~紅龍の夢~

巻の四 THE RED DRAGON'S SEAL ─紅龍の封印─

18.希望を超えて(1)

しばらくして。
王女が落ち着いたと判断した魔界王は、サマエルに向かって指を突き付けた。
「ライラ。ジルが、こいつを選んだ理由を聞いたのだったな。
簡単なことだ、サマエルは彼女の師匠で、いつも行動を共にしていたのだ、情にほだされたというか、尊敬の念とやらが愛情に変わった、とか言うところだろう」

「たしかに、それもあるでしょう。でも、ジルは、こう考えたのかも知れません。
『タナトス様が求愛して来たのは、自分のことを特に好きなわけではなく、魔力の強さに魅きつけられただけではないのかしら?』と……」
タナトスは、さっと顔色を変えた。
「そ──そんなことはない! 俺は、彼女を、ジルを本当に愛していたのだ!」

「ですが、先ほど仰っていましたわね、イナンナのことも別に嫌いではなかったと……。
これは、あくまでも仮定ですが、もし、ジルに力がまったくなく、イナンナの方に、強力な魔力が備わっていたとしたら?
それでも、あなたは、ジルをお選びになったでしょうか?
いかがです、タナトス様」

人間の王女に、まっすぐな眼差しで問われて、魔界の王は答えに詰まった。
そんな風に考えたことは、一度もなかったのだ。
「……むむ……だがそれは、あくまでも仮定に過ぎん。ジルがそう考えたとは限るまい」

タナトスのためらいも気にかけず、彼女は容赦なく続けた。
「……そうでしょうか? 女性だけではなく、誰でもが、ずっと自分を愛し続けてくれる人を求めるものだと思いますが。
『もし、タナトス様と結ばれた後に、自分より魔力の強い女性が現れたら?』と、彼女が考えなかったとは言い切れないでしょう?
ですが、サマエル様なら……魔力も、寿命さえ犠牲にしても、自分を選ぶと言って下さるお方なら、きっと大丈夫だ……そう、彼女は思ったのでは?」

王女の言葉に、タナトスは唇を噛み、拳を握り締めた。
「……ジルはそう考えて、俺を選ばなかったと言うのか?」
「その可能性もある、と申し上げているだけです。
いずれにせよ、ジルのことで、サマエル様を責めるのは、お門違いですわ。
いくら師匠だったと言っても、サマエル様を伴侶に選んだのは、彼女なのですから」

ライラの話は筋が通っていた。
タナトスも、それは認めざるを得ない。
いつもは自信家で、魔界ではほとんど言い負かされたことのない魔界王だったが、人界の王女に痛いところを突かれてたじたじとなり、自信が揺らいでしまっていた。

「……ジルとイナンナの立場がまったく逆だったら……、たしかに、俺はイナンナを(めと)っていたかも知れん……。
しかし、それは仕方がないことなのだ。
俺は、魔界の王を継いだ身……強い子孫を残す義務がある。
それは、俺の感情などより優先される、ないがしろには出来ん義務なのだ……。
だが、そのせいで、俺はジルを得ることが出来なかったと言うのか、イナンナ。
いや、キミは、ライラだったな……。
そうやって、手を組み合わせ、緑の瞳で俺を見つめているところなどは、本当にイナンナに生き写しだ。
彼女が甦り、俺を責めてでもいるかのように感じてしまうくらいだ。
イナンナには、その……ずいぶんと、悲しい思いをさせてしまったようだからな……」

タナトスは、彼にしては珍しく眼を伏せたが、ライラの方は、必要以上に彼を責めたりする気はなかった。
「わたしも王家の者……血を次世代へとつなげていく義務は、わたしにもあります。
タナトス様のご心中も、お察し致しますわ。
ですから、わたしは、責めているわけではないのです、きっと、イナンナも同じだと思います……ただ、ダイアデムが……」
「む? あやつがどうしたというのだ?」

