、その頃には、貴様は俺に食われて死んでいるのだ。
気に病む必要もあるまいさ」
タナトスは、せせら笑い、弟の整った顔に、ぎらつくナイフを突きつけた。
「……それもそうだな。魔界の未来がどうなろうと、死んでいく私には関係がない。
伝説の偉大な龍を一目見てみたいものだが、まずは私が食われなくては出現しないのだから、それも無理か……」
第二王子の声は沈んでいた。

少しの間、手にしたナイフをもてあそんでいた魔界の王は、やがてそれをテーブルに戻し、今までとは打って変わって、穏やかな声で話し始めた。
「なあ、サマエル。そんな大昔の(こけ)むしたような予言を、無闇(むやみ)に信じていてどうなるというのだ?
もはや予言など不要だ、と知らしめるために、あの子供が生まれてきたのだとすると、あながち不吉な出来事というわけでもあるまい、そう俺には思えるのだがな」
いつになく柔らかい兄の口調と眼差しに戸惑い、サマエルは首をかしげた。
「……しかし、魔族は、昔からそうして来たのだぞ。
今さら、予言をよりどころとせずに、どうやって危機を乗り切るというのだ?」

すると、魔族の王は居住まいを正し、弟を真正面から見据えた。
「安易に予言を頼るのは間違いだと言っているのだ。
考えてみろ、俺に対する予言すら外れているぞ。
思ったことはそのまま口にし、おのれの欲望を最優先させるが、それでも俺は、女神が言ったような、残虐無比な王ではなかろう?
当たらん予言など、信じてどうなる」
サマエルは微笑んだ。
「たしかに、お前に関しては外れたね。今日みたいに、優しいときもあるし」

「何……」
タナトスは一瞬、照れたような顔をしたが、すぐに続けた。
「ふん。次に、朱龍……リオンの存在だ。
驪龍(りりょう)(黒い龍)と紅の兄弟龍、朱と(みどり)の龍を従えて立ちし暁に、宿敵との戦に勝利する』という予言は、死の間際、母上が、女神の言葉として伝えたものだそうだ。
だが、要石には、この“四色の龍”の記述はまったくないぞ」

「……ふうむ。それにあの碑文からは、“火閃銀龍”一頭だけで天界に勝利する、と読み取れるが、後者では、龍が四頭いて、その龍達によって戦いに勝利する、と言っているように思えるな……?」
考え込みながら、第二王子は答えた。

「その通りだ。貴様、この二つの予言、そして矛盾をどう考える?」
タナトスは鋭く突っ込み、サマエルは首を横に振る。
「……正直なところ、まったく分からないよ、私には。
そもそも、今まで、予言の内容に疑問を持ったこともないしね」

「では、今回の件はどうだ?
“焔の眸”は、おのれの最期を予見したが、復活までは予知出来なかった。
片手落ちではないか?
……まだあるぞ。
“焔の眸”が貴様に消された直後、突如、“黯黒の眸”の前にアナテ女神が現れ、『こたびの件は、“予言のひずみ”により生ぜしもの。“焔の眸”の消滅は、未来が消えると同じ。ぜひとも取り戻さねばならぬ』
……そう言って、復活の術を授けたというのだ。
ヤツも、女神に直接会ったのは久方ぶりだと驚いていたが」

「アナテ女神が顕現(けんげん)なされて、みずから蘇生術を授けただって? 
……予言のひずみ? 未来が消える?
ふうむ……一体全体、どういうことなのだろうな……?」
サマエルは、当惑のし通しだった。

タナトスは肩をすくめた。
「叔母上にも尋ねてみたが、貴様同様、まったく分からんと言っていた。
しかし、俺は思うのだがな、予言とは確定しているものではなく、状況によって変化するものではないのか?
あるいは、俺の場合と同じく、元から二通りあったのかも知れんしな」

「予言が変化する……あるいは二通りある……?」
サマエルは、不思議そうに聞き返す。
「そうだ。ジルから聞いたはずだぞ、俺の未来は二つあると、シンハが言っていたと」
「ああ、たしかに。だが……」
言いよどむサマエルの言葉尻を捕らえ、タナトスは続けた。
「だが? 貴様は俺と違って“別の道”を見つけられず、ただ状況に流されているだけではないか。
それゆえ、シンハの代わりに母上や女神までが出張って来たように、俺には思えるがな」

「けれど、それならもっと前に、シンハがそう言っているはずだろう。
第一、そうも簡単に、予言を(つくがえ)せるものなのだろうか……?」
サマエルは首をひねった。
「──まだ言うか、俺を見ろ、予言が一つだろうとそうでなかろうと、努力すれば、未来は変えられるのだ!
そして、リオンだ! 未来を信じ抜き、死に物狂いで闘った結果、貴様を正気に戻し、ライラをも救った!
分からんのか、あと一匹、碧龍とやらを探し出せれば、天界に勝利出来る!
そうすれば、下らん儀式も、生け贄も、まったく不要、いらんのだ!」
タナトスは苛立ち、テーブルを叩いた。