「さっき、夢を見たのです。その中で、彼はわたしに言いました。
『死んじゃダメだ、ライラ、リオンを独りぼっちにしないでくれ!
それにキミが死んじしまったら、サマエルは自分自身を許すことが出来なくなっちまう。
それから、タナトスがまたサマエルをいじめてるから、これこれこう言って仇をとってくれよ。
そうすりゃ、イナンナの恨みも一緒にぶつけられるだろ』と……。
『生きていたのね、よかった……』わたしが言うと、彼は首を振り、
『オレはもう逝かなくちゃなんねー。皆に伝えてくれ、オレには魂なんてないから、生まれ変わることも出来ねーから、オレのことなんかさっさと忘れて、楽しくやれよって』
そこで、眼が覚めました……」

それを聞いたサマエルは、密かに歯を食いしばった。
(ああ……今さら、お前を忘れることなど、出来るわけががないだろうに……!
一目見たときから、心魅かれていた“焔の眸”よ。
シンハとして現れる以前から、お前の輝きは、私の心に、深く刻み込まれてしまっていたのだから……!)

「ちっ、あいつの入れ知恵か! 最後の最後まで、お節介なヤツだ!」
タナトスは、渋い顔で忌々しげに舌打ちした。
だが、彼とて魔界の王。冷酷ではあったが、愚かではない。
弟サマエルの場合、母が死んだことにせよ、魔法が使えなかったことにせよ、自分の責任ではないことが原因で冷たく扱われたあげく、嫌悪の対象としか感じられない存在になったのかも知れなかった。
しかも、兄として守ってやることも出来たはずなのに、彼自身も弟を追いつめるのに加担していたのだ。

もはや、それ以上は言葉を発せず、手を取り合ってじっと自分を見つめているリオンとライラ──少年の栗色の髪と瞳、そして少女の銀髪と緑の瞳に、かつて自分と深い関わりがあった二人の女性の面影を見、今までのことを考え合わせた彼は、諦めたようにため息をついた。
「よく分かった、ライラ、リオン……そして、まだそこら辺にいるやも知れん、お節介焼きめ!
ならば、たまには兄らしいことでもしてやるとしよう。サマエル、俺の魔力を返せ!」

その言葉に、サマエルは黙って片手を上げ、掌を兄に向ける。
タナトスも同じポーズをした。
「──オルゴン!」
二人の手の間に青白い稲妻が走ると、タナトスは、体に力が戻るのを感じ、思わず大きく伸びをした。

「よーし、いいぞ!
では、特大のアメ玉でもくれてやるとしようか、我が弟よ。
これでもしゃぶって、機嫌を直すがいい!
──魔界の宝物庫に眠りし、大地の秘法を宿らせしものよ!
魔界の君主サタナエルが汝に命ずる、我が召喚に応え、幾千の遙けき距離を越え、()く人の世界へと顕現(けんげん)せよ!
──アルター・アイデム──コーザ サイニー クウェイ ナン!」
その刹那、タナトスの手の上に、光り輝く物体が現れた。

「サマエルは、もう大人なんだぞ、アメ玉なんかもらったって……」
あきれるリオンに、タナトスは、魔界から呼び寄せた物を放り投げた。
「そら、貴様からヤツに渡してやれ」
「えっ──何、いきなり!? わ、やばっ……」
どうにかそれを受け止めたものの、掌から滑り落ちそうになり、リオンは、焦って金の鎖をつかんだ。

「あ、これ……?」
鎖の先に下がっていたのは、深紅の内部に黄金の炎が輝く貴石だった。
ライラは、自分の胸元を押さえた。
「まあ、わたしのと同じ……あ、ひょっとしてこれ、ダイアデムの左眼ですか?」
「ふん、これでそいつも、甘ったれた声で、生きていたくないだの、殺してくれだの言うのはやめるだろうさ」
そっけなく、タナトスは言った。

「なーんだ、そういうことか。どうぞ、サマエル」
「ああ……ありがとう……」
震える手で、ペンダントを受け取ったサマエルは、妖しい輝きを今も失わないでいる宝石に、唇を押し当てた。
それに応えるかのように、貴石の内側に揺らぐ炎が黄金色に激しく燃え上がった瞬間、禍々しい念話が全員の頭の中に響き渡った。