「……なるほど。お前の考えに沿っていけば、生け贄は不要なわけだ。
それはそうだが、……」
まだ半信半疑でいる弟に向かって、今度はタナトスは、にやりと笑いかけた。
「つまり、今、貴様が“焔の眸”を手に入れたなら、それこそ、貴様本来の寿命が尽きるときまで、共にいられる可能性があるということだ。
──どうだ、欲しくなっただろうが、“焔の眸”が!」

「改めて言われなくとも、欲しいに決まっているさ。
“焔の眸”を……自分が壊してしまったのだと思うだけで、体が震えて来てしまうほどにね……」
サマエルは、ゆっくりと頭を振った。
さらさらと、美しい銀髪が揺れる。

「だが、お前の考え通りとは限らない……念のためと言うこともある、やはり生け贄は捧げた方がいいのではないか?
それに、多分、私などに関わらない方が、“焔の眸”も幸せだ。
今でもいいし、儀式の時でもいい、復活させた後は、静かに宝物庫で暮らさせてやってくれ……」

「つべこべ言うな、これが欲しくないのか!
──カンジュア!」
タナトスは、()れたように呪文を叫び、弟の鼻先に、呼び寄せた物を突きつけた。
それは、“焔の眸”とまったく同じ構造、組成(そせい)を持ち、シャンデリアの光を反射して(まばゆ)い輝きを放つ、大人の握り拳ほどもある透明な鉱物の結晶体──魔界の至宝、“(めし)いた眸”だった。

「……三つ目の“眸”か。
道理で、今まで意思を持たなかったわけだ、こんな用途があったとはね……」
思わず、サマエルは、宝石に向かって手を伸ばす。
その白い指先が触れる寸前、タナトスは素早く石を取り上げた。
「ふん、それみろ、やはり欲しいのだろうが!」

第二王子は、あきれたように額に手を当てた。
「……まるで子供だな、お前。
渡す気があるのか、ないのか、どちらなのだ?」
「俺の出す条件を飲んだら、渡してやるさ」
得々とタナトスは言った。

サマエルは、ため息をついた。
「……また条件か。
それで、私がぜひとも欲しがるようにと、わざと予言の話をしたのだな。
分かったよ、それを飲んだら本当に、“盲いた眸”……とそれから、先ほど渡した二つの石、全部もらえるのだろうね?」
「ああ、無論だ、くれてやるとも。俺は魔界の王だぞ、二言はない」
うれしそうに、タナトスは答えた。

「──で、その条件とは?」
「簡単なことだ。一週間以内に俺を満足させろ。それだけだ」
意外な条件に、サマエルは一瞬虚を突かれた。
「え?」
「聞こえなかったのか、俺と寝て、満足させろと言っているのだ」

第二王子は、兄をまじまじと見詰めた。
それから、こんなやり方ではあっても、本気で兄が自分に生きる希望を持たせようとしているのではないかと思いついた。
今までの会話や、出された料理も、その意図に基づいたものなのだろう。
見事なまでに自己中心的だった幼少時代から考えれば、想像もつかない変貌(へんぼう)振りではあったが、様々な経験を通して、兄も少しは成長したとみえた。
(タナトスもこの二千年、無駄に過ごしていたわけではない、か)
彼はつぶやいた。

「どうした、自信がないか」
タナトスは、弟の顎に手をかけ、その顔を覗き込んだ。
「何度も貴様を抱いているが、“ヴェルヴェットの夜”とか言われる理由が、さっぱり分からん。
たしかに、顔は女のようだし、抱き心地も悪くはないがな」

「ああ、そういえば……お前、本気の私と寝たことがなかったね。
いつも、私を気絶させた後で抱いていたものな。それでは分かるはずもないさ。
そんな条件なら、お安い御用だよ、タナトス。
なぜ私が、そう呼ばれるのか教えてあげよう……ふふ、だが、お前、七日ももつかな……?」
サマエルは(あで)やかに笑い、兄の手を外して立ち上がると、部屋着をするりと脱いだ。
「ま、待て、これを食ってから……」
タナトスは、急ぎケーキの残りをかき込む。

火閃銀鉱 実在する鉱物。Pyrostilpnite 詳しくはブログにて。
多胎(たたい)妊娠
二人以上の胎児を同時に妊娠していること。胎児の数により、双胎・品胎(ひんたい=三児)・四胎などと呼ぶ。
あたわず できない。
瞑目(めいもく) 目を閉じること。目をつぶること。 安らかに死ぬこと。