“魔界王サタナエル、並びに混沌(こんとん)の貴公子よ。
嘆くには及ばぬ。『焔の眸』は、未だ消えてはおらぬゆえに”
「……その声は、“黯黒(あんこく)の眸”だな?
“焔の眸”は、ついさっき、サマエルがたたき壊したばかりだぞ。
貴様、また何を企んでいる?」
タナトスは、不審そうな表情を隠そうともしなかった。
“左様に用心せずともよい、サタナエル。
無論、我とて、『焔の眸』の気配が消えたは、承知致しておる。
なれど、そは真の死に(あら)ず”

「……どういう意味だ?」
タナトスを始めとした人々が首をかしげる中、サマエルだけがいち早く、その言葉の意味するところを()み取っていた。
「では、“黯黒の眸”、お前は“焔の眸”を(よみが)らせる方法があると言うのだな」
「何っ、ヤツを蘇生する方法だと!?
まさか。聞いたことがないぞ、そんなことが出来るなど……」
“クックック、さすがに察しがよいの、混沌の貴公子。これを見るがよい!”

その刹那、細くねじくれた二本の黒い角を生やし、一目で魔族と分かる禍々しい外見をした男が、五人の脳裏に映し出された。
リオンとライラは知らなかったが、それは、テネブレ……魔界の至宝の一つ、“黯黒の眸”の化身だった。
男は、洞窟の暗闇のような空虚さを宿す眼で、彼らを見据え、黒いローブを着た胸元には、“焔の眸”に似た透明な貴石が、しっかりと抱えられている。

「貴様、“(めし)いた眸”を勝手に持ち出しおって、どうするつもりだ!」
タナトスは、魔界の至宝の片割れを怒鳴りつけた。
だが、瞬時にすべてを理解したサマエルは、兄を制した。
「待て、タナトス。分かったぞ。
今まで、その石に精霊が宿らなかったのは、このためだったのだな」

“左様。ルキフェルよ、まこと、おぬしは、すこぶる通りがよいのう。
まさしく、これなる三つ子の残り石こそが、新たなる『焔の眸』の()(しろ)となる”
土気色の顔に、薄気味悪い笑顔を浮かべたテネブレは、青い舌で唇をなめ回しながら、大事に抱いた透き通る石を、節くれだった指でなぞった。

“後は、現在、おぬしが手にある左眼と『ウィルゴ』、さらに、おぬしの体内に取り込まれし『焔の眸』が魔力、それらが揃えば、蘇生は叶うのだ。
おぬしの考え通り、元々『盲いた眸』は、我、または『焔の眸』が損壊せし折の備えとして、存在致して来たものゆえな”
「そうか……そうか……よかった……」
サマエルは、ペンダントを握り締め、安堵のあまり、その場に膝をついた。

「えっと……つまり、それが全部揃えば、ダイアデムを復活させられるってことだよね?」
「本当にそんなことが出来るのですか?」
リオンとライラが尋ねると、二人の頭の中で不気味な男がうなずいた。

“左様。我ら魔界の至宝たる“眸”は、『至純(しじゅん)なる魔法的存在』とでも申すべき存在。
つまるところ、宿る魔力が()せれば、我らもまた滅する。
されど、寸分(すんぶん)(たが)わぬ依り代と、残存する魔力さえあらば、復活も叶うのだ。
ゆえに、ルキフェルは、魔界へ戻らねばならぬ。
すべてにおいて“焔の眸”と同質の、この“盲いた眸”なくして、再生は不可能”

「ふん、“盲いた眸”に、そういう使い道があったとはな。だが……」
「──兄上! いえ、魔界王タナトス陛下!
私はどうなっても構いません、あなたが仰る条件はすべて飲みます、何でも致します、ですから、私が魔界に帰る許可を下さいませ!
この通りでございます!」
サマエルは人目もはばからず、地面に額がつくほど深く、頭を下げた。

すこぶる 非常に。大変。大層。
すこぶる通りがよい 非常に理解が早い。
依(よ)り代(しろ)、憑代
神霊が寄りつくもの。物に寄りついて示現(じげん)されるという考えから、憑依(ひょうい)物としての樹木・岩石・動物・御幣など。
至純(しじゅん) この上なく純粋なこと。少しも混じりけのないさま。